王都を出て数時間は、本当にあっという間だった。
空は雲ひとつない快晴で、その明るさに引っ張られるように、私の足取りも自然と軽くなっていた。
フェリカとは久しぶりの再会だし、会話も弾む。
何気ない世間話や、お互いの近況を語り合っているうちに、退屈を感じる間もなく街道を進んで行った。
そうして、浮き足立って歩き続けていたせいで、ふと空を見上げれば、日は既に山の端へと傾き始めていた。
「しまった……。少しのんびり歩きすぎたね」
思わず悔しげな声が漏れる。
今から走れば、日が沈む前に目的の宿場町まで辿り着けるだろうか。
そんな考えが頭をよぎった矢先、目の前に鬱蒼とした森が広がり、行く手を遮った。
この街道を貫くようにして伸びる森だ。
地図の上では危険地帯とは記されていないし、冒険者たちが日常的に行き来する場所だから、さほど警戒する必要もないはず――。
「リル、ダメよ。森には入らない方がいいわ」
でも、そんな私の思考を遮るように、フェリカが鋭い口調で言った。
彼女の瞳は、森の奥を射抜くように凝視されている。
「あそこはね、野盗がよく潜んでいるのよ。討伐隊が何度も狩り出されて、一掃されてはいるんだけど、しばらくするとまた別の連中が湧いて出る。まるで魔物みたいにね」
「そんなに頻繁に? ……でも、なんでわざわざ、そんな場所を根城にするの?」
私の問いに、フェリカは肩をすくめて答えた。
「何だかんだと稼げる場所だからじゃない? 食うに困った連中が、『ここなら一発稼いで逃げられる』って、最後の手段で手を出すのね。でも、実際は賢い連中なら、こんな所で網を張らないわ。ここは王都から近すぎて、冒険者の数が段違いなのよ。襲撃が露見したら、すぐに討伐依頼が飛んでくるし、根城にするにはリスクが高すぎる」
フェリカはそう言って、一度息を吐くと、ニカリと悪戯っぽく笑った。
「まあ、今の私たち相手にそんな場所で待ち伏せをするような、命知らずの馬鹿はいないでしょうけど。……特に、アンタの隣にいるアロガの威容を見ればね」
その言葉に、私は頷く。
フェリカの言う通りだと思うけど……そして、お母さんは生前、こう教えてくれた。
『リル、敢えて危険な目に、自分から遭いに行く必要はない。特に旅の間はね、何があるか分からないから、そもそも近付ないことが大事だ』
私は足を止め、感覚を研ぎ澄ます。
教わった通りに意識を集中させると、森の奥からは確かに――生きた人間の、それも饐えたような異臭が漂ってくるのが感じられた。
アロガもまた、鼻先に異臭を感じ取ったのか、不愉快そうに耳を伏せて、低く唸り声を上げている。
「……確かにいるね。数も結構いそう。十は超えてるのかな」
「ふぅん……、それじゃあやっぱり、迂回するのが正解よね? 別に倒したいって言うなら、押し通ってもいいけどさ」
フェリカが手甲を身に付け、戦闘の準備を整えながら私を見た。
その視線を頬に感じながら、森の入り口を見つめる。
「ここを突破すれば、日暮れぎりぎりくらいには、町に着ける?」
「そうね、着けると思う。……でも、無理するところか疑問よね、正直」
争いになれば、当然、時間を浪費する。
旅の初期から、こうした余計な事をしていると、西大陸への到着が、いつになるか分かったものじゃない。
「迂回しよう。アロガも、あの匂いが嫌いみたい」
私はアロガの首筋を優しく撫で、街道から外れて森の縁をなぞるように歩き出した。
でも、森の影からこちらを注視する、緊張した視線は消えなかった。
もしかすると、ただの野盗ではないのかもしれない。
でも、彼らは私たちが通り過ぎるのを、ただ待っている様な感じもするし、だから緊張した視線を感じているのかもしれなかった。
果たして、このまま通り過ぎて良いものか……。
どうするのが最善か迷って、森の中を注視する。
でも、不気味な気配が、湿った森の空気の中に澱んでいるのが分かっただけだ。
その時ふと、ナナの声が私の中で響き、語り掛けてきた。
《リル、……あの中に、連中の仲間とは思えない気配があるわ。多分、あの森を突っ切ろうとして、被害に遭ったヒトじゃないかしら》
(行商人さんとか?)
《そうだと思う。緊張した視線をしてるのは、今こちらに来て欲しくないからでしょ。手に余るというか……、今は相手にしたくないというか……、そんな感じ?》
胸の奥でモヤモヤした、不愉快な気持ちが高まる。
「……フェリカ、あそこにいるのは野盗だけじゃないみたい」
「え?」
私の言葉に、フェリカの表情から余裕が消える。
平和な快晴の夕刻近く。その穏やかさを切り裂くように、森の奥から、低く重い鐘の音が一度だけ響き渡った。
それは、きっと警告だった。
気付いているぞ、包囲網を作ったぞ、森に入れば只では済まないぞ、という威嚇だ。
「あそこにはもう、奴らの餌食になったのがいるのね? でも、どうする? あちらさんは、どうやら準備万端、待ち構えてるって感じだけど」
「そこが問題だよね……」
ブラフかもしれないけど、敵の正確な数は不明だし、弓矢の装備くらいはきっとある。
近付こうとすれば、まず先制の機会を与えてしまうだろう。
でも。
それでも。
「助けよう」
「いいの? そんな義理ないけど。危険に対する嗅覚がないって、それ相当だよ? 商人なら、それぐらいの情報網だってあるでしょうに。迂回しなかった方が悪いのにさ」
「——悪いのは、どう考えても野盗の方だよ」
強い口調で言うと、フェリカは一瞬押し黙り、それから大いに頷いた。
「まぁ、そうね。それはそうだわ。でもさ、冒険者ってのは、基本的に依頼を受けてから動くものでさ……。A級ともなれば体面もあるし、S級ともなれば、その辺は尚更……」
「でも、助けに行こう」
「いや、まぁ……。リルがそうしたいなら、アタシは付き合うけど。でも、どうして? 理由くらいは聞かせてよ。別にケチ付けたい訳じゃなくてさ」
私はそれに、ほぼ即答に近い速度で答えた。
「――お母さんなら、きっと、そうしたと思うからだよ」
目に見える不義を許さない人だった。
そして、正しいと思えることを、損得に限らずやっていたと思う。
お母さんのようになりたい――。
その背を見て、いつもそう思っていた。
それなのに今、冒険者としては普通やらない、という理由だけで、見捨てる事は出来なかった。
「行くよ、フェリカ。――戦闘準備」
「いいわよ、凄く納得できる理由だったし。リルがお人好しって部分を差し引いてもね」
茶目っ気たっぷりに笑うと、手甲を装着した両手をぶつけ合う。
私はそれに笑顔を返して、アロガの首筋を撫でた。
「行くよ、アロガ。なるべく殺さないでね」
「ウォフ……」
気乗りしない時の返事に、苦笑しながらポンポンと叩く。
そうして、通り過ぎようとした森へ、急遽方向転換して駆け出した。
※※※
「ぶっつけ本番だけど、パーティーの戦い方ってのをやってみましょ! アタシが前衛で目を引くから、リルはアロガと一緒に隙をついて突っ込んで!」
フェリカはそう言い残すと、獣人特有の瞬発力で森の木立へと消えた。
ルヴィアンが彼女の影に重なるようにして水飛沫のような軌跡を描き、サポートに入る。
「――よし、行こう」
私はアロガの背に手をかけ、低い姿勢で森の深部へと飛び込んだ。
薄暗い木漏れ日の中、野盗たちの気配が一段と強くなる。
饐えた匂いと共に、殺気――というよりは、飢えた獣のような視線が突き刺さる。
「おい……ッ! 見ろ、あのプレートを! このガキども、S級だぞ!」
誰かの叫び声が上がり、次の瞬間、木陰から放たれた数本の矢が私の頭上を掠めた。
「――フッ!」
反射的に剣を抜く。
抜き放った刃が冷たい空気を切り裂き、飛来する矢を弾き飛ばした。
「ナナ、お願い!」
《分かってるわ。視界の端、三時の方向。隠れている弓兵は、こちらに任せなさい》
ナナの冷静な声が聞こえるのと、誰かの悲鳴が上がったのは同時だった。
見れば、肩口から鮮血を飛ばして、蹲る姿が見える。
ナナが風の刃を飛ばして無力化したのだ。
小さな傷だから、命に別状はない。私は心の中で感謝して、森の奥へと地を蹴る。
すると、目前にはバリケードのように積み上げられた丸太の陰に、行商人らしき荷車が放置されていた。
そして、その車輪の隙間には、一人の女商人が猿ぐつわを噛まされ、縛り上げられているのが見える。
「――そこまでだよ!」
あえて叫ぶことで、野盗たちの意識を自分に引きつけた。
同時に、アロガが地鳴りのような咆哮を上げる。
「グルルオオォォッ!」
その圧倒的な獣の覇気に、不意を突かれた野盗たちが一瞬、怯んだ。
その隙を逃すはずがない。
私は瞬時に間合いを詰め、最も近くにいた男の剣の腹を叩いて弾き、そのまま体当たりで吹き飛ばした。
「クソっ! ツイてねぇ! 何もかもツイてねぇ!」
リーダー格と思しき男が、ヤケになって錆びついた大剣を振り回した。
でも、その目は恐怖で泳いでいて、動きもまるでなっていない。
S級冒険者のプレートが示す強大な力を、彼らも理解しているのだ。
「あんたたちの方から『招待』してくれたんでしょう? なら、応えるのが礼儀ってもんよ!」
フェリカの声が左手から聞こえたかと思うと、次の瞬間には、野盗の懐に潜り込み、手甲の一撃で男の顎を打ち抜いていた。
ルヴィアンが水の鞭を操り、逃げようとする他の野盗たちの足元を攫っていく。
一瞬の攻防。統制が取れていたはずの彼らの陣形は、私たちの容赦ない連撃の前に崩壊した。
「ひ、ひぃぃ……ッ!」
リーダーが武器を放り出し、森の奥へと逃走を図る。
私は追撃しようとしたけど、その時、背後で商人の籠もった悲鳴が聞こえた。
「……あいつら、まだ何か隠してる!」
「グルルル……」
アロガが地面を強く踏みしめ、唸り声を上げる。
商人のすぐ近く、隠された落とし穴の端に、火種を握りしめた別の男が潜んでいた。
行商人の荷車に火を放ち、混乱に乗じて逃げる算段なのかもしれない。
「させない!」
私は剣を振るう代わりに、魔力を練り上げた一撃を放った。
空気が震え、衝撃波が男の手から火種を吹き飛ばす。
男は驚愕に目を見開き、そのままアロガの鋭い視線に射抜かれて卒倒した。
森が、静寂を取り戻す。
荒い息を吐きながら、私は商人の縄を解きに行った。
商人は震える手で猿ぐつわを外すと、涙目で私を見上げた。
「あ、ありがとう……ありがとうございます……。わたし、あいつらに騙されて……」
彼女が語り始めたのは、雇った冒険者と野党が結託していたという、胸の悪くなる話だった。