女商人は震えながら、泥だらけの袖で目元を拭った。
落ち着くのを待って、励ますように撫でていると、いずれ彼女はエルザと名乗った。
「わたくし、隣国のカウロまで貴重な薬草を届けるので、護衛依頼を、ある冒険者パーティーに出したのです。……ですが、この森に入った途端、彼らは突然豹変して……。いえ、最初から野盗と結託していたのだと、そのとき気付きました……」
彼女が視線を向けた先には、森の木立の影で事切れている、明らかに装備の整った冒険者たちの遺体があった。
彼らは野盗たちと口論の末に、山分けの配分を巡って、仲間割れを起こしたらしい。
「彼らは……、わたくしから全ての資産を奪うつもりだったのです。わたくしを殺して『魔物に襲われた』と嘘をつき、最初から自分たちが野盗の一味と組んでいたことを隠蔽する計画だったようです……」
それを聞いた瞬間、私の胸の中にどす黒い感情が渦巻いた。
冒険者という肩書きを背負いながら、その実、野盗と結託して依頼人を食い物にする――。
彼らの存在そのものが、酷く汚らわしいものに思えた。
ふと、お母さんの言葉が脳裏に蘇る。
『リル、冒険者なんて、所詮は多少マシな野盗といったくらいで、大したものじゃない。暴力を生業にしていると、そういう輩は多いものさ』
かつては「そんなことない」と反発していた気がする。
でも今は、その言葉が重く心にのしかかっていた。
彼らのような存在がいる限り、冒険者という稼業が、なるほど薄汚れたものに見えるはずだ。
「……イヤだな。本当に、嫌な気持ちになる」
私は吐き捨てるように呟いた。
フェリカもまた、冷ややかな目で冒険者たちの遺体を見下ろしている。
「リル、あまり気を落とさないで。……でも、確かに救いようのないクズね。依頼人を守るべき盾が、そのまま刃になっていたなんて」
フェリカは大きく息を吐くと、それから弁明する様に続けた。
「でも、冒険者の中には、ちゃんとしてるヒトだっているのよ? アタシと付き合いあるのは皆そうだし、カトリーナ様とか特に……」
言われて、高い位置で結んだ、あの長い赤髪を思い出した。
「あぁ……、そうだね。あの人は一本筋が通ってるというか……、自分の信念は曲げないタイプって感じだった」
「……知ってるの?」
少し驚いた様子のフェリカに、こくりと頷く。
「うん、S級の試練を受ける時に、ちょっと……」
そう言ってから、話がだいぶ横に逸れていることに気付いた。
私は目の前のエルザに謝罪するなり手を握り、ゆっくりと立たせて、落ち着かせる。
「エルザさん、もう大丈夫です。ここからは私たちが護衛します。……何があっても、今度こそ安全に送り届けますから」
彼女は怯えながらも、小刻みに頷いて、私たちを信頼してくれた。
※※※
その後、私たちは予定通りに宿場町へと足を向けた。
アロガの威容と、私たちの殺気立つような空気に、道中で出くわす魔獣たちは皆、影に潜って震えていた。
だから何の苦労もなく、目的地としていた宿場町へと辿り着くのに、そう時間は掛からなかった。
でも、野盗達を相手にした分、時間を浪費したせいで、到着したのは夕暮れも過ぎ、とっぷりと日が暮れてからのことだ。
「ここが……?」
「そう、カウロの手前にある『風薫る町ミルド』よ」
ここまでに苦労があったとすれば、エルザさんの馬がアロガを怖がり、動いてくれないことがあったくらいだ。
それも長年の付き合いであるエルザさんが宥めて、何とかかんとか動かした。
そうして、石畳が敷かれ始めた町の入り口に足を踏み入れた瞬間、往来の空気がさっと引いていくのが分かった。
夜とは言っても、まだ始まったばかり。
町民たちは多く外にいて、その視線が、一斉に私たちへと向けられる。
正確には――私の隣を歩く、巨大な
「おい、見ろよあれ……。あんな巨大な獣、見たことないぞ」
「あのプレート……、S級冒険者? じゃあ、あれが噂の……。まさか本当に、魔獣を連れているとはな……」
アロガは、どこ吹く風といった様子で、私の歩調に合わせてゆっくりと歩く。
時折、珍しそうに路肩の屋台を覗き込む仕草を見せると、屋台の主人が腰を抜かしてひっくり返るという光景が繰り返された。
「相変わらず、アロガは人気者だね」
「……リル、あんた分かってて言ってるでしょ。連れが目立ちすぎるのよ。これじゃあ、アタシたちの存在を喧伝しながら歩いてるようなものよ」
それはちょっも拙いかもしれない。
今は一応、“南の湿原”に向かっている事になっているから、全然違う方に移動しているのが知られると、またエルフから煩いことを言われそうだった。
「まあ、この巨体じゃ隠しようがないものね。アロガ自身にも、そういうつもりはなさそうだし」
何しろ、アロガからすれば、私を守ることが優先だ。
威嚇するぐらいで丁度良い、と思っていそうな
どうしようもないと悟って、フェリカは呆れ顔で溜息をつく。
すると、町角の掲示板の前に集まっていた商人の一団が、私たちに気づいて、わざとらしく声を潜め始めた。
「おい、見たか。あれが『例のS級』だよ。ベントリー商会の連中が、『特別』だと騒いでいただろう」
「噂じゃ、商会長が個人的に後ろ盾になっているらしいぞ。あの獣を連れて何をするつもりなんだか……。あんなのに許可を与えて、ギルドは何を考えているんだ……」
彼らの噂話は、私たちの耳にもはっきりと届いた。
フェリカは明らかに不機嫌そうな顔付きになって、彼らを一瞥だけして通り過ぎようとする。
「……随分とまぁ、ご機嫌な言われようだこと」
「仕方ないよ。私自身、強引だったと思うしし、無茶をした自覚もあるし……」
「リル、商会が協力してるって言うのは本当?」
うん、と素直に頷くと、フェリカは声を潜めて言った。
「気を付けなさいよ。援助しくれてありがたく思うかもしれないけど、商人ってのは、タダで動くような連中じゃないわ。何か裏があると思った方がいい」
「お母さんと付き合いの深い所だから、そんなことないと思う。借りを返すつもりで、私に良くしてくれてる」
「あぁ……」
フェリカは妙に納得した顔をして、それから何度も頷いた。
「魔女様に、今も助けられているのね。商人は利に聡いけど、それ以上の恩があると途端に義理堅くなったりするから……。良いお母さんを持ったわね」
「うん、本当にそう思う」
目に見えない所でも、お母さんの助けがある。
その事実が、私の胸を温かくした。
そうしていると、アロガが不意に、噂話をしていた商人の一人の前で不意に立ち止まった。
商人は恐怖に顔を青ざめさせ、その場に固まる。
しかしアロガは、商人のポケットから漂う干し肉の匂いに興味を引かれただけだった。
私が軽く肩を叩いて促すと、アロガは「フン」と鼻を鳴らして再び歩き出す。
「エルザさんを早く送り届けなきゃだし、この町で補給を済ませましょう。目立つのは……まぁ、今だけは目を瞑りましょ」
「大変なご苦労を……。どうも、すみません」
恐縮して頭を下げるエルザさんを宥め、私たちはまず宿を探す。
宿場町だから、宿自体を見つける苦労はないけれど、アロガを泊めてくれる宿があるかは問題だった。
いざとなったら、厩だけ借りて、アロガと一緒にくっついて寝れば良い。
森ではお昼寝で良くやっていた事だ。
一晩寝るくらい、別に苦労とは思わない。
でも、今は……。
とりあえず、エルザさんを無事に送り届ける事を、考えた方が良さそうだった。