混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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紫銀の残影 その8

 月明かりが、荒野に伸びる道を青白く照らす中——。

 私たちは夜の冷気の中を、あえて人目のつかない獣道へと逸れて走っていた。

 

 背後にあるミルドの町が、まるで灯火の海のように遠ざかっていく。

 

 アロガの足音は、闇に溶け込むように静かだけど、その速度は凄まじい。

 風を切り、大地を蹴るたびに景色の流れる速度が増していく。

 

「……ホント、感謝するわ。アタシもアロガに乗せてくれて。この距離を走り続けるのは、ちょっとホネだもの」

 

「私の腰にしっかり掴まってね。アロガの毛を掴んじゃ駄目だよ」

 

 私以外が乗るのを嫌がるアロガを、説き伏せるのは大変な苦労だった。

 でも、こうでもしないと、術式から逃れられないから、何とかどうにか宥めすかした。

 

 ——今だけだから。

 ——目的地に着けば、すぐに降りるから。

 

 後は、余計な所は触らないとフェリカにも約束させて、それでようやくの納得だった。

 その毛並みを堪能したかったフェリカからは、残念そうな顔をされたけど……。

 

 でも、状況を考えて、自分に言い聞かせる様に我慢していた。

 

「ねぇ、リル? アロガと仲良くなれば、触れるようになるかしら?」

 

「うん、多分ね。でもほら……、最初に私の旅を止めようとして、戦闘になったでしょ? あれで未だに敵認定されてるんだと思う」

 

「え……!? もう謝ったし、リルとも仲良くしてるじゃない!」

 

「アロガからすると、それだけじゃ信用するには不十分、って事だと思う」

 

「そんなぁ〜……。もう絶対、あんな真似しないのに。許してよ、アロガ〜……!」

 

 そんなフェリカの願いも、アロガには全く届かない。

 完全に無視する形で、変わらず疾駆し続けている。

 

 フェリカは風に髪をなびかせながら、尚も声を上げていたけど、アロガがそれに反応することは、遂になかった。

 

 そんな二人——いや、一人と一匹のやり取りを置いて、私はナナから聞いた話をフェリカに話すついでに、アロガの背を撫でる。

 

「ナナが言うには、術式の網を抜けるのに、今の速度で数時間走り続ける必要があるってさ。……アロガ、頑張れる?」

 

「グルルッ!」

 

 唸る様な頼もしい返事が返ってきた。

 荷物を背負った二人分の重さはそれなりだろうに、それを全く感じさせない軽やかさだ。

 

 アロガは障害物を巧みに避けて、前進を続ける。

 ふと、夜空を見上げると、星々がやけに大きく見えた。

 

 お母さんもこうして、追っ手を撒きながら旅をしたことがあったのかな……。

 そう思うと、胸の奥が少しだけ寂しくなった。

 

 少しは吹っ切れたつもりでも、ふとした拍子にお母さんの事が顔を出す。

 そして、どこまで行っても、何かにお母さんの影を追わずにはいられない。

 寂しさは、いつまでも晴れることがなかった。

 

 

  ※※※

 

 

 数時間後、周囲の風景は完全に荒野から岩山地帯へと変わっていた。

 ここまで来れば、術式の感知範囲を優に超えているはず……。

 

「……この辺で良いかな」

 

 私はアロガに停止の合図を送った。

 岩陰に身を隠し、焚き火をせずに簡易的な野営の準備を整える。

 

《リル、感知範囲は抜けたけど、だからって油断しないでね。何事にも絶対はないんだから》

 

 ナナの注意する声に、私は大きく頷きながら息を吐いた。

 アロガからフェリカと共に降りると、心なしか肩の荷が降りたような気分になる。

 

「……これで、ようやく私たちの旅が始められるね」

 

 フェリカは近くの岩の上に腰掛け、水筒を口に運んだ。

 

「ええ。監視の目がないってのは、清々しいものね。……さて、追っ手がいないと分かれば、次は西大陸への足掛かりよね。オウカの港町、えぇと……名前は何だっけ。ま、とにかくそこが当面の目的地よ」

 

 言い終わると同時に、ルヴィアンがふわりと現れ、周囲を警戒するように浮遊する。

 

「……東の空が白み始めている。休憩は短いものになるぞ」

 

「分かってるって。ねえ、リル。港町に着いたら、まずは美味しい物を食べましょうよ。港町の魚介は、とっても美味しいんだら」

 

 フェリカの能天気な言葉に、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。

 

 アロガが私の隣に伏せると、水をせがむので私の水筒から与えてやる。

 ここまで走り通しだったのだ。

 その要求も当然で、少しの休憩も必要だった。

 

 目の前に置かれたお皿から、みるみる内になくなっていく。

 満足するまで追加してやり、飲まなくなった後は干し肉を与えた。

 

 アロガの巨大だと、一つ二つでは全く足りない。

 いっそ獣でも狩ってこようか、と思い始めた頃、地平線から昇る朝日が、遠くの山々を黄金色に染め上げた。

 

「……休憩は終わり。移動しようか」

 

 アロガはとっても不満そうだった。

 更に干し肉を与えて、とりあえず納得して貰い、毛並みを撫でながら立ち上がらせる。

 

 そうして、再び西を目指して歩き出した。

 それは、誰に決められた道でもない。

 

 私が、私の意思で選び取った、新しい旅の始まりだった。

 

 

  ※※※

 

 

 オウカの港町へ足を踏み入れたとき、潮風と共にどこか焦げ臭い気配が漂ってきた。

 石畳の通りは、これまで通った町以上に人通りが少ない。

 

 ギルドの支部へ向かう道すがら、街の住人たちが不安げな表情で噂話をしているのが耳に入った。

 

「……聞いたか? 名のあるS級冒険者が、竜との戦いで深手を負ったらしいぞ」

 

「ああ、あのカトリーヌ様だろ? 王都から駆けつけたはずなのに、まさかこんな……」

 

 カトリーヌという名を聞いた瞬間、私の足が止まった。

 王都で私を導き、時に優しく接してくれたあの先輩冒険者。

 

 あの人が何故こんな所に……?

 ……そう考えて、すぐに思い出す。

 

 私がいざ試練を受けようという時、突然“何らかの依頼”が舞い込んでいた。

 その時は、私から彼女を引き離す、ギルドの都合のいい方便だと思っていたけど……。

 

 もしかすると、本当にS級の戦力が必要な事態となっていたのかもしれない。

 

「ねぇ、リル。どうする? アタシとしては、ちょっと様子が気になるんだけど……」

 

「そうだね……。私もお世話になった人だし……」

 

 実際、彼女の口利きがなければ、S級試練など受ける前に門前払いだった。

 今は目立ちたくないけど、このまま見過ごすことは義理を欠く気がする。

 

「……行こうか。何か出来る事があるかもしれない」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 そうしてギルドへと真っ直ぐに向かって入ると、そこには見知った顔があって驚いた。

 そこに居たのはエルザさんで、受付のカウンター付近で、青ざめた顔で立っている。

 

 彼女は私に気づくと、安堵した表情で、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。

 

「リル様……! まさか、こんなに早く再会出来るなんて……! あの時は本当に、ありがとうございました!」

 

 エルザさんは一度、がばりと頭を下げた。

 大きく遠回りしてきた私達だから、一直線に向かった彼女が先に到着していても、そこは不思議でも何でもない。

 

 でも、たた再会しただけにしては、彼女の様子は少しおかしかった。

 何かに憚る様に口元を手で隠し、小声になって言ってくる。

 

「……今、この町は大変なことになってます」

 

 エルザさんの話によれば、彼女が運んでいた“貴重な薬草”は、カトリーヌさんの治療のために、どうしても必要なものだったという。

 

「カトリーヌ様は、竜を止めるために独りで山に入られました。……ですが、そんなことは滅多にありません。この付近に竜が居着いたのは最近らしいのですが、とても大人しく、暴れる様子がなかったとか……。でもやっぱり、単独任務というのは、あまり聞かない事です」

 

 竜は確かに、ヒト一人でどうにかなる存在じゃない。

 それなのに、ギルドがそれを命じたなら、それは遠回りな暗殺に等しい行為だ。

 

 私はエルザさんにお礼を言ってから、ギルドの奥にある療養所へ向かった。

 そうして案内された先で見てしまう。

 

 包帯に巻かれたカトリーヌさんが、荒い息をさせながら眠っている。

 私はそれを、悔やむのと似たような気持ちで見つめた。

 

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