混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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境界を越えた先、救済の風 その1

 彼女の傷は、普通の魔物によるものではない。

 高い峰に登ったわけでもないだろうに、凍傷の傷痕が全身に見られた。

 

 竜の吐息には、火だけではなく、氷や雷を吐くものさえいるという。

 凍傷の跡は、きっとそれだろう。

 

「でも、竜が……なぜ、急に?」

 

 竜は本来、ヒトの前に出ないものだ。

 知性も高く——全てを知ってるわけではないけど、出会った事のある竜は全て、ヒトの言葉を話せていた。

 

 中には好戦的なのもいたけど……。

 でも、理由なく襲ったり、暴れたりしないと思う。

 

 そうしちゃいけない、と竜の長老ヴェサールが言っていた気もする。

 

「これ……」

 

 私はカトリーナの枕元に置かれていた、彼女の壊れたプレートを拾い上げた。

 その表面には、激闘を物語る傷や焦げ跡が残っていた。

 

「……フェリカ、カトリーナさんの熱が凄い。冷やしてあげたり出来ない?」

 

「勿論よ。その為に来たんだから。水精霊にはね、傷を癒す力だってあるのよ」

 

 最初からそのつもりだったらしく、フェリカはすぐに魔法を使い始めた。

 ルヴィアンは姿を見せないまま、自分だけで行う単独使用だ。

 

 何となく、その辺は全て精霊任せな気がしていて、意外に思う。

 そして案の定、というべきか……。

 

 魔法の腕については、あまり上手ではなさそうだった。

 私の視線に気付いてか、フェリカは言い訳じみた事を言い始める。

 

「これは、ほら……違うのよ。まだまだ

練習中っていうだけ。アタシには腕の良い師匠とかいなかったんだから、仕方ないかじゃない?」

 

「そうだね」

 

 わかってる、と頷いて見せると、むしろムキになって言い訳が激しくなった。

 

「だからさ、言ってるじゃない。アタシもちゃんと練習してるのよ? でも現実として……」

 

「誰も悪く言ってないよ」

 

「目が言ってたの! 言っときますけどね、リルみたいに師事できる相手が身近にいるって、ホントに凄いことなんだから!」

 

 それは本当にそう思うので頷いておく。

 そうこうしている内に、ルヴィアンの治療は続いていて、フェリカの言い訳が止まらない中、治療は終わった。

 

 凍傷を始めとした傷は、随分と軽くなった様に見えるけど、全快ではない。

 カトリーナさんも、まだ目を覚まさなかった。

 

「これぐらいで丁度いいの。ほら、私達がここに居るの知られるのも、結構マズイじゃない。結果として良い塩梅って事でさ、むしろ良かったとも言えて……」

 

 とこまでいっても言い訳がましい。

 言葉を重ねるほどに、墓穴を掘っている。

 

 更に何かを言おうとした時、フェリカの肩がピクリと跳ねた。

 多分、ルヴィアンに何か言われたのだろう。

 

 きっと小言めいたお説教が飛んできたに違いない。

 身に覚えがあるから、私にも分かる。

 

「とにかく、薬草も無事に届けられたみたいだし、後はギルドの人が上手くやるでしょ? 後は任せようよ」

 

「そうね、そう。アタシはそう言いたかったの。いきなり全快だと不自然だし——はい、もう言いません」

 

 とうやら、ルヴィアンからキツめのお小言が飛んだらしい。

 背筋を伸ばしてした返事と共に、身震いまでしていた。

 

 私はそれに苦笑して、カトリーナさんの容態を見つめる。

 呼吸もさっきより安定して、体温も正常に近付いたみたいに見える。

 もう心配はいらないだろう。

 

「少し休んだら、早速、その竜の所に行ってみよう。何があったのか、聞いてみなきゃ」 

 

 私の言葉に、フェリカは表情を険しくする。

 

「カトリーナ様が、目を覚ましてから聞くのじゃダメなの? 何でわざわざ、そんな危険な真似……。ギルドだって、ある程度事情を把握してるでしょ」

 

「ギルドはむしろ、信用出来ない。野盗側と結託していた冒険者は、どうやって依頼を受けれたの……?」

 

「まぁ、確かに……不自然よね。S級が死の瀬戸際っていうのは、どっちかって言うと機密情報でしょ? 確実に助けたいし、だから貴重は薬草を手配したんだろうに……。それで用意されたのが、野盗と結託する様な

冒険者? あり得ないわ」

 

《謀殺するつもりだったのかもね。依頼の方も含めて。竜を単独で相手させるのもあり得ないし、エルフに逆らう冒険者は、例えS級でもいらない、って事なのかも》

 

 内側から響いたナナの声に、頷く自分がいる。

 よくよく考えれば、本当におかしな話だった。

 

 カトリーナさんには勝算があったのかもしれないけど、剣士の単独で挑めるほど、竜は甘い相手ではない。

 それこそ、お母さんぐらいでないと、挑んではいけない相手だ。

 

「ギルドに事情を聞いても、はぐらかされるか、ギルドにとって都合の良い話しか聞けないと思う。だったら、直接聞いた方が良い」

 

「だとしても……。竜の所に行くだなんて……。いや、だって竜でしょ……」

 

 流石のフェリカと言えど、竜相手では臆してしまうらしい。

 私は急かすでもなく、落ち着くのを待って答えを待つ。

 

 ややしばらくして、フェリカは大きく息を吐いて頷いた。

 

「いいわ、行くわよ。むしろ、こういうのこそ、冒険って感じよね」

 

「未知を既知へ変え、ってやつ? ……そうかもね」

 

 私はあえて、その言葉の裏側を伝えようとはしなかった。

 ただ皮肉げに、曖昧に笑うだけだ。

 

「じゃあ、とりあえず出ようか。今はゆっくり休まないと……」

 

 知らない間に巨大な火種を拾い上げているのかもしれない。

 でも、それでも構わなかった。

 

 お母さんは、竜とヒトの間を取り持っていたという。

 昔、初めて竜に会った時のことは、怖かったくらいの記憶しかないけど……。

 

 でも、争ったりしないように、働きかけていたと思う。

 だったら私も、本当に可能かどうかはともかく、争いを防げるように動くたかった。

 

 窓の外では、オウカの海がどんよりと波打っている。

 まるで今の私と、この町の不安を表しているかのようだ。

 

 でも今や、私には頼りになる仲間が沢山いる。

 だから不安はすぐにでも掻き消えた。

 

 

  ※※※

 

 

 ギルドの療養所を後にし、私たちは町の外れにある質素な宿へと向かった。

 カトリーナさんの容態が安定した今、残る問題は“なぜ竜が突然現れたのか”という一点のみだ。

 

「ねえ、リル。一つ気になっていたんだけど」

 

 道すがら、フェリカが不意に口を開いた。

 

「竜がどうして、こんな所に来たのかしら? 人里近くには居ないってイメージがあるんだけど」

 

「それは間違いないよ。竜からすると、無駄に挑んでくる面倒臭い奴ら、って印象なはずだし……」

 

「なのに、町の近くにやって来たわけでしょ? ……つまり、ヒトからすると危険だとか、遠ざけようとか、いっそ討伐してしまおうとか……。そう思う程度の近くには」

 

「……そういう、事に……、なるんだろうね」

 

 私も不思議に思って首を傾げる。

 最初から好戦的な竜なら、冒険者を差し向けた時点で、報復に走っていても良さそうなものだ。

 

 でも、この港町に直接的な被害はない。

 焦りにも似たキナ臭さがあって、住民たちは危機意識でピリピリしているけど、実際はそれぐらいだ。

 

「竜の方に、積極的に争う意志はない……のかな。むしろヒトの側から何かをして……、それで竜がやって来る事になったのかも?」

 

「その“何か”って?」

 

「そこまでは分からないよ」

 

 行ってみて、事情を聞くまで分からないことだと思う。

 ふと、沈黙したままだったナナに問いかける。

 

(ねぇ、ナナ。何か分かる? どうして竜がやって来たのかな?)

 

《普通の竜なら、こんな事しないだろうから……まぁ、普通でないのは確かでしょう》

 

(危険ってこと?)

 

《考えようによっては。でも、考えてみて。本当に危険なら、カトリーナが担ぎ込まれた時点で、あの港町は焼かれてるわよ。だから、変わり者の竜とか、お節介な竜とか、そういう所に落ち着くと思う》

 

 何とも歯切れの悪い言い方に、内心で首を傾げる。

 

(変わり者はともかく……お節介って、どういう意味?)

 

《あるいは、考えなし? ……まぁ、さっきもリルが言ってたでしょ? 行ってみなければ分からないわ》

 

 釈然としないまま、取り敢えず頷く。

 私がナナと話している間、フェリカもルヴィアンと話していたらしい。

 

 でも、その表情を見る限り、どうやら似たような答えが返ってきた様だった。

 今日はとにかく身体を休めて、今も竜が居座るという、近くの山に向かってみるしかない。

 

 改めて、そう思った。

 

 

  ※※※

 

 

 霧の立ち込める『竜が降り立った山』は、静寂に支配されていた。

 踏みしめる土は氷にまみれ、その余波を受けて枯れ果てた木々が、墓標のように並んでいる。

 

 先程までの湿った海風は消え、代わりに肌を刺すような、冷たい空気が張り詰めていた。

 

「……ここから先は、アタシでも足がすくむわね」

 

 フェリカが手甲を装備しながら、警戒を露わにする。

 隣を歩くアロガも背中の毛を逆立て、喉の奥で低く唸り声を上げていた。

 

 竜の姿は見せずとも、その気配は濃密にあって、だからか他の魔獣などの姿は見えない。

 大人しくして、竜が過ぎ去るのを待っているかの様だ。

 

 そんな中を私達は進む。

 

 噴火口の縁付近まで行くことを覚悟していたけど、中腹へ辿り着くより前に、竜の方からやって来た。

 

 颶風(ぐふう)と共に地響きを立て、着地したのは銀色の鱗を持つ竜だった。

 その巨体は山の一部かと見紛うほど巨きく、座り込んだその姿は、威厳というよりも“ふてぶてしさ”を漂わせている。

 

『……なんだよ、獣人ども。オレの昼寝を邪魔しに来たのかよ』

 

 返ってきたのは、地鳴りのような響きを伴いつつも、やけに若々しく、どこか生意気そうな少年の声音で——。

 

 だから、予想と違ったのも相まって、私は思わず、瞬きを繰り返してしまった。

 

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