彼女の傷は、普通の魔物によるものではない。
高い峰に登ったわけでもないだろうに、凍傷の傷痕が全身に見られた。
竜の吐息には、火だけではなく、氷や雷を吐くものさえいるという。
凍傷の跡は、きっとそれだろう。
「でも、竜が……なぜ、急に?」
竜は本来、ヒトの前に出ないものだ。
知性も高く——全てを知ってるわけではないけど、出会った事のある竜は全て、ヒトの言葉を話せていた。
中には好戦的なのもいたけど……。
でも、理由なく襲ったり、暴れたりしないと思う。
そうしちゃいけない、と竜の長老ヴェサールが言っていた気もする。
「これ……」
私はカトリーナの枕元に置かれていた、彼女の壊れたプレートを拾い上げた。
その表面には、激闘を物語る傷や焦げ跡が残っていた。
「……フェリカ、カトリーナさんの熱が凄い。冷やしてあげたり出来ない?」
「勿論よ。その為に来たんだから。水精霊にはね、傷を癒す力だってあるのよ」
最初からそのつもりだったらしく、フェリカはすぐに魔法を使い始めた。
ルヴィアンは姿を見せないまま、自分だけで行う単独使用だ。
何となく、その辺は全て精霊任せな気がしていて、意外に思う。
そして案の定、というべきか……。
魔法の腕については、あまり上手ではなさそうだった。
私の視線に気付いてか、フェリカは言い訳じみた事を言い始める。
「これは、ほら……違うのよ。まだまだ
練習中っていうだけ。アタシには腕の良い師匠とかいなかったんだから、仕方ないかじゃない?」
「そうだね」
わかってる、と頷いて見せると、むしろムキになって言い訳が激しくなった。
「だからさ、言ってるじゃない。アタシもちゃんと練習してるのよ? でも現実として……」
「誰も悪く言ってないよ」
「目が言ってたの! 言っときますけどね、リルみたいに師事できる相手が身近にいるって、ホントに凄いことなんだから!」
それは本当にそう思うので頷いておく。
そうこうしている内に、ルヴィアンの治療は続いていて、フェリカの言い訳が止まらない中、治療は終わった。
凍傷を始めとした傷は、随分と軽くなった様に見えるけど、全快ではない。
カトリーナさんも、まだ目を覚まさなかった。
「これぐらいで丁度いいの。ほら、私達がここに居るの知られるのも、結構マズイじゃない。結果として良い塩梅って事でさ、むしろ良かったとも言えて……」
とこまでいっても言い訳がましい。
言葉を重ねるほどに、墓穴を掘っている。
更に何かを言おうとした時、フェリカの肩がピクリと跳ねた。
多分、ルヴィアンに何か言われたのだろう。
きっと小言めいたお説教が飛んできたに違いない。
身に覚えがあるから、私にも分かる。
「とにかく、薬草も無事に届けられたみたいだし、後はギルドの人が上手くやるでしょ? 後は任せようよ」
「そうね、そう。アタシはそう言いたかったの。いきなり全快だと不自然だし——はい、もう言いません」
とうやら、ルヴィアンからキツめのお小言が飛んだらしい。
背筋を伸ばしてした返事と共に、身震いまでしていた。
私はそれに苦笑して、カトリーナさんの容態を見つめる。
呼吸もさっきより安定して、体温も正常に近付いたみたいに見える。
もう心配はいらないだろう。
「少し休んだら、早速、その竜の所に行ってみよう。何があったのか、聞いてみなきゃ」
私の言葉に、フェリカは表情を険しくする。
「カトリーナ様が、目を覚ましてから聞くのじゃダメなの? 何でわざわざ、そんな危険な真似……。ギルドだって、ある程度事情を把握してるでしょ」
「ギルドはむしろ、信用出来ない。野盗側と結託していた冒険者は、どうやって依頼を受けれたの……?」
「まぁ、確かに……不自然よね。S級が死の瀬戸際っていうのは、どっちかって言うと機密情報でしょ? 確実に助けたいし、だから貴重は薬草を手配したんだろうに……。それで用意されたのが、野盗と結託する様な
冒険者? あり得ないわ」
《謀殺するつもりだったのかもね。依頼の方も含めて。竜を単独で相手させるのもあり得ないし、エルフに逆らう冒険者は、例えS級でもいらない、って事なのかも》
内側から響いたナナの声に、頷く自分がいる。
よくよく考えれば、本当におかしな話だった。
カトリーナさんには勝算があったのかもしれないけど、剣士の単独で挑めるほど、竜は甘い相手ではない。
それこそ、お母さんぐらいでないと、挑んではいけない相手だ。
「ギルドに事情を聞いても、はぐらかされるか、ギルドにとって都合の良い話しか聞けないと思う。だったら、直接聞いた方が良い」
「だとしても……。竜の所に行くだなんて……。いや、だって竜でしょ……」
流石のフェリカと言えど、竜相手では臆してしまうらしい。
私は急かすでもなく、落ち着くのを待って答えを待つ。
ややしばらくして、フェリカは大きく息を吐いて頷いた。
「いいわ、行くわよ。むしろ、こういうのこそ、冒険って感じよね」
「未知を既知へ変え、ってやつ? ……そうかもね」
私はあえて、その言葉の裏側を伝えようとはしなかった。
ただ皮肉げに、曖昧に笑うだけだ。
「じゃあ、とりあえず出ようか。今はゆっくり休まないと……」
知らない間に巨大な火種を拾い上げているのかもしれない。
でも、それでも構わなかった。
お母さんは、竜とヒトの間を取り持っていたという。
昔、初めて竜に会った時のことは、怖かったくらいの記憶しかないけど……。
でも、争ったりしないように、働きかけていたと思う。
だったら私も、本当に可能かどうかはともかく、争いを防げるように動くたかった。
窓の外では、オウカの海がどんよりと波打っている。
まるで今の私と、この町の不安を表しているかのようだ。
でも今や、私には頼りになる仲間が沢山いる。
だから不安はすぐにでも掻き消えた。
※※※
ギルドの療養所を後にし、私たちは町の外れにある質素な宿へと向かった。
カトリーナさんの容態が安定した今、残る問題は“なぜ竜が突然現れたのか”という一点のみだ。
「ねえ、リル。一つ気になっていたんだけど」
道すがら、フェリカが不意に口を開いた。
「竜がどうして、こんな所に来たのかしら? 人里近くには居ないってイメージがあるんだけど」
「それは間違いないよ。竜からすると、無駄に挑んでくる面倒臭い奴ら、って印象なはずだし……」
「なのに、町の近くにやって来たわけでしょ? ……つまり、ヒトからすると危険だとか、遠ざけようとか、いっそ討伐してしまおうとか……。そう思う程度の近くには」
「……そういう、事に……、なるんだろうね」
私も不思議に思って首を傾げる。
最初から好戦的な竜なら、冒険者を差し向けた時点で、報復に走っていても良さそうなものだ。
でも、この港町に直接的な被害はない。
焦りにも似たキナ臭さがあって、住民たちは危機意識でピリピリしているけど、実際はそれぐらいだ。
「竜の方に、積極的に争う意志はない……のかな。むしろヒトの側から何かをして……、それで竜がやって来る事になったのかも?」
「その“何か”って?」
「そこまでは分からないよ」
行ってみて、事情を聞くまで分からないことだと思う。
ふと、沈黙したままだったナナに問いかける。
(ねぇ、ナナ。何か分かる? どうして竜がやって来たのかな?)
《普通の竜なら、こんな事しないだろうから……まぁ、普通でないのは確かでしょう》
(危険ってこと?)
《考えようによっては。でも、考えてみて。本当に危険なら、カトリーナが担ぎ込まれた時点で、あの港町は焼かれてるわよ。だから、変わり者の竜とか、お節介な竜とか、そういう所に落ち着くと思う》
何とも歯切れの悪い言い方に、内心で首を傾げる。
(変わり者はともかく……お節介って、どういう意味?)
《あるいは、考えなし? ……まぁ、さっきもリルが言ってたでしょ? 行ってみなければ分からないわ》
釈然としないまま、取り敢えず頷く。
私がナナと話している間、フェリカもルヴィアンと話していたらしい。
でも、その表情を見る限り、どうやら似たような答えが返ってきた様だった。
今日はとにかく身体を休めて、今も竜が居座るという、近くの山に向かってみるしかない。
改めて、そう思った。
※※※
霧の立ち込める『竜が降り立った山』は、静寂に支配されていた。
踏みしめる土は氷にまみれ、その余波を受けて枯れ果てた木々が、墓標のように並んでいる。
先程までの湿った海風は消え、代わりに肌を刺すような、冷たい空気が張り詰めていた。
「……ここから先は、アタシでも足がすくむわね」
フェリカが手甲を装備しながら、警戒を露わにする。
隣を歩くアロガも背中の毛を逆立て、喉の奥で低く唸り声を上げていた。
竜の姿は見せずとも、その気配は濃密にあって、だからか他の魔獣などの姿は見えない。
大人しくして、竜が過ぎ去るのを待っているかの様だ。
そんな中を私達は進む。
噴火口の縁付近まで行くことを覚悟していたけど、中腹へ辿り着くより前に、竜の方からやって来た。
その巨体は山の一部かと見紛うほど巨きく、座り込んだその姿は、威厳というよりも“ふてぶてしさ”を漂わせている。
『……なんだよ、獣人ども。オレの昼寝を邪魔しに来たのかよ』
返ってきたのは、地鳴りのような響きを伴いつつも、やけに若々しく、どこか生意気そうな少年の声音で——。
だから、予想と違ったのも相まって、私は思わず、瞬きを繰り返してしまった。