「……あの、なんて言うか……。ずいぶん、その、若いんですね……?」
私の素直な指摘に、竜の巨大な蒼い瞳がカッと見開かれた。
その拍子に周囲の岩石がビリビリと震える。
『これでも立派な成竜だっつーの! お前らみたいに短命じゃないから、若く聞こえるだけだ!』
竜はバツが悪そうにそっぽを向き、長い尾をバタバタと岩場に打ち付けた。
少し機嫌を損ねたらしい。
そして、そんな態度を見せるものだから、余計に年若く見えてしまう。
どうやって機嫌を直して貰うか考えていると、不意に、竜の動きがピタリと止まった。
彼は不審げに鼻先を動かし、私の方へと大きく顔を寄せてくる。
巨大な鼻先が目の前に迫り、まるで家が一軒降ってきたかのような圧迫感があった。
――ズォォッ!!
竜が短く鼻息を漏らしただけで、その凄まじい風圧に私は吹き飛ばされそうになる。
思わずたたらを踏み、背後のフェリカに支えられた。
『な、なんだよ……お前、その匂い……』
竜は先ほどまでの不機嫌さを消し去り、訝しげに目を細めた。
私の衣服に残るわずかな匂いを——、あるいは体内に宿る魔力を嗅ぎ取ったらしい。
大きな鼻孔がヒクヒクと動き、数秒の静寂が流れる。
次の瞬間、竜の瞳に宿る色が揺らぎ、懐かしさと驚愕が混じり合った色に変わった。
『……リル、か? そうだろ? あのお節介な魔女の……あの時の……!』
竜は自分の巨大な前足を見つめ、それから私を凝視する。
かつての想い出を抱きしめ、今の私と見比べるような動きがあった。
『間違いない。あの時、いきなりやって来たかと思えば、一緒に遊んでった娘だ。……チッ、何だよ。あれから全然こないしよぉ……』
竜は大きくため息をつくと、先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、どこか懐かしげな、それでも少年らしい照れ隠しを含んだ口調で鼻を鳴らした。
『……な! お前、リルだろ? そうなんだろ!?』
「そうだけど……」
返事をするその間、彼の言葉から、私は記憶の断片を繋ぎ合わせていた。
いきなり来て遊んでいった——と、目の前の竜はそう言った。
竜と遊んだ記憶など一つっきりしかないし、その竜も両手で抱きかかえる程の大きさでしかなかった。
その時、私は確か九歳とかそのくらいだったので、今から五、六年前に出会っていた、という計算だ。
五、六年くらい前——。
「えっ!? あの時の……!? ウィンガートさんの所の小っちゃな竜!?」
『おう、そうだ。セリオスだよ。何だよ、忘れてたのか?』
「いや、そうじゃなくて……」
正直な事を言うと、忘れていた。
ちっちゃな竜の名前が、セリオスだと言う事さえ、今の今まで記憶から飛んでいたくらいだ。
でもそれは、私だけが悪いんじゃない。
誰だって、あの時の幼竜が、視界いっぱいに広がる巨体になっているなど思わない。
竜の成長がここまで早い、という事も知らなかった。
『……ま、いい。どうしたんだ、こんな所で? また遊ぶか? 追いかけっこしようぜ!』
「いや、あの……」
それだと押し潰される未来しか見えない。
何と言って断れば角が立たないか考えてると、後ろからフェリカが肩の辺りをつついて来た。
「ちょっと……! ムリよ、断って……!」
小声で私にだけ聞こえる様に叫ぶ。
「っていうか、竜と知り合いなの!? どういう経緯で……!? あり得ないでしょ!」
「そんなこと言われても……」
あり得てしまったのだから仕方がない。
それに私の場合、お母さんについて行ったら自然とそうなっただけで、自分でどうこうした訳でもなかった。
私がフェリカと何事か言い合っているのが気に食わなかったのか、竜——セリオスは憤然と息を吐いた。
『何だよ、コソコソと……! サッサと遊ぼうぜ!』
「あ、ううん、何でもないの! でもね、遊びに来たんじゃないんだよ」
『じゃあ、何しに来たんだ? ……そういや、あのお節介魔女は? 近くにいるのか?」
「……お母さんは、もういないの」
私が静かに答えると、セリオスはしばらく黙り込み、それから視線を空に向けた。
その横顔には不満そうな色が見える。
まだ幼い彼だけど、その意味を察して、そこに怒りとも違う遣る瀬無さを発しているように見えた。
『……そうかよ』
セリオスは短く吐き捨てると、地面を爪先で激しく掻いた。
火花が散り、岩肌に深い溝が刻まれる。
彼の中にある巨大な力と、整理しきれない感情が空回りしているようにも見える。
『あの魔女が“裁定者”だってのは知ってる。お陰で東大陸が随分平和だった、ってのもな……。だからだろ、最近エルフどもが我が物顔でのさばってるのは? マナ溜まりは何でもかんでも、全て自分たちのものだとでも思ってんのか?』
「マナ溜まり……、ここにもあるの?」
『あるぜ、小さいのだけどな。本当の本当に、小さなマナ溜まりさ。地の精霊どもが、その僅かな分で、のり口を凌いでいたってのに……。それさえ奪おうとするからよぉ……!』
セリオスの口から、言葉と共に怒りが吐き出されるかのようだった。
精霊と竜は、特別交わる様な間柄ではなかったと思うのに、その怒りがどこから湧いてくるのか疑問に思える。
だけど、マナ溜まりは精霊にとって、とても大事なものだから、その怒りそのものは正当だった。
「ねぇ、奪うって……エルフがわざわざ来たの、ここまで?」
『あぁ、来てた。……で、精霊どもが追われて——いや、追われそうな所を、オレが偶然、通り掛かったって訳だ』
「そして、逆にエルフ達が逃げ出すハメになった……?」
私が問うと、セリオスは得心した雰囲気で頷く。
『追い散らすのは簡単だったからな! でも奴ら、もうこの東大陸が自分のモノって面してやがる。マナ溜まりも何もかも、全部自分のモノにしないと気が済まないんだろうよ!』
セリオスは憤慨して、鼻から息を吐いた。
彼にとってはその程度の事でも、私達からすると、たたらを踏む程の衝撃になってしまう。
『エルフってのはそういうもんだって、ウィンガートも言ってた。何を好き勝手させてるんだと思ってるけど、竜はエルフと争わないんだと』
「どうして?」
『面倒臭いから。そう言ってた。一度手を出すと、そりゃあもう、しつこく食い下がってくるらしいぞ。最も優秀、最も賢いエルフ様は、簡単に敗北を認めないらしい』
「あぁ……」
思わず嘆息が漏れる。
それは私自身、実感を持って知った事だ。
『……ま、オレにとってはどうでもいい。そう思ってたんだけどさぁ……』
そこまで言うと、セリオスはバツが悪そうに鼻を鳴らした。
『予想以上に、チラチラとやって来やがる。一度手助けした以上、後は知らねって投げ出すのもさ、アレだろ……? 寝覚めが悪いだろ?』
それを聞いたフェリカが、隣で呆れたように肩をすくめる。
「……義理堅い竜が居るだなんて、初めて知ったわ」
『今は後悔してるよ。外界に関わると大抵、勝手に乗り込んできて、話も聞かずに剣を振り回したりするんだ。これはエルフに限った話じゃなくてよぉ……』
そこまで言って、セリオスは少し苛立つ声を漏らした。
『何でアイツらって、あぁも喧嘩っぱやいんだ? 竜を何か、簡単に狩れる生き物か何かだと、勘違いしてるんじゃないか』
「そういう訳じゃないんだけど……。でも冒険者からすると、挑むに値する相手と言うか……。一度は戦いたい相手、と思うヒトは多いと思う」
『あの赤髪の女剣士とかか? ……確かにそれまでの奴らと違って、ちょっとは礼儀ってやつがあったかもな。でも、やっぱ弱っちくてよぉ……。あんなのをこれからも、相手にしなきゃならんのか』
カトリーナさんはS級二位だ。
その必死の突撃さえ、セリオスにとっては『弱っちい冒険者』でしかなかったらしい。
なんとも脱力するような話だけど、その様な事をされてさえ、セリオスは町を破壊したり、本気で殺そうとしなかった。
「セリオス、しばらくはもう、新たに冒険者は来ないと思うよ」
『おっ、ホントか!?』
私が言うと、セリオスは少しだけ目を細め、嬉しそうに唸った。
『ずっと相手にするのかと、今から飽き飽きしてたところだ。……でも、何でだ? 何でそんな事が分かる?』
「その赤髪の女剣士は、多分、謀殺する為に送り込まれたからだよ。そのヒトも、多分理解していたと思う。なのに行ったのは……、ちょっと理解出来ないけど」
「ケジメを付ける為じゃない? カトリーヌ様って、そういう所あるもの」
フェリカが後を継いで言って、苦々しく笑う。
「だから多分、ひと当てしめ来たんだと思うし、ケジメを果たした今は、もう来ないんじゃないかと……。他の冒険者も、カトリーヌ様が敗れたなら二の足を踏むと思います」
『ふぅ~ん……』
フェリカの言葉に頷くと、セリオスは私に目を向けて、しばらく見つめる。
その後、足元へ視線を移した。
『良かったな、お前ら。とりあえず、安心して良いみたいだぞ』