セリオスの言葉に誘われて、地面に視線を落としたその瞬間だった。
私たちの足元の土が、柔らかな光を帯びて、まるで呼吸をするように盛り上がる。
ぽこぽこと湧き上がるようにして現れたのは、無数の——親指ほどの大きさしかない小さな人影だった。
土の塊で作られたような身体で、愛らしい大きな瞳をキラキラと輝かせている。
「「ありがとう、でっかいセリオス! それと、リル! 愛し子のリル! リルもありがとう!」」
『……んぁ? お前ら、コイツのこと知ってんのか?』
セリオスが顔を近付けて言うと、精霊たちは口々に頷く。
「「当たり前だよね!」」「「みんな知ってるよ!」」「「精霊は皆、リルの味方なんだよ!」」「「守んなきゃいけないの!」」「「ゼッタイのゼッタイにね!」」
何体もの小さな精霊が、口々に一生懸命に叫んだ。
その口調は、よちよち歩きの子どもが言うような、鈴を転がすような響きだ。
彼らは私のブーツのつま先や、フェリカの足元、更にはセリオスちもぺたぺたと張り付いていく。
『……チッ、くすぐったい』
セリオスは大きな頭を背けてそっぽを向いたけど、その尻尾の先は嬉しそうにゆらゆらと揺れている。
「「ねぇ、ねぇ! 助けてくれて、ありがとう! お礼に、リルと『契約』する!」」
精霊たちが私の膝によじ登り、小さな土の温かい手で私の頬に触れた。
彼らの純粋な感謝の念が、直接心に流れ込んでくる。
――精霊との契約。
それは獣人にとって、この上ない幸運であるのと同時に、誇りにも結び付く大変な栄誉だ。
私自身は獣人族の中で暮らしていなかったから、その栄誉については少し疎い。
でも、過去に会った獣人達は等しく精霊との契約者——即ち“愛し子”を精霊同様に敬っていた。
私にとっては、新たな力——強力な力の源が手に入る、という認識で、断る理由なんてないんだけど……。
しかし、その温もりを感じたのは一瞬のことだった。
《……駄目よ》
私の胸元から、ナナから冷たい、そして鋭い声が響いた。
次の瞬間、私の周囲に風の膜が張り巡らされ、ナナ自身が姿を現す。
そうして、精霊たちを私の身体から優しく——しかし、強制的に引き剥がした。
「ナナ……?」
「そんなの駄目よ。この子はあたしのもの。あたしの唯一なの。余計な属性を増やすなんて、魔力の調和が乱れる原因にもなるわ。断固、拒否!」
精霊たちは宙に浮いたまま、きょとんとした表情でナナの現身を見つめている。
「「えーっ! どうして!?」」「「リルに協力したいのに!」」「「守ってあげたいのに!」」「「風の精霊は、イジワルおばさん!」」
『ぶはっ! おばさんだってよ!』
セリオスが声を上げて笑い、まるでそれに同調するかの様に、噴火口が揺れる。
対して、精霊たちに「イジワル」呼ばわりされたナナの怒りは、頂点に達していた。
「……誰がおばさんよ! ……この土くれの欠片どもが! リル、契約なんてしなくていいわ。あたしという最高の相棒がいながら、こんな未熟な土精霊と契約するなんて、そんな必要ないものね!?」
「ナナ、そんなに怒らなくても……。精霊たちも好意で言ってくれてるんだし……」
「好意だろうが何だろうが、契約は妥協しちゃ駄目! ねぇリル、あたしだけじゃ不満なの?」
いつもの冷静なナナからは考えられないような、必死で焦った響きが混じる。
私は思わず苦笑して、空中で困惑している精霊たちに視線を向けた。
「……ごめんね、みんな。精霊のことは、まだ私には難しくて。今はナナ……風の精霊さんと、一緒にいるので精一杯なんだ」
地の精霊たちは納得いかない様子で、ぷくーっと頬を膨らませたけど、やがて納得してくれた。
というより、難しく考えたり、説得する様なことが、単に面倒になったのかもしれない。
「「ふーん……、じゃあまた今度ね!」」
そう言うと、あっさり土の中に消えていった。
『……あーあ、勿体ね。向こうから契約を持ち掛けるなんて、滅多にないのにな。やっぱ、精霊に好かれるのも良し悪しなのか? 可能性の芽を摘み取っちまう、ってんだから……』
セリオスは呆れて息を吐いた。
今度は鼻息どころの騒ぎではなく、冷気を伴う突風となる。
でも、それはナナが風の壁を作って遮ってくれた。
「いいのよ! その分あたしが、しっかりサポートするんだから。それにね、実際問題、あたしと相性悪いのよ。性格的な話じゃなくてね。リルとの魔力は、風の魔力と調和してるから、そこに地の力を混ぜると弱体化するの」
『でもそれは、最初の内だけだろう?』
「そうね、二、三年の内だけだわ。でも、逆に言うと、調和するまでその時間が掛かるって意味でもあるのよ。リルが旅を中断してその間、森に帰るって言うんなら、選択肢の内に入るけど……。一応、一応ね。あくまで選択肢の一つとして、って意味で」
必死な様子が少し面白い。
でも、よくよく考えるまでもなく、当然、そんなのは拒否だ。
ここからまた三年も待つだなんて、到底考えられない。
今より戦闘の幅が広がっても弱くなってしまっては、今後の戦闘が不安だった。
「うん、やっぱりこのままで良かったみたい。ナナ、これからもよろしくね」
「任せなさい! 可能性の芽を摘み取ったなんて言われて、黙ってられるもんですか! 単一精霊の一点特化が、どれほど強力なのか教えてあげるわ!」
一息にそこまで言うと、得意気に鼻を鳴らした。
それを見ていたセリオスは、人間臭い動作で、顎先をポリポリと掻いた。
『……ま、これでしばらく安泰って言うなら、オレも帰るとするかな』
「ウィンガートの所?」
『馬鹿。オレはもう成竜してんだぞ。棲み処だって、もう別にしてるに決まってるだろ』
その発言に、私は少なからず衝撃を受けた。
たったの五、六年でここまで巨体に成長するのも驚いたけど、その年でもう独り立ちしている。
獣人族も十二歳で成人していたし、実は幼くして家から出るのは、自然な事なのかもしれない。
それでも私は、森のあの場所こそを家だと思っていて、今もなお帰るべき所だと思っている。
どこか別の場所——例えば王都なんかに居を移そうなど、考えたこともなかった。
黙り込んでしまった私を見て、セリオスは首を傾げる。
『どうした? 別れが惜しくなったか? ——これから遊ぶか?』
「違うよ」
ふふっ、と笑って首を振る。
「ちょっと考え込んじゃっただけ。——うん、私達も、もう行くよ。もしも竜被害があの港町に起きたら大変だと思って、ここまで来ただけだから」
「カトリーナ様の仇討ち的な意味合いも、あった気がするけど……」
フェリカのボソッとした呟きに、私は手を振って黙らせる。
幸いにして、セリオスの耳には届かなかったらしく、変わらない態度のまま訊いてきた。
『ふぅ~ん……。行くならさっさと行け。あ、それとも、近くまで乗っけてってやろうか』
「いや、それは目立ちすぎるし……」
「ちょっと待って」
断ろうとした所で、ナナから制止の声が飛び出た。
どういうつもりかと視線で問うと、すぐに答えが返ってきた。
「ちょっと考えてた事なんだけど、このまま“境界橋”に行ったとして、普通に通過出来るのかしら?」
「どういう事? その為のS級プレートでしょ?」
「でも、階位は刻まれてない……でしょ? S級は保証されてるし、他と遜色ないのも本当だと思う。……でも、東西の出入り口……そこのチェックが甘いとは思えないのよ」
深刻な声に、思わず唸る。
考えれば考える程、ナナの指摘が正しいと思えてならなかった。
そこにフェリカも同意の声を上げる。
「ナナ様の言う通りだと思う。あそこの警備は世界一厳しいって噂だもの。少しでも不備があれば絶対に通さない。……そういう所よ」
「そもそも、最初の任務でいきなり、謀殺を図る様な奴らだもんね……」
私はプレートの鎖を小指で掬い、それからすぐに手を離した。
「認めない相手には、笑顔で握手しながら、もう片方の手で刺す。……エルフって、そういうのでしょ? だったら、確かに素直に通れない気がする……」
「でしょ? だったらさ、素直に行くより、別ルートで行った方が良くない?」
「つまり、それが“空”?」
ナナは自信満々に頷く。
「雲より上から来るものを、流石に止められたりしないでしょ。良い案だと思うんだけど……、セリオスとしてはどう?」
セリオスは私の瞳をじっと覗き込み、それからクツクツと喉を鳴らして笑った。