『へぇ……。なんて言うか、精霊って言うのは、そういう考えをしないもんだと思ってた』
「そういうの?」
『小賢しい策を考えたり、ヒトの為に惜しげなく尽くしたりする事さ』
「ヒトの為じゃないわ。リルの為だからよ」
ナナとしては、本当なら止めたいと思っているのは、私にも分かってた。
実際、森に居た頃、何度も諦める様に言われたものだ。
でも、一向に考えを改めようとしないから、少しでも被害が少なく、有利になる様にサポートしてくれる。
『まぁ……、嫌いじゃねぇよ。エルフと争いたい訳じゃないし、実際ちょっと小突いたら面倒になったから、関わりたいとも思わんけど……』
セリオスはクツクツと喉を鳴らして笑い、私の瞳をじっと覗き込んだ。
その巨大な蒼の瞳には、かつての幼い私に向けられた親愛と、今の私に対する奇妙な興味が混じり合っている。
『いいぜ、リル。雲の上から境界の関所を飛び越すってか? 面白い。オレの背中に乗ってりゃ、あんな高慢なエルフどもの検問所なんて、ただの点にしか見えねぇよ』
セリオスは重い体を大地から浮かせ、翼を広げた。
その動作一つで、火口の岩肌が風で軋む。
「悪いわね、セリオス。……お礼を言うのは、無事に境界を越えてからにするわ」
『礼なんていらないよ。単に西大陸に行きたい、ってんじゃないんだろ? エルフの鼻っ柱折ろうって言うんだ。だったら、それが最高の礼になる』
「私からは、先にお礼言っとくね。ありがとう、セリオス!」
『だから、良いって。何をするのか知らんけど、ま……楽しくやって来い』
「うん、そうする」
楽しくなるどころか、きっと厳しいものになると思う。
エルフの厄介さは身に沁みたつもりだし、今度は本国でともなれば、それが何倍増しになるか、予想すら出来ない。
でも私は、だからといって諦める気持ちは、欠片もなかった。
気持ちを引き締めていると、フェリカから明るい声が上がる。
「でも、良かったわよね。もしかしたら、ギルドに再捕捉されたかもしれないけど、これで完全に振り切れるわよ」
「こんな事なら、変な遠回りする必要なかったね」
「結果論だし……そもそも、協力的な竜が居るなんて、誰も想像しないもの」
そうナナが言って締めた。
でも、ふと一体の竜の事を思い出す。
空の旅は、何もこれが初めてではないのだ。
「フンダゥグルは、何だかんだと連れて行ってくれてたよね?」
「あのね、リル。あれはお母さん相手だから、やってくれてたの」
いや……、とナナは眉間にシワを寄せて、首を傾げる。
「脅迫みたいなものだったわよね。あれも全然、納得してる感じじゃなかったし……。セリオスが乗せてくれるのは、単にこだわりがないから、かしら」
「言われてみれば、そんな気がする……」
フンダゥグルはいつも渋々で、何なら一度は断っていた。
けれど、結局お母さんの圧力に負けて、乗せるハメになった、というのが真相だった気がする。
昔に思いを馳せていると、セリオスか声を上げた。
『……で、どうすんだよ? 今すぐ行くのか?』
「準備の方は……、別にないよね?」
フェリカの方へ振り返って問うと、首肯と共に返事が返ってきた。
「そうね、補充は済ませたばかりだし、特別問題はないと思う」
「あるとするなら、卵駕籠がないことかな……」
「は? カゴ? 卵を入れるカゴ?」
素っ頓狂な声を上げたフェリカに、私は笑って首を振った。
「そうじゃなくて、お母さんが作った駕籠があるんだよ。卵の形をしたのがね。あれがあると、凄く快適なんだ」
「へぇ〜、そんなのがねぇ……。ぜひ体験してみたいけど……」
「降り立った後、邪魔にしかならないから駄目よ」
ナナのにべもない声に、私は苦笑して頷いた。
「分かってるよ。あれば楽だったのにっていう、ちょっとした愚痴みたいなものだから」
「なら、良いけど」
ナナに笑顔で頷いた時、しかし肝心な部分について、摺り合せてしていなかったと気付いた。
「乗せてくれるって言ったけど……、乗せる……背中……? セリオス、背中に乗せて貰えるの?」
『んぁ? あぁ、それ以外、どこに乗るんだ?』
「嫌がるんじゃないかと思って……」
『そうだな。普通なら嫌だけど、リルだしな』
「……え、じゃあ、アタシは?」
自分を指差して言うフェリカに、セリオスは興味なさげに言った。
『……さぁな、お前は足の爪先にでも掴まってろよ。オレの飛行は、あんなフラフラした馬車とは揺れ方が違うけどな!』
「はぁ!? ちょっと待って……!」
フェリカの叫びは、セリオスが巻き起こした上昇気流の中に飲み込まれて消えた。
私はその風を利用して飛び上がり、風の魔力で身を包む。
あっという間にセリオスの頭上を飛び越え、そのまま背中に着地した。
アロガも私の後を追って来ていて、何の補助もなく、身体の起伏を器用に飛び移りながら横に立った。
「流石だねぇ、アロガ」
「ウォフ」
素直に褒めて、首筋の辺りをワシャワシャと撫でる。
そうしてアロガと戯れて暫し、いつまで経ってもやって来ないフェリカを見やった。
「フェリカ、早くおいでよ!」
「いや、だからアタシは……! そっち行ってもいいの!? 駄目なんでしょ!?」
気にせず来ればいいのに、と思うのは、あまりにセリオスを——竜を舐め過ぎなのかな。
構うものか、という心境で、ナナに頼んだ。
「お願い、フェリカを連れてきて」
「……ま、良いでしょ」
ナナは手を伸ばしてフェリカを風の膜で包むと、あっという間に運び上げた。
抵抗する間もなく運ばれたフェリカは、何とも気不味そうな顔をして、足元を見つめた。
「ありがたいよ、ありがたいけどさ……。アタシ、恨まれたりしない?」
「大丈夫。言うほどそんなの気にしてないよ。実際は分かんないけど」
「そんな……! いきなり振り落とされたらどうしてくれるの!?」
遂にフェリカはキレた。
緊張が限界に達してしまったのかもしれない。
竜の鱗は硬いけれど、その下に靭やかな筋肉があるせいか、安定性は地面程ではなかった。
でも、そんなフェリカの怒りなど無視し――そして気にすることもなく、セリオスは出発する事にしたようだ。
身体が宙に浮く感覚と同時、大地が急速に遠ざかって、視界が広がっていく。
雲を突き抜け、高度を上げるごとに空の色は深く、そして透き通った藍色へと変わっていった。
雲の上は風か強かったけれど、ナナが風の膜を作ってくれたので、まるで別世界のように静かだった。
「……信じられない。空から見る景色って、こんなに違うのね」
フェリカがセリオスの鱗に必死にしがみつきながら、眼下に広がる山脈を眺めて呟く。
確かに、これなら地上の複雑な検問や、エルフたちが仕組んだかもしれない追手なども、すべて無視できる。
《……ふふ。リルを謀殺したがった連中も、完全に姿を見失って悔しがるでしょうね。いい気味だわ》
膜を作るなり身体の中に戻ったナナが、声を弾ませて笑った。
空を飛ぶ——という手段は、移動以上の意味を持つと思う。
それは、私たちが“地上”という縛りから解放され、意思でどこへでも行けるという自由の証明でもあった。
セリオスは一直線に西へ向かう。
その翼が描く軌跡の先に、果たして何が待っているのだろう。
「……ねえ、セリオス」
私は風の音に負けないよう、背中に身体を預けて叫んだ。
「セリオスは、西大陸に行ったことある?」
その問いに、セリオスはふっと鼻を鳴らす。
『いや、ないな。行くべきじゃないって、教えてこられたから。だから、行くのはオレも初めてだ』
誰もが知らない未知の土地——。
噂ばかりが先行していて、そして東大陸と比べてとんでもなく発展しているらしい。
地上の楽園、という声さえある。
——疑わしい。
とても疑わしいけれど、でもエルフならば、自らの故国をその様に表現するのに憚ったりしない気がした。
……私たちが向かおうとしている先には、きっと何かしらの対価がある。
得るのか、払うのか、そこまでは分からないけれど……。
でも、今の私に迷いはなかった。
セリオスの背に乗るという選択をした時点で、もう後には引けないのだから。
「いくよ、ナナ。……ここからが本当の旅だね」
《ええ、そうね。……さあ、準備はいい?》
「心の準備なら、森を出る時に済ませてるよ」
空を往く銀の竜と、二人の冒険者、そして二体の精霊。
地平線のその先へ、気持ちも一緒に加速していった。