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ボーダナン大森林は、このクレイスラン大陸で、最も危険で過酷な場所だ。
背後に火山を抱え、天気の良い日は、その頂上でドラゴンが複数舞う姿が見られるだろう。
それが襲い掛かるかも、と思うだけでも恐怖だが、森の中ではむしろ別のモノが強敵だ。
魔獣の危険については言うに及ばず、冒険初心者の良い的当てとすら揶揄されるゴブリンさえ、この森では警戒を怠れない難敵となる。
それも全て、森に蔓延するマナが、余りに濃い為だった。
時に濃すぎるマナは瘴気と呼ばれ、人の身体を害する毒となる。
しかし、魔獣などにとっては、むしろ活力の源となるのだ。
だから他でも見かける魔獣と言っても、同じ様に対応してはならない。
そもそも体躯が一回り以上大きかったりと、外見からもその強大さ、凶暴さが見て取れる。
中級冒険者であろうとも、潰走を余儀なくされる程なので、ギルドからも進入禁止の禁足地として指定される程だった。
しかし、だからこそ、腕に覚えのある者にとっては良い商売になる。
誰も手を付けてない森――。
だからこそ、そこは宝の山だ。
競合相手の居ない狩り場は良い稼ぎ場で、しかもボーダナンで手に入れたとなれば、値段は更に跳ね上がる。
そして今、森の入口に足を踏み入れた”コルテス魔術冒険団”も、そういう手合だった。
五人のパーティで構成される彼らは、魔術士だらけの異色なチームだ。
しかし全員が、ただ魔術を使えるだけでなく、各々得意な武芸を持つ。
そしてそれこそ、“
足を止めて朗々と呪文を唱えるタイプの魔術士とは、根本的に基本設計が違う。
現代魔術の礎を作り、そして今もその名声を轟かせるだけでなく、研鑽著しい“塔”だから、その卒業生の実力は言うまでもなかった。
優秀な成績を収めて卒業した、生徒上位五名。
その生徒は特別に『五鷹』と呼ばれ、尊ばれる。
どこに出しても恥ずかしくない実力を持ち、その証書を差し出せば、冒険者ギルドでも最初から最高ランクを与えられる程だ。
それ程までに、“塔”の権威と信頼は強いものだし、『五鷹』の実力も知れ渡っている。
――聖鷹の塔を旅立つ者よ、世界に羽ばたけ。
これは世界最高峰の魔術学府でもある、“塔”が掲げる信念だ。
そしてコルテス達『五鷹』は、クセの強い塔出身者にしては、珍しく意気投合した五人であり、卒業後も同じパーティとして冒険者になった。
生まれ育った地から羽ばたき、そうしてまた海を越え、遥か遠くの大地へ挑戦する――。
冒険者としては新米だが、実力だけは誰にも文句を言わせない。
“塔”での勉強は多岐に渡り、冒険者としてやって行く方法も学んでいる。
S級冒険者と遜色ないのは実力だけ、などと言わせない。
様々な基礎はしっかり出来ているのだ。
“塔”での実地試験も突破しているので、本でだけ知っている知識、という訳でもない。
だから、コルテス達『五鷹』は相応の自信を持って、ボーダナン大森林へとやって来ていた。
「なぁ、リーダー。本当に、この森なのか?」
「話に聞いた限りでは、そうらしいな。他に間違えられる森もないし、実際……雰囲気あるじゃないか」
コルテスは意気揚々と森の前に立ち、その腕を組んだ。
だが、パーティの斥候を務めるヌゼランは、コルテスほど呑気ではない。
「しかしよ、リーダー……。確かにマナの濃さは感じるが、これぐらいなら俺達の故郷にも……」
「入口だからこそ、かもしれないな。誰もが危険は薄いと感じ……しかし、奥地へと足を踏み入れた者は帰って来ない。ここはそういう森らしい」
「ふぅーん……」
そう言われても、自分だけは警戒を怠るまい、と顔に出していた。
それからまじまじと森の奥を見つめ、顎を何度となく擦った。
「確かに俺の勘が、なんだか嫌な気配を感じてるな……」
「とりあえず行ってみよう、ヌゼラン。実際、踏み慣らした跡なんかも見えない。人の手が入ってないのは確かだろう」
「そして、手付かずだからこそ、薬草だとて溢れるほど手に入るのでしょう?」
回復役を務めるヴィヤが、女性らしい長い髪を後ろに束ねながら言った。
森の中では長い髪など邪魔になるから、今の内に束ねているのだ。
「……上級水薬の材料は、そりゃあ手に入るに越した事はないけどな」
回復役は、何も治癒術を使うだけが役割ではない。
水薬を調合し、不慮の事態に備えて用意するのも、また役目だ。
だから、治癒術だけでなく錬金術もまた、高い技術を修めているべきで、その理想を体現したのがヴィヤだった。
「外で見ているだけじゃ始まらない。どれだけ恐ろしい森か知らないが……、とにかく入ってみるとしようか」
そう言って、コルテスはパーティを引き連れて、森の足を踏み入れた。
そして思ったのは、植生が豊かだが、特別珍しい森ではない、という事だ。
故郷にも……そして、他の何処にでも有り触れていそうな、ごく普通の森に見える。
「この辺の地元じゃ、それなりに恐れられているらしいが……。何て事ない、マナだけは相応に濃い普通の森だな」
「田舎モンは、何にでも怖がるからな。これもそういう類いじゃねぇかな。その昔、この森で嫌な事件でも起きたとかさ」
「……そうかもしれん」
ニヤリと笑って、コルテスは足を進めた。
背後を振り返れば、木々の間から外界が見え、まだ遠くまで歩いていないと分かる。
「十分、注意しろって話だったが……」
「魔物どころか、獣の一匹すら見えやしねぇ。……静かな森だな」
無論、鳥の囀りであったり、虫の音は聞こえてくる。
しかし、敵と言えるものの気配を、コルテスは未だに感じ取れていなかった。
「まぁ、警戒だけは疎かにしないようにな。危険と思われるだけの根拠が、どこかに潜んでいるに違いない」
斥候として気配の読みに長けるヌゼラン、そして魔術の技量に対して抜きん出るユンザが、常に魔術的索敵を行っている。
彼らが力を駆使すれば、攻撃されるより前に、接敵されたか気付けるだろう。
「……おい、見てみろよ」
その時、ヌゼランが巨木の根の間に生えた、キノコを指差す。
「あれ、上級水薬の調合材料になるナームタケじゃないか? 治癒効果を引き上げる……」
「馬鹿にデカいな……。あれほど身の詰まったナームタケは、これまで見た事がない」
「それだけじゃありませんよ、アレ……!」
次にヴィヤが指差したのは、草の間に乱雑に生える薬草だった。
「つむじ草です……! あんな見事なつむじ、見たことありません!」
「つむじを良く巻いているほど、良薬になると言われているが……。確かにあぁした見事なものは初めてだ」
「リーダー、これ宝の山って言われてるの間違いないぜ! 上級水薬の調合材料が、こうも無造作に生えてるんだ! 小一時間も探せば、一財産も夢じゃないぜ!?」
「あぁ、それは確かかもな……」
コルテスの顔にも、欲望に塗れた笑顔が浮かぶ。
噂ばかりが先行する、大したことのない森だと思っていただけに、これは嬉しい誤算だった。
「こうなると欲が出て来るな……。入口付近でコレなら、奥には何が待ってるんだ?」
「入口付近だけでも命からがら、そして、少しだけ持ち帰るのが精々らしい」
「どれだけ腑抜けてんだ、クレイスランの冒険者は……!」
“コルテス魔術冒険団”の全員から、嘲笑の声が上がる。
周囲は静かなもので、やはり魔獣などの気配はない。
いたとしても、“塔”で学び、そして『五鷹』と称される実力を持つ彼ら冒険団だ。
入口付近で臆する冒険者とは違う――。
その思いと自負が、彼らを大胆にさせた。
「奥まで行こうぜ、リーダー。こうなったら、どれだけのお宝があるのか、今後の為にリサーチしとかねぇと!」
「……だな! こっちで一財産作って、拠点に屋敷を構えるのも悪くない」
そうして恐れを知らぬ“コルテス魔術冒険団”は、森の奥へと足を踏み入れる。
途中で何度も立ち止まり、そしてお宝の山を時々頂戴し、どういったものがあるか調査していった。
だから進む速度も、遅々としたものだ。
そして、足を進めようと危険もないものだから、彼らは更に大胆になった。
火を熾し、そこでキャンプを張って、更に奥地を調査しようというのだ。
そうして、やはり危険もなく一夜を過ごし、夜が明けると共に歩き出して、彼らは感嘆の声を上げた。
「あ、あれは……!」
彼らが目にしたのは幻獣だった。
湖の畔で、一匹の白馬が水を飲んでいる。
ただし、ただの白馬ではない。
乳白色の鬣が美しく流れ、その額には真珠色をした、立派な角を生やしていた。
「間違いない……、ユニコーンだ……!」
「幻獣まで、この森には生息しているのか……!」
木々と草の陰から観察していると、もう一匹現れて水を飲み始めた。
どうやら
「一匹だけじゃなく、番でか……! 両方捕まえられたら、これ屋敷だけじゃなく、使用人だって雇えるぞ……!」
「ちょっと待って、リーダー!」
そう言って、前衛で主に盾役を担当するユーラピが、森のある一点を指差す。
そこには羽の生えた小人が舞っていて、輝く鱗粉を軌跡に落としながら、森の奥へと消えて行くところだった。
「妖精まで……!? あれ一匹捕獲するだけでも……!」
何しろその鱗粉は錬金材料として価値が高く、また貴族の観賞用にも高値で取引される。
だが一匹売って終わりではなく、鱗粉だけ適宜採取して、それを売り払って暮らすのも良いだろう。
これだけの物を持って帰れば、もう一生食いっぱぐれない。
冒険者として一流の成功を収めたとして、大いに喧伝できる。
「リーダー、なぁ……!」
「あぁ、分かってる」
彼らの顔に、欲望に塗れた笑みが浮かんだ。
――その時だ。
視界の端に、誰かの姿が目に映った。
即座に反応したヌゼランが、弓に魔力の矢を番え……そして、虚を突かれて動きを止めた。
「……女?」
場違いに美しい女だった。
紫銀の髪を腰まで降ろし、その端正な顔立ちは、王族や貴族と言われても納得する。
着ている物は町娘風だが、その布素材は実に見事で、汚れや染みもない。
どこから紛れ込んで来たのかと思うより、幻を疑う程に現実味がなかった。
どう対応するのが良いのか困っている内に、女の方から声が掛かる。
「警告だ。今お前達は森を侵している。早々に立ち去れ」
「は……? ここがお前の持ち物だとでも言うのか?」
「そうではないが、その様なものだ。――今すぐ立ち去るならば、記憶を消すだけで穏便に帰してやろう」
「いいや、断る。俺達は……」
コルテスは、その全てを言い終える事が出来なかった。
紫銀の女が肩の高さに手を挙げて、軽く右に振ったのと同時、ユンザがその場に倒れたからだ。
「な……!? 何をした、おま――」
その言葉もまた、やはり最後まで口に出来ない。
今度は左に振った動きで、ヌゼランが何一つ行動できず昏倒して倒れた。
それで嫌でも理解できてしまった。
身動き一つ、言葉一つ吐くだけで、同じ目に遭わされる。
コルテスは無言のまま、額から滝のように汗を流し、その身体はワナワナと震えた。
「お前達は記憶を消されるだけでなく、非常に怖い思いをして貰う。その記憶も消えてしまうが……、何故だかとても森に忌避感を抱く事になるだろう。二度と近付きたいと思わなくなる程にな」
紫銀の女が更に、手首を左右に動かす。
それだけで、――たったそれだけで、仲間全員がさしたる抵抗も出来ず昏倒した。
コルテスもまた、自分が注意を引こうと動き始めた所だった。
しかし、残っていた二人が、攻撃を仕掛けようとしたから、そちらが先に落とされた。
「馬鹿な……」
注意は怠っていなかった。
なのに、紫銀の女の、魔術体系が全く分からない。
『五鷹』と呼ばれた才媛が、為す術なく――どういう攻撃かも分からぬまま敗れた。
その事実こそが、コルテスには理解出来ない。
「馬鹿な……、“塔”の魔術士だぞ……。世界最高峰の、将来を約束された……」
絶望しながら呟いた言葉すら、最後まで言えずコルテスは意識を喪う。
為す術もなく、身動き一つすら出来ず、敗北を刻まれた。
そして紫銀の女が言った通り、彼らの脳裏には恐怖を植え付けられる事になったのだった。
※※※
かつて、魔の理が今よりずっと薄かった時代――。
火を熾し、風を送る程度の
ある時、一人の女性が。とある王国の歴史に姿を表す。
出自が不明で、天から降りてきた者だと、人々は言う。
実際に、そうとしか思えない美貌を持つ、聡明な女性だった。
この者はそれまでの
人類の歴史の転換期とも呼べる、偉大な出来事だ。
彼女は後に弟子を取り、魔術をより深く追求、世の為に役立てようと考えた。
いつまでも若いままの彼女には時間こそあったが、人手が足りなかった。
協力を願う弟子はいたが、それにはヒトの時間は短すぎ、極めるには余りに時間が足りない。
そこで弟子の一人にも不老を施したのだが、それが後に時の王の耳に入った。
当然、王もまた不老を手に入れんと、これを要求する。
しかし、彼女がこれを断ったことで怒りを買い、魔女として弾劾された。
魔の術法が、世に混沌を呼び込んだ――。
そうして悪意と汚泥を浴びせられ、名誉と生きる場所を奪われ、全てを捨てた女性は逃げる様に国を去った。
不老であっても不死ではない彼女は、どことも知れない地で、絶望と共に自ら果てたと伝えられる。
――今より約一千年ほど、昔の話である。