混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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境界を越えた先、救済の風 その6

 一歩を踏み出すたびに、足元の枯れ葉が乾いた音を立てる。

 この森には、東大陸のような生命の躍動を感じる湿り気がない。

 木々はどこか痩せ細り、空へと伸びる枝ぶりさえ、力なく捻じれている。

 

「ねぇ、リル。空気……重くない?」

 

 フェリカが背中合わせで周囲を警戒しながら、ひそひそと声をかけてきた。

 言われてみれば、確かにそうだ。

 

 まるで大気そのものが粘り気を帯びていて、呼吸をするたび、肺に微かな金属の味が混じる様な……。

 

《マナが希薄ね……。あまりに希薄過ぎる。エルフたちが各都市に集中させている術式の影響だと思う。この森の土や水からも、吸い上げられて干からびてる》

 

 ナナの声が、脳内に直接響く。

 その響きさえ、いつもより心なしか張り詰めている気がした。

 

「……セリオスの言ってた通りだね。ここでは、無駄に力を使わないほうがいいみたい」

 

 私は腰の剣の柄に指を添え、感覚を研ぎ澄ます。

 視界の端で、木々の間を何かが横切った。

 一瞬見えた影は獣のようだったけど、足音ひとつ立てない。

 

「アロガ、何かいる?」

 

「グルゥ……」

 

 アロガが低く喉を鳴らし、前方の茂みを威嚇した。

 その瞳は、暗闇の中でも獲物を捉えるかのように鋭く光る。

 

 アロガの脅威を感じ取ったのか、その威嚇だけで獣の気配が遠ざかり、いつしか完全に感じ取れなくなった。

 

 相変わらず足音一つ聞こえなかったけど、間違いない。

 これが暗所から襲い掛かってくるかも、と思うと、中々に厄介だ。

 

「気を引き締めて行こう」

 

 私たちはゆっくりと、かつ着実に歩を進める。

 空はすでに茜色から、冷え切った群青へと変わり始めている。

 

 夜が来れば、この土地はさらに表情を険しくすると思う。

 より強く警戒しようと心に決めた時、森の開けた場所に、不自然なほど整然と並ぶ“人工物”が目に飛び込んできた。

 

「あれは……」

 

 それは、石造りの古い道標……みたいに見えた。

 風化して形は崩れているけど、確かに彫られている刻印は、魔力の指向性を定めるものに見える。

 

「……リル、これって……。希薄過ぎて分からなかったけど……」

 

「うん、マナ溜まりだ……。マナ溜まりのマナが、外に向けて運び出されてる……のかな?」

 

 道標の周りには、青白い光を放つ魔石の欠片が不規則に配置され、中心にあるものを『閉じ込める』ための魔法陣を構成していた。

 

「……少しも外に漏らさず、最後の一滴まで外に送り出そうとしてる」

 

 苦々しい言葉が、喉を突いて出た。

 この土地で起きていることは、マナの搾取だ。

 

 本来は自然に溢れ、自然に享受されるべきものを、エルフの為に——都市という巨大な化け物を肥えさせるための生贄になっている。

 

 東大陸でもマナ溜まりの上に都市は作られていたと言うけど、これはそれより遥かに酷い。

 

「セリオス様が守ろうとした……あの、小さなマナ溜まりさえ狙われた理由、今なら分かる。ここと同じ事を、しようとしたんだ。小さなマナ溜まりさえ見逃さず、その全てを繋げて……」

 

 フェリカの深刻な声を聞きながら、私は森の奥を睨んだ。

 

「それが、ここから皇都まで続いてる? あるいは、各都市にまで……?」

 

《ええ。おそらくは路(みち)のように、この『収穫の装置』が張り巡らされているはず。マナの全ては自らの為に、という訳ね》

 

 私は剣を引き抜き、道標を叩き壊そうと振り上げた。

 でも、それに待ったを掛けたのは、他ならぬナナだった。

 

《お待ちなさい、リル。駄目よ》

 

「どうして止めるの?」

 

《意味がないからよ》

 

 そう言うなり姿を現す。

 フェリカにも話を聞かせる為に、わざわざ出て来たのだろう。

 

「いい? ここでこれ一つ壊した所で、エルフにとっては全く痛手ではないし、精霊が助かったりもしない。無意味とは言わないけれど……」

 

「でも、少しでも自由なマナ溜まりがあった方が嬉しいでしょ?」

 

「それがそうでもなくって……。だって、この大陸に精霊は、もう住んでないから。ここにぽつんと、点みたいな飛び地があった所で、誰も来たりしないし」

 

「それは確かに、そういうものかも……」

 

「だったら、このまま残した方が有用よ」

 

 その意味が分からなくて、ムッとした。

 残して役立つ事があるとは思えないし、精霊達の墓標の様にも見えて、なおさら気分が悪い。

 

「良いから、聞きなさい。フェリカも、そんな顔をしないの」

 

 苦笑するナナの声につられて見ると、フェリカは実に苦々しい顔を浮かべていた。

 多分、私も似たような顔をしていたんだろうな。

 

「ここ一つ解放した所で意味なんてないのは、さっき言った通り。でも、残しておけば、路(みち)が残るわ。どこぞの都市に続く路が、間違いなくね」

 

「つまり、ナナ様はこれが文字通りの“道標”になる、って言いたいんですね。地図を持たないアタシ達には、それぐらいしか頼りに出来るものがない……」

 

「そう……、か」

 

 それは認めない訳にはいかなかった。

 たとえ地図があっても、この森の中、何の頼りもなく出るのは至難の業だ。

 

 アロガの嗅覚はとても頼りになるけど、それだけで森から出られるか、と言われると……。

 あまり頼り過ぎるのも問題だった。

 

「……森から出るのに、そして出た後にも役に立つよね……」

 

 私は顔を上げ、森のさらに深い闇の先を見据えた。

 路は残酷なほどに明白だった。

 エルフたちの傲慢さと、それによって飢えていく大陸の叫び。

 

 そのすべてが、皇都という終着点へ向かって繋がっている。

 私は抜き掛けだった剣を納めて、一歩を歩き始めた。

 どのみち、もう後戻りなど出来ないし、その必要もない。

 

「行こう。アロガ、フェリカ。どのみち、ここ一つを救っても仕方ない話、っていうのも良く分かった」

 

 いつか、お母さんにも教わったことだ。

 目の前の一人を救おうした時、その一人では済まない事もある。

 

 自分の実力以上に、救いの手は差し伸べられない。

 救えるかどうか、救うべきかどうか——。

 

 それは己の力の領分を見極めてから決めねばならない。

 そういう意味では、私は全くの力不足だった。

 

 この大陸からマナ溜まりを解放する、ぐらいの気持ちでなければ、安易に手を出すべきではないんだと思う。

 

 忸怩たる気持ちのまま、歩を進める。

 私たちの影が森の闇に溶け込んでいき、西大陸の夜が、もうすぐそこまでやって来ていた。

 

 

  ※※※

 

 

 森の闇は、夜の帳が降りるにつれてより濃密になり、足元さえおぼつかなくなっていった。

 ナナが指し示した“マナの路”を辿る歩みは、まるで静かな儀式のようだ。

 

 どうにも心が落ち着かないまま進むこと数時間、私たちは森の開けた台地に出た。

 ポッカリと開けたその場所に、月の光が差し込んでいて、これまでの道のりを考えると、明る過ぎるくらいに感じる。

 

 見渡してみると、苔むした倒木が見つかるくらいで、他には何もない。

 周囲は変わらず木々に囲まれているけど、圧迫感はそれほどなかった。

 

 魔獣の気配も今のところはない。

 アロガがしっかりと、周囲を警戒してくれているからだ。

 

《リル、そろそろ休みなさい。これ以上進んでも、今の暗闇では視界が利かないわ。それに、アロガも少し疲れているようね》

 

 ナナの言う通り、アロガの足取りがわずかに重くなっていた。

 見知らぬ森を気安く歩けたのは、アロガが気を配り、魔獣の接近を許さなかったからだ。

 

 ここまで誰より警戒してくれたアロガだから、その疲れが出るのは当然だった。

 私は頷き、風の影響を受けにくい窪地に腰を下ろした。

 

 フェリカが手早く焚き火の代わりに小さな魔石を配置し、視界を遮るための結界を張る。

 熱を外に逃がさないための工夫らしい。

 

「ねえ、リル。さっきの道標のこと……気にしてる?」

 

 フェリカが小さな干し肉を差し出しながら尋ねてきた。

 私はそれを受け取り、ゆっくりと口に運ぶ。

 

 そうしていると、横合いからアロガが顔を出して来て、同じように干し肉をくれとねだる。

 頬に押し付けて来るその鼻先を撫でながら、私は肉と水を与えた。

 

「気にしてないって言ったら、嘘になるかも……。自分たちの力で何ができるのか、ずっと考えてたんだ」

 

「今のアタシたちに出来るのは、せいぜい皇都に辿り着くことくらいよね」

 

 フェリカは膝を抱え、遠くにある、皇都の方角見つめた。

 

「お母さんの誇りだって言う剣とか、ペンダントとか、それらは皇都に持ち込まれたんでしょ?」

 

「うん、そうだと思う」

 

 精霊達は、お母さんの戦いを見ていた。

 その全てではないし、細部に漏れはあるけれど、お母さんからペンダントを奪ったのは、エルフの王様だったと言う。

 

「アーデルブレヒト……。確か、そんな名前だった」

 

「大物ね……。剣の方は?」

 

「まだ、よく分からない。その時に派遣された部隊の誰か、だとは思うんだけど……」

 

 この大陸に精霊がいれば、噂話を仕入れるなんて造作もなかった。

 それがない今、地道に探すしかない。

 

「でも、地道に聞き取りなんかしてたら、絶対怪しまれるし、捕まる。それなら、ペンダントを取り戻すついでに、直接問い質す方がいいかなって……」

 

「その……、皇帝から? 知ってるかしら? いえ、教えてくれるかしら?」

 

「それは分からないけど……。でも、戦利品って事になるんだろうし、それがお母さんの持ち物なんだから、あるかないかくらいは……」

 

「もしかしたら、自分の物にしてるかも?」

 

 ——考えたくない、そんなこと。

 でも、その可能性は大いにあった。

 

「絶対、取り返す……!」

 

「えぇ、きっと上手く行くわ。最悪の方ばかり考えてると、自然と失敗ばかり浮かぶものよ。成功だけを信じるの」

 

 フェリカの慰めに、私は曖昧な笑みを返す。

 

「フェリカの言う通りよ、リル。それが、この過酷な大陸で生き残るための鉄則かもね」

 

 ナナが私の髪に触れるようにして、小さく微笑んだ。

 

「……うん、そうだね。まずは、この路を辿り切る。その先で何をするべきか、自分の目で確かめてから決めるよ」

 

 その夜は、交代で番をする、という事で話がついた。

 まずはフェリカが先にして、その後に私がする。

 

 森の木々が風に揺れるたび、遠くで何かが軋むような音がして――。

 この大陸の夜は、生きているだけで魔力を削り取られるような緊張感で満ちていた。

 

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