「アロガ、枕になって」
私が頼むと、お腹を見せる形で横になる。
アロガは抵抗する素振りすら見せず、私の身体を迎え入れた。
「……いいわね、それ」
フェリカが羨ましそうに、じっとりとした視線を向けた。
心苦しく思うけど、同じ様に寝かせてあげるには、まだアロガは心を許していない。
「正直ね……、私もアロガが、ここまで気難しいと思わなかった。アロガは私と違って甘えん坊だから」
そう言っている間にも、お腹の中に抱え込んで、尻尾で蓋するようにしてしまう。
いつもの布団代わりだけど、今回はもっと違う意味合いがある気がした。
頭の耳周りを舐めようとするので、手で払って止める。
「アンタと違って、という部分には疑問が残るけど、甘えん坊なのは本当みたいね。……はぁ、仕方ない。アタシは素直に番をしますよ……」
いつ戦闘になるか分からないので、寝袋みたいなものは使えない。
精々、外套を布団代わりにするくらいだ。
一人だけ快適で申し訳ない気持ちになりつつ、いつかフェリカも一緒に眠れたら良い、と思いながらその日は眠った。
※※※
夜明け前、番をしている際にそれは起こった。
視界の先——皇都の方角から、定期的に脈動するような魔力の波が流れて行くのを感じる。
——まるで、巨大な心臓が血液を循環させているかのように。
「……あんなのが、大陸中にあるの?」
朝靄が立ち込める森の中に、私の呟きが響いた。
アロガは寝たままで、規則的な寝息が聞こえるだけだったけど、ナナは違った。
スルリと背後から現れて、私の頭をひと撫でして、すぐ傍で留まる。
「そう、それこそ、都市の繁栄が続く証拠なのかもね。それこそずっと変わらず、そこにあるんでしょうから」
「繁栄……」
その為に他から奪うことを、果たして認めて良いのか、私には分からない。
私は認めたくないけど、この国では普通の事なんだろう。
でも、どうであれ、気に食わないのは確かだった。
認められないのも、また同様に。
「さ、ここまで慣れない番をして疲れたでしょう? 残りの見張りならあたしがやるから、今は寝ちゃいなさい」
「……うん」
私はその言葉に従い、瞼を下ろす。
そして次に目を開いた時、既に陽は昇って眩い光を放っていた。
唐突に時間が飛んだ様に感じられて、ぱちくりと見回す。
フェリカは当然もう起きていて、朝食の準備を始めていた。
とはいえ、火を焚くのは相変わらず危険だから、昨日の夜と同じ干し肉と、水分を抜いた固いパンだ。
「わっ……! ゴメンね、寝坊……!」
「良いってば。リルにはまだ、こういうの慣れてないんでしょうし」
含み笑いに言われて、何だか胸がモヤモヤする。
先輩風を吹かせているというか……いや実際、フェリカは冒険者の先達だけど、遅れを取るのは嫌だった。
アロガはというと、いつの間にか私の頭を毛繕いしている。
止めろと言っても聞かない、困った弟だ。
「ごめんね、すぐ準備するから……!」
洗顔するにしろ、口を濯ぐにしろ、フェリカに頼めばポンと出るのは、とても便利だ。
旅の間、贅沢に水を使えるのは、確かに大きな利点だった。
そうして朝食も済めば、再び森の踏破を目指す。
夜明けの冷気は肌を刺すようだったが、歩き続けているうちに身体は温まるだろう。
「森の出口まで、あとどのくらい?」
ナナに問うと、心の奥から返事があった。
《残りは……、もう僅かね。昼前には抜けられそう》
道標の示す方向は明確だったけど、森の中は歩き難い。
私は慣れているつもりだったけど、勝手の違う森は、やっぱり違った。
見るべき点、注意する点は似通っているけれど、未知というだけで全てを警戒しなくてはならない。
ここは安全、あそこは大丈夫、みたいな指針がここにはないので、それだけで気疲れしてしまっていた。
そして、警戒役を担うアロガは、もっとだろう。
そのアロガの鼻が向くたび、私も注視しないわけにはいかない。
でも、やはりと言うべきか、アロガが威圧すれば、魔獣の気配はすぐに遠退いた。
私達は前進を続ける。
「……ん? リル、待って」
フェリカが不意に足を止め、手甲の装着具合を確かめた。
アロガもまた、耳を尖らせて風の音を聞いている。
その直後、森の静寂を切り裂くような、鋭い叫び声が木々の隙間から響いてきた。
「やだっ!」「来ないで……!」
幼い、高音の悲鳴だった。
それが二重に重なっている。
迷う時間はなかった。
私は剣を抜き放ち、木の根を跳ね越えて声の元へと駆け出す。
視界が開けた先には、灰色の髪の、小さな二人の姿があった。
人族の姉妹で、十歳前後。
彼女たちは、巨大な蜘蛛の魔物――『
魔物はその粘りつくような節足で、獲物をいたぶるようにゆっくりと距離を詰めている。
「アロガ、行って!」
「グルルゥゥッ!」
私の号令と同時に、アロガが稲妻のように飛び出した。
鋭い爪が魔物の硬い甲殻を叩き割り、その隙を突いて、フェリカが懐へ踏み込む。
「シュッ!」
鋭い呼気と共に殴りつけ、蜘蛛の巨大な体躯が姉妹から引き離された。
その位置に先回りしていた私は、剣を上段にして構えた。
「ナナ、一撃で!」
《任せて!》
風の精霊の力が剣先に収束し、真空の刃となって魔物の首元を撫でた。
硬質な音が響き、魔物の巨体が崩れ落ちる。
ポタポタと緑色の体液が土を汚す中、私は姉妹の方に駆け寄って、縛り付けていた粘糸を剣で切り裂いた。
「大丈夫!? 怪我はない?」
姉妹は怯えたように身を寄せ合い、大きな瞳で私を見上げた。
彼女たちの顔には小さな引っかき傷がつき、服のあちこちが破れている。
どうやら、逃げている最中に負ったものらしい。
「……助けて、くれたの?」
姉の方が震える声で尋ねる。
彼女の肩には妹がすがりつき、こちらを——というよりアロガを見ない様に、顔を伏せていた。
彼女達からすると、また別の魔獣が獲物を奪おうと襲い掛かった様に見えたのだろう。
私は安心させる様に微笑み、それからフェリカに傷の治療を頼んだ。
治癒はあまり得意でない彼女だけど、擦り傷ぐらいなら、すぐに治せるはずだと思って。
「……はい、もう大丈夫。……どうしてこんな所にいたの? 森は小さな子が来れる程、安全じゃないでしょう?」
「……食べ物を探してたの。村に食べ物がないから……」
姉の方がそう苦しそうに言って、妹が小さく言葉を継ぐ。
「お姉ちゃん、お腹すいた……」
二人の姿を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。
よく見れば、服の隙間から覗く肌は荒れて、腕もまた細い。
普段から、ろくに食べてないのは明らかだった。
「……お母さんは? 一緒じゃないの?」
「お母さんは村……。探して来いって」
「酷い話ね……」
フェリカが吐き捨てるように言い、姉妹の頭を優しく撫でた。
彼女の目には、明らかな怒りと哀れみが宿っている。
「とりあえず、ここは危険だわ。森の出口は近そうだけど、自分達で行けそう?」
姉妹は顔を見合わせ、悲しそうに首を振った。
私は剣を鞘に収め、姉妹の前にしゃがみ込んだ。
「……じゃあ、ついておいで。一緒に村まで帰ろう? 途中に何か食べられそうな物があったら、拾っていこう」
彼女たちの小さな手を握ったけど、姉妹達はアロガを怖がって、私の後ろに隠れそうとする。
べったりとくっつく事になり、それがアロガには面白くない。
顔を近付けて威嚇するのを、その鼻先を叩いて止めさせた。
「こら、ダメだよ、アロガ。怖がらせないの」
「グルゥ……」
不満そうな声を出すたび、ペシペシと叩く。
その気安く物怖じしない態度は、姉妹を安心させる事に成功した。
「お姉ちゃん、すごいね……。言うこと聞くんだ……」
「うん、姉弟だからね。だから、襲われる心配はないよ。むしろ、守ってくれる」
「……さっきみたいに?」
「そう、さっきみたいに」
自信をもって断言すると、二人は目に見えて安堵した。
その時、きゅるる、と可愛らしいお腹の音が聞こえて、それが妹の方から鳴ったのだと分かった。
姉の顔を見上げて、切なそうにする。
「ちょっと待って……。ほら、お食べ」
私がパンを差し出すと、妹の方が奪う様にして引っ掴み、それから貪り始めた。
「あっ、こら……!」
姉の制止などお構い無しで、目線はパンに釘付けだし、下手に手を出すと襲われそうだ。
「誰も取らないから、落ち着いて……。ほら、お水もあるよ」
差し出すと、これもまた奪い取られ、喉を鳴らして飲み始める。
口の端から垂れたものが、顎を伝って落ちた。
「……ぷはっ! おいしい! このお水、すごくおいしい!」
姉の方も、ごくりと喉を鳴らすので、遅巻きながらパンと水を差し出す。
「あの……、本当に……! ありがとうございます!」
しっかりと礼をしてからパンを口に含み、それから水を飲もうとして感嘆の息を吐いた。
「ほんと……。こんな綺麗な水、初めて飲んだ……」
「水……? どれもこんな物じゃないの?」
「リル……それは世間を知らなすぎね」
その言葉はフェリカから向けられた。
「井戸から汲んだ水が、何もかも綺麗とは限らないのよ。井戸からじゃなく、水溜りから汲む場合だってあるし……」
そういう、ものなんだ……。
当たり前の事が当たり前じゃないと、知る機会は多かったけど、こんなことまで違うのは、ちょっとしたショックだった。
《それにしても、良いの?》
ナナから問われて力なく頷く。
(分かってるよ……。ここで一食のパンを与えた所で、なんの意味もない)
《だけど勿論、飢えた幼子に慈悲をかけるのは正しい事よ》
(どうせ助けるのなら、パンを得られる方法でないと、また明日飢えるだけ……。それも分かってる)
私がお母さんみたいに賢かったら……。
この子たちが飢えずに済む方法が、すぐにでも湧いてきただろうに。
でも今は、とにかく村に帰してやるしかないし、それ以外の案が浮かばなかった。
「行くよ、アロガ。フェリカも、二人を見てあげてね」
「任せて」
私たちは森の境界へと歩き出す。
出口の向こうには、これまで以上に冷たく、そして険しい荒野が広がっていた。
けれど、姉妹の温かい手を感じながら、私は前を見据える。
この救いは、何かの間違いじゃない。
私たちの行いが、ただの欺瞞ではなく、誰かの希望になる始まりだと信じて……私は歩を進めた。