混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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境界を越えた先、救済の風 その8

 森を抜けると、視界の先には乾いた風に揺れる灰色の麦畑が広がっていた。

 ここが姉妹の村だと言われたけど、村というにはあまりに寂れている。

 

 土は痩せ、家は傾き、崩れかけている物さえある。

 まともな家など数える程しかなかった。

 

 人々の姿も疎らで、私たちが姉妹の手を引いて村の入り口に立つと、数人の村人がこちらに気付く。

 

 怪訝そうな顔をしたのも一瞬で、アロガに気付くと、狼狽えて距離を取った。

 あれは襲撃されるのを恐れる目だ。

 

「大丈夫! 何もしません! 迷子を連れてきただけです! すぐに帰ります!」

 

 そう宣言すると、しばらく動かなかった村人数人が、ひそひそと話し合いを始める。

 そうして待つことしばし、ようやく重い足取りで集まってきた。

 

 その中には、姉妹の母親と思しき女性も居る。

 でも、彼女の表情は安堵ではなく、困惑と落胆に歪んでいた。

 

「……あんた達、生きて戻ったの……」

 

 母親の言葉は、氷のように冷たかった。

 姉が小さく震えながら「お母さん」と呼びかけたのに、母親はそれを避けるように一歩下がる。

 

「ただいま、お母さん……。あのね、食べ物、見つからなくて……。それで、このお姉さんたちが、森で蜘蛛から助けてくれて……」

 

「なんてことを……」

 

 私は母親のその態度に、怒りが込み上げるのを抑えられなかった。

 私は母親の前に歩み寄り、声を荒らげる。

 

「……どうしてそんなことが言えるの! 自分の子供でしょう! 母親なら、どんなことがあっても我が子を愛して、守るものでしょう!?」

 

 母親は私の問いかけを、呆れたような目で見返した。

 彼女は自分の腹をさすり、乾いた笑みを浮かべる。

 

「自分の分さえ満足に無いのに、子供に食べさせるものなんて……どこにあるっていうのさ」

 

 にべもない言葉には、感情さえも擦り切れたような虚無があった。

 

「ここじゃあ、食べ物がないからと子供を捨てるのは珍しくない。……むしろ、飢えさせて目の前で息絶えるのを見守るより、森に置いてくる方が、まだ慈悲があるってもんじゃないか」

 

 母親の言葉に、私は言葉を失った。

 正論のような、しかし吐き気がするような残酷な論理。

 

 この村の人々にとって、愛や絆というのは贅沢品で、飢えの前では無力なのだろうか。

 

 姉妹は私の後ろで小さく縮こまり、ただ震えている。

 私は握りしめていた拳を震わせながら、地面を睨みつけた。

 

 母親への憤りは行き場を失って、私の胸の中で黒い澱(おり)となって渦巻く。

 何故、と思わないではいられなかった。

 

 ——何故。

 

 どうして、幼い姉妹がこんな理不尽に遭わないといけない?

 どうして、こんなにも村が貧しい?

 

 ——どうして。

 この寒村の窮状。痩せ細った村人と子供たち。

 

 そのすべてが、皇都に君臨するエルフたちの理不尽な搾取のせい、と思えてならなかった。

 

「エルフは精霊からマナ溜まりを奪って……それだけで飽き足らず、大地の恵みさえ、自分たちだけで独占してるんでしょ!? この村を……この子たちを、飢えさせてまで……!」

 

 私が怒りを露わにしたその時、フェリカが私の肩を強く掴んで制した。

 

「リル、落ち着いて」

 

 フェリカの目は、冷徹なまでの冷静さを湛えている。

 それが今の私には、ひどく残酷なものに写った。

 

「落ち着いて……!? 良くそんな事を……! あれを見て何とも思わないの!?」

 

「……あのね、リル。エルフの統治なんて関係ないの。あたしはこれまで、冒険者としてあちこち行って、こんな村をいくつも見てきた。ハッキリ言うと、この程度の貧しさ、珍しくもなんともない」

 

 唇を噛み締めると同時、不意に記憶の断片が蘇った。

 まだ幼い頃、お母さんとの旅の中で滞在した、あの村……。

 

 あそこもまた、到底裕福には見えず、また薬さえ満足に手に入らない様子だった。

 村人全員くたびれた様子で、それがひどく寂しい気がしたのを覚えている。

 

 エルフのせいだ、と決めつければ楽になれる。

 でも、現実はもっと深く、逃げ場のないほどに根深いものなのかもしれない。

 

「……これが、どこにでもある現実なんだね」

 

 私の呟きに、フェリカが静かに呟く。

 救おうとした命は、この村には帰る場所などなかった。

 

 母親に見捨てられた姉妹と、私たちを冷ややかに見つめる村人たち。

 誰も彼もが手一杯で、余剰な食料などなく……そしてだからこそ、姉妹を殺すしかなかった。

 

 直接、手を下した訳ではないけど、その死を願い、森に捨てたも同然にされた——。

 

 私は姉妹の小さな手を、もう一度強く握り直した。

 ここで絶望して、この手を離すのは実に簡単だ。

 

 でも、一度助けた命だし……なにより、ここで見捨てるなど、私には出来なかった。

 お母さんの言葉が思い出される。

 

 ――ただ、目の前の一人を助ければ良い、という問題ではない。

 一人を助けると、更に多くの人を助けることに繋がる。

 

 本当に、自分の手に負えるのか、それを考えて助けなさい——。

 

 私は一度、深呼吸した。

 この姉妹を助ける事も難題だ。

 

 そして、今ここで幾ばくかの食料を分け与える事に、意味など殆どなかった。

 全員に行き渡る分などないし、あったとしても一日分に満たない。

 

 姉妹を助けるには、この村の窮状を助けなければならなかった。

 私は考える。

 深く深く、考えた。

 

 何か出来ないか。

 どうにか出来ないか。

 うまい解決策はないか——。

 

 そうしてふと、村人達の後ろに広がる、痩せ細った麦畑に目が留まった。

 風に揺れる穂は弱々しく、明らかに土の栄養が枯渇している。

 

 けれど、この地特有の、過酷な環境にも適応しようとする野生の力強さも、また微かに感じられた。

 

 ——マナ。

 

 私の暮らしていた森では、マナに溢れていて、だから実りも良く、その出来も街で食べるのより美味しかった。

 

 でもここに、マナは殆どない。

 本来、どこまでも広がるマナを、術式によって一方向へと歪められているからだ。

 

 だとしたら——。

 

「フェリカ、……少しだけ、力を貸して」

 

 私は姉妹をその場に残し、畑の端へと歩み寄った。

 しゃがみ込み、乾いた土に直接手を触れる。

 

 冷たい感触から感じ取れるのは、僅かばかりの枯れたマナだけだ。

 でもその深層に、本当にわずかな水の流れと、搾取から逃れた、微かなマナの気配を感じ取る。

 

《リル、何をする気? まさか今この場で……》

 

 ナナの声が警鐘を鳴らす。

 大規模な力の行使は、エルフの監視網に引っかかる可能性がある。

 

 でも、これは“術式”とは違う。

 お母さんに教わった、もっと原始的で、マナに直接触れるやり方だ。

 

 私は掌に魔力を練り込み、それを空中に放出するのではなく、大地の深部へと優しく流し込む。

 

「フェリカ、同じ様に真似して」

 

「や、やってみるけど……。アタシ、そういう繊細な力の使い方は向いてないっていうか……」

 

「大丈夫、その“繊細さ”は私が担当するから。フェリカは私の後を追ってきて」

 

「いや、追ってきて、って……。それだって、別に簡単な訳じゃ……」

 

 しどろもどろに言うフェリカに、指を突きつけて言う。

 

「そういうの、助けて貰うために精霊がいるんでしょ。力任せ部分以外は、ルヴィアンに頼って」

 

「わ、分かった……!」

 

 ようやく覚悟を決めて、フェリカは私の隣に膝をついた。

 言った通り、見様見真似で、魔力を操作している。

 

 口元を引き攣らせ、こめかみがヒクついている辺り、また苦言を呈されているのかもしれない。

 

 口の端に浮かんでいた笑みを引っ込め、私も自分の事に集中する。

 ……行け。ここに、まだ生きようとしている命がある。

 

 私は魔力を伸ばし、森の奥へと持っていく。

 狙いは森を通る、あの“路”だ。

 

(ナナ、お願い)

 

《何したいのか良く分かるし、本当なら止めたいんだけど……。ま、良いわ》

 

 言っても聞かないと理解したのか、ナナが嘆息混じりに協力してくれる。

 マナそのものを腕に見立てて伸ばし、“マナの路”を直接掴む。

 

 それを強引に引き寄せ、周囲に澱んでいた停滞したマナを、強制的に循環させる呼び水とするのだ。

 

「フェリカ、頑張って! 引っ張るよ!」

 

「こっからはお任せよ! ぶっ倒してやるわ!」

 

「倒さないでね。引っ張るだけ! ——せぇ〜のっ!」

 

 掛け声と共に、一気に引っ張る。

 一度目はビクともしなかった“路”も、二度、三度と続ければグラついて来る。

 

 そしてとうとう、大きくズレて、畑の直下を通るようになった。

 道筋としては、大きく湾曲してしまったけど、問題はない。

 

 一瞬、大地が小さく呼吸をした気がした。

 村人たちがざわつく。

 足元の土の色が、わずかに濃くなった気さえする。

 

「これは……?」

 

 一人の老人が、驚きに目を見開いて畑に駆け寄る。

 水路を塞いでいた泥が溶け、干上がっていた井戸の底から、ゆっくりと澄んだ水が湧き上がってきたのだ。

 

 マナが十全に満ちた事によって、正常な形に戻ろうとしている。

 

「……できた」

 

 私は額の汗を拭い、立ち上がった。

 これですぐ、劇的に豊かになるわけではない。

 

 けれど、少なくとも今シーズンの収穫は、餓死を免れる程度には持ち直すはずだ。

 

 村人たちの視線が変わる。

 さっきまでの冷ややかな拒絶が、驚愕と、そしてわずかな希望の光に変わっていた。

 

「……ねぇ」

 

 私は姉妹の母親の方を向き、毅然と言い放った。

 

「この水と土なら、明日以降もう少しマシな収穫ができる。姉妹を育てる余裕も、きっと生まれるはず。……それでも、まだこの子たちを捨てるというの?」

 

 母親は言葉を失い、震える手で湧き出した水に触れた。

 彼女の目から、堰を切ったように涙が溢れ出す。

 

「……あの子たちを、また捨てたりしない。……しないよ。あぁ、神様……」

 

 姉妹が駆け寄り、ようやく母親の腰にしがみついた。

 今度は、拒絶されることはなく、それどころか二人を大事そうに抱き留める。

 

 村の空気が変わるのを感じて、私は安堵の息を漏らした。

 ——けれど、これはほんの始まりに過ぎない。

 

 この小さな村一つを救ったところで、他の多くの村を救った事にはならないだろう。

 そして——きっと、この村同様にマナを奪われた村は、多くある筈だった。

 

「リル、あなた……。無理をしたでしょ」

 

 フェリカが心配そうに歩み寄ってくる。

 アロガも心配そうに私の顔を覗き込み、ペロリと頬を舐めた。

 

「大丈夫、少し疲れただけ」

 

 私は空を見上げた。

 西大陸の冷たい空は、相変わらず無慈悲に広がっている。

 

 でも、私の足元には、今さっき命を吹き込んだばかりの土がある。

 それが幾らか救いになった。

 

「行こう、フェリカ。……この大陸中に、こういう小さな奇跡を繋いでいく」

 

「言葉を返す様で悪いけど、こんなこと、もうしない方が良いと思う」

 

《あたしも賛成》

 

 ムッとして、ナナに語り掛けた。

 

(どうして? 他にもきっと、エルフのせいで貧しい生活をしている村があるんだよ?)

 

《だとしても、よ。こんな事を続けて、気付かれない筈がないもの。水路の水が減り過ぎれば、その原因を探るものでしょう? これはそれと同じ》

 

(そう……かも、しれないけど……)

 

《畑にマナを配るのは良いことに思える。でも、使った分だけ、どうしたって減るのよ。ここ一つならともかく、他に幾つも……となれば、絶対厄介な事になる。それどころか、その処罰はリルではなく、その村に背負わされるかもしれないのよ》

 

 旅の者がやった、と聞かされて、納得するかどうか……その部分は確かに疑問だ。

 村の人には出来ないのだから、当然、他の誰かがやったと考える事は出来るとしても……。

 

 何らかの処罰を、腹いせで行う可能性だってある。

 

《善行の全てが、良い結果を出すとは限らないのよ……》

 

 そうかもしれない。

 何しろ、相手はあのエルフだ。

 

「ねえ、リル……」

 

 その時フェリカが、物言いたげな視線そのままに、口に出して制してきた。

 

「犯人の目星も付かなくてさ、捕まえる目処も立たないってなったら……。その時、適当な犯人を仕立て上げる事もあるんだよ」

 

「何それ……。何のために?」

 

「形だけでも解決する為。犯人が今も捕まらず野放し、なんて認められない権力者は多いから」

 

「本当に……? そんな事あるの? だってそれ……、無実のヒトが捕まるってことでしよ?」

 

 そんなの信じられない。

 そんな意味のない事を……。

 でも、フェリカはすごく真面目な表情で頷いた。

 

「あるの。あるのよ。アタシも冒険者になってから知ったことだけど、理不尽な事って、本当に多いの」

 

「そんな……」

 

 私達が追われる分には良い。

 どうせ、遅かれ早かれそうなる。

 

 アロガはどうしたって目立つし、お母さんの遺品を追っている最中、見つからないとは思えないからだ。

 

 でも、そうじゃなくて、追うよりも手近な誰かで鬱憤を晴らそうというなら——。

 本当にそんな事になるなら、迂闊な真似は出来ない。

 

 ——いや、したくなかった。

 

「……うん、分かった。勝手なことは……もう、しないよ」

 

「見える全てを助けられないとしても、ここだけでも助かって良かったじゃない。——ほら、ご覧なさいよ」

 

 姉妹はもう、私たちの背後に隠れようとはしなかった。

 その上、去ることを寂しがる様子もない。

 

 彼女たちには、明日を生きるための“居場所”が戻ったのだ。

 

「……もう、大丈夫だね」

 

 そう語り掛けて、村を後にする。

 そんな私たちの背中を、村人たちの静かな感謝の視線が追いかけてきた。

 

 その温もりを背中に感じながら、遥か彼方にそびえ立つ皇都を見据える。

 ここからでは、上空から見えていたあの威容はまだ窺えない。

 

 ——それでも。

 一歩、また一歩と近付いているのは確かだった。

 

「行こう、アロガ。フェリカ」

 

 双方に目配せして、轍(わだち)で出来た細い道を進む。

 その足取りは、村に立ち寄った時よりも、ずっと力強く響いていた。

 

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