剣先が、まるで分厚いゴムの皮を突き破るような感触とともに、魔物の中心部へと深く沈み込む。
『
「消えて……!」
私は魔力を一気に解放しようと、力を込める。
でも、“百貌”の視線が、私を絡め取る。
「くっ……!」
石化はしない。
石化こそしないけど、身体が鉛のように重くなった。
力を込めたいのに、いま以上の力が出ない。
邪視と私の魔力が、せめぎ合い——拮抗している。
「う、ぐ、ぐぅ……っ!」
体内の魔力を燃やすつもりで、更に力を込めようとしたその時——。
横合いから水の膜が飛び込んで来て、敵の視界を歪めた。
「リル! 今よ!」
「ハァァァァ……ッ!」
邪視が緩んだお陰で力が戻ってきた。
体内に宿る風の魔力を剣先から放出し、魔物の内部で荒れ狂う嵐となって渦巻いた。
『
先ほどまで響いていた不協和音の悲鳴が、しだいに苦悶となって鳴り響き、そして——。
パリ、パリンッ、と乾いた音を立てて、魔物は内側から砕け散った。
黒い泥と無数の砂礫となって、巨体が崩れ落ちていく。
周囲の石像たちも、魔物の呪縛から解放されたのか——あるいは魔物自身の石化能力が霧散したのか——形を崩して砂煙の中に飲まれていく。
私は勢い余って転がり、硬い地面に手をついた。
激しい息が上がって、胸が痛い。
「ハァ、ハァ、ハァ……ッ!」
「……リル!」
駆け寄ってきたフェリカが、私を抱き起こす。
彼女の作る水の障壁の向こうで、崩れた魔物の残骸が静かに広がっていた。
広場は、嵐のあとのように静まり返っている。
先程まであった“石像”たちの姿も、もうない。
崩れた魔物の瓦礫とともに、かつての冒険者たちの成れの果てと思われる細かな砂が、風にさらわれて消えていく。
「終わった……の?」
「ええ、多分ね。地脈の繋がりを、事前に切ってなかったらヤバかったわね。障壁が遅れてごめんなさい」
フェリカはそう謝って、荒い息を吐きながら私の肩を支えた。
アロガが瓦礫の山を警戒しながら歩き回り、私たちの傍らに戻ってきて、心配そうに私の顔を覗き込む。
「グルゥ……」
「うん、平気。ありがとう、アロガ」
私はアロガの首筋に額を預け、しばらくそのまま震えを止めることに集中した。
戦うたびに、この世界の過酷さが骨身に染みる。
けれど、同時に実感もするのだ。
お母さんの教えが、今の私を支えているという事実を。
ふと、魔物が消えた場所の地面に、何か光るものが落ちていることに気づいた。
私はふらつく足でそちらへ歩み寄る。
「これは……?」
そこにあったのは、透き通った淡い青色の結晶だった。
家で読んだ本には、確かに魔物は魔石を宿す、と書いてあった。
魔獣にはないから、他の魔石なんて見たことがないけど……これはまるで、生きているかのようだ。
中で柔らかな光が明滅している。
「これ……ひょっとして、この地のマナを固めたもの?」
《そうよ、リル。……純粋なマナの塊だわ。地脈からマナを吸い取っていた……その特殊性故、かしらね。それにしても珍しいわよ、こんな形で残るのは》
ナナの声が、どこか感慨深げに響く。
私はそれに頷きながら、小さな結晶を拾い上げた。
掌から伝わってくるのは、荒野の冷たさではなく、春の陽だまりのような温かさだ。
「フェリカ、見て。こんなに綺麗」
私の掌に置かれた結晶を見て、フェリカが目を丸くする。
「本当に……。こんな大きな魔石、アタシでも初めて見るわ」
私はその結晶を、リェーシェ婆のペンダントの横に並べるようにして、慎重にポーチへ仕舞い込んだ。
《魔石には、魔物の力が宿っているものよ。きっといつか、役に立つ時があるわ》
(魔物の……。じゃあ、あの邪視の力が?)
《そうね……、そうだと思う。いざという時は、握り込んで魔力を込めなさい。相手の度肝を抜けるかも》
私たちは崩れ落ちた遺跡の広場を後にし、再び皇都へと続く険しい道へと戻った。
背後で、あの不気味な「カチ、カチ」という銀葉樹の音が、まるで私達を送り出すかのように鳴り響く。
行く手には、まだ長い山道と、その先に聳え立つであろう皇都の影がある。
でも、確かなことが一つあった。
私たちはまた一つ、誰かの役に立ったのだ。
それは大きな革命ではないし、誰かに称賛される功績でもないかもしれないけど……。
けれど、確かに誰かの未来を奪っていた道を、私たちは今、誰でも通れる道へと変えた。
「私には、私に出来ることを……」
お母さんみたいに、全てを解決できるような、凄いことじゃなくても――。
私達が行くのは、誰かの敷いた道じゃない。
むしろ、聞けば眉を顰める様な道だと思う。
私の言葉に、フェリカは苦笑しながらも力強く頷いた。
「ええ、そうね。あんたのその無鉄砲な優しさに、最後まで付き合ってあげるわ」
空は相変わらず鉛色の群青をしている。
それでも、私たちの足取りは、先ほどよりもずっと軽く、そして何より迷いがなかった。
※※※
山道を抜けた先では、私たちの視界を覆っていた岩肌と銀葉樹の森が、嘘のように開けた。
そこには、西大陸に来てから初めて見る広大な緑の平原が広がっている。
荒野の乾いた土とは対照的な、生命力に満ちた深い緑。
遠くにはなだらかな丘が続いていて、風が草を揺らすたびに、まるで生き物が呼吸しているかのような波が生まれている。
「……信じられない。あんな岩山を越えた先に、こんな場所があるなんて」
フェリカが呆然と呟く。
私の感覚も、ナナの鋭い反応も、この一帯だけが異常なほどの、高濃度のマナに満たされていることを告げていた。
村で私たちが地脈を整えたように、この平原の地下には、周囲から集められた幾筋もの“マナの路”が合流している。
そしてそれが、太く力強い大河となって、ある一点――遥か彼方の皇都の方角へと伸びている。
「ねぇ、何あれ……?」
平原の中央には、見たことのないものが敷かれていた。
それは、真っ直ぐに大地を切り裂くように伸びた、黒い石の帯だった。
二本の並行した金属の道が、どこまでも続く地平線へと向かって、光を反射させている。
「本当ね……。何かしら、あれ……。道にしては、あまりに異質すぎるし」
フェリカの声に頷き、私が歩み寄ろうとした、その時だった。
遠くの地平線から、地響きのような唸りが聞こえてきた。
風に乗って聞こえるその音は、魔物の咆哮とも違い——。
もっと規則的で、硬質で、圧倒的な質量を伴った振動を伴っていた。
「リル、下がって!」
フェリカに腕を引っ張られ、私たちは草むらに身を隠した。
アロガが庇う様に身を寄せて、遠方を睨んで唸り声を上げた。
振動は強まり、大地が震える。
やがて、平原の向こうから現れたのは、巨大な“鋼鉄の獣”だった。
煙を吐き出し、車輪が金属を叩く高い音を響かせて、それは地を這うように滑走していく。
馬も、家畜も引いていない。誰が動かしているのかも分からないのに、あの黒い石の帯の上を、凄まじい速度で通り過ぎていく。
通り過ぎた後の空気は熱く、マナの残滓がビリビリと肌を刺した。
私たちはただ、口を開けてそれを見送ることしかできなかった。
「……なんなの、今のは。魔道具……? いや、それにしては大きすぎる」
フェリカの声には、恐怖と困惑が混じっていた。
でも、私の胸には、もっと別の……ある種の確信が突き刺さっていた。
この鋼鉄の塊が通り過ぎる瞬間、私は確かに感じたのだ。
あの巨大な質量を突き動かしているのは、何百、何千というマナ溜まりから吸い上げられた、マナの奔流であることを。
「そっか、分かった……」
私の呟きに、フェリカがこちらを向く。
「この地が他より豊かなのは、単なる恵みからじゃない。各地から皇都へ運ばれるマナの路が、この近くを通っているからだと思う。この平原は、その通り道なんだ……」
大量の魔力を、あの鋼鉄の獣に流し込む。
この光り輝く平原は、言ってみれば“こぼれ落ちたマナ”の恩恵を受けているに過ぎなかった。
都市へマナを運ぶという、巨大な搾取の仕組み。
その余熱で動く巨大な魔導体。
真実を悟った瞬間、胸の中に黒い澱が溜まるのを感じた。
——村を飢えさせてまで、エルフはこれを走らせているんだ。
「……行こう、フェリカ」
私は、皇都へと続く黒い帯を見つめながら、拳を強く握りしめた。
今の私には、この理不尽な仕組みを止める力なんてない。
けれど、これから向かう場所で、私はその眼で確かめなければならない。
この大陸の“豊かさ”の正体と、その裏側にある命の重みを。
私たちは草むらから立ち上がり、鋼鉄の獣が去った後の、少しだけひんやりとした風の中へ、再び足を踏み出した。