フェリカが取り出したのは、掌に収まるほどの小さな青銅製の器具だった。
表面には細やかな幾何学模様が刻まれており、彼女が軽く魔力を注ぐと、微かな振動音とともに先端がカチリと形を変えた。
「これはね、東大陸の機工都市で作られた『魔導鍵』よ。魔導式錠前の魔力回路にこれを割り込ませれば、警報を鳴らさずに錠前の魔力を逆流させて、一時的に解除できるの。まあ、違法すれすれの代物なんだけどね」
フェリカは得意げにウインクをして、それをポケットにしまった。
S級の権力の使い方だけでなく、こうした裏稼業の道具まで持っているあたり、フェリカの旅の、経歴の長さを思い知らされる。
——頼りになる。
フェリカが仲間になってくれて、本当に良かった。
改めてそう思う。
フェリカを見つめていると、照れた顔を隠して顔を背ける。
「よし、地下へ向かいましょう。巡回しているエルフの職員が、目を離した隙を狙うわよ」
私たちは足音を消し、書架の影を縫うようにして塔の奥へと進んだ。
こうした隠密行動は、森の中で魔獣の隙を縫って歩いていた事を考えれば、実に容易いことだ。
吹き抜けの中心部に設けられた螺旋階段は、上層へと伸びるものばかりが目立ち、地下へ下りる通路は、頑丈な鉄格子の扉で塞がれていた。
扉の脇には、青白い光を放つ魔導式の……何かの盤が埋め込まれている。
これの意味は分からないけど、警報に使われる罠みたいなものかもしれない。
「……見張りは?」
「あそこの角に一人いるわね。端末に夢中だけど、定期的にこちらを見てるわ。……リル、合図したら一瞬で私の後ろに隠れて」
フェリカが息を潜め、職員の視線が手元の端末に落ちた瞬間を捉えて素早く動いた。
私たちは無言のまま、音もなく死角へと滑り込む。
「ふう、危ない危ない……。それじゃあ、腕の見せ所ね」
フェリカは扉の錠前を探し、右へ左へと顔を動かし——そこで動きを止めた。
何を考えているのか、私にも分かる。
ここには錠前らしき物が、どこにも無かった。
扉の横には横に細長いスリットがあるものの、これはどう見ても鍵穴ではない。
「鍵穴……なくない?」
「……どうする?」
「どうするもこうも……」
フェリカは弱り切った顔で頭を掻いた。
せっかくの道具も、使えないのなら意味がない。
文明力の差、というのを見くびっていた。
ここではきっと、何か別の物を鍵の代わりにしているんだろう。
どうにも困ってしまって、ナナへと語り掛ける。
(ナナ、どうしたら良いと思う? これじゃあ、鍵をこじ開ける事すら出来ないよ)
それまで気配を潜めていたナナが、呆れたような、それでいてどこか得意げな声を響かせた。
《多分だけど、そこの横にあるスリットが怪しいわ。あれが鍵穴の代わりで、何かを差し込むんだわ。それを通して、魔力の認証で開閉するんだと思う》
(魔力の認証……?)
《そう。エルフの生体魔力、あるいはそれに準ずる特定の波長を、流し込まないと開かない仕組み。……なぁんかね、魔力の気配から察するに、そんな感じなのよ》
(結構、曖昧だね……)
《大丈夫、言葉にしていくたび、確信を持てて来たから。……フェリカの魔導鍵、先端の形状が変わるんでしょ? それをあのスリットに直接差し込んで、魔力を調節してやれば、認証を誤魔化せるはずよ》
私はすかさず、隣で腕を組んで唸っているフェリカへと、小声で声を掛けた。
「フェリカ、分かった。あのスリットが鍵穴の代わりだって。そこに魔導鍵を突っ込んで、魔力を流せばいけるって……ナナが」
「――なるほどね! そういうこと!」
フェリカの目が、鋭い光を帯びて輝いた。
彼女は再びあの青銅製の器具を取り出し、カチリと先端を極細の板状に変形させる。
「西大陸最新の魔導錠も、基本の構造は同じってわけね。……よし、やってみるわよ」
《——待った!》
ナナから制止の声が掛かって、私は咄嗟にフェリカの手を掴む。
そして、ナナから言われた事を、直接伝えた。
「フェリカは魔力制御が下手だから、ルヴィアンに手伝って貰いなさいって……。ナナも私を通して協力してくれるみたい」
「分かったわ。じゃあ、精霊達に頼みましょう」
フェリカは息を整えると、スリットの隙間に魔導鍵を滑り込ませた。
彼女の掌を通してルヴィアンが微量の魔力を注ぎ込み、私もその手に添えて、魔力を流し込んだ。
《……やっぱりね。これ、ヒトに対する対策は何重もあって盛り沢山だけど、精霊に対しては無頓着だわ》
(こっちには精霊が居ないから?)
《そうね。だから、無駄を削ぎ落とした結果、こうして無様に解錠されるって訳よ》
言い終わるかどうか、というタイミングで、器具の先端が青く激しく点滅し始める。
ピピッ、ピピピピッ――!
耳障りで甲高い音が、静まり返った地下通路に響いた。
私は心臓が跳ねるのを抑えながら、すぐ近くで角の職員の様子を窺う。
でも、運良く職員は手元の端末の画面に夢中で、こちらを振り返る気配はない。
《いけるわ、ちょっと魔力を使わせて貰うわよ!》
ナナの緊迫した声と同時に、半身を引っ張られる感覚が襲う。
それはフェリカも同じみたいで、その額には大粒の汗が浮かんでいた。
「ふん、ぐっ……!」
私とフェリカが最後の一押しとばかりに魔力を込めた瞬間、認証盤の青白い光がふわりと金色に揺らぎ、そして――。
ガチン、と重苦しい機械音が響き渡った。
頑丈に閉ざされていた鉄格子の扉が、わずかに内側へと押し開かれる。
「……やった!」
フェリカが小さくガッツポーズを作り、荒い息を吐き出す。
私も額の汗を拭い、周囲に誰もいないことを確認すると、開いた隙間から滑り込むように地下通路の暗がりへと身を隠した。
背後で鉄格子の扉が、音を立てずにピタリと閉じる。
地上に満ちていた青白い魔導の光は完全に消え失せ、代わりに肌を刺すような冷気と、古い埃の匂いが私たちを包み込んだ。
「……無事に入れたね」
「ふぅ……、死ぬかと思ったわよ……。体内魔力をごっそり持ってかれちゃって……」
そんな事なかったけどな……、とは口にしないでおいた。
きっと、フェリカがメインでやっていたから、その分魔力の消費も多かったのだろう。
《……残念ながら、そうじゃないわね。魔力の保持量って、リルの方が圧倒的に上だから》
(そうなの?)
《自覚がないのは当然だけど、リルってば幼い時からずっとマナ溜まりに居たからね。その上、お母さんによる英才教育よ。魔力の量や質っていうのはね、掛けた時間と質が物を言うから……》
(そっか……。お母さんとの鍛練、大変だったもんなぁ……)
収穫期の麦畑——。
ヘトヘトになるまで、魔力を振り絞った事を思い出す。
辛かったけど楽しく、妖精達が囃し立てる光景は、風物詩と言っても良かった。
今や過ぎ去ってしまった時に思いを馳せていると、フェリカの声で我に返った。
「まったく……! エルフの魔導技術には苦労させられるわ。冷や汗かかせやがって……ねぇ?」
最後には悪役みたいな台詞を吐いて、胸を撫で下ろす。
そうして、微かに震える指先を隠すように拳を握った。
通路の奥へ進むにつれて、先ほどまで感じていた“重苦しい魔力の淀み”が、いよいよ肌を圧迫するように強くなっていく。
ここは、万巻の塔の最下層。
エルフたちが歴史の闇に葬り去った、本当の意味での“禁書棚”――。
お母さんの真実が、魔女の悪行の裏に隠された秘密が、この暗がりのどこかで眠っている。
フェリカが懐から小さな魔石を取り出し、ほのかな光を作り出した。
私達は互いに頷き合うと、その光を頼りに、静まり返った地下の回廊へと足を踏み出した。