混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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灰色の歴史と母の面影 その8

 フェリカが掲げた魔石の青白い光が、石造りの通路を頼りなく照らし出す。

 天井からは冷たい風が一定の間隔で吹き、それがまるで悲鳴の様に、不気味に響いていた。

 

 壁に並ぶのは、上の階で見たものとは違う、分厚く、禍々しい装飾が施された古文書の数々だった。

 背表紙に刻まれた文字は、縁取りされた装飾文字で、どれも威厳を感じさせる。

 

「ここね……。いかにも『禁書』って感じの悪趣味な並びだわ」

 

 フェリカが顔をしかめながら、手近にあった一冊を引き抜いた。

 ページをめくると、そこに描かれていたのは、複雑な魔導式の図解と、無数の生体実験の記録だった。

 

「リル、これ……見てみなさい」

 

 彼女に促されるまま、私は覗き込んだ。

 そこに記されていたのは、私たちが予想していた“為政者による歴史の捏造”を覆す、さらにおぞましい事実だった。

 

『――魔女による禁術実験の顛末と、その被害記録』

 

 見出しの下に綴られていたのは、かつて大陸の西側を駆け巡ったという、“混沌の魔女”が残した足跡だった。

 それは、エルフの権力者が作り上げた、嘘の物語なんかじゃなくて……。

 

 紛れもない、血塗られた真実の記録に違いなかった。

 

「嘘……でしょ……」

 

 私の声が、地下の冷たい空気の中に震えて溶ける。

 ページをめくる手が止まらない。

 そこに書かれていたのは、まさに常軌を逸していた。

 

『魔女は自らの強大な魔力を維持し、さらなる高みへ至るため、周囲の村落から生きたままの人間を強制的に集め、その命の源を魔導石へとすり潰して自らの糧としていた』

 

『ある小さな領地では、魔女の実験の余波で地脈が完全に逆流し、数千人の住民が一瞬で灰の像と化して滅び去った』

 

『彼女を止めようと赴いたエルフの調停使節団さえも、生きたまま肉体をねじ曲げられ、異形の魔獣へと作り変えられ放置された』

 

「そんな……、そんなの……お母さんじゃない。お母さんは、こんなこと……!」

 

 激しい動悸が胸を突き上げ、私はたまらず首を振った。

 でも、記録の端には、決定的な証拠が添えられている。

 

 それはかつて、魔女が使っていたという、そして――私がお母さんから教わったはずの、独自の魔導式だった。

 

《……リル、待って。それ以上は……》

 

 ナナの切なげな声が頭に響く。

 でも、もう遅かった。

 

 別の棚から、フェリカが引きずり出した古い羊皮紙の束には、さらに衝撃的な“事実”が明らかになる。

 

 そこには、長い紫銀の髪を翻す、後ろ姿の肖像画と、彼女の残した手記の抜粋が載っていた。

 

 ――そこにあったのは、冷酷なまでの探求者の姿。

 魔女にとって、他の人間の命や苦しみなどは、世界の真理を暴くための実験材料でしかない。

 

 村が焼かれようと、大陸の三割の民が病に倒れようと、彼女はただ己の知的好奇心と力の追求のために、それを微笑みながら見下ろしていた、と記されている。

 

「……違う。お母さんは、私に優しかった。あんなに温かくて、色んなことを教えてくれて……」

 

 涙がとめどなく溢れ、足元を濡らした。

 頭が真っ白になり、呼吸の仕えさえ忘れてしまいそうになる。

 

「リル……」

 

 フェリカが私を抱きしめようと手を伸ばす。

 その顔にあるのは、同情の色じゃない。

 

 ただ、残酷な真実を突きつけられた私を見る、凍りついた憐れみだけがあるだけだ。

 

 ここにあるのは、エルフが書いた嘘でも、無知な民衆が生んだ迷信でもなくて——。

 

 むしろ、あまりに刺激的過ぎて、自由に閲覧するのは有害だと……そうした配慮があった様に思える。

 

 “混沌の魔女”とはその名の通り、この世に混沌を招く。

 そう思われる程までに残虐で、救いのない怪物だった——。

 

 じゃあ、私の知っているあの優しいお母さんは、一体何だったんだろう。

 あの温もりは……正しさや力を振るう理由を諭してくれたこと、それらすべて、嘘の仮面の上から出されたものだったとでも……?

 

 底知れぬ絶望と冷気が、地下の暗がりから這い上がり、私の心臓をぎゅっと握り潰してくる。

 

 足元から這い上がってきた冷気は、やがて私の全身を凍りつかせ、声すらも喉の奥へと閉じ込めてしまった。

 

「ひっ、はっ……! ひぅ……っ!」

 

 呼吸ができない。

 心臓が痛いほど脈打つのに、肺には冷たい澱みしか溜まらない。

 

「リル、しっかりして……!」

 

 フェリカの声が、どこか遠くの水底から聞こえるように響いた。

 返事を返せないでいると、フェリカは私の肩をしっかりと掴む。

 

 その瞳には痛切なまでの焦りと、どう慰めればいいのか分からない、という戸惑いで揺れていた。

 

 ――違う。こんな間違ってる。

 脳裏に蘇るのは、森で暮らしたあの家の温もりだ。

 

 優しい手付きで頭を撫でてくれた感触。

 冷えた夜に温かいスープをよそってくれ、「沢山食べなさい」と言ってくれた笑顔。

 

 私が魔法を失敗して泣きそうになった時、「失敗は成功の第一歩だ」と優しく微笑んでくれた声。

 

 ——そういうの全てが、演技だった……?

 冷酷な魔女の仮面の下に隠された、偽りの演技だったなんて……。

 

 もしあれが嘘だと言うなら、私という存在はいったい何なのだろう。

 あの優しさは、残酷な怪物が気まぐれに慈しんだ“おもちゃ”としての戯れに過ぎなかったのかもしれない。

 

《……リル、泣かないで。あたしはね、信じないわ》

 

 胸元で、ナナの小さな声が、震えながらも強く響いた。

 

《お母さんの過去が、そんなのだなんて信じない。どんな忌まわしい記録が残されていたとしても……あなたに向けられたあの温かさまで偽物だったなんて、あたしにはどうしても思えないもの》

 

「ナナ……」

 

《きっとまだ、あたし達の知らない事があるんだわ。だって、全てが嘘というには、余りに違い過ぎる。別人と取り違えている、と考えた方が、説得力がずっとあるでしょう?》

 

(でも……)

 

《分かるわ。全て嘘だと、別人だと考えた方が楽。ずっと楽。いっそ逃避している様に見えるわよね》

 

(でも、だって……、ここに書いてあるんだよ。禁書に! 禁書にまで嘘を書くの!?)

 

 私は心の中で叫ぶ。

 嘘だったら、どんなに良いだろう。

 でも、嘘を書く理由こそ、エルフにはない。

 

《えぇ、嘘は書いてないでしょう。でも、書いた本人が、それを本物と信じ込んでいた可能性はある》

 

(そんなこと言ったら……。何もかも信じられなくなっちゃうよ……)

 

《だから、生き証人に確認を取るのよ》

 

 言わんとしている事が分からなくて、気分が一層悪くなる。

 

(誰に? エルフの誰? 長生きしてても、どっちみち信用なんて出来ないよ)

 

《違うわ。精霊王様に尋ねてみるのよ》

 

 それはとても魅力的な提案に思えた。

 会った事は数える程しかないけれど、お母さんに敬意を抱いていたように思えたし、きっと古くから親交があったんだ。

 

(それ……、いいね! きっと本当のこと、教えてくれるよ!)

 

《問題があるとしたら、春先にしか出会えない事ね。精霊界と再び繋がる春の記念日にしか、姿を見せることはないと思う》

 

 それは……、飲み込むしかない。

 まさか乗り込める場所ではないし、いや……。

 

(ナナは? ナナなら、自由に行き来できるでしょ?)

 

 当然の事だと思ったのに、でも予想に反して、ナナは難色を示した。

 

《あたしはリルと対等契約を結んでいるから、精霊界の自由通行は出来ないの。リルが行けない所には行けない。対等というのは、そういう部分も含まれるから》

 

(初めて知った……)

 

 それはとても不便を強いてしまったのではないだろうか。

 今更ながら、とんでもない事をした気がしていて、申し訳なく思っていると、ナナはむしろ軽快に笑った。

 

《あたしが望んで結んだ契約よ。あたしの家はあの家で、あたしの家族はリルたちと定めた。それで帰れなくなっても、全然後悔なんかしなかった。今だってそうよ》

 

 胸の奥が温かくなる。

 心の奥底まで冷えた気でいたのに、今ので一気に氷解した気がした。

 

(ありがとう、ナナ……)

 

《家族だもの。支え合わなくちゃ! アロガがここに居たら、きっと同じ様にしていたわ》

 

(そうだね……)

 

 今、無性にアロガに会いたかった。

 会って抱きしめたい。

 あの温かな毛皮に顔を埋めて、全身で温もりを感じたかった。

 

《でもね、もしかしたら、の可能性はあると思う》

 

(もしかして……?)

 

《精霊界に繋ぐ門はね、中位精霊なら、頑張れば開けるから、誰かに呼んで貰うとか》

 

(春じゃないと、来ないんじゃ?)

 

《だから、もしかして、なの。長く待つくらいなら、一度試してみるのも良いんじゃないかって、そういう話》

 

 いいかもね、と心の中で頷いてから、フェリカに向き直る。

 

「……行こう。ここにはもう、用はない」

 

「何か長く黙ってたけど……、大丈夫?」

 

「平気。色々ナナと話してただけ。それに、ちょっと方針も出来た」

 

「どんな?」

 

「今はとりあえず、“魔女”の事は隅に置いておく。後で確認取れそうな事に当たりが付いたから」

 

 フェリカは不思議そうに首を傾げたものの、異論を挟もうとはしなかった。

 

「だから今は、最初の目的に戻る」

 

「遺品を取り戻すのね?」

 

 返事の代わりに、強く頷く。

 私の中にあったのは、冷たい絶望ではなく、かすかな疑念と、そして消えない怒りだった。

 

「……行こう、フェリカ」

 

 私は震える足を無理やり踏みしめ、床に落ちていた手記を拾い上げると、しっかりとポーチにしまい込んだ。

 

「ここにあるのが全部、本当の真実だとしても、嘘だったとしても……。お母さんが本当は何をしようとしていたのか、この目で見るまでは……何も信じない」

 

 私の瞳に宿った決意の色を見たのだろう。

 フェリカは少しだけ驚いたような顔をした後、ふっと柔らかく笑って立ち上がった。

 

「そうね……。信じたいものだけを信じるのも、同じだけ恐ろしいとも思うけど……。今は足を止める方が怖いものね」

 

《遠回りだったとは思わないわ。お母さんの真実を知るには、必要な事だったのよ、きっと……!》 

 

 ナナの威勢の良い声に背中を押され、私たちは冷え切った地下回廊を後にする。

 私達は来た道を戻り、また職員の目を盗んで扉を開けると、こっそり塔から抜け出した。

 

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