混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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皇都の潜入者 その1

 万巻の塔の重苦しい空気から、私達は這い出るように脱出した。

 幸いにして誰にも呼び止められる事もなく、夕暮れに染まり始めたエルフの学術都市を足早に抜ける。

 

 大通りの街灯は相変わらず青白い魔導の光を放ち、軽装姿の学徒たちが忙しそうに行き交っていた。

 けれど、さっきまでの冷え切った絶望感は、不思議と胸の奥の澱の底へ沈んでいる。

 

 だけど私にはもう、ただ嘆く様な事はしない。

 確かめるべき“真実”へ、歩き続けると決めたからだ。

 

「はあ……っ、無事に外に出られてよかったわ。あの地下、空気がカビ臭くて、どうにかなりそうだったもの」

 

 フェリカは大きく背伸びをしながら、ほっと息を吐き出す。

 私たちは裏通りを縫うようにして、アロガを待たせておいた一角へと急いだ。

 

 角を曲がって、フェリカが水の膜を解除すると、周囲の景色と一体化していたアロガが姿を現す。

 

「きゅ〜ん……」

 

 でも、そこでは待ちくたびれたとばかりに、ぺたんと地面に伏せていた。

 

 私とフェリカの姿を認めるやいなや、大きな尻尾をパタパタと勢いよく振り、巨体を揺らして立ち上がる。

 

「アロガ……!」

 

 私は駆け寄り、その硬い鼻先に自分の頬をすり寄せた。

 アロガは安心したように喉を鳴らし、私の手を大きな温かい舌でペロリと舐めてくる。

 

 ひんやりと凍てついていた私の心に、アロガの体温が、染み渡るように広がっていった。

 

「ごめんね、待たせちゃって。もう大丈夫だよ」

 

 アロガの首筋をぎゅっと抱きしめると、モフモフとした毛並みに顔を埋める。

 やっぱり、この温もりこそが今の私を支えてくれる現実だった。

 

「さて、と……」

 

 フェリカはアロガの大きな体を撫でつつ、街の端に伸びる大きな鉄路へと視線を向けた。

 広場の駅舎から発着する、あの“魔導列車”の軌道だ。

 

「これからの移動手段だけど……どうするの? 次の目的地まで、この線路沿いを行くことになるのかしら」

 

「うーん……本当は、あの駅にあった『魔導列車』に乗ってみたい気もするんだけど……」

 

 私は先日平原で見た、そして実際の駅で見かけたあの“鋼鉄の獣”を思い出す。

 地脈の力を借りて、ものすごいスピードで大陸を駆け抜けるというのなら、きっと目的地まで一瞬で行けるはずだ。

 

 でも……。

 すぐ隣にいる大きな相棒を見やる。

 アロガは人間から見れば圧倒的な巨体を誇る魔獣だ。

 

 たとえS級冒険者の認可証を持っていたとしても、あの洗練されたエルフの列車に、こんな大きな剣虎狼(おとうと)を乗せてくれるとは思えなかった。

 

「やっぱり、アロガを乗せるのは無理だよね……」

 

「間違いなく大騒ぎになるでしょうね。『不審な巨大魔獣が乱入した』って言って、エルフの兵士総出で迎撃されるのがオチよ」

 

 フェリカが苦笑しながら肩をすくめる。

 確かにその通りだ。

 

 文明が進んだ都市であればあるほど、異端や野性的なものに対する警戒心は、強くなるのかもしれない。

 

「……仕方ない。地道に歩いて行こっか。幸い、皇都へのルートなら、鉄路を辿っていけば迷うこともないし」

 

「賛成。今更、歩くのなんて苦にしないでしょ。急ぐ旅でもなし。冒険者の旅は歩いてするってのが常道でしょ。西大陸(こっち)の冒険者は多分……違うって気がするけど」

 

 私たちは方針を決めた。

 学術都市の美しい石畳を背にして、荒野へと続く線路沿いの道へと踏み出す。

 

 頭上では、魔導の灯火が消えかけた夕空に青く瞬いている。

 胸の奥にあるお母さんの影はまだ消えないけれど、アロガの足音が響く地面の確かな感触を感じながら、私は一歩一歩、前を向いて歩き出した。

 

 

  ※※※

 

 

 学術都市の明かりが遠ざかるにつれ、周囲は急速に夜の闇へと沈んでいった。

 私たちは追手の目を警戒して、皇都へ続く魔導列車の鉄路から少し離れた、木々の生い茂る森沿いの小道を足早に進む。

 

「エルフたちがすぐ追ってくる気配はないけれど……念のため、街から離れるまでは油断しないでいきましょう」

 

 フェリカが周囲を警戒しつつ、小声で促す。

 私はそれに頷き、アロガの肩付近を軽く叩いてペースを上げさせた。

 

 夜風が冷たさを増すころ、私たちは野営に適した場所を探し始めた。

 本来なら、暗くなってから探すのでは遅い。

 

 でも、この暗がりこそが、私達をいるかもしれない追手から隠してくれる。

 風を遮る手頃な岩陰か、あるいは洞窟なんかが都合良くないか……。

 

 そう考えて、視線を巡らせていた時だった。

 

「……っ」

 

 草むらの向こうで、カサリと不穏な物音がした。

 アロガが低い唸り声を上げ、耳をピクッと動かして足を止める。

 

 茂みの隙間から覗き込むと、そこにいたのは、剛毛に覆われた大きな体躯を持つ猪型の魔獣――『牙猪(ガジル)』だった。

 

 魔猪(ロウグレイト)より小型で、より攻撃的な種な上、脂が少なめだから食べても物足りない。

 

「こっちにも、ちゃんと東大陸と同じ魔獣がいるんだ……」

 

 少し安心した。

 見知らぬ獲物を口に入れるのは怖い。

 

 毒があるかも、適切な処理の仕方も知らず、とりあえず解体するには怖いからだ。

 でも、今はそんな事を気にせず、獲物を確保できる。

 

 地面を自慢の牙と鼻先で掘り返しているところで、こちらに気付いて赤い目をギョロりと向けてくる。

 

「ちょうど良いわね。夕食の調達と、隠れ家の確保を兼ねて……って、リル?」

 

 フェリカが戦支度をしようと身構えたが、私は首を横に振った。

 私は背負っていた弓を静かに外し、慣れた手つきで矢をつがえる。

 

 呼吸を整え、狙いを定め……。

 ――ヒュッ!

 

 弦を弾く鋭い音が夜の森に響き、放たれた矢は闇を切り裂いて牙猪(ガジル)の急所を正確に貫いた。

 

 巨体がドスンと地面に倒れ込み、そのまま動かなくなる。

 正に一瞬の出来事だった。

 

「……え?」

 

 フェリカは目を見張り、ぽかんと口を開けたまま、私と仕留めた魔獣を交互に見つめている。

 

「いやぁ、背負ってるくらいだから、多分使えるんだろうとは思ってたけど……。リル、あなた、剣だけじゃなくて、弓も相当使えたのねぇ……」

 

「まぁね。お母さんに教わったから、これくらいの距離で外したら笑われちゃうよ」

 

 私は短く答えながら、倒れた牙猪(ガジル)に近づき、腰から小型の解体用ナイフを取り出した。

 

 手際よく血抜きの作業に入ろうとする私を見て、フェリカは首を傾げる。

 

「うーん、でも魔獣の肉って血抜きをしても、あまり美味しくないのよね。昔、旅先で仕方なく食べた時も、硬くてパサパサしていた記憶があるわ」

 

「それは、適切な処理をしていないからだよ」

 

 私はフェリカを見上げながら、当たり前のように言った。

 

「え、そうなの?」

 

「うん。ただ血を抜くだけじゃダメで、魔紋に沿って、肉の切り分けが必要なの。あと、この時期なら香草と一緒に……」

 

 私はナイフを鮮やかに走らせ、素人目にも分かるほど無駄のない手際で肉をさばいていく。

 

 骨と筋肉の合わせ目を迷いなく見極め、瞬く間に調理しやすい状態へと整えてしまった。

 

「……すごい。アタシが見ても、惚れ惚れするような手際だわ……」

 

「練習したし、森では自分でどうにかしなきゃいけなかったしね」

 

「狩人としては一家言ある、里の出身だけど……、魔獣を食べるってのは、本当に獲物が取れない時だけだったのよ。だからって訳じゃないけど……魔紋とか、そういうの知らなかったわね……」

 

 一家言ある、というのは本当らしく、フェリカはどこか悔しそうだ。

 知らなかった事が許せない、と自分やその里に怒っているようでもある。

 

「仕方ないよ。これは魔力について精通してないと分からない事だし、獣人って多くはそこに触れないでしょ?」

 

「まぁ……、そうね。魔力とか魔法は、精霊様の領分だから。……そうね、うちの者からすると、逆に不得手になりそうな感じね」

 

 フェリカは呆れと感心の入り混じった顔で、私の手元を覗き込んでいる。

 アロガに上げる分の内臓と足肉まるごと、そして今日私達が食べる分を切り分けていると、胸の奥で懐かしい記憶がふわりと蘇った。

 

「全部、お母さんが教えてくれたんだよ」

 

 呟いた声は、自分でも驚くほど穏やかだった。

 

 まだ小さかった、あの頃——。

 野営のたびに、お母さんは隣に座り、ナイフの持ち方から獲物の解体の仕方を丁寧に教えてくれた。

 

『生きるための知恵だよ、リル。どんなに優れた魔法が使えたって、自分の手で生き延びる術を持っていなければ、本当に強い人とは言えないからね』

 

 そう言って微笑んでいた、優しくも凛とした横顔。

 

 ——禁書に書かれていた冷酷な魔女の姿と、私の中に残るお母さんの温もりが、どうしても重ならない。

 

「……よし、これでいこう。これなら絶対に美味しいお肉になるよ」

 

 私は綺麗に処理した肉を、布に包んで立ち上がった。

 フェリカは少し複雑そうな、それでいて優しい目を私に向け、ふっと笑う。

 

「そう。じゃあ、今夜の夕食はあなたの腕前に期待させてもらうわね。幸い、風を凌げそうな岩陰も、すぐそこに見つかったことだし」

 

「うん!」

 

 アロガも「ふんす!」と鼻を鳴らして同意するように尻尾を振る。

 私たちは仕留めた肉を抱え、夜の帳が下りる森の中で、ささやかな野営の準備へと取り掛かった。

 

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