森の奥で手頃な岩陰を見つけた私たちは、すぐに簡単な野営の準備に取りかかった。
フェリカが周囲にルヴィアンの水膜を利用した探知結界を張り、不審な気配がないことを確認する。
私はアロガの大きな体を背もたれにして座り、手際よく小枝を集めて火を起こした。
良い肉を約のならば、やはり本物を火を使わなければ、良い焼肉にならない。
だから今回は、フェリカの魔石はお休みだ。
パチパチと薪が爆ぜる音が、静かな夜の森に響く。
先ほど仕留めた
「ん〜、いい匂い……。さっきまであんなにどんよりしていたのが嘘みたいね」
フェリカは膝を抱えて火にあたりながら、お腹を鳴かせながら喉を鳴らした。
その言葉通り、焼きたての肉から漂う食欲をそそる香りは、私たちの胸につかえていた重たい空気を、少しずつ溶かしてくれているようだった。
アロガも自分の取り分である生肉を美味しそうに平らげ、満足すると眠たげに目を細める。
その温もりを感じながら、私は火にくべた串をくるくると回した。
「ほら、焼けたら最初の
「あら、そんなこと言っちゃって。手並みは惚れ惚れしたけど、味はどうかしらね?」
軽口を叩きながらも、フェリカは焼き上がった肉を受け取り、横から噛み千切って口に含んだ。
その瞬間、彼女の目が驚きに大きく見開かれる。
「……っ! なにこれ……全然、臭みがないわ。それに、噛むほどに旨味が広がる……! パサパサどころか、すごくジューシーじゃない!」
「でしょ? 適切な血抜きと魔紋に沿った解体さえすれば、魔獣の肉だってちゃんとご馳走になるんだよ」
得意げに胸を張る私を見て、フェリカは降参したようにふっと笑った。
「参ったわね。野営のスキルに関しては、結構自信あったんだけど……。ちょっとプライドが揺らいじゃうわ」
「魔獣は普通、食さないものみたいだからね。私はお母さんとずっと森で暮らしてたし、食材として身近だったから自然と上手くなった、みたいなものだし」
笑いながら返したものの、その“お母さん”という言葉が出た瞬間、胸の奥でチクリと小さな痛みが走った。
あの地下室で見た数々の記録と、私が知っている温かなお母さんの姿——。
どちらが本当で、どちらが偽りなのか。
答えはまだ、どこにも出ていない。
私のわずかな表情の変化に気づいたのか、フェリカは自分の串から肉を一口食べると、静かな声で言った。
「ねぇ、リル」
「ん?」
「リルも言ってたけどさ、アタシだって信じないわよ。あの地下にあった気味の悪い文書が、全部本当だなんてね」
フェリカの瞳は、揺るぎなく真っ直ぐだった。
軽口を叩く普段の彼女とは違う、凄腕の冒険者としての鋭さと、仲間としての優しさがそこにはあった。
「エルフたちが何を目的に、あんなものを集めたのか知らないけど……。でもさ、『リルを育てた母親』が本物なら、過去に何があったって、今のリルの価値が揺らぐわけじゃないわ」
「……フェリカ」
「それに、アタシの命の恩人でもあるし。本当に残虐な人なら、助けるなんてしなかった筈よ。だから、しっかりなさい。最後まで、アタシがしっかり付き合ってあげるから」
胸の奥に広がっていた冷たい霧が、焚き火の温もりと彼女の言葉で、すーっと晴れていくような気がした。
「うん。そうだね……ありがとう、フェリカ」
「どういたしまして。——さ、冷めないうちに残りを食べましょ。明日からも長い道のりなんだから、しっかり体力をつけないとね」
私たちは夜が更けるまで、他愛ない話をしながら温かい肉を頬張った。
頭上には満天の星空が広がり、明けない夜はないと教えてくれるかのように、どこまでも澄み切って輝いていた。
※※※
翌朝、空が白み始める頃には、私たちはすでに旅の支度を整えていた。
夜の間に冷え込んだ空気が、朝日に照らされて少しずつ緩んでいく。
アロガも起き出して、大きな体を盛大に伸ばすと、くわぁ、と大きな欠伸をもらす。
私も軽く身なりを整えて、ザックをしっかりと背負い直した。
「よし、よく眠れたわね。体調はどう、リル?」
フェリカが立ち上がりながら私に声をかける。
昨日までの胸を突くような重苦しい焦燥感は、幾らかは軽くなっていた。
「うん、バッチリ。お肉も美味しかったし、元気いっぱいだよ」
「そう。その調子、その調子」
フェリカはふっと満足そうに微笑むと、視線を前方の林の隙間へと向けた。
木々の向こうには、昨夜から辿ってきた魔導列車の鉄路が、規則正しい枕木を並べて皇都の方角へと伸びている。
「さてと、それじゃあ皇都へ向けて出発しましょ。昨日見えた感じだと、ここから先は少し開けた平原に出るみたい。足取りには気を付けていきましょうか」
「うん!」
私はアロガの頭をポンと叩いて合図を送る。
アロガは低く頼もしい鳴き声を返すと、私たちの先頭に立って一歩を踏み出した。
学術都市の地下で突きつけられた残酷な真実と、胸に残る拭えない疑問の答えは、見つかる展望が見えない。
けれど、下を向いて立ち止まる必要なんてなかった。
私には、信頼できる仲間と、温かな思い出と、そして進むべき道がある。
朝日を浴びて黄金色に輝く鉄路に沿って、私たちは再び、皇都を目指す旅路へと歩き出した。
※※※
鉄路沿いに広がる平原は、どこまでも続きそうな開放感があった。
学術都市の青白い魔導の光とは打って変わって、見渡す限りの草原を吹き抜ける風には、草木と土の乾いた良い匂いが混じっている。
「やっぱり、人工的な灯りより、こういう太陽の下を歩く方が良いわよね」
フェリカは愛用の手甲の手入れをしながら、軽やかな足取りで並んで歩く。
アロガはその巨体を揺らしつつ、時折草の匂いを嗅ぐように鼻先を地面に近づけながら、私たちの少し先を案内するように進んでいた。
「そうだね。鉄路にマナが無理やり流入されてる事を除けば、良い光景なんだけど」
どうしても、それを考えずにはいられなかった。
きっとこの鉄路があるから、大量の物の移動が出来るんだろうし、学術都市で見えた豊かな生活も、それが根底にあるんだと思う。
そこで暮らす人には多大な恩恵があるだけでなく、鉄路が結ぶ都市もまた多くの恩恵があるに違いない。
でも……。
そこから外れた農村部は、それらの豊かさに搾取される側だ。
実りは減り、困窮の果てに家族を手放す結論をしなきゃならないほどの……。
犠牲の上に成り立つ豊かさを、私はどうしても肯定する気になれなかった。
私は大きく息を吸い込みながら、気持ちを落ち着ける。
今ここで、難しく考えても仕方がない。
私にはそれを正す力などないし、出来るとしたら、この前の村のように、地脈に手を入れる事ぐらいだ。
お母さんなら何か出来たのかな、と思う一方、出来なかったから、この大陸を離れる事になったんだろう、とも思う。
考える程に、手記にあった記述とお母さんの行動が分からなくなる。
——いや、今は考えるのは止めるんだ。
答えが出ないものに、頭を悩ませる必要はない。
頭をプルプルと振って無理にでも追い出した時、突然、静かな平原の空気を切り裂くような、重たい地響きが聞こえてきた。
「……ん?」
フェリカがピタリと足を止め、耳を澄ませる。
地平線の向こう、私たちが辿ってきた鉄路の彼方から、微かな金属音が響いてきた。
それは次第に大きくなり、ゴウン、ゴウンという規則正しい魔導機関の駆動音へと変わっていく。
「あれって……」
私の呟きに合わせるように、前方の軌道の先から、青い魔導の光を纏った影が猛スピードで飛び込んできた。
昨日、学術都市の駅で見かけた、あの“魔導列車”だ。
「ちょっと離れましょうか。……今の距離じゃ、風に煽られそうで怖いわ」
鉄路沿いに歩いていたとはいえ、すぐ脇を歩いていたわけではない。
このままでも接触したりしないと思うけど、あの巨体がすぐ傍を通るというのは、ちょっとした恐怖だ。
いや、とすれ違いそうになる列車を見る。
窓の向こう、青白い車内灯に照らされた空間に、見覚えのある制服をまとったエルフ職員たちの姿がちらりと映り込んだ。
“万巻の塔”にいた、あの職員の制服だ。
彼らの視線が、驚きに目を見開きながらこちらの方向へと向けられる。
「……追っ手だ……!」
フェリカが鋭く息を呑む。
きっと、地下室の侵入と手記の持ち出しに気づいたんだ。
そのエルフたちが、あれに乗って私たちを追ってきた。
列車はガタゴトと凄まじい音を立てながら、私たちのすぐ脇を通過しながら減速を始めた。
——いや、減速じゃない。
車両の側面からシュッと蒸気のような魔導の圧力が噴き出し、キィィィ、と鉄輪が悲鳴を上げる。
彼らはここで停車し、私たちを取り囲むつもりだ。
「どうする、リル!?」
フェリカが戦闘態勢に入り、ルヴィアンの青い光を纏った水球が二つ背後に浮いた。
アロガも低い威嚇の唸り声を上げ、その巨体で私を庇うように身構える。
ここでエルフたちに捕まれば、厄介なことでは済まない。
下手をすれば、あの地下室の秘密ごと、闇に葬られる可能性だってある。
でも、辺りは隠れる場所のない平原だった。
逃げるにしろ、追跡は容易だ。
じゃあ、戦うか——。
それもまた、無謀の様に思える。
あの列車に乗っているのは、きっと職員だけじゃない。
その数も分からないのに、挑むべきではなかった。
考えている内に、目の前では、私たちの進路を塞ぐように、エルフの魔導列車が停止しようとしていた――。