丘陵地帯に入ると、草木は次第にまばらになり、代わりに足元には灰色の砕石や、むき出しの岩肌が目立つようになってきた。
吹き抜ける風も、先ほどの平原よりどこか冷たく、湿った土の匂いを含んでいる。
私たちは鉄路から外れた古い小道を選び、周囲の警戒しながらも足を進めた。
「この辺りまで来れば、エルフの追手もそう簡単には見つけられないはずよ。でも……」
フェリカは愛用の手甲を嵌め直し、周囲の物音に神経を尖らせながら言う。
アロガも低い鼻息を立て、道の先にある岩陰や茂みを警戒するように、耳をピクピクと動かしていた。
しばらく進むと、なだらかな斜面を切り拓いたような開けた場所に出た。
その目の前には、ぽっかりと口を開けている巨大な縦穴がある。
「……あれが、古びた鉱山跡だね」
私が足を止めると、フェリカもその暗い穴を見据えて頷いた。
「えぇ、そうみたいね。かつてはこの地域一帯で、採掘が行われていたのかしら。無人なのは願ったりだし、皇都の裏手に直接抜けられるのは、何より嬉しいけど……」
近づいてみると、坑道の入り口は蔦や苔に覆われているのが見えて、それが長い年月を感じさせる。
中から漂ってくるのは、ひんやりとした古びた空気と、かすかな魔力の残滓だった。
《リル、気をつけて。人の気配はないけれど……別の生き物の気配が、奥からいくつも感じるわ》
ナナの警告が、頭の中に直接響く。
私も意識を研ぎ澄ませると、暗い坑道の奥から不気味な足音や、低く唸るような音が微かに伝わってきた。
「やっぱり、魔獣の巣窟になってるみたい……」
「当然ね。こういう放置された場所は、暗がりを好む奴らにとって、格好の住処だもの」
フェリカは臆することなく、手甲を嵌めた手を打ち合わせた。
それと同時に、背中からルヴィアンの水球が二つ浮かび上がる。
その内の一つに魔石を入れると、周囲の暗がりを淡く照らし出した。
自由に光源を動かす事も出来て、両手も空いたままなので、中々に便利だ。
「でも、引き返すなんて論外よね。アロガ、あなたもしっかりお願いね」
「グルゥ……!」
アロガが力強く短く鳴いて、私たちの背後を固めるように巨体を大きく構える。
私は弓をしっかり握りしめ、矢をつがえると、暗い坑道の中へとゆっくりと足を踏み入れた。
冷たい闇の向こうで、赤く光る幾つもの目が、私たちをじっと睨んでいるのが分かる。
暗い坑道に足を踏み入れた途端、外の陽光が嘘のように遠ざかり、肌を刺すような冷気が全身を包み込んだ。
フェリカの操る水球が淡い青白い光を放ち、足元やごつごつとした壁の様子を、どうにか映し出している。
天井からは、ぽたぽたとしずくの落ちる音が響き、不気味な静けさを一層際立たせていた。
「気をつけて。魔力の波長からして、獣タイプじゃないわね」
フェリカが低く呟きながら、双手甲に魔力を巡らせ、戦闘態勢を整える。
その言葉通り、闇の奥でじっと光っていた幾つもの赤い目が、ゆらりと動き出した。
――カサカサ、と這いずるような乾いた音が、トンネルの壁面から無数に響いてくる。
「……っ!」
光の届く限界の場所から、次々と姿を現したのは、灰色の硬い外殻に覆われた、巨大な多足の魔蟲だった。
体長は人間の胴体ほどもあり、大きな顎をカチカチと鳴らしながら、一斉にこちらへ群がってくる。
「『
フェリカが即座に見切りをつけ、水球から鋭い水刃を放った。
放たれた水刃は正確に先頭の
「ちょっと、数が多過ぎる!」
私は弦を引き絞り、狙いを定めて矢を放った。
ヒュッ、と闇を切り裂いた矢が、二匹目の甲殻に弾かれて落ちる。
私は舌打ちと共に弓を仕舞って、剣に持ち替えた。
魔力を付与した矢があるし、貫通力に優れた“雷矢”なら、きっと難なく倒せたとは思う。
でも、矢には限りがあって、奥の手みたいなものだ。
こんな所では使いたくなかった。
それに——。
どちらにせよ、使えても最初の数発だけだ。
数に押されている今、むしろ欲しいのは手数の方だった。
「グルァァッ!」
その時、狭い坑道で退路を塞がれまいと、アロガが凄まじい威圧を伴う咆哮を上げた。
その巨体から放たれた衝撃波だけで、正面から飛び込んできた数匹の
「アロガ、ナイス!」
私たちは背中を預け合いながら、次から次へと迫り来る魔蟲の群れを迎え撃つ。
狭い空間での戦いだったけど、息の合った連携と、何よりアロガがいる。
その圧倒的な存在感の前には、どんなに数がいようと、物の数ではなかった。
激しい攻防が数分間続き——。
最後に残った
「ふぅ……、あの数には少し焦ったけど……。でも、大したことなかったわね。怪我はない、リル?」
「うん、大丈夫。フェリカこそ、平気?」
「この程度で音を上げるようじゃ、冒険者なんてやめてるわよ」
フェリカは笑いながら武器を下ろし、アロガは「フンッ」と鼻を鳴らして、誇らしげに胸を張る。
私はアロガの首筋辺りを撫で回し、十分に褒め倒すと、再び皇都の裏手へと続く闇の中へ、軽い足取りで歩みを進めた。
※※※
坑道の奥へ進むにつれて、空気はさらに湿り気を帯び、むせ返るような土と錆の匂いが強くなっていった。
先ほどの一戦で手応えは掴んだものの、これだけ古い鉱山跡だ。
いつまた別の魔蟲や、厄介な魔獣が飛び出してくるか、分かったものじゃなかった。
「ねぇ、リル。さっきの群れ、何であんな所で群がってたと思う?」
フェリカが淡く光る水球を少し前方へ浮かせながら、足元を警戒しつつ呟いた。
「うぅん……。古い木材とか、別の魔獣の残りカスとか食べてたのかな?」
「敢えて入り口付近を、縄張りにしてたんだとしたら……。この先にもっと大きなお客さんが待ち構えてるかもしれないわ。覚悟しておいた方がよさそうよ」
次第に、トンネルの傾斜は緩やかな下り坂へと変わり、錆びついた鉄のレールが埋め込まれているのが見えた。
それを見るともなく見ていると、フェリカも同じ物を見て声を上げる。
「かつてはトロッコでも走らせてたんでしょうね? 今やそれも砂やら埃やらで埋もれて、昔の栄華も、遥か彼方の先だけど……」
その時、ふと、私の頭の中でナナが声を発した。
その声は極めて慎重で、自分の声が外に聞こえないと分かっていても、潜めて告げる。
《リル、前方に大きな空間があるわ。……それと、変な魔力の反応もよ。さっきの虫たちとは比べ物にならないくらい、強くて大きいわね》
(大きいって……? 魔獣なの?)
《ううん、そうじゃないわ。魔力は感じるけど、生物のそれとは少し違う……》
ナナの言葉に、私は思わず足を止めた。
フェリカもそれに気づき、そっと手甲を握り直す。
「どうしたの、リル?」
「ナナが……この先の大きな空間に、何か変な魔力があるって」
「ん……そう、ね。ルヴィアンからも同じ警告が、いま来たわ。魔蟲の巣じゃなくて、別の何かがあるって」
私たちは互いに頷き合うと、足音を殺しながら、慎重に坑道の曲がり角を曲がった。
――そうして次の瞬間、視界が一気に開けた。
そこはかつて鉱石の採掘場だったと思われる、ドーム状に大きくくり抜かれた広大な地下空間だった。
でも、私たちの目を引いたのはその広さじゃない。
空間の中央に、
多分、元々は魔獣のものだろう。
それが骨となって、敷き詰める様に広がっている。
魔物が食い散らした跡か……そう思ったりもしたけれど、その残骸にしては、骨が多く残り過ぎている気がした。
「ねえ、アレ何……?」
フェリカが指差す方に目を向けると、その骨や周囲の地面には、青白く脈打つ奇妙な結晶のようなものがびっしりと寄生している。
いや、結晶ではない――それは結晶化した“高純度のマナ”だった。
「あれって……」
フェリカが息を呑み、わずかに後ずさる。
「あれら死骸のせい……? 複数の……それも大量の死骸が一箇所にあるせいで、マナが結晶化した、とか……?」
「それって普通? 普通に起こること?」
「分からない……。でも、普通……では、ないと思う。だって、魔獣に墓場を選んだりする習性なんてないもの」
では、誰かが……何かが、意図的にこういう状況を作っているのだろうか。
だとしたら、一体だれが……?
その時、ぐにゃり、と空間の空気が歪んだ。
その結晶の塊から、どす黒く濁った魔力の奔流が噴き出し、周囲の影をぐにゃぐにゃとねじ曲げていく。
そうして、死骸を掘り起こす様にして現れたのは、岩の塊と古い鉱石が無理やり繋ぎ合わされた、巨大な影だった。
「アレって……、ゴーレム?」
昔、お母さんが作ったものと、少し似ている。
でも目の前の相手は、人型とも獣型とも取れない不定型だった。
「多分、鉱山で働かせていたゴーレムだと思う! ここが破棄された後、処理せずに放置されたんだわ!」
「じゃあ、つまり……。あれは、命令を維持する為に、こんな事してたんだ」
「そうだと思う。ゴーレムってのは、どこまでも命令に愚直だから……」
どういう命令をされていたのか、今となっては分からない。
でも、私達の侵入に気付いて動き出したのだとしたら、きっと不法侵入者を追い出せとか、そうした命令だろう。
エネルギーの補給がされず、でも命令を遂行する為に、苦肉の策として、魔石を生み出す環境を作り出したのかもしれない。
それでも、起動に十分な魔力は得られなくて……だから、あんな不気味な形をしているのかもしれなかった。
《リル! 来るわよ!》
ナナの叫びと同時に、その異形のゴーレムがギラギラと赤い単眼を輝かせると、私たちに向かって重々しい咆哮を叩きつけた。