回廊を進むにつれて、周囲の気配はますます静まり返っていった。
人の気配はない代わりに、通路のあちこちに配置された魔導灯の光が、一定の周期で静かに明滅している。
外からの侵入者を完全に無視しているかのような静寂は、かえって私たちの警戒心を否が応でも高めさせた。
「……ねぇ、あまりにもヒトが居なさすぎない? 使用人とかさ、そういうのが居るんじゃないの?」
「そうね、妙だわ……。でも、エルフの常識なんて、アタシは知らないから……。皇城に侍る事を許される人間が、それだけ少ないって事かもしれないし……」
「そっか……」
エルフが高慢なのは、散々思い知った事だった。
だから、使用人ではなく魔術的な何かで使用人の代わりをさせて、人員の穴を埋めているのかもしれない。
「考えても仕方ないわ。今はこの状況をラッキーだと考えましょ。それより、向かう先はどう?」
フェリカが足音を殺しながら、小声で尋ねる。
私は胸元に手を当て、その感覚を確かめた。
「……うん、さっきより強くなってる。この廊下の突き当たりを左に曲がったところ……だと思う」
リェーシェ婆の石が発する鼓動は、まるで生き物のように優しくて、ても確かな意思を持って私を引っ張っている。
私たちはその導きに従い、角を曲がった。
その先に見えたのは、これまでの美しい回廊とは違い、厳重な魔法の施された大扉だった。
扉の両脇には、青白い光を放つ紋章が幾重にも刻まれ、近づくだけで肌がピリピリと痺れるような魔力の圧を感じる。
「あそこ……みたい」
私が指し示すと、フェリカは注意深く扉の周囲を観察し、小さく息を呑んだ。
「ただの扉じゃないわね。物理的な鍵じゃなくて、高度な解呪の魔術をかけられているんだと思う。下手に触れば、皇城全体に警報が鳴り響く仕掛けだったり……」
「でも、反応しているのは、間違いなくあの扉の向こう——ううん、扉の更に向こう、だと思う」
「まぁ、お城の中だもんね。施錠された扉が幾つあっても、別に不思議じゃないけど……」
私たちがどうやって扉を開けるべきか悩んでいると、頭の中でナナの声が響いた。
《ちょっと退いて。その手の錠前なら、あたしに少しアイデアがあるわ》
頼もしいナナの言葉に、私たちはそっと扉の前から一歩引いた。
ナナが宙にふわりと姿を現し、青緑色の光を纏った小さな両手を扉の紋章へと向けた。
《エルフの魔術の癖は学術都市でも見たから、だいたい分かってるのよね。この回路の魔力を、こうして……逆流させれば……!》
ナナが指先を軽く弾いた瞬間、扉に刻まれていた青白い紋章が、一瞬だけ激しくスパークした。
次の瞬間、ガチャン、と重い金属音が内部から響き、厳重だったはずの魔力錠が綺麗に解除されていく。
「すごい……! さすがナナ、完璧だよ!」
《ふふん、これくらいお手の物よ》
ナナが小さく胸を張るのを見て、私は安堵の息を漏らした。
フェリカも感心したように目を丸くしている。
「流石ね、頼りになりすぎるわ。……さて、開けるわよ」
フェリカが慎重に、そして音を立てないように大扉を押し開いた。
軋む音もなく開いたその場所から、ひんやりとした古い空気が流れる。
それと同時に、眩いほどの純白の光が、ふわりと溢れ出してきた。
私たちは互いに顔を見合わせると、一つ頷いて、そっと足を踏み入れた。
※※※
純白の光の向こうに広がっていたのは、だだっ広い円形の部屋だった。
床には磨き抜かれた白大理石が、幾何学模様を描いていて、その奥には大扉が鎮座している。
中央には祭壇らしきものがあったけど、それよりも目を引くものがあって、私の足はぴたりと止まった。
――そこには、人がいた。
祭壇を取り囲むようにして、五人の人影が待ち構えている。
誰もエルフの尖った耳は持っていない。
全員が人間で、うち一人だけが女だった。
それぞれが歴戦の猛者を思わせる、ただならない気配を漂わせていた。
「……本当に来たぞ」
部屋の隅に寄りかかっていた、大柄な大剣持ちの男が低く呟いた。
その言葉に、祭壇の近くで腕を組んでいた細身の男が、どこか嘲るような笑みを浮かべて応じる。
「当然、来るだろう。陛下のお言葉だぞ」
「疑いたくもなるさ。何しろ、皇城に侵入だ。随分、待たされもしたがな」
軽口を叩きながらも、五人の視線は一斉に私たちへと向けられた。
その瞳に宿るのは、獲物を捉えた獣のような冷徹な光だ。
私たちは罠に嵌められたのだと、今さら気付いて背筋を凍らせた。
「よくここまで、隠れて潜り込んできたものだな。だが、いくら小細工を
五人の中心に立つ、双剣を腰に帯びた男が静かに言った。
その胸元には、誇らしげに磨かれた『鷹』の意匠を象った精緻なバッジが輝いている。
「私たちは“五鷹”と呼ばれる。……知っているか? 冒険者育成機関で、最も高い成績を残した者は、“鷹”の称号を得る。その上位五位にまで与えられる、名誉ある称号だ。そして今、その『鷹』の中でも、第一線で現役を張る最高峰の五名が、ここに集結している」
男の言葉に、フェリカがわずかに息を呑み、前へ出て身構えた。
——“五鷹”。
私も“風の噂”で、聞いた事がある。
東大陸の裏社会や冒険者ギルドの伝説として語られる、最強の精鋭の名だ。
「上手く忍び込んだつもりだろうが……残念だったな。ここが、お前たちの終点だ」
「殺しても良いんだろう?」
「構わんが、アーダルブレヒト様に引き渡す必要がある」
双剣の男がそう言うと、大剣の男は不思議そうに首を傾げた。
「引き渡す……。こいつらに、そんな価値があるのか」
「私たちは命じられた事を遂行するまでだ。余計な考えは必要ない」
「それもそうだな。——やるか」
宣戦布告とともに、殺気が放たれたその時、私たちはフードを取り去った。
ここに来て、素顔を隠す必要はないし、そもそも戦いには邪魔だ。
でも——、たったそれだけの事なのに、過敏な反応をしたのが一人いた。
“五鷹”の中でも目立つ、右目の眼帯がいやに目に引く女だった。
「お前……! 何故ここに!?」
「知ってる奴か、ミッコラ?」
「この右目を奪ったのはアイツだ」
「ほぅ」
途端に、女——ミッコラを除く全員から、好奇の視線が向けられる。
それは敵だけではなく、味方からも同様だった。
「そうなの、リル?」
「……知らない」
あんな人、見たことすらなかった。
それに右目には頬まで続く、古い刀傷があって、相当な深手だった様に見える。
それだけの手傷を負わせた相手を覚えていない筈かないし、そもそも西大陸に来たのはつい最近だ。
出来るはずかない。
「見間違いとか、他人の空似でしょ」
「……と、本人はそう言ってるが?」
「見間違える筈がない。潰れた右目が、今も最後の瞬間を写し取ってるから」
そう言って右目に手を当てると、口の端を歪に歪めた。
「そうか、お前か。ようやく、この幻痛……この焼き付いた虚像から、解放される時が来た……!」
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
《勘違いだと、説得する暇はなさそうよ!》
それと同時に、背後の扉が勢い良く閉じた。
逃げ道はない。
でも、ペンダントは依然として前方へと引っ張るような感触を与えていた。
彼らの背後にある扉——。
まだ奥へと続く先に、きっと求める物がある。
「腹を括ろう! 出し惜しみなし!」
「今さら隠す意味もないでしょうよ!」
フェリカが勢い良く応じて武闘の構えを取ると、二つの水球が身を守るように巡った。
私も剣を抜いて、魔力を体中に張り巡らせる。
“五鷹”もまた、それぞれ武器を構え、迎撃の構えだ。
中には不敵で、挑発的な笑みを浮かべる者もいる。
自分たちが負けるとは、欠片も思っていない雰囲気だ。
(行くよ、ナナ)
《えぇ、最初から全力で。数はあちらが有利よ。——だからまず、一人を速攻で落とすの!》
ナナの声に心の中で頷いて、私たちは死闘を予感させる戦いへ身を投じた。