混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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冬の訪れ その7

 昼食を取ってから小一時間ばかり食休めをして、それから出発という事になった。

 

 山の頂上へ向かうに連れ空気は薄くなり、そして寒くなる。

 

 体力は十分に備えていなければならず、その為に食べた物はしっかり吸収しておかねばならなかった。

 

 ただし、山の天気は変わりやすく、今が晴れだからと安心していられない。

 余り長く休むのも考えものだった。

 

 しかし幸いにして、あと二、三時間の間は変化もなさそうであり、ならば急ぐべきかと考え直した。

 

「いこっ! はやくいこっ!」

 

 許しが貰えたリルは予想以上にはしゃぎ、今にも一人で外に飛び出さばかりだ。

 

 それを落ち着かせながら衣装部屋へと連れて行き、しっかりと上下揃いの防寒具を着させる。

 

 そうは言っても、冬は滅多に雪が積もらない地方の事だ。

 防寒具とは名ばかりで、綿が内側に張られた程度の物でしかない。

 

 山を登るには全く足りず、それだけでは命を投げ出すに等しい行為だが、それを補う為に魔術があった。

 

 私の身なりにしても、地上で寒さに耐えるだけなら十分、という程度でしかない。

 通気性を極端に悪くさせた素材と毛皮で覆い、それで暖を取るタイプだ。

 

 私は最後に、リルの頭に帽子を被せる。

 今回ばかりは、しっかりと耳まで覆う人間用の帽子だった。

 

 リルは嫌がったが、ここでは聞き分けて貰わねばならない。

 凍傷に罹り、耳が欠損してからでは遅いのだ。

 

「山は寒い。少しの隙間から容赦なく体温を奪っていく。特に頭は駄目だ。これが嫌なら、山には連れて行けない」

 

「んぅ……、わかった。ガマンする……」

 

「よし……」

 

 私が頭を撫でると、むず痒そうに身体を揺らして、リルは帽子の中に手を突っ込む。

 

 耳の位置を良い感じに直して、自分なりに良い塩梅を探しているようだ。

 それ自体は問題ないので、その間にマフラーを首元に巻いてやった。

 

 いつも長さを持て余している物ではなく、その後に編んだ、リルに適したものだ。

 それを首元で結び、そして服の胸元へと差し込む。

 

 いつもの様に背中に流していては、いつ強風で吹き飛んでしまうかも分からない。

 リルは首元を窮屈そうにしていたが、これも体温を守る為、我慢して貰う。

 

 魔術的防護によって、ある程度は冷気を遮断できるが、春のような快適さは望むべくもない。

 

 いつまでも窮屈そうにむず痒っているリルに、困ったように笑いながら声を掛けた。

 

「今だけ我慢していなさい。少しでも寒さに備えないと、上に着く頃には凍えてしまっているよ」

 

「……おやまって、そんなにさむいの?」

 

「あぁ、寒いとも。ただし、頂上まで行ってしまうと、それほど寒くない。火山口の付近だから、むしろ暑いくらいだ。でも、そこへ行くまでが寒い。だから、しっかり防寒具を準備しないと……」

 

 私が諭すと、リルはむにむにと口を動かしつつ、しかし素直に頷いた。

 どうであれ、忠告は素直に聞ける所はリルの長所だ。

 

 最も、このぐらいの年が、素直なだけかもしれないが……。

 ともあれ、互いの準備が終われば出発だ。

 

 万が一を備え、水や食糧も少量、持って行く。

 何もないにしろ、水だけは重要だった。

 

 何しろ、上空へいく程に水分は勝手に抜けていく。

 

 魔術的防護で最大限、適した環境を維持するつもりだが、どこで綻びが出るかも分からないのだ。

 

 準備は入念で困る事はない。

 

「……さ、行こうか」

 

「うんっ! おやまにいくの! あのおやまに……!」

 

「……言っておくけど、別に楽しい所じゃないから。それに、怖い思いもする」

 

 リルの前に膝を付き、視線の高さを合わせて、真剣な眼差しで釘を刺す。

 

「いいかい、リル? 山は遊びに行く所じゃないんだ。勝手に飛び出したり、歩いたりせず、お母さんの言うことをしっかり聞くこと。……約束できるね?」

 

「……うん、やくそくする! ちゃんと、いうこときく!」

 

「よし、良い子だ」

 

 私はリルの頭を優しく撫で、それから立ち上がった。

 

 自分自身の着替えも済ませ、髪を纏めて帽子を被ると、リルの手を引いて家を出ようとする。

 

 その後ろでは、アロガがリルに付かず離れずの距離を保って後をついて来ていた。

 

 彼もまたリルと一緒にいるつもりの様だが、流石にアロガまで許す訳にはいかない。

 

 何より、尋常な手段で山頂を目指す訳じゃないので、連れて行きようがなかった。

 

「……アロガ、お前は連れて行けない。大人しく待っていなさい」

 

「グルルゥ……!」

 

「アロガ、メッよ! ちゃんと、まってて!」

 

 しかし、アロガにしては珍しく、言うことを聞こうとしない。

 それどころか、リルの服の裾を引っ張って、留めようとする始末だ。

 

「アロガ、どうしたの? ……こら、ひっぱっちゃダメ!」

 

「これは……、アロガなりに心配しているのかもな。山に近づくのは危険だと、しっかり理解しているんだ」

 

「……そうなの?」

 

「アロガとしては、そんな危険な所に近付けさせたくないし、自分が傍にいないなら、それは尚更なんだろう」

 

 そして、それは魔獣であるなら当然備えている、本能の警笛でもあるのだろう。

 何かあった時、自分が傍にいれば守ってやれる――。

 

 アロガとしては、当然、そうした気持ちでいたはずだ。

 なのに、突如それを奪われた形なので、必死に引き留めようとしていた。

 

「大事な妹をそんな場所へ行かせて、怪我などさせられない、って所だろうな……」

 

「リルのほうが、おねえちゃん!」

 

 胸を張った強弁な主張に、はいはい、と笑って、リルの頭を撫でる。

 

 互いに自分が年長と思って接しているのは面白いが、しっかり度合いで言うと、アロガに軍配が上がるだろう。

 

 普通なら、山を楽しそうという理由だけで行こうとはしない。

 それだけで、危機管理能力がどちらが上か、分かろうと言うものだった。

 

「だが、私が一緒にいるんだ。お前が心配する様な事にはならないよ。……多分、リルは泣き出して、すぐに帰りたいって言うだろうけど」

 

「いわないもんっ!」

 

 危険かどうかは、実際に自分の身に遭ってみなければ、実感し辛いものだ。

 

 まだ幼いリルに、見上げるだけの風景でしかなかった山に、危険を感じろという方が無茶なのだ。

 

 リルも獣人としての野生を備えている筈だが……。

 リルの頭を上から見下ろすと、その視線には敏感に反応して、顔を上げてくる。

 

「なぁに、お母さん?」

 

「なんでもないよ」

 

 ……とはいえ、アロガほど野生を備えていないのは、別段、不思議でも何でもなかった。

 

「とにかく、アロガが心配する様なことは起こさないから。安心して待っておいで」

 

「グルゥ……!」

 

 アロガは尚も不満そうな顔付きで、歯茎を剥き出しに抗議らしき声を上げた。

 どうしたものかと思って、強硬手段を取ろうかと思ったが、それも思い直す。

 

「まぁ、アロガの気持ちも分かるしな……」

 

「そうなの?」

 

「この前もリルと二人きりで街に行ったろう? 置いていかれるのが嫌なんだろう。特にリルと離れ離れなのが」

 

「アロガ……」

 

 リルは仕方ないなぁ、と言わんばかりに相好を崩し、そのままその鼻先を撫でて諭す。

 

 しばらくそうして撫でていると、アロガも次第に落ち着いて、上げていた腰を落とした。

 

「だいじょうぶ、すぐかえってくるから。それに、お母さんがいっしょなの。だからぜったい、だいじょうぶ!」

 

「クゥーン……」

 

 甘えたがり、寂しがりなのは、この()()()()()にとって、共通する特徴のようだ。

 

 アロガは力付くで止めようとはしなくなったが、それでも引き留めたいという気持ちは、その瞳から嫌でも伝わってきた。

 

 私はアロガにも安心させるように、その頭と首筋を撫でてやると、リルの手を引いて歩き出す。

 

「それじゃ、留守番は頼むぞ。……まぁ、番を頼むような何かは、まず起こったりしないんだが」

 

「じゃあね、アロガ。ちゃんとまっててね!」

 

「あまり長居しない。夕飯までには帰れるから」

 

 そう言って身体を翻すと、扉を開けて外に出る。

 

 転移陣は森の境目にあるから、必然的に少し歩くのだが、アロガはそこまでついて来た。

 

 まるで今生の別れを惜しむかのようだが、勿論そう大仰な話ではない。

 ただし、アロガからすると、そう思ってしまう事態なのは理解できる。

 

 呑気にお出かけ気分なのは、この場ではリルだけだ。

 

 そして案の定、機嫌良さそうに私の手を握っては、何が見られるかと今から楽しみにしている。

 

「アロガ、離れていなさい。それ以上近づくと、巻き込んでしまう」

 

 そう言うと、アロガは素直に身体を反転させて距離を離した。

 あわよくば一緒に行こうとしない辺り、よく弁えていると言える。

 

 そこもリルとは違い、しっかり現状を認識しているところだ。

 

「じゃあ、リル。ここからは絶対、一人行動禁止だ。手を離さないか、あるいはしっかりくっつく事。いいね?」

 

「うん、だいじょぶ!」

 

 ぷすぷす、と鼻息粗く言葉を返す。

 

 以前と違って私から手を離さず、それどころから手にしがみついて、何度となく頷いた。

 

 私はそれに苦笑し、最後にアロガを見てから転移する。

 アロガはその場でどっしりと腰を落ち着かせて、最後に悲しげな声を上げた。

 

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