混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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冬の訪れ その8

 視界が暗転し、浮遊感が身体を覆う。

 転移術は間違いなく私とリルを別の場所へと飛ばし、そうして次の瞬間――。

 

 接地感と共に視界へ飛び込んで来たのは、一面の銀世界だった。

 周囲には岩肌と雪だけで、他には何もない。

 

 正面には洞窟があり、薄暗い穴がぽっかりと空いた。

 そして左手に目を移せば、そこには大地を見渡せる、広大な景色があった。

 

「うわぁ〜っ!」

 

 リルが目を輝かせ、その雄大な景色に見入る。

 

 眼下にある大森林は扇状に広がり、山の裾野を覆って平原と山を完全に遮断していた。

 

 そして森を貫く川があり、それが大地の奥深くへと続いていく。

 火山の熱で溶かされた雪解け水が、そうした川の源流になっているのだ。

 

 川の先には高い石壁に覆われた街があり、それこそが以前遊びに行ったあの街に違いなかった。

 

「お母さん、あれみて! あのまち、すっごい、ちいさい!」

 

「うん、ここから見ると、手の平に乗っかる大きさだな。それだけ遠く、高いところに居るんだよ」

 

「リルたちの、おうちはどこ?」

 

 森の敷地もまた広大で、木を伐採して開墾した土地であろうと、上空からだと砂粒が如き大きさだ。

 

 目視は難しいだろうし、何より転移した場所が悪かった。

 画角的に、どうやってもここからは発見できない。

 

「ここからでは見えないよ。それより……」

 

 口から吐き出る息は真っ白で、今は岩肌が風から守ってくれているが、それでも相当な寒さだ。

 

 私は即座に魔術を使用して、自分を中心とした空気の膜を形成した。

 

 最初は私一人に対して大き過ぎた空気の膜も、徐々に萎んで身体に張り付き、私とリルの身体を覆う形に変化する。

 

 気を付けねばならないのは、リルに直接魔術を使わないこと……そして、マナを直接、その肌に当てないことだった。

 

 まだ幼い身体に、マナは毒素ともなり得る。

 

 特にマナの濃いこの森で育っているリルには、普段から防護しているものの、それを自分から破る様な真似は出来ないのだった。

 

 ともあれ、魔術は空気の層となって外気を遮断し、それですっかり寒さが低減した、

 

 ふるふると震えていた身体が、それで元の自然体へと戻る。

 

 完全に寒さが消えた訳ではないが、春先の早朝ぐらいなもので、これなら動いていれば逆に暑くなるぐらいだろう。

 

 私は崖下を覗き込もうとするリルの手を掴まえて、その身体を軽く引っ張る。

 

「ほら、危ないぞ。余りそっちに行かないように」

 

「うん! ……でも、たかいねぇ……。すごくたかい!」

 

「そうとも。だから、落ちると助からない」

 

「ゆきも、たくさん!」

 

 リルは素直に崖側へ行くのを諦めたが、今度は地面に降り積もった雪を掬い取ろうとする。

 

 しかし、片手は私に掴まれているので、どうにも不格好な形になり、上手く握れない。

 

 それどころか、地上の雪より固く、サラサラとしているので、上手く雪玉すら作れそうになかった。

 

「このゆき、へん……!」

 

「変じゃないよ。天候にも左右されるけど、砂みたいな雪っていうのは、あるものなんだ。それよりほら、立ちなさい」

 

 握った手を揺すって前を向かせると、リルはぽっかりと広がる暗がりを見て、嫌な顔をする。

 

「ここ、いくの?」

 

「そのつもりで転移したんだからな。目的地までは、まだ半分だ。この洞窟を抜けて、その先から飛んで火口付近まで行く」

 

「うん……」

 

「大丈夫、洞窟は短い」

 

「こ、こわくなんてないよ!」

 

 そう言って、手を強く握り返しては、虚勢と分かる声と表情で言い返してきた。

 

「たかいところだって、くらいところだって、へいきだもん!」

 

「それは心強いな」

 

 もしや、私が言った『怖い思い』というのが、その高い所や暗い所だと思っているのだろうか。

 

 残念ながら、それらは前座にもならない、道端の石と変わらぬものだ。

 本質はそれらと全く関係ないのだが、それをここで忠告しても意味はないだろう。

 

 だとしても帰る、と言わないのは分かり切っているし、()()()()はさせておきたいのが本音だ。

 

 それに意味がある事なのか、全くの徒労で終わるのか、それは私にも分からない。

 しかし、何事にも保険を掛けておいて悪い、という事はないはずだ。

 

「ほら、行くよ」

 

 私はおっかなびっくりしているリルの手を引き、洞窟の奥へと足を踏み出す。

 

 腰が引けているリルは既に泣きそうな顔をしているが、それでも足を止めようとはしなかった。

 

「怖いか、リル?」

 

「そんなことないっ……!」

 

 声は震えて、顔は洞窟の奥へ向けたまま動かず、尻尾は逆立っていて、既に戦意はゼロに等しい。

 

 それでも、虚勢を晴れるのは大したものだ。

 しかし、洞窟内に現れた別の変化に、リルは思わず足を止める。

 

「リル、大丈夫だから」

 

 現れた変化は悪しきものではない。

 仮にそうであれば、私が近付けるはずもなかった。

 

 現れたのは、岩肌に出来た光の点だ。

 それが二つならんで、まるで目のようにこちらを向いている。

 

 それも一つではなく、二つ、三つと時間が経つほど増えていった。

 

 それらがこちらを見ることで、洞窟内に仄かな灯りとして浮き出て、歩くのに不自由なくなってくる。

 

「お母さん、これ……、これなぁに……?」

 

「精霊だよ。土や岩、鉱物といった精霊が、この岩肌に潜んでいる。つまり、ここは彼らの家なんだ。私が集める鉱石も、彼らに手伝って貰って、手に入れたものだな」

 

 以前、街で売ったミスリル銀も、ここで手に入れたものだ。

 

 家の生活においても、例えば鍋やフライパン、包丁など、鉄製品を欲すれば何処にでも使う。

 

 家を建てるには釘がいるし、釘を打つには槌がいる。

 武器が必要となれば、各種鉱石が必要にもなるのだ。

 

 ここではそれが、彼らにマナを分け与えるだけで手に入る。

 

 我が家で暮らす精霊と違い、彼らはこの地に住まう精霊だから、密接な付き合いがあるというわけではない。

 

 それでも、乞えば幾らでも協力してくれるし、この鉱山道はその協力の結果、出来上がったようなものだった。

 

「お母さん、なんか……すごいみてくる……」

 

「大丈夫、見てるだけ。……皆、恥ずかしがり屋なんだ」

 

 私達が歩けば、二つの点はそれに合わせて、壁の上を動いて追従する。

 しかし、音を立てる訳でもなければ、妨害する訳でもなかった。

 

 ただ単に、私という客を見送っているだけなのだ。

 リルの手を軽く握り返して、私は努めて明るい声音で話し掛けた。

 

「歌でも歌うか? 彼らも喜ぶぞ」

 

「んぅっ! い、いいっ。だいじょぶ……!」

 

「ほら、そんなに緊張しなくていいから。何もしやしない」

 

 暗闇に浮かぶ一対の瞳は、今や所狭しと壁や天井を覆っている。

 また、それだけではなく、地面にもそれが現れていた。

 

 私が歩く方向に合わせて動き、後を着いてくるだけでなく、先導さえしてくれる。

 

 音もなくスルスルと動く様は、慣れないと不気味でしかないだろうが、彼らには本当に悪意というものはなかった。

 

 あるとすれば、それは面白半分、興味半分といった所だろう。

 あるいは、怖いもの見たさ、というのもあるかもしれない。

 

 元より奥手で引っ込み思案な彼らが、こうして姿を見せるのは、私がマナを放出しながら歩いているからだ。

 

 人間に例えると、町中を歩く飴売りなんかが近いかもしれない。

 

 甘い匂いに誘われて、子供がその後を追い掛けるような、そうした無垢な興味が彼らを追従させていた。

 

 しかし、リルからすれば、見慣れない光景には違いない。

 どう言われても恐怖の対象でしかなく、私の言葉などまるで耳に入っていない様子だった。

 

「面白い見世物、程度に見られているだけだ。初めて見るリルに、興味津々でもあるんだろう。お友達になってみるか?」

 

「い、いいっ……! べつに、そういうの……っ」

 

 どう励ましても、態度が改まる事はなさそうだが、もうすぐ出口だ。

 慣れる頃には、この道から脱出している。

 

 この坑道の内部は複雑な道で入り組んでいるが、今回の目的地に関して言えば、そう長い道のりでもない。

 

 三事の方向から入り、一時の出口へ向かっていて、そしてそれは小一時間も歩かないルートだった。

 

 だから実際、三叉に別れる道の一方へ入ると、その遠くには小さな光点が見えて来た。

 

 歩く程に光点は近付き、そしてそれはもう幾ばくも遠くない。

 

「でぐちだっ!」

 

 リルも喜び勇んで走り出そうとした。

 しかし、私が手を離さないものだから、すぐにつんのめる。

 

「お母さん、はやくっ!」

 

「大丈夫だから、そう急ぐんじゃありません」

 

 何を言われても、こちらを追い掛けてくる多くの目に、リルにとって恐怖の対象で、最後まで慣れる事はなかった。

 

 そうして光へ身を投げだした先は、小さな広場になっている以外、何もない岩肌ばかりの場所だ。

 

 何処かへ昇る道も、あるいは降る道すらも見えない。

 完全に岩肌で囲まれた袋小路なのだが、この場所こそ、私の目的地だった。

 

「……なにもないよ?」

 

「それで良いんだよ。ここから飛ぶからね」

 

 そう言うなり、私はリルを胸の中へ抱き込んで地面を蹴る。

 

 瞬時に展開された魔術が私の身体を浮かし、足元に魔法陣が現れ、それを踏み付ければ、急激な速度で上方へ飛び上がった。

 

「わゎ……っ!」

 

 唐突な急激な動きに、リルは咄嗟にしがみつく。

 

 私もリルを落とさないよう、しっかりと抱き締めながら、重力に引かれて速度が落ちるタイミングで、またも魔法陣を展開する。

 

 空を飛ぶ魔術、浮遊する魔術、そうしたものは幾つかあるが、これが最も消費が少なく、かつ安定する。

 

 空を飛ぶというのは、口で言うほど簡単な魔術ではないのだ。

 精霊から力を借りられないとなれば、特に顕著となる。

 

 だから、あるいは不格好に見える方法でも、上に向かうという意味では有用な方法を、こうして取っていた。

 

 魔法陣の上を蹴りつけ、飛び上がること数十回、風を切って岩肌を昇って行く。

 

 頂上はもう目の前、驚き竦んでいたリルも慣れ始めた頃合いで、目的地に到着した。

 

 

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