混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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山頂で待つものは その4

「リル、お母さんは出掛けなくちゃいけないんだ。小まめに帰って来るから、良い子で待ってような」

 

「ヤッ! できないぃ……!」

 

 優しく声を掛けるものの、リルは頑なで、顔をぐりぐりと押し付けながら叫んだ。

 

 私はそんなリルの頭を撫でながら、優しく諭す。

 

「リルは強い子だ。……そうだろう? ちゃんと毎日、帰るから」

 

「ヤッ! いっしょがいい! ずっといっしょ!」

 

 ヴェサールとの物々しい会話から、本当に帰って来るか不安でもあるのだろう。

 

 毎日帰るという言葉すら、リルにとっては(てい)の良い、言い訳にしか聞こえないのかもしれない。

 

 それは全く嘘ではないのだが、リルにとっては信用のおける事ではないのだろう。

 

 だから、こうも頑なになっている。

 ……この説得には、骨が折れそうだ。

 

 私が困っていると、ヴェサールが呆れた声音で、声を落として来た。

 

「そこの娘は、離れたくないのが望みなのであろうが? だから、初めから言っておるだろう。共に連れていけば良い」

 

「行き先が竜の(ねぐら)だから、連れて行くのは可哀想、って話もしたと思うんだが?」

 

「……しかし、お主の傍ほど安全な場所も、他にはあるまい。小さな娘の一人程度、お主ならばどうとでもなろうよ」

 

「お前は子供一人を、十全に守る気苦労というものを甘く見ているな。子供というのは、いつだって目を離せないものだぞ」

 

 そして、子供ばかりに目を向けていては、危険の察知に遅れてしまう事もある。

 

 危険は勝手に避けてくれるものではないから、自らそれに近づかない、察知能力が必要だ。

 

 それを子供に期待にするのは酷で、だから親である私が、代わりに気を付けねばならないのだ。

 

 リルを森に連れて行かないのも、偏にそれが理由で、そうした能力はこれから育てるつもりだった。

 

「リル、お母さんといっしょがいい! いっしょにいる!」

 

 涙混じりにそう訴えて、伏せていた顔を上げて見つめて来る。

 梃子でも動かない姿勢だが、私はリルの背後――ヴェサールに指先を向けて言う。

 

「お母さんと一緒に来ると、またあぁいうのに会う事になるよ。……おっかない思いをするの、リルも嫌だろう?」

 

「へいき! お母さんと、いっしょにいる!」

 

 決してヴェサールに顔を向けようとしないし、必死に抱き着いている様は、単なる虚勢にしか見えない。

 

 いざその時になったら、やはり怯えて震えるのだろうが、そこまで必死な姿を見せられると、私の意志まで挫けてしまう。

 

 今までも森に出掛ける必要がある時だって、ここまで頑強に主張することはなかった。

 

 リルなりに、何か感じるところがあるのだろうか。

 それこそ、野生の勘がそうさせるのかもしれないが……。

 

「分かった、リル。そこまで言うなら、連れて行くよ」

 

「ほんとっ!?」

 

「ただし……」

 

 私は語気を強めてリルの目を射抜き、それからヴェサールへを顔を向けた。

 

「一緒に来るなら、せめてしっかり自分で周りを見なさい。竜が怖いからと、目を逸らしてはいけない」

 

「う、う……」

 

 リルは躊躇い、躊躇いして、そろりと肩越しにヴェサールを見つめた。

 そのヴェサールは泰然としており、静かに呼吸をくり返している。

 

 ただし、身体が大きいだけに、その呼吸音もまた大きなものだ。

 時折、くぐもった音も漏れ、その度にリルの身体が小さく震えた。

 

 しかし、小さな手で私の服をキツく握りしめつつも、視線を逸らすことだけはしなかった。

 

 今にも泣きそうな顔をして、唇もきつく引き絞っているが、私が命じたことが逃げようとはしていない。

 

「偉いぞ、リル。よく頑張った」

 

 私が褒めて頭を撫でると、すぐさま元の体勢へと戻った。

 少しでもヴェサールの視線から逃げようと、身体を小さくしている。

 

 小さなお尻から垂れる尻尾が痙攣するように震えていて、それだけでリルがどれだけ頑張ったのか良く分かった。

 

「偉い、偉い……。流石、お母さんの子だ……」

 

「リル、いっしょに、いける……?」

 

「あぁ、行けるとも。よく臆さず、竜を見つめた」

 

 そう言って褒めると、ようやく安堵して肩の力を抜き、こてりと顔を鎖骨に置いた。

 

 私もそれに応えて撫でてやりながら、ヴェサールへと改めて向き直る。

 

「お前の言うことも一理あるしな……。リルは当然、私が守るし……、何より事態を静観する方が怖い。だから行くのは決定事項なんだが……」

 

「うむ、お主ならそう言うと思っておった」

 

 満足そうに頷くヴェサールへ、しかし私は胡乱な目を向ける。

 

「未だ、それが何処かまで聞いてない。あまり遠いと困るんだが……」

 

「なに、ここから東へ陸続きに、山を三つほど越した所よ。ペスセデン公国と、今は名乗っておったか……」

 

「十分、遠いじゃないか……。ひとっ飛びで行ける距離じゃないぞ。お前が背に乗せてくれるというのならまだしも……」

 

「いくら儂でも、馬代わりに運んでやるほど、この翼は軽くない。すまんが、それには応えられん」

 

 私は誰もが分かる渋面を浮かべ、大仰に息を吐いた。

 

 竜の感覚で山三つ分の距離は、朝出かけて昼前に到着、という程度なのかもしれない。

 

 しかし、馬などの陸路で行く場合、下手をすると数カ月も掛かる長旅だ。

 更に今の季節は冬……。

 

 ペスセデンの冬事情は詳しくないが、雪はある程度降るだろう。

 私一人ならばともかく、リルを連れての長旅は、あまり歓迎できない事ではあった。

 

「しかし、陸路など有り得ない話だぞ。……いや、到着が春先で良いというなら、それも一つの選択なんだろうが。これって急ぐ話だったよな?」

 

「開戦に踏み切るとなれば、準備時間は半年では利かんだろうよ。時間ならば猶予もあろうが……」

 

「おい、嘘だろ……」

 

 私がげんなりして答えると、ヴェサールは楽しげに笑った。

 今更ながら、私はこの話に乗った事を後悔し始めていた。

 

「なに、ちょっとした冗談だ。ユーモアというやつをな、お主にならって、儂も備えてみたのよ」

 

「それをユーモアとは言わないな」

 

 私が思いっきり顰めっ面で睨むと、ヴェサールは顔を上げて、その鼻先を真上へと向ける。

 

 そうして大きく口を開けると、息を吸い込んだ。

 

 何をする気かすぐに分かった私は、リルの両耳を片手で抑えつつ、魔術で空気の層を二重に作る。

 

 その直後、ヴェサールの口から雷鳴の様な咆哮が響き渡った。

 リルが驚きと恐怖で震え上がり、見ていて可哀想なほど怯えている。

 

「空気の層で音を遮断したつもりなのに、この音量か……」

 

 雄叫び一つが武器になる。

 それが竜という存在だ。

 

 しかし、何が目的で突然、叫んだのかと思えば、その理由はすぐに分かった。

 凌雲に一つの影が浮かび、それを貫いて幾らもせずにその全貌が顕になる。

 

「呼んだか、ヴェサール」

 

 現れたのは、もう一体の竜だった。

 

 ヴェサールよりも二回りは小さな個体で、鱗の色彩も薄い、灰とも銀とも見える色をしていた。

 

 竜の個体――それも同一種の見分けなどつかないが、この二体は色味以外は良く似ている気がする。

 

 私は空気の層を解除すると、二体の竜を交互に見つめてから、ヴェサールへと向き直った。

 

「……それで、これに乗って行け、っていう話か?」

 

「あン? 何の話だ?」

 

 若い竜は大きく翼をはためかせると、空いたスペースに着地する。

 ヴェサールより小さいと言っても、竜は竜だ。

 

 人よりも遥かに巨大なその質量で落ちて来ると、足元がグラつく程の振動になる。

 

 二体目の登場と、間近に迫った竜の存在に、リルは声をすら上げられず縮こまった。

 

「うむ、そういう事だ。こやつに運ばせよう」

 

「オレを抜きで、勝手に話を進めんなよ。まず、なんで呼ばれたんだよ? そこからして分からん」

 

「そこな発言を聞いておったろう。ペスセデンまで、こやつらを運べ。プレビダ山稜のウィンガートの所まで」

 

「おい、まさかコイツに任せるっつーんじゃねぇだろうな? オレが行くって言ってんだろ! 全部纏めて、消し炭にしてやるって! そうすりゃ解決だろ!? 簡単じゃねぇか!」

 

「あぁ……。まさにそういうお前だから、任せられないと言っておるのだ」

 

 どうやら既に竜の中でも、色々と揉めている最中らしい。

 強硬派らしきものがいて、その急先鋒が、この若い竜なのだろう。

 

 この竜を黙らせる為にも、私がダシにされているらしい。

 

 更に強まった竜気に怯えたリルを、優しく包みこんで守りながら、二体の竜がどうするか、私はその動向を見守った。

 

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