ヴェサールとの話し合いから七日が過ぎ、いよいよこちらの準備も整った。
例の駕籠の外観は赤銅色に塗装され、まるで巨大な卵のようだ。
あるいは竜の卵にも見え、伝承に伝わるイメージそのままに見える。
私も実際に見たことはないし、多くの人間も見たことないだろうが、過去にあった英雄譚で出て来た竜卵が赤銅色で、だからすっかりそれが根付いてしまっていた。
馬車本体より大きめのサイズといい、上部に持ち運び用の取っ手がなければ、勘違いする人が出てもおかしくない出来栄えだった。
工房の外で私が腕組してその完成した姿を眺めていると、隣のリルもまた、動きを真似して腕を組む。
「これ、もうできた?」
「あぁ、出来たとも。仕掛けの方も動作確認済み、
「しかけ……? ソリ……? ソリってなに?」
リルが腕組したまま見上げて来て、私は含み笑いにその頭を撫でた。
「それはその時になってからの、お楽しみ。仕掛けの方は、すぐにでも見れるよ。それより、今日の内にヴェサールには伝えておくから、明日には出発する事になるだろう。リルもそのつもりでいなさい」
「うんっ!」
元気よく返事して、リルはアロガを伴い駆けて行った。
その楽しそうな後ろ姿を見ながら、呟く様に言う。
「……まったく、何処まで理解しているのやら……」
ヴェサールと対面し、フンダウグルに威嚇され、泣き喚いていた事など、既に空の彼方らしい。
恐ろしい目に遭わせるつもりなどないが、リルが怖がる場面など、それこそ幾らでもあるだろう。
到着先の竜が友好的であるかどうか、それさえ分からない。
フンダウグルの時の様に、まず威嚇して来る事も考えられた。
ヴェサールが気を利かせようとする相手だから、それなりに話せる相手だと思いたいが、実は全く逆の可能性さえある。
「フンダウグルとよく似た好戦的な性格なら、七日もの猶予を与えないと思し……だから、杞憂だとは思うが……」
しかし、竜とは驕るものだ。
事実として、生物の頂点に立つ強者なのは間違いない。
だから出会い頭の人間を、まず平服させようとする竜は珍しくなかった。
今回はフンダウグルが運んでくれるから、その間に立ってくれると思うし、それならばまず、話し合いから始まると思うのだが……。
舐められたら終わり。どちらが上か、まず思い知らせる。
竜として、そう考えるのも真っ当ではあるのだ。
私は今や遠くまで駆けて行った、アロガと戯れるリルを見つめる。
「怖い思いをして欲しいとは思わないし、今から緊張で震えてるよりマシだけど……」
――少し、緊張感がなさ過ぎではなかろうか。
そんな事を思いながら、私は私で明日の準備に取り掛かろうと、家の中へと入って行った。
※※※
翌日の事である。
朝食を済ませてお茶を楽しんでいると、リルがそわそわと慌ただしくなった。
朝起きてよいよ時間が迫ったとなって、落ち着かなくなったらしい。
「リル、もう少し落ち着きなさい。どちらにしても、もう少ししたら出発だから……」
「んぅ……。でも、なんか……なんか、こぉ〜……っ!」
言うや否や、リルは椅子から飛び降りると、そのままアロガに抱き着いた。
力一杯抱き締め、顔を毛皮に押し付けている。
楽しみ半分、怖いもの見たさ半分……。
その感情の行き先を持て余し、自分でもよく分からなくなってしまったのだろう。
アロガは元より自分からくっつきたがる性格なので、リルに抱き着かれて満更でもなさそうだ。
身体を捻ってリルを腹の内へ掻き抱くと、その頭を舐めて毛繕いを始める始末だった。
実に平和的な光景だが、いつまでもそれを楽しんでいたら、時間が幾らあっても足りない。
私はお茶を飲み干すと、茶器を台所へと運び、それから自室に向かった。
「ほら、リル。着替えるからおいで」
「うんっ!」
それまでアロガの好きにさせていたリルが、聞くや否や立ち上がる。
不満そうにするアロガを放って、私の元へと駆けて来た。
「もう、しゅっぱつ!?」
「あぁ、多分ね」
曖昧な言葉を返しつつ、部屋に戻ってリルを着替えさせる。
上空を飛ぶ事に加え、目的地も山頂だ。
我が家の裏に聳えるプレシヨウン山より低いとはいえ、そこはやはり冬の山だ。
防寒対策は万全でなければいけない。
前回リルは特に寒さを口にしなかったが、緊張故に感じる暇がなかったとも言える。
大人と子供では寒さの感じ方も違うし、それならば暑く感じるくらいが丁度良い。
魔羊から刈り取ったモコモコの冬服と、鹿毛を裏地に使った外套を着させ、準備万端整えた。
「……お母さん、これあつい……」
「今は家の中だから。大丈夫、駕籠の中はここより寒い。きっと丁度良い、って思う様になるよ」
私もまた、同様の冬服を用意して、防寒に備える。
ただし、戦闘する事も考慮して、リルより防寒性能は低めの薄手仕様だ。
山で遭遇する強敵は、何も竜だけとは限らない。
竜の生息地には、同時に強力な魔獣などが棲むものなのだ。
どういう形で到着するか不明な以上、出来得る対策はしておくべきだった。
二人の準備が整えば、いよいよ出発だ。
今しばらく待機しておいた方が良いか、そう考え始めた時、空の上から雷鳴に良く似た音が轟いた。
「……わっ、かみなり!」
「あぁ、ヴェサールの呼び声だ。どうやら、良いタイミングだったらしい」
リルを後ろに付き従え、階下へ降りる。
暖炉の前ではアロガが寝そべり、緊張感のない顔で片目だけ開け、こちらを見つめていた。
どうせ留守番なんだろう、という不貞腐れた態度にも見える。
事実そうなので、こちらからは何も言えない。
苦笑しながら、よろしく挨拶するだけだ。
「じゃあアロガ、家の留守を頼むぞ」
「まっててね、アロガ。なにがあったか、たくさんおはなし、してあげる」
「グォゥ……」
上機嫌なリルとは正反対に、やる気のない返事だけが返る。
そんなものいらないから一緒がいい、と抗議しているかのようだ。
しかし、リルにとってはそんな感情も何のその……。
お構い無しに、私の脇を抜けて扉を開け、外に出てしまった。
「お母さん、はやくはやくっ!」
「はい、はい」
大きく手を振るリルに、私も小さく手を振り返す。
そうして背後を振り返り、台所付近へと声を掛けた。
「そう遅くならず帰って来る。済まないが、頼むぞ」
これに返事は何もなく、ただ、サラサラと絹が擦れる音だけが響いた。
※※※
出発するのは良いとしても、まずはともかく、山頂まで行かねばならない。
前回と同じ様に、転移陣により坑道近くに出現し、中を通って外へ出る。
そうして岩肌を盾にして飛び上がり、そろそろ半分……といった所で、リルが不思議そうな声を上げた。
「ねぇねぇ、お母さん。あのタマゴはどうしたの? もってこないの?」
「あれはもう、昨日の内に運び込んでいるよ」
軽量化の付呪を施しているから、その気になれば鍛えた男一人でも持ち上げられる。
だから、私なら魔術で浮かして運ぶのに苦労はないのだが、当然、重くなればなるほど苦労する。
リルを抱えて更に駕籠も……となると、流石に辟易してしまうので、昨日準備が整った報告をすると共に、運び込んでおいたのだ。
「そうなんだ、きづかなかった!」
「リルはアロガと遊ぶのに夢中だったからね」
そして、母がリルの気付かない所で、色々やっているのは珍しい事でもない。
話している最中にも到着し、前回の様に台座へ座るヴェサールの前へと着地した。
その台座付近には、私が置いていった卵駕籠が置いてあり、まるでヴェサールが守護している様にも見える。
「来たか、魔女殿。相変わらず、事の行動に素早いことだ。フンダウグルは、まだ到着していないと言うのに……」
「思うに、お前たち竜が、時間にだらしないだけじゃないのか」
「まぁ、人が持つ時間の感覚と、大きく違うのは確かであろうな。人の定めた一分一秒などという単位は、竜の中には存在しない」
「寿命の長い種族はこれだから……」
長命種にありがちで、かつ生命の存続に重きを置かない強者に、ありがちな感想だ。
エルフやドワーフも人間に比べて長命で、エルフは時に千年を生きるとされているが、ここまで大らかではない。
作物の収穫に暦は必要で、そして暦の誕生から時間の日割りが生まれるのは必然だからだ。
しかし、竜は生物でありながら超常的存在でもあり、生存するのにマナがあれば十分、という特異性がある。
獲物を狩って喰らうのは、妖精が甘味を欲するのと同様で、おやつ感覚で楽しむものだ。
ただ生きるだけならマナがあれば十分なので、だから山頂などに棲んでいられる。
そして、だから季節なども気にしないし、獲物の狩りや数の確保なども気にしない。
そんな生き方をしていて、時間を気にする概念など生まれようもなかった。
「しかし、フンダウグルもそろそろ到着しよう。此度は急がせたからな」
その言葉が合図になり、以前同様、空が陰る。
そうして手近な場所に着地し地面を揺らすと、次に素っ頓狂な声を上げた。