混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

69 / 325
竜の依頼と空の旅 その8

「しかし、寒いな……」

 

「ねっ、お母さん、ねっ!」

 

 雪原に僅かな足音を残しつつ、歩き続けて十分ほどが過ぎた。

 空気の層も万全ではなく、冷気は幾らでも貫通して来る。

 

 しかし元来、寒さに強いリルは、そんな事はお構いなしだ。

 私の手を引いては、興味に映るものを手当たり次第に訊いて来ていた。

 

「あのいわ、へんなかたち! なんで?」

 

「あぁ、何でだろうな……。多分、竜が身体を擦るのに使ったんだろう」

 

 石柱の中には、大きく抉れて横倒しになったものが、幾つか見えた。

 竜はその習性として、古くなった鱗を剥がすのに、身体を擦り付ける事がある。

 

 長年そうして使った結果、そのうち岩の方が削れ続け、次第に細まり……そして折れてしまったのだろう。

 

 ここにある石柱は、元は一つの大岩であったかもしれず、そして幾度も繰り返えされた結果、こうした不可思議な光景が生まれたのかもしれない。

 

「とはいえ、ここまで極端なのは珍しい……。余り巣から遠ざからない性格だから、こういう事になっているんだろうか」

 

 だとしたら、竜の(ねぐら)は既に近い、という事になる。

 

「もうすぐ? もうすぐ、つく?」

 

「……かもしれないな。怖いなら、最初から抱き着いておきなさい」

 

「だいじょうぶっ!」

 

 ふんすっ、と鼻から息を吐いて、リルは前のめりになって歩き出した。

 

「みててっ! ぜったい、こわがらないからっ!」

 

「おや、今日は随分元気だな」

 

「お母さんといっしょがいいから! おいてかれたくないもん!」

 

「そうか……」

 

 私はふっ、と笑って相好を崩した。

 

 恐怖を感じているのは、その尻尾を見れば分かる。

 リルは感情と尻尾が連動しているから、嘘を言えばすぐに分かってしまうのだ。

 

 だから、今の強がりはただ一緒に居たい、その一心から出たものと分かる。

 その心意気だけは、汲んでやりたかった。

 

「それは良いけど、先行しようとするのは止めなさい。足元は滑り易いからね」

 

「んぅ……、うん!」

 

 自分の勇気を誇示したいのだろう。

 一瞬、迷う素振りはしたものの、母の言い付けを守る方が大事、と分かってくれた。

 

「私も、ここまで歩くなんて、考えてなかったからなぁ……」

 

 冬靴を用意しているものの、登山に適した靴とは言えない。

 場所も殆ど斜面がなく、平地と似た形だから、今は何とかなっている。

 

 しかし、例えば急な突風で足元を疎かにした時、この氷雪は簡単に足を奪っていくだろう。

 

「それに、ほら……。温かいお茶を飲みなさい」

 

 空間内に仕舞っていた水筒を取り出し、同じく取り出したカップに注ぐ。

 未だ湯気を上げるお茶を見て、リルは怪訝に首を振った。

 

「でも、のど、かわいてない」

 

「自分じゃ気付き難いけど、渇いたと思ってからでは遅い。小まめに飲んでおくのが大事なんだ」

 

 寒い中で汗が掻き難いせいもあり、自覚しない事は大人でも多い。

 しかし、乾燥した空気のなか歩くのは、予想以上に身体に渇きを与えるものだ。

 

 冬山の死亡事故が多いのは正にこれで、保温された飲み物でなければ、逆に体を冷やして余計、死に近づく。

 

 高い魔力を持つか、多くの物を収納できる鞄でもなければ、こうした準備は行えない。

 

 冬の雪山に昇るのは、それゆえ一般的に死の行軍とされる。

 

 ――それを思うから、竜に許可を願い得たという話にも、重みと誠意が見て取れるのだが……。

 

「ほら、少しだけでも、飲める分だけ飲んでおきなさい」

 

 重ねて勧めると、リルも素直に口を付ける。

 しかし、やはり全部は飲めず、三割程を残してしまった。

 

 その残りを私が飲み、足りない分を加えて飲み干してから、水筒を空間へと仕舞った。

 

 今はまだ歩き疲れるに早すぎるが、だとしても、歩を休める時間は短い方が良い。

 (ねぐら)は近い、と当たりも付いた事だ。

 

 私はリルの手を握り直し、それらしい洞穴がないかどうか、探しながら歩を進めた。

 

 

   ※※※

 

 

 そうして更に十分(じゅっぷん)ほど歩いた所で、それらしき洞穴を見つけた。

 

 熊などの大型の獣、あるいはそれより巨大な魔獣であろうと、余裕で通れる横幅を持つ洞穴だった。

 

「お母さん、ここアヤシイよ……!」

 

「うん、いかにもって感じだな」

 

 リルが興奮して指差す方向を見て、私も頷いて返した。

 

 その興奮ぶりを見ると、まるで大冒険して来たかの様だが、卵駕籠から降りてここまで、僅か三十分しか経っていない。

 

 リルからすれば、それでも未知の白銀と岩ばかりの世界で、十分な大冒険だったかもしれないし、子供らしい感想と言える。

 

「さて、それじゃあ、行ってみよう」

 

「う、うん……っ!」

 

 リルの尻尾がピンと上を向き、毛は総逆立ちになっていた。

 私は小さな手を握り直すと、一歩進んで顔を見る。

 

「大丈夫、怖い事にはならないよ」

 

「ち、ちがうよっ! こわがってない! ただ……ただ、おくがくらいなぁ、って……!」

 

 それを怖がってる、と言うんじゃないのか。

 そうした言葉は、喉元ギリギリで飲み込んだ。

 

 その代わりに前方へ手を放り、ボールを投げるようにして魔力を飛ばした。

 放り投げた魔力は、そのまま周囲のマナを吸い取り、代わりに光を放ち出す。

 

 それが五メートル程の天井付近で、ランプ代わりに周囲と足元を照らしてくれた。

 

「……さ、これで大丈夫。行くよ、リル」

 

「う……、うんっ!」

 

 身震いを一つして、リルはギクシャクと歩き出す。

 恐怖を感じているが、恐怖に負けてはいない。

 

 実際、その気概は大したものだった。

 まだ幼いリルにとって、ただ巨大な相手というのは、恐れるには十分な理由だ。

 

 暗がりも同様で、単なる倉庫の奥が、怖いと感じる年頃なのだ。

 不甲斐ないと思われたくない、その一心が、リルに歩む勇気を与えていた。

 

「しばらく進むと、雪も入り込まなくなる。足元が滑り易くなるから、十分気を付けなさい」

 

「う……、うんっ!」

 

 リルの握る力が強まる。

 洞穴は軽い斜面になっていて、下へと進む形だ。

 

 雪の代わりに凍り付いている箇所もあり、踏みしめると時折、パキリと音がなった。

 

 凹凸の激しい部分と、そうでない部分があり、中央付近はその凹凸が殆どない。

 

 その代わり、水が溜まり易くなっていて、歩くのならば外側の方が良さそうだった。

 

「何かが這いずった跡がある。竜が出入りしている証拠だろう。その辺りは歩かない様にしような」

 

「んっ!」

 

 言葉短く頷いて、私が引く手に任せてリルも移動する。

 

 獣の本能がそうさせるのか、奥へ足を踏み入れる程に、その緊張度が増しているようだ。

 

 そして実際、竜の気配を僅かに感じ取れる様になっている。

 この奥地で待ち構えているのは間違いない。

 

「大丈夫、取って食われやしないさ。もしもその気があるのなら、ここまで足を踏み入れさせはしないだろう」

 

「そ、そうなの?」

 

「そうとも」

 

 私が力強く断言すると、リルは目に見えて安堵して、顔色を良くした。

 

 フンダウグルが火を吹き、噛みつこうと顔を近付けた事は、しっかりリルの心奥深くに爪痕を残したようだ。

 

 実際――。

 

 ここの竜……ウィンガートがその気になれば、外の光りが届かない範囲まで足を踏み入れた時点で、息吹(ブレス)を吐き出していただろう。

 

 竜の息吹とは、竜が行う基本動作であると同時に、必殺の武器だ。

 不愉快と感じて、使わない道理がなかった。

 

「おや……」

 

 更に歩き続ければ、途端に広い空間へと出た。

 岩の柱が乱立し、天井を支えているのは、外の降り立った光景を彷彿とさせる。

 

 柱の間隔も広く、竜が一体通るのに、何の支障もなさそうだ。

 見た目に変化が現れたが、纏う空気にも変化があった。

 

 言葉で表現し難いが、重くなったのは間違いないと思う。

 リルの掴む手が更に強まり、一歩の歩みが遅くなっている。

 

 私はリルを元気付けようと、背中をポンポンと叩く。

 そうすると、足を止めて弾かれた様に顔を上げた。

 

 しかし、私を見るなり緊張を解いて、ゆっくり息を吐き出す。

 励ます笑顔を向けると、リルは力を抜いて歩き出した。

 

 そして、一歩踏み出したその瞬間、洞窟内全体を震わすような、厳かな声が響き渡った。

 

「……ようこそ、客人。待っていたよ」

 

「ならば、迎えの一つも出してくれたら、こちらとしても助かったんだがな」

 

「そういう訳にもいかないのさ。……今はなるべく、外に出たくないんでね」

 

 厳かな声は、女性のものだった。

 四十代、ないし五十代を思わせる、威厳ある声だ。

 

 前方には暗がりが広がるばかりと思っていたが、声が聞こえたの同時に、闇が振り払われる。

 

 そこには、白い鱗と甲殻を持った、美しい竜が寝そべっていた。

 ただし、ヴェサールの時とその姿は少し違う。

 

 両腕を交差して、その上に顎を乗せる所までは同じだが、体躯の向きが違う。

 まるで、何かを私から隠すかのような体勢だった。

 

「人との諍いが理由か?」

 

「それもある」

 

 謎めいた言葉を吐いて、ウィンガートは私とリルを舐める様に見つめた。

 それから、からかう様な声音で言う。

 

「我が山稜に招き入れたのだ。歓迎としてはそれで十分だろう? 事前に話を貰ってなかったら、問答無用で焼き払うところだった」

 

 物騒な発言から、人間との確執の深さを思い知らされる。

 色々と難航しそうだ、と思いやられ、今の内から覚悟を決めた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。