混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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竜の塒と追走劇 その5

「きゃっほー!」

 

 速度に慣れたリルは、ついには声を出して喜ぶほど、余裕を取り戻した。

 元より怖がっていなかったリルだが、身体が強張る事までは避けられなかった。

 

 しかし今では、私が曲がる際に体重移動するのに合わせて、自らも身体を傾けられるぐらい余裕を見せている。

 

 ――この子はセンスが良い。

 

 実際に口に出して説明するまでもなく、どうすれば良いのか感覚だけで掴んでいるのだ。

 

「お母さん、まえ、まえ!」

 

 しかし、体重移動だけでは対処不可能なカーブが、とうとう前に迫って来た。

 そそり立つ壁が道を塞ぎ、ほぼ直角に曲がる道だ。

 

 一度急停止して、改めて滑り直すべき場面だが、これまでのリルを見ていると、遠慮する必要はなさそうだった。

 

「リル、きちんと掴まって! 口は閉じる!」

 

「あいっ!」

 

 返事と同時に、リルは前のめりだった身体を戻し、背中をしっかりと荷台に押し当てた。

 

 強く掴んでいるせいか、肩が上がって強張る所も見える。

 

 それを確認するなり、私は前方に魔術を放った。

 壁に仕掛けをする為だが、破壊の為ではない。

 

 全くの逆で、婉曲する氷のカーブを用意したのだった。

 凍り付いた壁面へ斜めへと入斜角を取りつつ、体重を内側へずらす。

 

 単にずらすだけでなく、地面へ顔が張り付くほど大きく傾けた。

 橇がギシギシと悲鳴を上げる。

 

 そうやって殆ど減速なく滑り込んだせいで、橇は壁面高くまで乗り上げた。

 かと思えば、今度は急なU字を描いて、地面へ顔を向ける。

 

 殆ど地面へ垂直に滑り落ち、そうして無事に曲がり切ると、私は咄嗟に身体の傾きを逆にする。

 

 勢いよく滑り落ちた橇は、片足を宙に浮かせた状態で走っていたが、私が逆に切った事で、無事に両足が接地した。

 

「きゃああ〜っ! ふぅ〜っ!」

 

 リルのご機嫌振りは、留まる事を知らない。

 無事に通過した事に喜び、両手を上げて喝采を上げた。

 

「リル、ちゃんと掴まってなさい」

 

「あいっ! んひひ……!」

 

 だが実際は、態度に見せるほど余裕でもなく、流石の私も少しヒヤッとした。

 そして逆に、リルにとっては楽しいアクシデントでしかなかったようだ。

 

 根が図太いのか、それとも私なら危険な目に遭わせないと思っているからか……。

 ――両方かな。

 

 そんな事を考えていたのが悪かった。

 雪道に残る痕跡を、つい見逃してしまった。

 

 左手には高い壁、正面には森、そして痕跡は森へと続いているように見えた。

 しかし、違う。

 

 これは道を間違えたか、あるいは卵駕籠を誤って滑らせたのか……。

 途中で急に進路を転換して、壁沿いの道へと戻っていたのだ。

 

「あぁっ、こなくそ……!」

 

 ただでさえ足を取られる山道だ。

 軽いとはいえ、下り坂で勢いの付いた卵駕籠は、勢いが付き過ぎたのだろう。

 

「お母さん、き! き、きてる!」

 

 リルが前方を指差して叫ぶ。

 

 橇の勢いは凄まじく、一つ二つは躱せても、その先で衝突するのが目に見えていた。

 

 しかし、急停止するには距離が短い。

 橇を横倒しにしても、慣性で吹き飛ばされ、やはり衝突は免れないだろう。

 

 私は身体を前に預け両手を自由にし、即座に魔力を練って、魔術を行使する。

 それまで展開していた空気の層は消え失せ、代わりの魔術が前方の森に着弾した。

 

「ぶつかるぅ〜っ! お母さぁぁん!」

 

「大丈夫、きちんと掴まってなさい」

 

 リルが身体を強張らせたのが、視界の隅からでも分かった。

 立ち並ぶ木々に、橇が正面から衝突する――。

 

 と思われた瞬間、木自体が婉曲して橇を避けた。

 

「んぇ……?」

 

 いつまで経ってもやって来ない衝撃に、リルは目を開けて呆けた顔をした。

 

 橇の速度は変わらぬまま、眼の前に広がる木々は、次々と左右へ避けては通り過ぎる。

 

「お母さん、これって……」

 

「ほら、大丈夫だって言ったろう?」

 

 使用した魔術は『森渡り』と呼ばれるものだ。

 効果の程は、リルが身を以て実感しているだろう。

 

 今回は特殊な例だが、高速で森を抜けたい時などに使う。

 

 ある種の魔物は、最初からこうした能力を持っていて、それを魔術として落とし込んだのが、今使って見せたものだった。

 

 次々と正面から近付いては横へ逸れて行く木々に、リルは先程とは違う種類の声を上げる。

 

「きゃふぅ〜っ!」

 

 手を叩いて喜びそうな機嫌の良さだが、流石に何度も注意されたせいか、手を離そうとはしなかった。

 

「よしよし……」

 

 密かに頷いて、リルの良い子具合に満足していたが、そこではたと気付く。

 

「いや、私も喜んでいる場合じゃないな……」

 

 彼らの痕跡を見失ってしまった。

 いや、見失うぐらいは良い。

 

 再び魔術で捜査して、場所を突き止めれば良いだけだ。

 問題は、どういうルートで彼らに追いつけば良いのか、だった。

 

 とりあえず、危機回避を優先して森を突っ切る事にしたものの……。

 

 もしも、この先がそそり立つ岩肌などで囲まれていたら、流石に来た道を戻らなければならないだろう。

 

「その時の苦労を考えると、今からげんなりするな……」

 

「なぁに、お母さん?」

 

「いいや、何でもない。それより、森を抜けるぞ」

 

 前方の木々が、そろそろ疎らになって来た。

 そうして視界が開けた瞬間、飛び込んで来た光景に目を剥く。

 

「ちぃ……っ!」

 

 森の先には何もなく、あるのは断崖に切り取られた絶壁だけだった。

 咄嗟に橇を横に向け、全体重を斜面とは逆に向けてブレーキを掛ける。

 

 リルがずり落ちそうになるのを片手で受け止め、そうしながらも片足を突っぱね、雪面を抉る。

 

「わぁぁぁん……っ!」

 

 流石にリルの口からも悲鳴が漏れ、小さな手が助けを求めて腕に抱き着いてきた。

 勢いは大幅に減ったが、その勢い全てを消せる程ではない。

 

 一つの支えもなく手を離すのは恐ろしいが、言っている場合でもなかった。

 

「くっ……!」

 

 出来る限りの集中力を見せ、瞬時に魔術を完成させると、魔力の壁を築く。

 私達を受け止める為ではなく、地中深くに差し込んで、それで勢いを殺す為だ。

 

 効果は即座に発揮して、勢いは見る間に落ちた。

 断崖絶壁の手前で動きは止まり、私もホッと息を吐く。

 

「今のは怖かったな……」

 

「うん、こわかった……」

 

 流石のリルも、ここで強がりを言える程ではないらしい。

 横倒しに雪へ倒れた身体を起こし、リルを荷代の上に座らせる。

 

 目尻には涙が溢れ、頬はりんごの様に赤くなっていた。

 興奮で紅潮したのもあるだろうが、これは冷気を正面から受けたからでもある。

 

「お母さん、さむい……」

 

「あぁ、ごめんごめん」

 

 他の魔術を使用するのに、邪魔になっていた空気の層を改めて展開する。

 針で刺すかのような冷気も、それでぐっと楽になった。

 

 一つ余裕が出来た事で、身体に疲れがドッと降り掛かる。

 良くないと分かっていながら、その場に座り込んでしまった。

 

「あ゙ぁ゙〜……、どっと疲れた」

 

「こわかったぁ……。もうダメって、なんどもおもったもん!」

 

「そうだな、ごめんな」

 

「ううん、おもしろかった!」

 

 過ぎればそれも良い思い出、などと言うが、リルの場合はそれともちょっと違う気がする。

 

 私はリルの頭を撫で回しながら、苦笑を隠し切れない。

 

「リルは何でも楽しく感じる天才だなぁ」

 

「てんさい? リル、すごい?」

 

「あぁ、凄い。リルは凄いな」

 

 私が微笑んでリルに抱き着き、その頬の冷たさを同じく頬で感じていると、機嫌良くきゃっきゃと笑う。

 

 そうして次には、あっと声を上げて私の手を叩いた。

 

「お母さん、あれ……!」

 

「ん……?」

 

 リルが指差すままに、その方向へ顔を向けると、よく見知った物が目に入った。

 雪原の中にあって、あの巨大な銀の卵はやけに目に付く。

 

 高所に居るせいで、太陽の照り返しもあって、自ら場所を喧伝しているようなものだった。

 

「偉いぞ、リル。よく見つけてくれた」

 

「んひひ……!」

 

 私が更に慈愛を込めて頬擦りすると、リルも擽ったそうに身を捩る。

 そうして一度立ち上がり、改めて目標を睥睨した。

 

「……間違いない、アレだ。盗人どもには、しっかり話を聞かせて貰おう……」

 

 行き着いた先は断崖絶壁だったが、それは問題にはならない。

 

 十分な準備と余力のある状況なら、ゆっくり地面に降り立つなど、造作もないことだ。

 

 あの中には魔術士も含まれている様だし、奇襲するのが最善だろう。

 

 私はリルを立たせて橇を仕舞うと、追走する為の新たな道具を取り出した。

 

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