人目に付かない場所として選んだのは、街道から外れた小規模な林だった。
この辺一帯はどこを見渡しても、雪原とそこから突き出した岩、疎らに生える樹木ばかりの土地しかない。
だが、そうした土地でも林ぐらいはある。
針葉樹林なので外から見た時も、何かが中にいるとは、そう簡単に分からないだろう。
その代わり、こういう場所には魔獣が住み着いたりしているものだった。
「まぁ、いたからどうしたって話ではあるしな……」
そうして実際、林の中を馬車に歩かせる事しばし――。
この土地特有の魔獣が、迂闊に入り込んだ獲物と思ったのか、これ幸いと見て襲い掛かってきた。
――しかし。
「邪魔」
それら全て、腕の一振りで一掃した。
完全な格上と見て、魔獣は一目散に逃げ出し、それ以降は近付いて来ようとはしなくなった。
ただし、殺してはいないので、今も周囲に潜んで様子を窺っている。
敵わないと分かっていても、ここは自分達の縄張り、という矜持が魔獣にもある。
どうにか追い出せないか、あるいは決定的なチャンスがないか、今も虎視眈々と狙っていた。
しかし、それらは一切脅威ではないので、無視して作業を進める。
馬を馬車から外し、轡と手綱はそのままに――ただし邪魔にならないよう、首周りに引っ掛けて、この林から逃した。
「このまま街に帰ってくれたら良いが……」
手綱にも公爵家の印が入っていたし、上手く良い人に見つかれば、そのまま送り返して貰えるだろう。
しばし馬の背を見送り、魔獣が襲い掛かって行かないのを見届けてから、こちらの作業を再開した。
馬車に掛かった幌を剥ぎ取り、卵駕籠を露出させる。
魔術でふわりと浮かせて、近くの空いたスペースに移動させると、ゆっくりと置いて側面の一部分に手を当てた。
それで駕籠にタラップが降りて、入口が開く。
すると、即座にリルが泣き顔を浮かべて飛び込んで来た。
「おかぁさぁぁん……っ!」
「あぁ、ごめんごめん。心細かったな」
リルを抱き留め、その背中を撫でながらあやす。
しかし、卵駕籠の中と違って外は寒い。
朝日が昇ったばかりの時間帯なので、未だに深夜の冷気が色濃く残っていた。
リルは私に抱き着いたものの、身体をブルブルと震わせる。
「ほら、寒いだろう? まだ中に入ってなさい。すぐ朝食にするから」
「……うん」
私はリルを抱いたままタラップを踏み、身を屈めながら中へ入る。
そうして今しがた包まっていた毛布をリルに掛けてやり、内部に収納された棚から食材を取り出した。
基本的に、長旅を想定していないので、あるのは少量の保存食だけだ。
大した料理は作れないが、それでも温かいスープがあるだけで随分違う。
「さて、火を熾すとなると……」
小さな竈を作りたいが、近くに岩や石など、利用出来そうなものは見つからなかった。
林から出れば、外に岩場は点在しているから、砕いて石を持って来るのは問題ない。
しかし距離もあるし、少々時間も掛かる。
どうしたもかと首を捻り――。
「あぁ、目の前に良いのがあるな」
ここは林なのだ。
材料ならば目の前にある。
うちの森では、木材は燃料に使えないからうっかりしていたが、普通木材とはよく燃えるのだ。
適当に選んだ一本を腕の一振りで切断し、倒れ込む前に魔術で受け止める。
何度か左右に手を振って、手頃なサイズの丸太を幾つも作った。
ただし、必要なのは、その内の一本だけだ。
それ以外は単に予備として、一応切ったに過ぎなかった。
「倒れ込んだ時の音や衝撃が、外に漏れても嫌だしな……」
「ん……、なぁに?」
「あぁ、リルに言ったんじゃないよ」
毛布を頭から被ったリルが、顔だけ出して言ったのに、手を振って応える。
ここは後に騒ぎの中心となるかもしれないが、食事の最中に騒ぎとなって貰っては困るのだ。
少なくとも今は、まだ平穏でいて貰わねばならなかった。
私は丸太の一本を手にしながら、卵駕籠の側面に手を触れながらリルに振り返る。
「ここ、閉めておくぞ。寒いだろう?」
「ううん、いい。お母さん、みてたい」
毛布で完全にミノムシ状態だから、ある程度防寒出来ているとはいえ、このままでは体温を奪われるだけだ。
私は丸太を刻んで角材を作り出し、近くに
煙が立ってしまうし、外から存在をアピールする様なものだから、あまり取りたくない手段なのだが、小型にすれば何とか誤魔化しも利くだろう。
ただし、切り出したばかりの木材は、水分を多量に含んでいる。
組み上げたばかりの井桁を結界で包み、真空状態を作って一気に水分を蒸発させた。
これならば、煙も少なくさせられるし、異臭の発生も抑えられる。
次に元々、代用竈として使うはずだった丸太、その中心部分を深く
ただ刳り抜くだけではなく、横幅にも広く取る。
そして、その刳り貫いた中心部分に向けて、側面からも同様に貫いた。
こちらは空気穴なので、大きい穴である必要はない。
せいぜい、縦から貫いた穴の半分以下の大きさで良い。
そうして刳り貫いた時に出た端材を細かく砕き、着火剤として利用する。
これは井桁の方にも使うので、先に着火してリルの暖として充てがった。
井桁型に組んだ木材の良いところは、火の通り道が十分にあるので、火がすぐ大きくなるところだ。
最初は小さな火が、すぐに大きく燃え広がるようになり、卵駕籠の中にも暖気が漏れ入るようになった。
「お母さん。ひに、ちかよっていい?」
「いいよ。でも、なるべく外には出ないように。タラップより内側でも十分、火に当たれるから」
最初からそういう想定で、井桁を組んで置いている。
卵駕籠自体はミスリル銀を使用して作っているので、自然火など少し炙られた程度では損傷すらしない。
リルが入口付近で丸くなって、火を見つめている間に、私は私で作業を開始した。
まず、枝の皮を剥いで作った串に、パンを刺す。
それを焚き火近くに刺して熱し、少し焦げ目が付く位まで焼く。
これは少し時間が掛かるので、その間、一緒にソーセージも焼いておいた。
そうして、焼いている間にスープの準備を進める。
丸太の中に火を付ければ、空洞の中で火が燻り、チロチロと燃え上がっていく。
「よしよし……」
こうするとすぐ全体に燃え広がりそうにも思えるが、一つ料理を作ったり、湯を沸かしたりするのには、十分な火力と持続力があるのだ。
案外と全体に燃え広がらないもので、簡易竈として十分な働きをしてくれる。
私は丸太の上に鍋を置き、その中にざっくりと刻んだ野菜を投入した。
火力の調整は下手にせず、あるがまま炒めて水分を飛ばしていく。
ある程度火が通ったら、トマトを潰しながら投入した。
これがスープの水分の主な部分で、あとは干し肉で塩味と旨味を加え、スパイスを投入し味を整える。
そうして、くつくつと煮込んで行くのだが、これには最低でも三十分ほど掛かってしまう。
リルにはすぐに温かい飲み物を与えてやりたいのだが、これだけは如何ともしがたい所だ。
十分な時間を掛けなければ、酸味が飛ばず、酸っぱいスープが出来てしまう。
それさえ済めば、特製トマトスープの出来上がりなのだが……。
それより前に、リルが音を上げた。
「お母さん、おなかすいた……」
リルから、きゅるる……という可愛らしいお腹の音も聞こえた。
鍋からは良い香りが立っているし、もう我慢ならない、という
だが、そろそろ焚き火に刺しておいたパンと、ソーセージがよく焼けている頃だった。
先にこちらを食べさせよう。
パンの上にチーズを置いて、これを軽く炙って蕩けさせたものを掛けると、ソーセージ共々リルに手渡す。
「串に付けたまま齧り付きなさい。熱いから気を付けて」
「うんっ!」
途端、元気よく毛布を跳ね飛ばして、リルはタラップを降りて来た。
直接外にではなく、タラップの上に座り込むと、嬉しそうに二つの串を受け取る。
そうして、最初にチーズの垂れ掛かったパンを口に含み、美味しそうに咀嚼した。
次にソーセージに齧り付き、パリッと良い音を響かせながら、ほふほふ、と白い息を吐き出しながら食べた。
「んん〜っ!」
チーズとソーセージの組み合わせは、犯罪的と言っても良い。
リルもご多分に漏れず大好きで、パンを食べてはソーセージ、というサイクルで口に運んでいた。
しかし、勢いよく食べていたお陰で、喉を詰まらせる。
そこへすかさず、出来上がったトマトスープを差し出すと、舐めるようにゆっくりと飲み込んでいく。
背中を叩いてやりながら、そうして二口、三口と嚥下すると、最後に大きく息を吐いた。
「……っ、ぷぁぁ〜っ!」
「焦らず食べなさい。誰も取らないから」
「うんっ!」
そうは言っても、食い気と空腹には勝てないらしい。
口元を汚しながら食い付き、その様子を見ながら、自分のスープを口に運ぶ。
「……うん、寄り合わせにしては良い出来だ」
「おいしいっ! お母さんっ、おいしいよっ!」
雪原の上の雑木林。
木々の間から見える、白い雪面。
焚き火の燃える音を音楽に、明るい日差しの中で温かな朝食を食べる。
いつもと違う、非日常で食べる環境は、それだけで一つのスパイスだ。
私もソーセージを一つ齧り、肉の旨味そのものを頬張ってから、スープでそれを喉奥へ押し込む。
口から吐き出す息は、煙よりもなお白い。
吸い込む空気は冷たいはずなのに、むしろ心地良いくらいだった。
私はリルに微笑みを向けて頷く。
「美味しいな」
「……ねっ!」
リルもまた満開の笑みを浮かべ、両手の串を交互に食べては、幸せそうに咀嚼した。