混沌の魔女と獣人の子   作:鉄鎖亡者

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母の回顧 その5

 ここまでの緊張が祟ったのか、ニコレーナは体調が崩すことが多くなった。

 無理もない、と思う。

 

 一時は命を捨てる覚悟で飛び出し、そして無謀の何たるかも知らず、希望があると思い込んで進んでいたのだ。

 

 今はそこに光明が差し、どうにかなるかも、という希望が現実味を帯びてきた所で、周囲に壁がある事実が、ようやく心を落ち着かせている。

 

 安全な地帯に逃げ込んだという事実も、それを後押ししているに違いない。

 

「ニコレーナ、大丈夫か? 無理そうなら、素直に言ってくれ。少しここで休もうか?」

 

 街と街を繋ぐ街道は、その多くが舗装されていない。

 均されていない道も多く、そうした場所での馬車は、大きく揺れた。

 

 馬車は快適な乗り物というには程遠く、逆に腰を痛める事も多いぐらいだ。

 

 安物を買ったつもりはないが、舗装されてない道を行く場合は、どうしても揺れが大きいものだった。

 

「……いえ、大丈夫です。これ以上、ご迷惑をお掛けする訳には……」

 

「乗り掛かった船だ、最後まで面倒見るさ。そして、面倒見るからには、途中で倒れられれば寝覚めが悪い。そういう訳で、何かあったら、すぐに言ってくれる方が助かる」

 

「本当に、なんてお礼を言ったらよいのか……。必ず、この御恩はお返しします」

 

「だったら、まずはその弱腰を何とかしろ」

 

 御者台から背後を振り返り、口の端を釣り上げて笑う。

 しかし、言われた方のニコレーナは、虚を突かれた様な顔をしていた。

 

「母になるんだろう。もっと図太くないと、これから子育てなんて出来ないぞ」

 

「そう……そう、ですね。母になるんです」

 

 ニコレーナの言いようは、事実を再確認するというより、自分に言い聞かせているように聞こえた。

 

「座っていられても、横にはなれないからな。……いや、無理って話じゃないが。でも、足を伸ばせないのは辛いだろう」

 

 大人が三人並んで座れる座席だから、決して狭いという事はない。

 しかし、気分が悪くなった時、横になるには不便な狭さだ。

 

「一度馬車を止めて、少し休憩しようか。食事も取らないとな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 何故ニコレーナ相手に、ここまで親切にしてしまうのか、自分でも分からない。

 あるとすれば、単に好ましく感じたという、直感みたいな理由からだろう。

 

 私は社会から距離を置く生活をしているが、拒絶している訳ではない。

 

 付かず離れずの距離を保ち、どっちつかずの生活をしているが、不意にこの相手ならば、と思う相手が現れる。

 

 男女の性別、人種を問わず、お節介を焼きたくなる相手との出会いだ。

 そうした直感には、基本的に逆らわない方針だった。

 

 運命というものがあるのなら、その心境の変化こそ、運命に従うという事かもしれない。

 

 ――師匠がいつか言っていた。

 知らずの内に従い、振り返って見た時にこそ分かる。それが運命なのだと。

 

「あの……、もし……?」

 

 唐突に動きを止めた私に、ニコレーナが心配そうな声を掛けてきた。

 慌てて、何でもない、と返して馬車を道の端――木陰になる位置に停車させた。

 

 周囲には草原が広がるばかりで、視界を遮るものは何もない。

 

 これが春先であったりしたら、いっそ寝転がるのも一興なのだが、今はまだ風が冷たかった。

 

 到底、妊婦を寛げさせるには適さない。

 

 温かい食べ物や飲み物を積極的に取らせ、足を伸ばして休憩する時間も、最小限にするのが最善だった。

 

「何か食べたい物……と言っても、悪阻が酷くて食べられないか」

 

「でも、お腹の子の為ですもの。何とか食べてみます」

 

「無理する事はないぞ。それに、食べた物が子の栄養に使われるのは、胎盤が出来上がってからだ。悪阻が酷い時期なら、まだ関係ない」

 

「そう……なのですか?」

 

「馬車なんかも、乗り慣れていないだろう? 下手に詰め込んでも吐くだけで、むしろ体力を消耗してしまうぞ」

 

 ニコレーナは感じ入ったように頷き、感心した声を上げた。

 

「物知りな上に、よく気遣っていただいて……。何も知らない自分が、恥ずかしいです」

 

「なに、年の功さ。長生きしてると、必要なくとも知識が増える」

 

「年の……功? 私とよく似た年齢に見えますのに……。それとも、ニンゲンと獣人は、少し違うのでしょうか?」

 

 不思議そうに傾げる姿は、年齢以上に幼く感じさせる。

 ニコレーナ自身、箱入りの世間知らずだからこそ、余計にそう見えるのかもしれない。

 

「……まぁ、色々さ。人に歴史あり、と言うだろう?」

 

「言う……のでしょうか? 初めて耳にしました」

 

「あぁ……、獣人の間では使われない慣用句かもな」

 

「それより、貴女様のお名前を知りたいのですが……。何と呼べば良いでしょう?」

 

 誰かと知り合い、関係が深まれば、必ずされる質問だ。

 そして私は、こういう時、必ず決まって返す言葉がある。

 

「知らない方がいい。名前には力が宿る、と言うだろう? 下手に口にすると、厄介事を招くんだ」

 

「厄介事……。誰かに追われていたり、するのでしょうか?」

 

「そうだな、似たようなものだ」

 

「だから、私を助けて下さったんでしょうか……」

 

 言われて初めて、そうだったかもしれない、と気付いた。

 最初は興味本位で、話を聞くだけのつもりが、次第に興が乗った。

 

 それだけの事だと思ったが、本当はニコレーナの言う通りだったかも知れない。

 

「ふと口にした私の名前を誰かに聞かれると、ニコレーナにまで危険が及ぶ可能性がある。だから、知らないままの方が良い」

 

「しかし、では……何とお呼びすれば? それに恩人の名前を、知りすらしないなんて……」

 

「そう大層に構える必要はないぞ。呼ぶにしたって、ねぇとか、お前とか、好きに言えば良い。他に誰かいる訳でもなし」

 

「そんな……、恩人を呼び捨てだなんて……!」

 

 律儀で礼節を知る彼女からすれば、とんでもない事なのだろう。

 唖然としてこちらを見る、彼女の姿からも、それは想像できる。

 

 私を追う者がいるのは確かで、そしてそれは独りではなく、組織だった者たちだ。

 

 だが、この大陸には居ないはずだし、完全に見失っている状態だろう。

 それでも、僅かな手掛かりから、総当たりで探し出そうとするのが奴らだ。

 

「私の名を呼ぶな。それがお前の為のになるし、私の為にもなる。ちょっと、おい、そこの人、とでも呼んでくれた方が、気が楽だ。偽名を使うのは、私の趣味じゃないのでね」

 

「そこまで仰るなら……」

 

 不承不承、明らかに不満を残しつつ、それでもニコレーナは頷いた。

 

「さて……それより、今は飯だ。固形物が無理そうなら、粥でも作ろうか? 消化に良いものなら、少しは口に出来るかも知れない」

 

「お料理……、出来るのですか?」

 

「旅慣れた者は、料理が得意になるものだぞ。それに安心しろ。これもまた、年の功だ」

 

 やはり不思議そうに首を傾げるニコレーナに、私は余裕ぶった笑みを浮かべた。

 

 

  ※※※

 

 

 ニコレーナは悪阻が酷い方らしく、ろくに食事を取れなかった。

 食べてもすぐに吐いてしまう。

 

 元より体力のない彼女が、その悪阻で更に体力を落とし、馬車での移動も危ぶまれるようになった。

 

 休みながら移動するしかないのだが、それではろくな食材もなく、食べられる干し果実もあと僅か……。

 

 大きな街に着いても、公国では獣人を泊めてくれない。

 ベッドの上で温かくさせて休めたいのだが、それも叶わなかった。

 

 体力は衰える一方で、お腹の子が流れる危険が強まっていった。

 

「お願いです……。どうか、この子を……」

 

「まず、ニコレーナの体力が優先だ。そっちの方が回復すれば、自然と子の方も安全になる。頑張るんだ」

 

 元より白かった顔が、今では青白くなっている。

 馬車での移動疲れが、如実に表れている証拠だった。

 

 病人に対して馬車での移動は、時として拷問にも等しい。

 長く乗せるほど、彼女の体力が削り取られてしまう。

 

 かと言って、自分で歩ける状態ではない。

 どうあっても、ニコレーナにとっては苦しい状態だった。

 

「母体が保たないな……。今は少しでも早く、安静になれる場所で休んだ方が良いんだが。……ニコレーナ、これから起きる事、口外しないと約束してくれるか」

 

「勿論です……。必ず、貴女との約束は、たとえ死んでも果たします」

 

「そうか」

 

 私はニコレーナを馬車から降ろし、横抱きにして腕に抱える。

 軽量化によって彼女の体重を軽くさせ、その上で自身にも強化魔術を掛けた。

 

「馬よりは揺れないが、少々信じられない光景が映る。怖いなら目を瞑っておいた方がいいぞ」

 

 それだけ言うと、私は馬車を置いて走り去った。

 草原を走る獣の様に、道を道とも感じさせず、軽やかに走り抜ける。

 

 前に進むというよりは、横に落ちるかのような速度だった。

 

 岩があればそれを跳躍して躱し、壁のように行く手を遮る岩肌さえ、何度か蹴り上げるだけで越してしまう。

 

 風のように、鳥のように、遮るものを悉く躱して走り――。

 

 ほんの数時間後には国境すら越え、そうして、ごく短時間で共和国の街へと辿り着いた。

 

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