学生寮の前に設置されたベンチ、そこでジュースを飲みながらのんびりと時間を潰していると、見覚えのある男がエレベーターから降りてこちらに向かってきた。
「あれ、綾小路君。こんな時間にどうしたの?」
「渚か、奇遇だな。何となく寝付けそうになくて飲み物を買いに来た。お前こそどうしたんだ?」
うーん、煩悩と戦ってました、とはさすがに言えない。櫛田さんめ……ありがとうございます。
「僕も似たような理由かな。あ、そういえば飲み物奢るって約束だったね。選んでいいよ」
「ああ、そうだったな、じゃあこれで」
学生証をかざしてボタンを押すと、ガタンと音が鳴って飲み物が落ちてきた。
「ん?あれ、堀北さんじゃない?」
「……本当だな」
エレベーターの内部が見られる監視カメラ(!?)のモニターには、堀北さんが映し出されている。
良かった、今日であってたね。勉強会の開催は学校の行事とは違って、原作と日程がズレてても気づけないから、最悪待ちぼうけになるのも覚悟してた。
「気になるね。隠れて覗いてみる?」
「お前なぁ……いや、気になるけど……」
「ほらこっち、隠れよ」
綾小路君の手を引っ張って自販機の陰に隠れると、堀北さんはその直後にエレベーターから降りてきた。周囲を警戒するように見回し、そして寮の裏手へと歩いて行った。
堀北さんが見えなくなったのを確認してから、僕は端末のカメラを起動し、ライトを消して胸ポケットに突っ込んだ。
(なんか、手馴れてないか?)
(気のせいだよ、行こう)
(いや、これ以上はさすがに……)
謎に渋っている綾小路君の手を引いて、堀北さんの後をつける。
……綾小路君、すぐ後ろに居るはずなのに、びっくりするぐらい音がしないね。隠密行動のレベル高すぎじゃない?
それに比べて僕の隠密は下手だね。さっきも屋上へ向かう階段で綾小路君に気付かれたし……
僕は幼少期から色んなジャンルに手を出している。
パルクールとかサバゲーみたいな渚君っぽいものから、ただ興味があるだけのものまで色々だ。
でも実のところ、原作で渚君ができたことでも、教わることができない技術に関しては当然素人のままだった。
隠密もそうだし、ナイフ戦闘術とか、迷彩塗装とか、狙撃とか、ハニトラとかね。
うーん。でも綾小路君の動きは参考になるね。こんな感じかな?
あ、なんかできてるっぽい。
「……」
「……」
なんかすごい綾小路君にジト目で見られている気がする。
もしかして、結構習得が難しい技術だったりするのかな、これ。
……なんかごめんね!暗殺に関することならマジで天才なんだよ
寮の裏手へ向かう曲がり角の手前で止まり、壁を背にして向こう側を覗き込む。
「--ここまで追ってくるとはな」
「もう、兄さんの知っている頃のダメな私とは違います。追いつくために来ました」
綾小路君は兄妹の物々しい会話をかぶりつきで見学している。やっぱり君も興味津々だったんじゃん。
「私は、絶対にAクラスに上がってみせます……!」
「愚かだな、本当に。昔のように痛い目を見ておくか?」
場の空気が一気に緊迫する。生徒会長が堀北さんの腕を掴み、力を込めた。
それを見た綾小路君が即座に飛び出し、堀北さんを投げ飛ばそうとしている生徒会長の腕を更に掴み返した。
「なんだ?お前は」
「あ、綾小路君!?」
「お前、今、堀北を投げ飛ばそうとしただろ。兄妹だからってやりすぎだ」
「盗み聞きとは感心しないな」
そこからは互角の攻防だ。綾小路君は僕や堀北さんにも格闘技を習っていたことを隠していないし、多分どれくらいできるのが普通か、とか全然知らないせいでもある。
「っ!」
「……っ、やるな。まさか俺の動きについてくるどころか、反撃すらしてくるとは。どこの流派だ?」
「どうでもいいでしょうそんなの……生徒会長が一般生徒に普通に殴りかかってくるとか、何考えてるんですか?」
「ちょっとした試しだ。しかし、お前もDクラスか?今年のDクラスは、なかなかに粒揃いだな。それに鈴音、お前に友人がいるとは正直驚いたぞ」
「彼は……友達なんかじゃありません。ただのクラスメイトです」
「相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな。それから……む?誰だ」
えぇ……最後まで隠れているつもりだったのに、綾小路君がチラチラと視線を送ってくるせいで、バレちゃったんだけど。
しょうがない、出るか。
「お久しぶりですね、堀北先輩」
「潮田君!?」
「……潮田渚か、相変わらず、何を考えてるのかよくわからんな。なぜすぐ出てこなかった?」
「もうちょっと撮れ高が欲しかったんですよね。ほら」
そう言って胸ポケットからスマホを取り出し、これみよがしに画面を操作すると、ピロンと音が鳴った。動画の撮影していたと、これで通じるはずだ。
「……」
「堀北先輩、取引しませんか?」
本当なら先輩から妹への激励とかもある流れだったのに、中途半端にぶった切ってしまったせいで、このまま僕と先輩とで会話せざるを得なくなっちゃった。
「取引だと?」
「僕、実は欲しいものがあるんです。それを買ってくれるなら、今撮った動画は完全に消去しますよ」
「ふ、脅しのつもりか?その程度の動画が出回った所で、俺にダメージはない」
確かに、暗くて画質も最悪だし、音声だけじゃ何が起きてるのかイマイチ分からない。
そもそも暴行の被害者である堀北さんは絶対に兄を訴えないし、この映像の価値はほぼない。
でも、あなたの妹にとってはそうじゃないですよね。
「いやぁ、本当にそうですかね?少なくとも、この学校始まって以来最高の生徒会長という看板には泥が付きますよ。そしてあなたの妹さんは、あなたの足を引っ張るぐらいなら、何でもしてくれるタイプだと思うんですよね」
「お前……!」
「うわ……」
「あなた……っ!」
あれ、なんだろう。なんか凄い勢いでこの場にいる全員からの好感度が下がっている気がする。……残当!
「あなたが取引に応じてくれるなら動画は消しますし、妹さんを脅したりしないと誓いますよ」
「……いいだろう。いくらだ」
「兄さん!応じる必要はありません……!わ、私が耐えてみせます」
「黙れ。……してやられたのは俺だ。愚妹に尻拭いをさせるのは俺のプライドが許さん」
なんか凄い心が痛いんですけど。
というかこの兄のシスコン、割とわかりやすいな。
「いえ、ポイントは要らないです。ボイスレコーダーを2つ、買って届けてほしいんですよね」
「なぜ……いや、そういう事か?お前たちの担任は、確か茶柱先生だったか」
「……なんでその速度で気づけるんですか?頭の回転どうなってるんですか?」
確かにボイスレコーダーが欲しい理由の半分は、茶柱先生対策なんだけど……推理でそこに辿り着くの、早過ぎる。
「ふん。わざわざポイントではなく現物で要求するということは、購入履歴を見られたくないということだ。実際に教師にそれが閲覧可能かどうかはさておき、担任を警戒しているのなら、俺でもそうするだろう」
「……その通りですよ。僕たちの担任の茶柱先生、全然信用できないんで備えておきたいんですよね」
横目で綾小路君が「確かに……」と言わんばかりに頷いているのが見えた。
堀北さんも、茶柱先生が綾小路君の入試のテストを見せびらかしてきたことを思い出したのか、苦虫を噛んだような顔になっている。
「で、取引に応じてくれませんか?」
「……いいだろう」
「じゃあ、はい、どうぞ」
そう言って僕の端末を投げ渡すと、生徒会長は素早くそれを操作して動画を消去した。
「踏み倒されるとは思わなかったのか?」
「茶柱先生を野放しにしておくのは、あなたも本意じゃないですよね?」
あなたの妹にも被害が出るかもしれないですもんね?
「……返すぞ」
そう言って僕の端末を投げ返して来た。ちなみに、櫛田さんの録音はもう既にUSBメモリに移して、端末からは消去してあるので問題ない。
画面を見ると、チャットアプリに堀北学の文字が追加されていた。
「潮田渚、お前、生徒会に入るつもりはないか?ちょうど一つ、書記の席が空いている」
「は?…え、いいんですか?」
正気ですか?色々と。
「こちらから誘っているんだ、ダメなわけがないだろう」
「いえ、僕はDクラスですよ?それに、たしか葛城君と一之瀬さんも入会を希望してましたよね」
「耳が早いな。だが、あの二人を生徒会に入れるつもりはない。それと、生徒会の入会基準にクラスは関係ない。優秀であればいい」
「……そういうことなら、よろしくお願いします」
今さっきあなたのこと脅した人を勧誘するのは、度量が広過ぎませんかね。いずれは生徒会に入りたいと思ってたから、凄くありがたくはあるんだけど。
「ふっ、歓迎するぞ。一年生も、お前と綾小路がいるなら、面白いことになりそうだな。……それと、鈴音」
「は、はい!」
「上のクラスに上がりたかったら、死にもの狂いで足掻け。それしか方法はない」
「っ、はい」
そういうと生徒会長は、踵を返して暗闇の中へ歩いて消えていった。
シン、と居心地の良くないタイプの静寂が広がる。うん。
「さて、帰るとするか」
「そうだね」
「待って……貴方たち、最初から聞いていたの?それとも、偶然?」
堀北さんに呼び止められ、そんなことを聞かれる。綾小路君は僕の方を一度見てから、堀北さんの質問に答えた。
「半分偶然だ、飲み物を買って少し話してたら、お前を見かけてな。気になって追いかけたんだ。でも立ち入るつもりはなかったぞ」
「……そう」
それだけ言ってまた歩き出した綾小路君は、しかし数歩で足を止めてゆっくり堀北さんに振り返った。
「……なぁ、堀北、本当にもう勉強会はいいのか?お前も少し前に渚が幸村に言ってたこと、聞いてただろう?」
幸村君に僕が言ったこと。今後のテストは学力以外を競う可能性があるって話だろう。
「……ええ、聞いていたし納得もしているわ」
「なら、わかっているだろう。須藤の身体能力も、池たちのコミュニケーション能力も、今後の試験で役に立つ可能性は高い。ここで切り捨てるのは、早いんじゃないか?」
「それは……」
「それに、退学のペナルティだってあるだろう。私語程度で減点されるこの学校が、退学者を出したクラスへのペナルティを軽くするとは思えない」
「……」
……ん?原作の流れ覚えてないけど、こんなに一方的に堀北さんが言い負かされる感じだったっけ?もっと口論になってたと思うんだけど。
「渚からも何か言ってくれ」
さらに追撃しろと。うーん……
「僕も、堀北さんが本気でAクラスを目指すなら、須藤君たちに勉強を教えるべきだと思うよ」
「……それは、クラスメイトを切り捨てる人間に未来はない、とかそんな馬鹿げた理論じゃないでしょうね」
「違うよ、単純に影響力の話だね……ぶっちゃけた事言うけど、洋介君は、Aクラスとか全く目指してないんだ」
「は?……どういうことかしら」
堀北さんからしたら考えられないことだろうけど、割とみんなの共通認識だ。というか、現状のDクラスで本気でAクラスを目指してる人の方が少数派だし。
「洋介君は、クラスメイトを助けるために動いてるってこと。もちろん、堀北さんみたいにAクラスを目指そうとする人の意見も、尊重しようとはするよ?でも、クラスの和を保つためなら、わざと負ける選択肢だって取るタイプだね、彼は」
「そんな……いえ、確かに」
「例えば今後の試験でさ、堀北さんが勝つための良い策を思いついて実行しようとしても、誰もついて来ないだろうね。洋介君の、みんなの意見を取り入れた不平不満が出づらい策、に乗っからざるを得なくなる」
「……」
「堀北さんが本気でAクラスを目指すなら、洋介君をリーダーから引きずり下ろすぐらいの気概がないと厳しいんじゃないかな。そのためにはまず、堀北さんはクラス内に通じる影響力を持つべきだ。ほら、生徒会長も言ってたでしょ、死に物狂いで足掻けって」
「……一理あるわね」
堀北さんは目を閉じ、一度深呼吸をした。そしてもう一度目を開くと、先程までの弱りきっていた様子は完全に消え去っていた。
強い意志のこもった目で僕たちに向き合い、力強く宣言する。
「私は、私自身のために彼らを助ける。打算的に考えて、それが今後のためになるから、そうする」
「うん、それでいいと思うよ」
「ああ、堀北らしいな」
「……張り合いが無いわね。それに綾小路君はともかく、潮田君は、敵に塩を送っている自覚は無いのかしら」
「あはは、敵じゃないよ、堀北さんは」
「そう。ならせいぜい油断していなさい」
そう言うと、堀北さんはスタスタと寮の方へ歩き去っていった。
「同じクラスの味方だよって意味で言ったつもりだったんだけどな、最後の」
「ま、それも堀北らしくて良いんじゃないか?それより、本当に良かったのか?あれは多分、本当に平田に仕掛けて来ると思うぞ」
「うーん、ま、堀北さんと戦うのも面白そうだし……もし負けて堀北さんの下で他のクラスと戦うことになるとしても、それはそれで楽しそうだから良いよ」
「豪胆だな」
「勝つことが全てじゃないからね。楽しまなきゃ損だよ」
「……そう、か」
綾小路君は僕の言葉に、なんとも言えなさそうな顔で頷いた。
「さすがにエレベーターで合流したら気まずいし、ちょっと待ってから帰ろっか」
「ぷっ……そうだな」
綾小路君が堀北さんの尾行を渋ったのは、ついさっき櫛田さんのストーカー扱いされたからです。