その日は朝から、学校中にどこか不安げな雰囲気が蔓延していた。
Dクラスの教室内も例外ではなく、クラスメイトたちはいつもにも増して騒がしい。
楽しげではなく、むしろ剣呑な雰囲気だ。
「渚君、おはよう。待ってたよ」
クラスメイトに囲まれて少し憔悴した様子だった洋介君が、教室に入ってくる僕を見つけてほっとした表情になった。そのまま歩み寄って来たので、片手を上げて挨拶をする。
「洋介君、おはよ〜。もしかしなくても、ポイントの話?」
「うん。朝起きてもポイントが振り込まれていなくてね。クラスメイトもみんなそうなんだ。渚君は何か知らないかい?」
「んーごめん。僕も理由は知らないや。でも、一年生は他のクラスも振り込まれてないみたいだし、Dクラスのポイントが0になったとか、そういう理由じゃないと思うよ」
「本当かい?それがわかっただけでも凄くありがたいよ。それなら、システムエラーとかかな……」
「なんだ、学校側のミスかよ……」「よかった〜」「詫び石を寄越すでござる!」
僕と洋介君の話を聞いていた周囲の生徒たちがほっと胸を撫で下ろす。
四月だけで690ポイントも溶かしたからね。今回も310ポイントを全て消費してしまったんじゃないかと不安だったようだ。
「お前たち、席に着け。ホームルームを始めるぞ」
茶柱先生の声に、集まっていた生徒たちが解散し、自分の席へと戻っていった。
「佐枝ちゃん先生!ポイント入ってきてないんですけど、どういうことですか?!まさか全部なくなっちゃったなんて言いませんよね?!!」
男子生徒の一人が声をあげる。その質問は、クラスの全員が気になっていたことだった。
「ああ、それでいつもにも増して落ち着いていなかったのか。ふむ、気になっているようだし、教えてやろう。これが今月のポイントだ」
先生は手にした紙を広げて黒板に張り出す。Aクラスから順にポイントが公開されていき、Dクラスの欄には397clと記されていた。
「ふ、増えてる!?」
「今回、中間テストを退学者0で切り抜けたクラスには、クラスポイントが100ほど振り込まれることになっている。ご褒美のようなものだな。他のクラスも一律にポイントが増えているだろう?」
「あれ、じゃあなんでポイントが支給されてないんですか?」
至極当然の疑問に立ち返った山内が、先生にそう質問する。
「今回、少しトラブルがあってな。一年生のポイント支給が遅れている。お前たちには悪いがもう少し待ってくれ」
「えー学校側の不備なら、何かオマケとかないんですかぁ〜?」
自分たちの非ではないとわかると、クラスメイトたちの態度が豹変し、不平不満の声を上げ始める。
「そう責めるな。学校側の判断だ、私にはどうすることもできん。トラブルが解消され次第ポイントは支給されるはずだ。……もっとも、このまま満額が支給されるとは限らないがな」
意味深な言葉を残し、茶柱先生は教室を後にした。
放課後になった。六月になったばかりだけど、結構蒸し暑い。
僕は生徒会業務を上手い具合に消化し、少し用事があると言って抜け出してきた。
今日を逃すと、佐倉さんと連絡先を交換する難易度が上がる。暴力事件の目撃者探しが始まるからだ。
「あ、佐倉さん!奇遇だね」
「ひっ!……あ、し、潮田君」
「ごめん、驚かせちゃった?……あっ、もしかして写真撮ってたの?IKCY使ってるんだ。いいね」
「!……わ、わかるんですか?」
「ちょっとね」
佐倉さんと遭遇したのは、もちろん偶然じゃない。
櫛田さんに佐倉さんの位置を教えてもらったのだ。
ちなみに僕は、別にカメラに詳しくはない。昨日、必死に調べた。
デジカメに限っては、それぞれのメーカーとシリーズを言い当てられるぐらいになったけど、ぶっちゃけカメラって種類多過ぎじゃない……?
かなり大変だった。でも佐倉さんとなんの取っ掛りもなく仲良くなるなんて難易度が高過ぎるからね。
「カノンのカメラ、好きなんです。最新技術とかを求めるならSOMYなんですけど、やっぱり性能と価格とのバランスとか、信頼性とかを考えて……それに、なんというか、感覚的な話なんですけど、一番撮ってて楽しくて……あっ」
「本当にカメラ好きなんだね」
「ご、ごめんなさい!」
なんというか、意外だ。結構カメラオタクの気質があるんだね。
それに、思ったより怖がられてない?……いや、これは一時的にカメラ熱が警戒を上回ってただけかな。
「よかったらシャッター押すよ?素人だけど……三脚持ってないみたいだし」
「え、いや、それは……その……」
「あ、ごめん。カメラ触られるの、嫌かな」
やばい。ちょっと踏み込み過ぎたかも。
さすがにプランBの「佐倉さん、君の正体が雫だってことをみんなにバラされたくなかったら、連絡先交換してくれよ、ぐへへ」作戦はできるだけ使いたくない。
頼むから上手くいって……!
「……嫌じゃないです。でもその、みんなには、内緒にしてほしくて」
「もちろん、誰にも言わないよ。えっと、撮影場所とか、もう決まってる?」
「あ、はい。こっちです……その、ありがとうございます」
「こっちこそありがとうね。貴重な体験になりそうだよ」
……うん。なんか上手くいった、ヨシ!
「わぁ……眼鏡外して髪型変えたら、別人じゃん。すっごく可愛いよ」
「か、かわ……ぁ、ありがと…ざいます…」
佐倉さんは消え入るような声で喋っている。顔も真っ赤で、照れているのがひと目でわかる。
「私服も似合ってるよ。凄く活発な雰囲気で、ギャップがあっていいね」
「あぅ……そ、その辺にしていただけると……」
「スタイルも良いし、本当に可愛いよ」
「ま、待ってください……!む、無理です……」
おっと、反応が良いからってからかい過ぎたかな。パタパタと手で顔を扇いでいる佐倉さんを眺める。
それにしても、知識として知っていたつもりだったけど、実際目にすると本当に凄いね。めちゃくちゃ可愛いし、スタイルも正直えr……
「!!……え、急に、どうしたんですか?!」
「なんでもないよ」
両頬を思い切り左右から挟むように叩いて気を引き締める。
危ない、危ない。佐倉さんは間違いなくそういう視線に敏感で、そしてそれに嫌悪感を抱くタイプだ。気をつけないとね。
「えっと……?そ、それじゃあ、セットアップはこっちでやるので、角度を変えながら何枚か取ってほしいです」
「うん、わかったよ」
佐倉さんから渡されたカメラを構え、何枚か撮っていく。最近のカメラは凄いなぁ、細かい設定はともかく、明るさとピントは自動で調整してくれる。
何枚か撮った後に佐倉さんにカメラを渡すと、撮った写真を真剣に確認し始めた。
「うーん……せっかく撮って貰えるんだし、いつもはできない俯瞰を……そろそろ夏だし、もうちょっと露出が……水場でも撮影したいけど、人がいるし……あっ」
佐倉さんはなにかに気づいたかのような声をあげると、勢いよく振り返ってきた。
「そ、その、すみません。自分の世界に入ってしまって……」
「いいよ、僕も楽しいから。……でも、ちょっと意外だったかも」
「……え、えっと、どういう意味ですか?」
「なんとなく、佐倉さんって僕のこと苦手そうっていうか、避けてると思ってたから」
「あっ……そ、それはその、すみません」
「あはは、別に謝らなくていいよ。心当たり無いわけじゃないし、むしろごめんね」
できる限り強い視線を向けないよう努力はしている。
プールの時なんか、佐倉さんや長谷部さんが視界に入ったら目線は斜め上45度を向くようにしていたし。それに気づいた軽井沢さんに脛を蹴られても、脇腹を抓られても、ずっとそれを続けていた。
でもそれはそれとして、どうしても視線は向けてしまう。
「本物の佐倉さんだ!」みたいなミーハーな気持ちは抑えられないし、多分それも含めて不快な気分にさせてしまったんだろうなぁと思うと、申し訳ない。
「いえ、違うんです……潮田君からは、他の男の子みたいに、その、いやらしい視線は感じなかったです……えっと、上手く説明できないんですけど、なんか、怖くて……」
「怖い?」
「なんて言うか、剥き身の包丁を見た時みたいな、不安になる怖さが……あ、ご、ごめんなさい、失礼ですよね」
「いや、ちょっと納得したかも。……うん」
殺気や暴力の気配を察知した、わけじゃないだろう。僕ならそれを完璧に抑え込める自信があるし、そもそも日常生活で殺意を覚えることなんてないし。
それでも何か感じているなら、佐倉さんは思ったより、かなり洞察力に優れているのかもしれない。
「で、でも!……今はもう、あんまり怖くないです、よ?」
「そっか、それはよかった。佐倉さんとは仲良くなりたかったからね」
「!……あ、えっと」
「よければ、友達になってくれないかな?」
「わ、私でよければ、よろしくお願いしますっ」
よし、作戦成功かな。
「よろしくね。じゃあ、続きやろっか」
「は、はい。その、ポーズとか構図のアドバイスもらってもいいですか?男性目線だと、どう見えるのか、とかも知りたくて……」
「もちろん!」
その後は日が暮れる直前まで写真を沢山撮って、連絡先を交換した上で解散した。