明浦路司をメダリストに   作:asim

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※本作はスケート知識をメダリストの漫画及び、ネットで調べた情報のみで作成されています。誤った情報、表記がある可能性がございますので、ご容赦ください。

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。


1 世界の真相

1972年、昭和47年。気が付けば、俺は過去にいた。

理由はわからない。横断歩道でトラックにはねられた記憶もないし、神様と面会してチート能力を授かったわけでもない。ただ物心ついた時から、俺の頭の中には平成から令和へと至る未来の記憶が、こびりつくように存在していた。

 

だが、特に大きく変わるわけでもない。勉強は、要領はつかめたので比較的簡単だったが、別に地頭がいいわけでもないので暗記やら何やらとそこそこ苦労した。

 

俺が中高生になる頃、日本はバブル真っ盛りだ。

街全体が狂っていたと言っていい。

大人は誰もが浮かれ、深夜の繁華街では万札を振ってタクシーを止め、高校生ですらディスコで遊び狂う異常な熱気が渦巻いていた。

 

どこに行ってもタバコの煙と強烈な香水の匂いが充満し、駅の改札では駅員がリズミカルに切符のハサミを鳴らしている。

一回り上の兄貴も、その熱気に当てられた一人だった。売り手市場で大企業に滑り込み、バブル絶頂の最も高い時期に、郊外の分譲マンションをペアローンで買ってのけた。

 

だが、この時代に生まれた者なら知っているだろう。最悪の生まれ年。

 

1991年、バブル崩壊。

「いい大学に入れば一生安泰」という親世代の神話は、直後に崩れ去る。

その後に訪れるのが、所謂『就職氷河期』だ。ちょうど俺が社会に出る時期に真正面からぶつかる。同級生たちが真面目にリクルートスーツを着て、100社受けても内定ゼロでお祈りされる地獄の時代。

 

だが、未来の知識のある俺には90年代のITバブルで小金を稼ぐのは拍子抜けするほど簡単だった。

 

『ピー、ガガガガ』

 

深夜、俺は自室で分厚いブラウン管モニターを睨みつけていた。

電話線を使ったダイヤルアップ接続。ネットに繋ぐたびに鳴るけたたましいノイズ音と、画像を1枚表示するだけで数分かかる遅さに、現代の記憶を持つ俺の魂は発狂しそうになる。Suicaはおろか、まともな携帯電話すら普及しきっていない、不便でアナログな1990年代。

 

だが、このクソみたいに遅いネット回線の先には、黄金の山が眠っている。

俺は就活を早々にドロップアウトし、フリーターとして死に物狂いで貯めた種銭のすべてを、1997年に上場したばかりの『ヤフー』の株に全ツッパする。

 

そして、1999年、秋。

大企業の歯車になった兄貴が、崩壊した景気の中で高いローンと4人の男児の養育費に首が回らなくなっている横で。

レールを外れたはずの俺の口座には、この先一生遊んで暮らせるだけの、莫大な数字が並んでいた。

 

悠々自適な日々。

一生を遊んで暮らせる資金を得て3か月も遊び倒したころ。

 

飽きた。

やることがない。

 

それよりも、段々と減っていく資金を見ると不安が募っていく。

いくら莫大な資金と言っても、当然使えば減っていく。未来の知識をもってしてもう一度稼げばいいと思うかもしれないが、俺の脳内の知識など、あやふやすぎてあてにならなかった。政治の細かい動向も、すべての企業の株価チャートも覚えているわけがない。

確実なのは2001年頃にはITバブルは終幕することだけ。

 

『ピー、ガガガガ』

 

やかましいダイヤルアップの接続音を聞きながら、俺は分厚いブラウン管モニターを睨みつけていた。

不動産を買うか? それとも手堅く金に変えるか? あるいは、これから伸びるエンタメやスポーツビジネスに投資するか……。

 

不完全な記憶を必死に探りながら、俺は手元のスポーツ新聞を広げる。

1面トップには西武キャンプ地での松坂フィーバー一色だ。中面にはサッカーの中田や、ワールドユースを沸かせた黄金世代の若手たちの動向がデカデカと載っている。

 

正直あんまり覚えていない。

イチローがもうすぐメジャーに行くのは知っているが、今さら食い込めるのだろうか?

大谷翔平は今何歳だ?5歳くらい?いきなり見ず知らずの男の投資なんてうけるのか?

 

俺はため息をつき、ノートに覚えている限りの選手を書いていく。

 

『——続いてフラッシュニュースです。』

 

傍らで流し見していたテレビのニュース番組の方は、女性キャスターの早口な声が聞こえてくる。

マイナースポーツの試合結果を、数十秒ずつ淡々と処理してくコーナーだ。大相撲の地方巡業、スキージャンプ。これも誰が活躍したかなんて覚えていない。

 

『将来のオリンピック候補が集う、フィギュアスケート全日本ジュニア選手権。男子は、14歳の夜鷹純選手が圧巻の演技を披露しました』

 

ピタリと、ノートを取る手が止まる。

 

『2位には鴗鳥慎一郎選手が食い込みましたが、夜鷹選手との得点差は大きく、王座には届きませんでした。3位には——』

 

女性キャスターの声に思わず顔を上げてブラウン管テレビを凝視した。

画質の荒い引きのカメラ映像。そこで無音のままジャンプを着氷し、冷たい顔で滑っていく14歳の少年の姿が、数秒だけ映し出され、すぐに次のニュースへと切り替わってしまった。

 

「……夜鷹純? 鴗鳥、慎一郎……?」

 

なんだ、この妙な既視感は。現実のニュースを見ているはずなのに、なぜか「漫画のキャラクター」の名前を見せられているような、強烈な違和感。

 

夜鷹、純。鴗鳥、慎一郎…。

前世の記憶の奥底、漫画のタイトルが、ふいに浮かび上がってきた。

 

——『メダリスト』だ。

 

…なんてな。偶然もあったものだ。

まさか漫画のキャラクターと一字一句同じ名前の人物が、現実の大会で活躍しているなんて。

俺は自嘲気味に鼻で笑い、再びノートに向きなおろうとして——ふと、思考が凍り付いた。

 

いや待てよ。

俺の名前は明浦路仁。珍しい苗字で何度も読み間違えられた。

『メダリスト』の登場人物あのコーチの名前は明浦路じゃなかったか?

 

「…明浦路司だ」

 

兄の子供、次男の名前はたしか司だったはずだ。

ちょうど年のころも合う。

 

手からペンがポトリと落ち、フローリングを転がる。

頭の中で、バラバラだったピースが暴力的なまでの説得力を持って組みあがっていく。

 

バブル絶頂期に家を買い、不況下でカツカツの生活を送りながら4男を育てている一回り上の兄家族。

原作の知識を必死に手繰り寄せる。たしか明浦路司は、そこそこ歳がいってからスケートに出会ったせいで、選手として活躍する機会に恵まれなかったはずだ。

さらにボトルネックとなるのは金だ。

ただでさえ出会うのが遅れたのに、金のかかるスケートを4人兄弟の次男に割けるリソースはない。最高のハードウェアを持っているのに、環境と時期で活躍できない不遇の天才。

 

「キタ!これしかない!」

 

笑いがこみあげてくる。

俺はさっきまで何を悩んでいた?次の金儲けの手段?青田買い?

馬鹿か。特大の優良銘柄が、すぐ目の前にいるではないか!?

 

「待ってろよ、未来のメダリスト。叔父さんが最高の将来を約束してやろう」

 

ひっひっひっ、と一人。

薄暗い部屋に、粘着質な笑い声が響き渡った。

 

-*-*-

 

2000年1月1日。

ニコニコとして俺は名古屋の兄貴の家へと足を踏み入れた。

 

「こら!そこで暴れるな!ほら、叔父さんに挨拶しなさい!」

 

ドアを開けた瞬間、予想通りの戦場が広がっていた。

長男は真冬だというのに半袖で走り回り、三男はテレビの前で泣き叫び、ベビーベッドの四男がそれに釣られて泣き出す。義姉さんは台所とリビングを反復横跳びしながら般若のような顔で怒鳴り散らかしている。

相変わらずカオスな家だ。

 

「よお、あけましておめでとう」

「おお!仁か。悪いな、いつも騒がしくして…おいこら、投げるな!」

 

疲れ切った顔の兄貴が、長男の首根っこを掴みながら俺を迎える。

奥には俺の父も母もいて微笑ましい表情で子供たちを見ている。

俺は喧噪をすり抜け、リビングの片隅へ向かう。

 

いた。

他の兄弟が派手に散らかしたブロックのおもちゃを一人で片付けている。

明浦路司(6歳)だ。

 

「司、あけましておめでとう」

「あ…仁叔父さん。あけましておめでとうございます」

 

司は行儀よく頭を下げた。6歳児とは思えないほど落ち着いている。

4人男兄弟の中でわがままも言えないような環境が、彼に過剰なまでの空気の読み方を学習させてしまったのだろう。長男が暴れ、下二人が泣き叫ぶこの家で、自分まで自己主張すれば親がパンクすることを、この小さな頭で完璧に理解しているのだ。

 

「ごめんね仁くん。ゆっくり座る場所もなくて」

 

お茶を運んできた義姉さんが、申し訳なさそうに肩を落とす。

 

「いえいえ、大丈夫ですよ。それにしても、司君は手がかからなそうですね。一人で黙々と片付けて」

 

俺が司の方を顎でしゃくると、義姉さんは嬉しそうに、けれども少し寂しそうに目を伏せた。

 

「あの子、本当にわがままを言わないのよ。お兄ちゃんのおさがりばっかりでも文句ひとつ言わないし…」

 

6歳児が気を遣う異常さ。これが、この天才児を遅らせた最大の要因だな。

本来ならもっと早くに氷に立ち、その才能を開花させていたかもしれない。

 

俺は義姉さんから離れ、ブロックを片付ける司の隣に胡坐をかいた。

 

「楽しいか?」

「…別に」

 

司はむすっとした表情でブロックを片付け続ける。

 

…会話が続かない。

もういい!俺はこの日のために準備していたんだ!

 

「なあ、司。フィギュアスケートに興味はないか?」

「ふぃぎゅあすけーと?」

 

どうやら、フィギュアスケートという競技そのものをあまりわかっていないようだった。

俺は、フィギュアスケートについて軽く説明する。

 

司はブロックを箱に仕分けしながら、時折「へー」「ふーん」とあまり興味なさそうに相槌を打っている。無理もない。名古屋の団地で育つ6歳の男の子にとって、氷上のスポーツなどテレビの先の出来事くらい現実味のない話なのだ。

 

「実はスケートリンク場を丸ごと買ったんだ。せっかくだから見に行かないか?」

「…へ?」

 

司の手がピタリと止まった。

ゆっくりとこちらに向けられた顔には、「この大人は突然何を言い出したんだ?」という純粋な困惑が浮かんでいる。丸く見開かれた目は、ブロックを持ったまま完全に硬直していた。

 

「スケートリンク場って…つまり、体育館丸ごと買ったようなこと!?」

「ああ、そうだ。小学校の体育館よりずっとでかくて、冷たいやつをな」

 

司はぽかーんと口を開け、呆然とした表情を浮かべる。 6歳児の金銭感覚からすれば、数百円のガチャガチャやゲームソフトが関の山だ。建物を丸ごと買う、という資本主義の理不尽な暴力は、彼の小さなキャパシティを完全にショートさせていた。

 

「実は、テレビで見た夜鷹純っていうすごい選手を見てな。これからは絶対にこのスポーツの時代が来る、ビジネスとして行けると思って、思わずリンクを買ってしまったんだよ」

 

俺はもっともらしい嘘の言い訳を言う。

まあ、6歳の司にここまで細かく言う必要はあまりないのだが、俺がスケートに異常な資金を注ぎ込むための『大人のそれらしい理由』は、今後のためにも絶対に必要だろう。

 

「というわけで、俺の買い物がどんなもんか、ちょっと視察に付き合え」

 

俺は立ち上がり、呆気にとられている司の小さな腕を掴んだ。

 

「行くぞ」

「……え!? 今から!?」

 

ブロックの片付けを途中で放り出され、司は素っ頓狂な声を上げた。

その声を聞きつけて、戦場と化していたリビングの空気がピタリと止まる。

 

「…仁。今なんて言った?買った?何を?」

 

父が持っていた湯呑みをゆっくりと置きながら、怪訝な顔でこちらをにらみつけていた。

隣に座る母も、台所にいる兄夫婦も、全員がポカンと口を開けて俺を見ている。

 

「スケートリンクだよ。株で儲かりすぎたから、節税対策に施設ごとポンと買っちまったん。で、今からそこに連れて行こうと」

「お前…頭でも打ったか?リンクを買った?何億すると思って…」

「ポンと買ったんだよ」

 

俺が平然と答えると、リビングが水を打ったように静まり返った。

親父は絶句し、兄貴は目を剥いている。

その大人たちの沈黙を破ったのは、テレビの前で暴れていた長男だった。

 

「スケート!?俺も行く!」

「いくー!ぼくもいくー!」

 

大人たちは唖然とした様子の中、俺は外に出た。

 

-*-*-

 

「…で、でけぇ」

「さむーい」

 

到着したスケートリンク場を前に、兄家族と両親は口を開けて固まっていた。

普段ならお正月休みでシャッターが下りているはずの巨大な施設だが、入り口には事前に俺の電話で準備していた支配人が、冷や汗をかきながらも揉み手をして待機していた。

 

「お、お待ちしておりました、オーナー!」

「ご苦労さん。親族の貸し切りだ。全員分の靴を適当に見繕ってくれ」

 

支配人のその平身低頭な対応を見て、親父と兄貴が「こいつ、本当にリンクを買ったんか…」と顔を引きつらせていたが、知ったことではない。

 

靴を持って薄暗い通路を抜ける。

冷気で満ちた広大なスケートリンクへと足を踏み入れた。

鏡のように磨き上げられた、誰もいない真っ白な銀盤。

 

「うおおおおお! すげええええ!」

 

貸し靴を履き終えた長男が歓声を上げて氷に飛び出し——そして盛大にすっ転んだ。

 

「あはははは!」

 

その後を追うように三男も氷の上で転げ回り、義姉さんが「危ないから走らないの!」と叫びながらツルツルと滑っている。

 

俺はベンチに座り、自分の靴紐を締め終わった司へと視線を向けた。

さあ、見せてみろ。未来のメダリスト。叔父さんが用意した最高の舞台で、その隠された才能の片鱗を。

俺の熱い期待を一身に背負い、司は恐る恐る、壁伝いに氷の上に足を踏み出した。

 

ステンッ!

 

見事なまでの尻餅だった。

 

「……まあ、最初はそんなもんだろ。天才だって氷に慣れる時間は必要だ」

 

司は立ち上がろうとしては転び、壁から手を離しては転びを繰り返した。

 

ステンッ!ステンッ!ステンッ!

 

氷の上で這いつくばるその顔は、眉間に深いシワが寄り、唇をギュッと噛み締めている。何度転んでも無言のままだが、お世辞にも楽しそうには見えなかった。

 

俺はリンクサイドで缶コーヒーを片手に、小さくため息をついた。

……思い違いだったか。

漫画のキャラクターと同姓同名なんて、探せばいくらでもいる。勝手に『メダリスト』の世界だと舞い上がり、勢いでリンクまで買い上げてしまったが、ただの偶然だったのかもしれない。

最初からスイスイ滑れるような天性のバランス感覚も見えないし、あんな苦虫を噛み潰したような顔をしていては、そもそもスケート自体を好きになってくれないだろう。

 

「おい、仁。本当にここ、俺たちが自由に使っていいのか?」

 

転び疲れて壁際で休んでいた兄貴が、未だに信じられないという顔で聞いてきた。

 

「ああ。どのみち税金対策の施設だからな。暇な時や、子供たちが遊びたい時はいつでも使っていいぞ。支配人に明浦路の家族だって言っとけば顔パスで入れるようにしておく」

「お前、……まあ、ありがたく使わせてもらうわ。ほら司も無理するなよ。転んでばっかりで痛くないか?」

 

兄貴が声をかけたが、司は返事もしない。

俺も苦笑して、司の方へと目をやる。

相変わらず、無様に氷の上で尻餅をつき続けていた。手すりから離れては転び、立ち上がっては転ぶ。ただひたすらに、転び続けている。

 

ああ、こりゃ完全にスケート嫌いになったな……

完全に期待を捨て、コーヒーを喉に流し込んだ。

俺の莫大な資金の投資先は、また別の機会に探すしかないようだ。

 

 

——だが、この時の俺は、リンクの外からただ漫然と眺めていただけで、致命的な見落としをした。

司は、ただ無様に転んでいたわけではない。

 

「……違う。靴の、ここの部分じゃなくて……」

 

司は氷の上で転がったまま、自分の足元のブレードと、削れた氷の表面を穴のあくほど見つめていた。

 

「右足で体重を乗せて……」

 

痛がる素振りなど微塵もない。彼の目は、異常なほどの熱を帯びていた。

圧倒的な情報量を持つ氷という未知のシステムに対し、この6歳は、全身の細胞を沸騰させて没頭していたのだ。

 

何度も何度も転びながら、頭の中の仮説を、自身の体を使って猛烈なスピードで検証とアップデートを繰り返していく。

 

端から見れば、鈍くさい子供が転び続けているだけの図。

しかし司の内心は、人生で初めて出会った解き明かすべき巨大なパズルを前に、制御しきれないほどの大はしゃぎ状態だった。

 

「……よし、飯食いに行くぞー! 焼肉だ!」

 

俺の呑気な声がリンクに響く。

この日、自分の思い違いにガッカリした俺が、しばらくこのリンクに顔を出さなくなること。

そして、顔パスの権利を得たこの小さなバケモノが、親の目を盗んで毎日のようにここに通い詰めるようになることを、今の俺はまだ知る由もなかった。

 




一旦完結までは書きました。毎日上げていきます。

PS.なぜかスケートの知識よりも、歴史の勉強が必要でした。
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