明浦路司をメダリストに   作:asim

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15 変わってしまう

新潟の冷たく澄んだ空気が張り詰めるスケートリンク。

幼い白鳥珠那にとって、この氷の上は自分を輝かせるための巨大なステージだった。

 

「見ててよ、俺のジャンプ!」

 

華やかなルックスと、誰の目も惹きつける天性の華。氷を蹴り、スピンで風を巻き起こすたびに、リンクサイドにいる大人たちの視線が自分へと集まるのがわかる。

スポットライトの中心に立つ快感。世界中から注目され、愛される存在になりたい。そのための最短ルートが、フィギュアスケートの『オリンピック選手』になることだった。

珠那にとって、自分が特別な存在としてその舞台に立つことは、疑いようのない未来の約束のはずだった。

 

だが、年齢が上がり、より高いレベルのステージへと足を踏み入れたとき、珠那は自分を取り巻く世界がひび割れていく音を聞いた。

この世界には、スポットライトへの憧れ程度では到底太刀打ちできないバケモノたちがいたのだ。

 

一人は、蛇崩遊大。

リンクの隅、遊大の練習はもはやスケートというより、己の命を削る儀式のようだった。

何度転倒し、氷に身体を打ちつけようと、彼は立ち上がる。息も絶え絶えになり、時に嘔吐しそうになりながらも、その瞳には狂気にも似た執念が宿っていた。

 

壁に叩きつけられ、膝を痣だらけにしながらも再び跳ぼうとする遊大の姿を遠巻きに見つめ、珠那は無意識に後ずさった。

スケートのために死ねると言わんばかりのその狂気を見て、珠那は息を呑んだ。自分には、あそこまで己を壊してまで氷に執着することはできない。

 

そしてもう一人。珠那の心に決定的な一撃を与えたのは、自分と同い年のスケーター、明浦路司だった。

 

合同練習の最中。珠那や遊大が必死にフォームを修正し、氷と格闘している中、司はただ静かにリンクの中央へと滑り出た。

力みなど一切ない。ただ氷の上を散歩でもするかのように滑らかに加速し、ふわりと宙へ舞う。何気ない助走から放たれたそのジャンプは、恐ろしいほどの高さと完璧な軸を持ち、音もなく氷へと舞い降りた。

 

誰もが息を呑んだ。

遊大が血反吐を吐いて手を伸ばしている高みへ、司はあくびでもしながら階段を登っていくような、無慈悲なまでの才能の差。

努力、執念、狂気。そのすべてを、ただそこにあるだけの『純粋な天才』がいともたやすく蹂躙していく。

同い年だからこそ、その残酷なまでの才能の差が嫌でも突き刺さった。

 

「……なんだよ、あれ」

 

珠那の口から、乾いた笑いが漏れた。

自分もまた、選ばれた才能だと思っていた。ここで誰よりも目立ち、トップに立つのは自分だと信じて疑わなかった。

今すぐスケートを辞めるわけじゃない。諦めるには、これまで積み上げてきた努力もプライドもありすぎる。負けっぱなしで逃げ出すなんてごめんだ。

 

だが、遊大の狂気を見たとき。そして今、同い年の司の美しすぎるジャンプを見たとき。

神様に愛されているのは、自分ではない。この冷たい氷のステージの真の主役は、俺じゃないのかもしれない。そんな残酷な予感が、鋭い氷の破片のように胸の奥深くへと突き刺さった。

 

オリンピックという夢の輪郭が、音を立てて崩れ去っていく。

しかし、氷上に立ち尽くす珠那の胸の奥で、決して消えることのない一つの炎だけが、静かに、だが確かに燻り続けていた。

 

-*-*-*-

 

夜鷹純という絶対的な太陽が沈み、ようやく俺たちの夜明けが来るはずだった。

 

4つ上の世代に君臨していた夜鷹純。あの人が現役でいる間、国内の男子シングルは『夜鷹純と、それ以外』という残酷な構図で固定されていた。鴗鳥さんたち上の世代がどれだけ血の滲むような努力で美しいスケートを磨き上げても、あの圧倒的な才能の前ではすべてが霞んでしまった。

 

そんな絶対王者が氷から降り、ようやく分厚い天井が消えた。

17歳。ジュニアとして集大成となる年齢を迎えた俺、魚淵翔は、ついに自分がスポットライトを浴びる順番が回ってきたのだと確信していた。

長かった冬が終わり、俺たちの世代が表彰台の頂点を争う時代が来たのだと。

 

舞台は全日本ジュニア選手権。

仕上がりは完璧だった。これまでのスケート人生で培ってきた技術、表現力、すべてを氷にぶつける準備はできていた。

 

だが、俺は上が消えたことばかりに安堵して、下から迫る異様な地鳴りに気づいていなかったのだ。

 

「次は、明浦路司選手」

 

俺より4つも下の、まだあどけなさすら残る少年。

ノービスから上がってきた彼がリンクの中央に立った瞬間、会場の空気が一変したのを肌で感じた。

 

曲が鳴り、彼が滑り出した瞬間、俺は息を止めた。

速い。そして、あまりにも軽い。

俺たちが何千回と転倒し、筋肉が悲鳴を上げさせながらようやく身につけたスケーティング技術を、その少年はまるで生まれつきの歩行のように自然にやってのける。

 

そして、ジャンプ。

高く、細く、そして恐ろしいほどに滑らかな着氷。

 

「嘘だろ……」

 

リンクサイドで見つめていた俺の口から、無意識にそんな声が漏れていた。

 

それは、下から押し寄せてきた津波だった。

俺たちがコツコツと築き上げてきた砂の城を、根こそぎ飲み込み、跡形もなく奪い去っていく暴力的なまでの才能のうねり。

 

夜鷹純が去り、ぽっかりと空いた王座。そこに座るのは俺たちだと思っていた。

だが違った。俺たちの世代は、夜鷹純という天才と、明浦路司という下から突き上げてきた新たな天才の間に挟まれた、ただの通過点に過ぎなかったのだ。

 

観客席から割れんばかりの歓声が降り注ぐ。それは、新しい時代の幕開けを祝福する音だった。

氷から上がってきた4つ下の少年の背中を見つめながら、俺は拳を強く握りしめた。

 

順番なんて、最初から存在しなかった。才能という名の津波は、年齢も努力も関係なく、すべてを無慈悲に飲み込んでいく。

 

――ふざけんな。

 

絶望に呑まれそうになる心を、17歳の意地だけで繋ぎ止める。

時代に飲み込まれるだけの谷間の世代で終わってたまるか。この津波に抗って、俺の爪痕をこの氷に刻み込んでやる。

 

俺は、歓声の冷めやらないリンクへと向けて、ゆっくりとスケート靴の紐を締め直した。

 

-*-*-*-

 

観客席から見下ろす冷たい氷の舞台は、私、高峰瞳がかつて戦い、そして別の形で愛することに決めた場所だ。

 

シングルスケーターとして6級まで取得したものの、私はジャンプの成否にすべてを懸けるシビアな世界よりも、エッジと氷が対話するような深い滑りの魅力に心を奪われた。だから私は、アイスダンスという新しい道へ進むことを選んだ。

純粋に滑ることの美しさを知った今の私の目には、シングル競技のリンクが以前とは少し違って見えていた。

 

「次は明浦路司選手」

 

アナウンスと共にリンクへ現れたのは、私より2つ年下の小柄な少年だった。

彼が定位置につき、プログラムの曲が鳴り、滑り出した瞬間――私は思わず手すりに身を乗り出し、小さく息を呑んだ。

 

違う。あの子のスケートは、他の選手たちと明らかに違う。

 

同年代のシングルスケーターの多くが、大技を跳ぶために力任せに氷を蹴り上げ、スピードを出そうとするのに対し、彼の滑りには一切の力みや淀みがなかった。

まるで氷そのものと手を取り合って踊っているかのような、深く、柔らかいエッジワーク。足元から生まれる滑らかなトレースは、アイスダンスの視点から見てもため息が出るほどに美しく、洗練されている。

 

そして、彼は流れるような軌道から、ごく自然にふわりと宙へ舞い上がった。

 

無重力空間にいるかのようなジャンプ。そこからの、氷を優しく撫でるような音のない着氷。

彼にとってジャンプは独立した大技ではなく、スケーティングという一つの美しい流れの中に完全に溶け込んだ、振付の一部でしかないのだ。

 

「……すごい。なんて綺麗なスケートをするんだろう」

 

私の口からこぼれたのは、打ちのめされるような絶望でも、下から追い抜かれる焦りでもなく、ただ純粋な感嘆だった。

もし私が同じシングルの土俵に固執していたなら、あの残酷なほどの才能を見せつけられて打ちひしがれていたかもしれない。けれど、アイスダンスという別の道を見つけ、氷上の表現者としての歓びを知った今の私には、彼の才能がただただ眩しく、奇跡のように美しく思えた。

 

彼がリンクに描く軌跡を、もっとずっと見ていたい。

会場を揺るがすほどの割れんばかりの歓声の中で、私は一人の観客として、そして同じ氷の上で美しさを追究するスケーターとして、その背中に惜しみない拍手を送っていた。

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