明浦路司をメダリストに 作:asim
全日本ジュニア選手権のタイトルは、2年連続で明浦路司がもぎ取った。
それはもはや、勝負と呼べるような代物ではなかった。
全国から集まった同世代のトップスケーターたち。周囲から天才と持て囃されてきた彼らが、司と同じ氷に立った瞬間、残酷なまでにただの秀才に過ぎなかったのだと叩きつけられる。
息をするように飛び、重力を無視したように着氷する司の姿は、努力や執念といった人間のドラマを一切寄せ付けない、純粋で圧倒的な才能の暴力だった。
一方、その『天才』に最も肉薄し、自らの命を削って食らいついていた蛇崩遊大はと言えば——彼は周囲の猛反対を押し切り、何とか無理やりにでも国際大会であるJGPファイナルへと出場していた。
テーピングで雁字搦めにされた膝。痛み止めで無理やり感覚を麻痺させた足。
すでにボロボロに壊れかけていた身体を庇いながらの演技は、本来の彼の爆発力からは程遠く、結果としては表彰台には届かない、そこそこの順位に落ち着いた。
なぜそこまでして滑るのか、と問われれば、答えは極めて現実的で、そして残酷なものだった。
ランキングポイントの維持である。
もしここで治療を優先して氷から離れ、試合を棄権すれば、ISUの世界ランキングポイントは霧散する。それは直結して、翌シーズンのシード権と、何より世界ジュニア選手権への代表権を喪失することを意味していた。
司の才能は、今この瞬間も恐ろしいスピードで進化を続けている。
ここでポイントを落とし、主要な国際大会の舞台から一度でも脱落してしまえば、来シーズン、司と同じ頂上決戦のスタートラインにすら立てなくなる。技術や感覚の遅れ以上に、競技のシステム上、司の背中を永遠に見失ってしまうのだ。
だからこそ遊大が選んだのは、ポイントを落とさないためだけに、壊れた身体で最低限の順位をもぎ取るという、執念にまみれた正しくも残酷な戦略だった。
折しも時代は2006年。怪我を押してでもリンクに立ち続けることが、スポーツ界においてある種の美徳として、感動的にすら語られがちだった時代である。
遊大のその悲壮な決意は、そんな狂った時代の空気感にも後押しされ、もはや誰にも止めることはできなかった。
痛みはとうに限界を超えている。だが、薄暗いロッカールームでリザルトを見つめる遊大の目には、暗い光が宿っていた。
これでギリギリ首の皮一枚、あの残酷な天才と同じ土俵の中に残り続けることができるのだから。
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JGPシリーズが待ち受けている。
JGPシリーズとは、世界を転戦するジュニア世代最高峰のサーキット大会である。
毎年8月末から10月にかけて全7〜8戦が開催されるが、1人の選手がエントリーできるのは最大2大会までと厳格に決められている。そして、その2大会で獲得した順位ポイントの合計により、世界の上位8名だけが、12月の頂上決戦JGPファイナルへと進出できる。
年が明け、3月。
来シーズンのJGP派遣枠を決める、派遣選手選考会の時期がやってくる。
本来、この選考会は全日本ジュニアで上位に入れなかったが、ポテンシャルの高い選手や推薦枠の残り数枠を争う選手たちを見極めるための、血で血を洗うサバイバルレースである。
しかし、全日本ジュニアを2連覇した明浦路司にとって、この選考会は無縁のものだった。
全日本ジュニア王者という肩書きは、日本スケート連盟にとって覇権の絶対軸である。わざわざ3月の選考会で実力を試す必要などどこにもなく、真っ先にJGP 2大会派遣のリストの最上段に明浦路司の名が刻印される。彼はただ圧倒的な存在として、静かに来シーズンを待てばいい。
一方、遊大の立場は複雑だった。
JGPシリーズで確かな結果を残し、ファイナルまで進出した実績は誰もが認めるものだ。しかし、連盟が危惧していたのは彼の肉体だった。
選考会に遊大が呼び出されたのは、実力を測るためではない。無理を押してファイナルに出場した結果、その怪我の具合が現在どうなっているのかを見極めるためだった。
来シーズン、本当に世界で戦える状態まで回復しているのか。
大人たちの厳しい監視の目の中、遊大は満身創痍の身体を引きずり、自らの健在を氷上で証明しなければならない。
絶対的な王者として無条件で世界へのパスポートを手にする司と、実績がありながらも自身の肉体の限界を疑われ、テストを受けさせられる遊大。
3月の選考会は、二人の間に横たわる無慈悲な才能と立場の差を、改めて浮き彫りにする場となったのである。
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アイスダンスの競技人口は、日本においては残酷なほど少ない。俺、鴨川洸平は、他にエントリーするカップルがいなかったというだけの理由で、無審査であっさりと来シーズンの国際大会への派遣が決まっていた。
血で血を洗うようなシングルのサバイバルレースとは無縁の立場。今日はただ、友人の白鳥珠那の応援のためにこの選考会に足を運んだのだが——リンクを包む異様な熱気に、俺は思わず手すりを強く握りしめていた。
「…マジかよ。あんな足で跳ぶのか」
俺の視線の先には、テーピングでがんじがらめになった膝を引きずる蛇崩遊大の姿があった。誰の目にも万全ではない。足元の滑らかさが命であるアイスダンスの視点から見れば、まともに氷を捉えられていることすら奇跡のような、満身創痍の状態だ。
だが、それでも遊大が放つ執念と技術の残滓は、この場にいる健康な推薦枠争いの選手たちを、まるで赤子のように圧倒していく。
ギリギリの怪我のテスト。その極限状態ですら、遊大は、絶対に世界への切符を手放さないという獣のような眼光で、審査員たちの目を釘付けにしていた。
俺は少し離れた場所で出番を待つ、友人の珠那へ近づき、そっと声をかけた。
「話には聞いていたが、間近で見ると、とんでもないな」
俺の言葉に、珠那は視線をリンクの遊大に向けたまま、ふっと自嘲気味な笑みをこぼした。
「ああ。蛇崩くんのスケートへの執着は、控えめに言ってイカれてるよ。……でも、洸平。本当に恐ろしいのは、あんな狂気じみた滑りをする蛇崩くんですら、どうしても追いつけないバケモノがいるってことだよ」
「バケモノって……ああ」
俺はハッとして、この殺伐とした会場に決定的に欠けているピースの存在に気がついた。圧倒的な力を見せつけたはずの、全日本ジュニア王者の姿がないのだ。
「明浦路司。全日本ジュニアを連覇してるからね。当然この泥臭いサバイバルは免除だよ」
珠那は肩をすくめ、リンクで満身創痍の演技を終えようとしている遊大を見つめた。
「命を削ってでもしがみつく天才と、努力の概念すら超越した理不尽な天才。……最悪な世代だろ? シングル競技ってやつは」
そう言い放つ珠那の横顔には、打ちひしがれたような絶望はなかった。むしろ、この理不尽な連中を相手に、自分はどんな手を使って客の視線を奪ってやろうかという、不敵で獰猛な光が静かに宿っているように見えた。
例年、この過酷な選考会を経てJGPシリーズへの派遣を勝ち取れるシングルの選手は、基本的にはわずか8名しかいない。
JGPシリーズは全8大会で構成されており、国際ルールにより1つの国に与えられる出場枠は最大16枠までと定められている。そして、ファイナル進出を目指す1人の選手がエントリーできるのは最大2大会まで。つまり、トップ選手たちが順当に2つの枠をそれぞれ食っていけば、必然的に16枠は8人で埋まってしまう計算になる。
全国から集まった才能ある13~18歳のスケーターたちが、血眼になってそのわずか8つの椅子を奪い合うのだ。
しかも今年のその椅子には、すでに明浦路司という絶対王者と、這いつくばってでも枠を譲らない蛇崩遊大という二人が深く腰を下ろしている。実質的な残りの枠は、さらに少ない。
「……氷の上の椅子取りゲームにしては、ハードすぎないか」
俺のぼやきに、珠那はただ静かにリンクを見据えたまま、薄く笑った。
「それでも、今年はマシな方さ」
「マシ?どこがだ?」
「今年は、年齢制限のタイミングでずっとジュニアに燻ってた上の世代の実力者たちが、ごっそりシニアに上がっていった年だからな。全体のジュニア選手の数自体は、例年よりずっと少ないんだよ」
珠那はそう言って、痛々しくも凄まじい気迫で滑り切った遊大へと視線を戻した。
彼が語る背景には、この年特有のスケート界の複雑な事情が絡んでいる。
2006年6月、オリンピックの年齢制限が17歳以上から15歳以上に引き下げられた影響で、シニアクラスへの移行基準も15歳へと下がることになった。しかし残酷なことに、シニアクラスのGPシリーズの派遣選考自体は、そのルール変更が施行された6月の時点で既に決定してしまっていたのだ。
そのため、新ルールであれば本来シニアに上がることもできたはずの多くの実力ある選手たちが、シニアの大会枠に入ることができず、結果としてジュニアクラスに留まらざるを得ないという特殊なねじれ現象が起きていた。
そして今シーズン。足止めを食らっていたその実力者たちが一斉にシニアへと駆け上がっていった結果、今年のジュニアクラスは例年よりも人数が少なくなっていたのである。
「俺は絶対に生き残るよ」
数が減ったからといって、決して凡人に枠が回ってくるほど甘い世界ではない。明浦路司と蛇崩遊大という二人の怪物があまりにも突出して目立っているだけで、その陰に隠れたこの世代の選手たちが弱いわけでは決してないのだから。
残されたわずかな椅子を巡る争いは、むしろより濃密で、息が詰まるような激しさを増している。
俺は改めて、シングルの連中が置かれている地獄のような環境に息を呑みながら、隣で闘志を燃やす友人の横顔を見つめていた。
現実で年齢制限が下に落ちたことがないのでわかりませんが、多分こんなことが起こると思います。