明浦路司をメダリストに   作:asim

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地方大会はキングクリムゾンッ!!!


3 遊大の覚悟

「…なぁ、先生。あれ、ほんまに俺らと同じ『ノービスB』なん?」

 

蛇崩遊大は、リンクのフェンス越しに氷上を見つめたまま、隣に立つ自分のコーチに呆れた声で尋ねた。

現在、10月下旬。近畿ブロックを1位で勝ち抜いて、やっとの思いでたどり着いた全国の舞台『全日本ノービス選手権』。

今、目の前で行われているのは、第2グループの最終滑走。俺たち第3グループが氷に乗る直前の、本番の演技だ。

 

「…ああ。中部ブロックを1位通過してきた、明浦路司や」

 

コーチの声も、微かに震えている。

無理もない。今、リンクの中央で滑っているあの小さな影が放つプレッシャーは、とても小学4年生のそれではない。

流れるようにすばやく、ゆったりと舞う指先を見ていると息をするのさえ忘れてしまう。

一瞬で加速しながら、次の瞬間には静寂の中にいる。

雑音がしない。スウッと、まるで氷に吸い付くように滑っていく。恐ろしく深く倒れたエッジに乗って、たった一歩で信じられない距離を加速する。

 

「中部ブロックって…あそこ、女子はヤバいけど男子はスカスカの定員割れやろ?参加賞みたいに全員通過できるお散歩ブロックや。…そっから、なんであんなん出てくんねや」

 

悪態をつきながら、フェンスを強く握りしめる。

2年前から大人たちがひそひそと噂しているのを、リンクの隅で聞いたことがあった。

『名古屋に7歳の化け物がいる』と。

当時の俺は『大人が大げさなこと言ってるわ』と鼻で笑っていた。俺だって、同世代の中じゃジャンプの才能には絶対の自信がある。全日本に行けば、俺が一番目立って優勝するんやと信じて疑わなかった。

 

だが、目の前の光景が、そのちっぽけなプライドを粉々に打ち砕いていく。

 

シュッ…ターン!

 

氷を削る重低音が響いたかと思うと、煌びやかな衣装を着た名古屋の化け物が猛スピードでリンクの端から後ろ向きに踏み切った。

空中で高く、鋭く軸が絞られる。

1回転、2回転…3回転。

ドンッ!と、乱れ1つない完璧な姿勢で着氷し、そのまま風のように滑っていく。

 

「…3回転ルッツ…やと?」

 

間抜けな声が漏れる。

ノービスBの大会において、3回転なんて本来は出るはずのない幻の技だ。難易度が低いとされるトウループやサルコウであっても、全国でほんの数人の天才だけが、血反吐を吐くような努力の末にようやく手に入れた一撃必殺の武器のはずだった。

だが、アクセルの次に難しいとされるルッツの三回転を涼しい顔で組み込んできやがった。着氷の際、フリーレッグが美しく高く上がり、一切の力みを感じさせない。

 

「わぁぁっ…!」

 

会場からは、どよめきに似た歓声が上がる。フィギュアスケートに詳しい客ほど、今のジャンプの異常性に気づいて悲鳴を上げている。

 

しかも、あの化け物の暴虐はそれだけじゃ終わらなかった。

ルッツを完璧に降りた後、あいつはすぐさま優雅なシットスピンへと移行する。

そこから再び、リンクを大きく使った複雑なステップで加速していく。十分な助走から、今度は3回転フリップを着氷。

 

「…おいおい、嘘だろ、フリップまで…?」

 

隣に立つコーチの声が、明確な焦りを帯びていた。

観客席の空気も、単なる感嘆から「とんでもないものを目撃している」という異様なざわめきへと変わってきている。

 

スピンステップを挟むたびに、やつの異常な技術が氷上に刻まれていく。

流れるように、次はダブルアクセルを着氷。

 

「まさかこれ、このままノーミスで完走するじゃないだろうな…」

 

コーチがごくりと、唾を飲み込む音が聞こえた。

無理もない。普通なら体力が削られて足が動かなくなるプログラムの後半戦だ。だが、リンクの中央で舞うあの小さな影には、疲労の色など微塵も見えず——

 

シュッ…

 

最後のジャンプ、3回転サルコウだ。

俺がこの大会で勝つために、文字通り血反吐を吐いて身に着けた最強の武器を、あいつはプログラムの最後、一番体力がしんどい時間、ただの繋ぎのジャンプみたいに涼しい顔で跳んで見せた。

 

ドンッ!

 

流れるように着氷する影。

レイバックスピンなどのエレメンツを一つも取りこぼさない。

ブレない軸、常人離れした柔軟性、そして、最後まで全く落ちない異常なスピード。曲のフィニッシュと共に、リンクの中央でピタリとポーズを決めた。

 

完全なノーミス。

ジャンプ、スピン、ステップ、スケーティング。そのすべてが、ノービスBという規格をはるかにぶち破っていた。

 

一瞬の静寂の後、会場が爆発したような歓声と拍手に包まれる。

総立ちになる観客席とは対照的に、リンクサイドに並ぶ審査員や、選手、そのコーチの顔色は、とんでもないものを目の当たりにした恐怖で真っ青になっていた。

 

曲が終わり、割れんばかりの歓声の中、圧倒的な演技を終えた名古屋の化け物がリンクの出入り口へと滑り込んでくる。そのまま大柄なコーチと共に、得点発表を待つ待機場所へと向かっていく。

 

「…遊大。準備なさい」

「…おん」

 

コーチに背中を叩かれ、エッジケースを外してゲートの前に立つ。

足が少し震えているかもしれない。この大会のために死ぬ気で練習してきた3回転サルコウが、まるで児戯のように思えるほどの圧倒的な暴力を見せられた。

 

『——ただいまの、明浦路司くんの得点。技術点……5.7、5.6、5.5、5.7、5.6。芸術点……5.8、5.7、5.8、5.6、5.9。現在、第1位です』

 

どっ、と会場全体が信じられないものを見たかのように沸き立つ。

本来なら平均して3点台や4点台が出れば御の字であるノービスの大会において、アナウンサーが淡々と読み上げる5点台後半の羅列。ノービスの枠を完全に超えた異常なハイスコアだ。

 

「…上等やんけ」

 

口角を吊り上げる。

あんな理不尽な才能を見せられて、絶望して泣き出すようなヤワならスケート靴は履いてない。

 

名古屋の化け物。俺はあきらめへんで。俺が完璧に滑り切って、表彰台の一番上から見下ろしたるわ。

 

胸の中で吠え、エッジが氷を捉える。冷たい空気が肺を満たしていく。

続く俺たち第2グループの練習開始のアナウンスが響き、6人が一斉に氷上へと散った。

 

-*-*-*-

 

結果から言えば、俺は負けた。

 

表彰台の3番目。首から下げられた銅メダルは、ひんやりと冷たくて、どうしようもなく重かった。

本番の演技で、俺は意地を見せて大技の3回転サルコウに挑み。あいつの残した絶望的なスコアと、会場を支配する異様な熱気。それに押しつぶされそうになる心を必死に奮い立たせ、俺はトップスピードでリンクに飛び出した。持ち前のスピード感とダイナミックな表現力で、審査員に俺の存在を叩きつけるように滑った。

そして迎えた、運命の3回転サルコウ。

高く飛び上がり、空中で軸を作る。氷の間隔を足裏でとらえた瞬間、「いける!」と確信した。完璧な着氷。その瞬間だけは、俺も間違いなく天才だった

 

ただ、そのあとが続かなかった。司の圧倒的な幻影を追いかけるあまり、俺は無意識のうちに限界以上のスピードを出してしまっていた。続く2回転ルッツの踏切でエッジが深く入りすぎ、バランスを崩して痛恨の転倒。

氷にたたきつけられた時の鈍い痛みと、天井の照明の眩しさは、今でも脳裏に焼き付いている。

それでも、あの極限のプレッシャーの中逃げずに難しいジャンプを跳んだことで、なんとか表彰台の端っこに滑り込むことができた。

 

だが、周りの空気は最悪だった。

表彰台の裏側、リンクサイドのあちこちから、大人たちや他の選手たちのヒソヒソ声が嫌でも耳に入ってくる。

 

「あんなの、勝負にならんぞ」

「今年のノービスBは気の毒だ。あれと同じ世代に生まれてしまったなんて」

「…夜鷹純の再来か?いや、あいつに比べればまだマシか?」

 

無性に腹が立った。

あいつがバケモノだからって、俺の血のにじむような努力まで気の毒の一言で無かったことにするな。天才が相手なら負けても仕方ない、なんて、そんな安い逃げ道を用意されて喜ぶほど、俺のプライドは安くない。

 

表彰台の一番上に立つ小さな影を見上げる。

ぶっちぎりの最高スコアで優勝を果たした、明浦路司。

 

だが、そいつの顔にバケモノじみた冷たさは微塵もなかった。

自分の顔よりも大きな金メダルを首から提げて、花束を両手でギュッと抱きしめながら、顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。その目には、嬉し涙すら浮かんでいた。

 

「…おい。名古屋のバケモン」

 

首にかかった銅メダルを強く握りしめながら、一番高い場所に立つ男に向かって声をかけた。

司が、ゆっくりとこちらを見下ろす。

 

「俺は絶対にあきらめへん。次は完璧に降りて、お前をその場所から引きずり下ろしたるからな。…首洗って待っとけや」

 

俺の言葉を聞いた瞬間、司はポカンと目を丸くした。

そして、花束を抱え直すと、ヒマワリのようにパァッと明るい、けれど絶対に譲らないという強烈な熱を宿した笑顔を向けた。

 

「次も俺が勝つよ。その次もずっと」

 

間髪入れずに返ってきた全力の言葉に、俺は思わず面食らった。

俺の宣戦布告を鬱陶しがるでもなく、見下すでもなく、ただ純粋にライバルからの挑戦状として真正面から受け止めたのだ。

 

張り詰めていた緊張が解け、少しだけ毒気を抜かれたように息を吐く。それでも決して視線は逸らさずに、俺はニヤリと笑い返した。

 

「来年、俺は年齢制限でノービスAに上がる。やから、次にお前と直接やり合えるのは早くて2年後やな」

「2年後も負けないよ!」

 

またしても真っ直ぐな言葉が飛んでくる。

ほんま、可愛げのない生意気なクソガキだ。

 

「……言うたな。なら、俺が先にノービスAのトップ獲って王座で待っといたるわ。さっさと上がってこい、司」

 

さっきまであんなに重くて冷たかった首の銅メダルが、今は心臓の鼓動に合わせて熱く脈打っているように感じた。

絶望なんかしてる暇はない。あいつがどれだけ理不尽な天才だろうと、俺は必ず引き摺り下ろす。俺たちの本当の戦いは、ここから始まるんや。

 




~完~
終わりません。

書きながら性格こんなじゃないような…と思いつつも、幼い頃ならいいかということで。

調べた限り、ノービスBは、6.0システムをこの年まではやってました。
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