エドラズワースの探求師 ~かくしてロリ勇者率いる貧弱パーティは、秘宝を求め進軍を開始した~   作:霞弥佳

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絶望の二番底

 俺が殺された時もこんな感じだったのかな。

 

 刀を構えたまま、そんな思いがぼんやりとワイナの頭に去来した。

 

 がつんと殴り倒されたヘルガは、びくんびくんと痙攣しながら、ロウランちゃんにいたぶられ続けた。最初の一撃で頸椎を損傷したらしく、その時点で意識を取り落したのだろう。助けを求める言葉は聞こえなかった。

 

 頭と肩口を押さえられ、首筋めがけて、禍々しいほどに鮮やかな黄色の嘴が突き立てられる。こうして獲物の頸動脈をかきむしって息の根を止めてから、そのあとゆっくり腹に詰まったやわらかな内臓をいただくのが、梟熊の食事の作法だった。

 

 ごりん、ぼりん。ロウランちゃんが少し腕の角度を変えるたびにヘルガの関節があらぬ方向に折れ曲がり、くぐもった音が聴こえてきた。

 

治癒術師(ヒーラー)テメエ何してるッ! どういうつもりだこの野郎ォ!!」

 

「しッ、知らない! ロウランちゃんが勝手に、ぼくは何も」

 

 ベルペラの追及に泡を食いながら、ガーデルマンがさっきとは異なる印を結び呪文をつぶやく。

 

 活動停止、あるいは待機を促す指示プロトコル。しかしながら、ロウランちゃんの狼藉はおさまらない。血まみれになったヘルガの四肢を弄びながら、やがてロウランちゃんは、血走った両眼で周囲を見渡す。首輪をはめられた家畜らしからぬ、本来の猛禽類の獰猛さ。次なる獲物を求めて神経を昂らせる、頂点捕食者のまなざしだ。

 

 続いてロウランちゃんが獲物と定めたのは、すぐ傍らで何やらぶつぶつ囁き続ける不愉快な邪魔者、ガーデルマンだった。

 

 ガーデルマンが後ずさり、踵を返そうとした瞬間、ロウランちゃんの爪が彼を無慈悲にとらえ引き裂いた。喉元から逆袈裟に、地割れのような爪痕が刻み込まれるのが見えた。多少の防具など、何の足しにもならないようだった。腹膜に詰まった内容物がばしゃりとあたりにぶちまけられた。悲鳴を上げる間もなく、第二打が側頭に叩き込まれ、ガーデルマンはそのまま昏倒した。ヘルガと違って、こちらはぴくりとも動かなくなった。

 

 そうして獣は、周囲をゆらりとなめるように見渡した。

 

 敵の頭数が二人減った。予期せぬ事故には違いなく、何らかの理由で野性を取り戻してしまった梟熊がおそろしく危険な存在には違いない。

 

 だが包囲は解けた。これを好機とみなさないわけにはいかなかった。

 

 一足飛びに距離を詰めるワイナ。姿勢を低く、白刃を脇構えに、鋭利な一閃を梟熊の頚部めがけて迸らせた。仕損じるわけにはいかぬ。ここで仕留めずして何が術師か、探求師か。過去たった一度、頭をカチ割られたからなんだというのだ。怖気づいている暇などないというのに。

 

 この無理は、通さねばならぬ無理だ。

 

 頑強な羽毛? 分厚い脂肪に屈強なる筋肉? 人食いの頂点捕食者?

 

 今日(こんにち)まで錬磨を重ねてきた俺の剣は、そんな理屈で食い止められるほどのなまくらだというのか?

 

 否、否、断じて否。狂った獣の首ごとき、この一刀のもとに討ち取ってみせようではないか。斬れる、斬れるのだ。猟狗の剣には、それができる。斬れて当然、それこそ道理――――自己暗示にも似た(リビドー)に突き動かされながら、ワイナは天狼刀を振りきった。

 

 そして梟熊の首は、熱した刃で蝋を切るごとく、胴部から分かたれた。

 

 毛皮と血肉と骨の重なりをすらりと裂いた感覚を腕に残したまま、続いてワイナは左手でナイフをシースから引き抜いた。ボトリと落ちる梟の頭。

 

 梟熊の巨体を遮蔽物代わりに、次なる一手に向けて体勢を整える。頭を失ってぐらつく巨躯が、ひときわ大きく揺らめいた瞬間。ようやく切断面から赤黒い血しぶきが勢いよく噴きあがると同時に、ワイナはすかさずベルペラに向けてナイフを投擲した。

 

 飛来するナイフに感づき、ベルペラは咄嗟に遷移防壁(トランジションアーマー)を展開する。ナイフに込められた運動エネルギー、そしてワイナのわずかな魔力に防壁が干渉。瞬間的に体外に放出され、防壁構造(ワイヤフレーム)を還流するベルペラの活性魔力(デプロイメント・マナ)が、一気にこれを減衰する。

 

 遷移防壁とは、想術師が物理法則をも限定的に支配、掌握する力場の境界を定める界面である。強い『(リビドー)』を持った術師のみが扱える、傍若無人(ワガママ)の象徴である。

 

 自分の思い描いた、何より貴ばれるべき欲望や願望が害されるなど許せない。そんな現実は嘘である。こうした論理から、界面に接触したエネルギーは術者にとっての虚構として、とりとめのない熱や光といったかたちに遷移させられてしまう。そんな排他的でエゴイスティックな拒絶の障壁(バリア)だ。

 

 想と想が衝突し、絹を裂くような甲高い音と、雷光めいた閃きがほとばしった。

 

 憤怒をくゆらせた形相で、ベルペラはナイフが飛来してきた方へ目を向ける。そこには、すでに芝生を蹴って逃げ出す二人の背中があったに違いない。予期せぬ事態が重なり、次なる一手を決めあぐねていたことが、ワイナの側に利したといえた。

 

「走れるな、逃げるぞ」

 

 傍らのペシェに声をかけ、次なる行動を促す。ペシェが走りだしてから、注意は常にベルペラと梟熊に向けたままワイナもまた駆け出す。

 

 そのとき、梟熊の様子が一層の変化を見せ始めた。

 

 ぜひ、ぜひ、がぼ、がぼ。

 

 直視しがたい頚部の切断面から発されるのは、嗚咽や喘鳴めいた異音。粘性ある液体が沸騰する音のよう。

 

 切断面の体組織に急激な増殖が発生し、切除された部分が猛烈な速度で修復されていく。頭骨、各種感覚器官、神経から筋肉にいたるまで。一連の魔的な再生現象は、即座に新たな頭部を蘇らせた。

 

 それと同時に、ただでさえ威圧に満ちた巨体が、脈動を伴いながら膨張し始める。

 

――――おい、ウソだろ?

 

 背筋が反り返らせ、鮮やかな嘴から鼓膜が裂けんばかりの咆哮が発された。爆発的な身体器官の発達に苦痛を感じてか、どす黒い禍々しさすら感じられる絶叫である。

 

 再生したばかりの頭部もまた膨張と変異を瞬間的に繰り返し、大型化していく。伸長した嘴は、さながら大型の爬虫類めいた口腔へと変貌を遂げた。咀嚼や水分摂取の用途を想定されていないのか、まともな咬合を期待できそうにない鋭い乱杭歯が、赤黒い歯肉を引き裂いてずぶずぶと顔をのぞかせた。

 

 けっ、けっ、けーっ。先ほどとおなじ噎せこみ方。喉の奥から、何か硬いものがこすれあう音も聴こえた。音に合わせて、全身を覆う羽毛の隙間から、橙色の輝きがちらちらと見え隠れする。

 

――――火でも吐こうってわけじゃないだろうな。

 

 梟熊の奇行を横目に、厭な悪寒がワイナの背を駆け巡る。

 

 そして梟熊は、大きく変貌した異形の頭部を、ベルペラのほうへと向けた。

 

 大きくて開かれた口腔、その奥の奥から、ぱっと白くまばゆい光が放たれた。

 

 瞬間、目を焼くほどの明るさの光の筋が、横一閃に吐き出された。

 

 超高温の熱線放出。一部の竜種などにみられる生態のひとつ、開口部からの火炎放射である。先の異音は、硬質な内部器官を打ち鳴らすことで火種を生じさせるクリック音か。梟熊の周囲は即座に発火炎上、芝生や樹々が燃え上がる。高速で直進する熱線に、さしものベルペラもこれを飛びのいた程度で躱すのは不可能。

 

「糞がッ!!」

 

 悪態をつきながら脚を振り上げ、勢いよくヒールの底を地面にたたきつける。びしりと、ベルペラ本人が発した活性魔力が弾ける音。その直後、足元に広がる柔らかな芝生や土を裂き、無骨な岩塊が勢いよく地表へ飛び出した。粗いながら、半球状に成形されたその岩塊は、ベルペラが具現化させた即席の堡塁。岩自体も、熱気に反応して茫洋と発光する遷移防壁で分厚く保護されており、ナイフを防いだ際の対応とは比較にならない堅牢さを誇っているのは明らかである。

 

 熱線が岩の盾を直撃する。遷移防壁に壮絶な発光を引き起こさせながら、灼熱の槍は、徐々に分厚い岩塊を焼き溶かしていく。自らの頭部すらも焼け爛れさせて、異形の奇獣は、その熱線の出力を一層引き上げる。

 

 けっ、けっ、けーっ。例の異音が鳴り響くと、橙を孕んだ熱線の色が、より高熱の白色へと変じていく。

 

 そして、爆発。爆風が付近の樹木を幹からへし折り、ヘルガ隊のテントや荷物の一切合切を巻き込みながら、手当たり次第に周囲をなぎはらっていった。離れた位置のワイナですら吹き飛ばされるほどの衝撃、ペシェなどは文字通り転げて尻餅をついていた。

 

 ベルペラの安否は不明。想術での防御もろとも遷移防壁が貫通されたとなると、いかに想術師とはいえただでは済むまい。生存は絶望的といえる。

 

 熱線を放出し終えた奇獣は、焼け焦げた上半身から煙をあげながら、しかし屈強に膨れ上がった二本の脚で佇立していた。次の標的はすでに定まっていた。横目では、はっきりとワイナたちの姿をとらえている。

 

「ワイナ、ワイナ。逃げませんと、ワイナ」

 

 いつの間にかこちらに駆け寄ってきていたペシェが、ワイナの肩に触れて次の行動を促していた。だが、そこに再び例の音が響き始める。さっきよりもペースが速い。

 

 けっ、けっ、けけけっ。

 

 ちかりと、あの橙色の灯りが奇獣の口元に灯る。反射的にワイナはペシェへと飛びかかり、その頭を掴んで伏せさせた。

 

 第二射が、奇獣から放たれた。ベルペラを一撃で屠った第一射に比べて、熱線の色はひどく暗い赤である。威力も出力も劣っているだろうが、致命的な脅威には変わりなかった。

 

 そして、またも爆発。熱線が直撃したのは、ワイナたちが向かう先にあったガラス張りの植物園。きらめく破片と発火した樹々の破片が飛び散り、続いて着弾点から濛々と黒煙が噴きあがった。火柱があがり、身を焦がさんばかりの熱波が顔の産毛をちりちりと炙った。

 

 あの植物園を経由しなければ、通路へと辿り着くことはできない。隠し部屋(セーフルーム)の主であるヘルガであれば抜け道の一つや二つ知っていてもおかしくないが、彼女にものを聞くことはもうできない。それに、火の手の回りが予想以上に速い。いつの間にか、周囲は炎にまかれていた。落伍者たちを遺灰筒(ソウルシリンダー)に封入したあの丘の麓も、あの穏やかな小川の一帯も、すべてが灼熱の海に呑まれようとしていた。

 

 不意に脚が重くなり、ワイナは膝をついた。頭が痛い。目がくらむ。猛烈な胸のむかつき。喉のいがらっぽさを感じて、咳き込む。手のひらに、鮮やかな血が付着した。利き手に力が入らない。手指が震え、天狼刀を取り落した。

 

 瘴気(ミアズマ)だ。先に遭遇した聖剣獣(ベイグラント)には及ばないものの、眼前の奇獣が生じさせる瘴気の濃度は、ワイナ程度の術師を悶死させるには十分すぎるほど強力らしい。

 

 草木が燃えるにおい。ヘルガたちの荷が、そして彼女たちが焼ける異臭。鼻が馬鹿になっている。猟狗族(カーシアン)自慢の嗅覚はすでに役に立たない。火の勢いが一層強まる。それに従って酸欠の症状も出始める。たまらず、ワイナは嘔吐した。目の前には、先日振舞われた珈琲と栄養棒が混じった茶色い吐瀉物。

 

 途端に動悸が早まった。

 

 ヘルガたちを裏切ってまで選んだ道が、こんな結末で終わるのか?

 

 高熱がもたらす陽炎の中で、奇獣の巨体がゆらめいた。変貌を経たその姿は、五メートルをゆうに超えるだろう。あちこちに負った熱傷から組織液を垂れ流しつつ、有り余る歪な生命力がそれらを修復していき、治ったそばからまた焼け焦げる。豊かな羽毛を纏った森の獣の面影は、すでにどこにもない。

 

 霞みゆく視界でワイナが注目したのは、奇獣の左腕だった。左上腕部から、粘度の高い液汁がだくだくと流れ続けている。目を刺すほどの腐敗臭。嗅覚がいかれていなければ、のたうち回るほどのきつい悪臭だろう。液が付着した芝生は、硫酸を垂らされたかのように腐敗していた。高濃度の瘴気を含んだ、膿のようなものだとワイナは思った。

 

 膿の流れる傷口は、先日ケバルライが穿ったものに違いなかった。梟熊をこうまでおぞましく変貌させるほどの猛悪な呪詛の類が、あの黒い短剣に封じられているというのか。

 

 ベルペラを刺激しなければ、彼女がケバルライを梟熊に投げつけることもなかった。自分のいきさつを深く考えたうえで物事を進めるべきだった。記憶の欠落が判明した時点で、さらに慎重に動くべきだった。

 

 軽挙妄動も甚だしい。すべて、ワイナ自身が招いた事態に他ならなかった。考えの浅さと甘さに歯噛みしようとしたが、奥歯はかちかち震えるばかりだった。旧知の二人を殺し、ヘルガが死に、ガーデルマンが死に、そしてベルペラまでもが犠牲になった。

 

 そしてこれから、ペシェも死ぬだろう。

 

 全部、全部、全部俺のせいだ。

 

 どこから間違った?

 

 ヘルガたちを裏切ったから? ペシェを救おうとしたから? ミハイたちから離れたから? エドラズワースに潜ったから? リナナを助けようと思ったから?

 

 色んな事に手を出す一方で、何一つうまくいっていないではないか。大事な記憶をそこらじゅうにだらしなくこぼしながら、自分のやりたいことすら定まらない半端者の分際で、ベテランぶって粋がった結果がこの始末だ。

 

――――よう。これで満足か? 疫病神の糞野郎。

 

 頭蓋の内側、すでに発言権を剝奪したはずの、探求師としての自分が言う。

 

――――さぞ気持ち良かっただろう。ガキにやさしい気高い勇者様ごっこはよ。

 

 胃もたれにも似た圧迫感が喉からせり上がり、咳き込む。

 

――――身の程をわきまえやがれ。人間未満の狗畜生。

 

 食道に残留していた吐瀉物の残りが口から飛び出た。いずれも血に染まっていた。

 

 肺がやられている。あの冬の日と同じだ。肺を病んだ惨めな野良犬。一匹じゃ満足に狩りすらできない、愚かで哀れな浮浪児だ。あの日から、自分は何も変わっちゃいなかったんだ。

 

 酸素を求めて体が震え、じきにその苦しみが悪寒へと変じていく。炎で炙られながら、背筋が寒くて寒くて仕方がない。

 

「ワイナ」

 

 傍らのペシェが、ワイナの顔を覗き込んだ。

 

「しぬぞ。にげろ。どこでもいいから。にげろ」

 

 呂律も回らなくなりつつあった。とにかく身ぶりで逃げるよう促すが、ペシェはその場に固まったまま動いてくれない。彼女もまた、震えている。バケツ兜の向こうから、嗚咽めいたしゃくり声も聞こえてくる。瘴気の影響を受けてしまったか、それとも恐怖に怯え、竦んでしまっているか。

 

「もう、もう、ひぐっ、おしまいなのですか」

 

「にげろ、さっさと」

 

「おつらいですのね、ワイナ。ふくくっ、苦しいですのね、ワイナ。もう、何も打つ手はないのですね。本当の本当に、これでおしまい、えぐっ」

 

「ふざ、けるな。本当に、しぬぞ」

 

「たくさん考えて、たくさんがんばったのに、それも、もう」

 

「さっさと逃げろッ、死にたいのかあ」

 

 絞り出すように怒鳴ると、喉の奥から鉄の匂いと同時に血が噴きあがった。干物のように傷んだ肺が、限界を迎えたとみえた。吐いた血のしずくが、バケツ頭の鉄板に、桜の花弁のように付着した。

 

 もはや体を支えることすらできそうにない。四つん這いになりながら、ペシェの身体を突き飛ばす。どんなに頑張っても、呻き声ひとつあげられない。

 

 けっ。けけけっ。けっけっけっ。

 

 あの音だ。火炎放射の前兆。間髪入れぬ第三射、体内の可燃ガスを燃料としているなら、炎の勢いはこれまでよりも大幅に弱まっているはずである。だが、虫の息のワイナを焼き殺すには事足りる。

 

 ぱっと橙の光が顔を照らす。熱気が迫る。

 

 ワイナは狭まった視界で前を見上げた。そこには、あのみすぼらしいバケツ頭が立っていた。

 

「馬鹿な」

 

 ペシェは、奇獣の炎に立ちはだかっていた。

 

――――もういやだ、かんがえたくない、いきていくのさえ嫌、嫌、嫌!

 

――――ああ、おいたわしや! おかわいそう、おかわいそう!

 

――――しかしまだ、まだです、あきらめるには、はやすぎる。

 

――――おわってなどはおりません。なにも。そう、まだなにも!

 

――――われらのきぼうのともしびは、このむねのうちにかがやいておりますゆえ!

 

 恐怖に涙をこぼしているわけでもない。

 

 絶望に打ちひしがれているわけでもない。

 

 笑っているのか? この状況で?

 

 それから間もなく、小柄な彼女の体躯は赤黒い閃熱に包み込まれた。

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