もし綾小路清隆がホワイトルーム出身じゃなくて、ホワイトマッシュルーム農家出身だったら 作:東頭鎖国
綾小路清隆は、ホワイトルーム出身ではない。
彼が育ったのは、国家機密の天才児育成施設ではなく、綾小路家が経営する大規模ホワイトマッシュルーム農家だった。
そのため、彼は万能ではない。
成績は普通。
運動能力も普通。
喧嘩はできない。
心理戦も得意ではない。
人の嘘を見抜くことも、クラス全体を裏から操ることもできない。
ただし、ホワイトマッシュルームについてだけは異常だった。
傘の開き具合。
軸の太さ。
表面の白さ。
菌床の湿度。
換気の良し悪し。
収穫適期。
鮮度管理。
流通時の温度。
それらに関してだけは、同年代どころか、そこらの青果担当者よりも詳しかった。
これは、そんな綾小路清隆が高度育成高等学校に入学し、卒業後にホワイトマッシュルーム農家を継ぐまでの話である。
◇
綾小路清隆は、特別な少年ではなかった。
成績は普通。
運動能力も普通。
喧嘩はできない。
人心掌握もできない。
ただし、ホワイトマッシュルームについてだけは、異常だった。
高度育成高等学校に入学した時、彼は密かに思っていた。
この学校で、その知識が役に立つことはまずないだろう。
実際、最初の一ヶ月はそうだった。
授業では平均点。
体育でも平均。
友人作りはやや苦手。
会話の話題はすぐホワイトマッシュルームに寄ってしまう。
堀北鈴音には「あなた、能力の偏り方がおかしいわ」と言われた。
櫛田桔梗には「綾小路くんって、きのこの話をしてる時だけ目がちょっと真剣だね」と苦笑された。
須藤健には「お前、きのこ博士かよ」と呼ばれた。
それでも綾小路は、平穏に暮らしていた。
十万ポイントを配られた時も、彼は普通に喜んだ。
そして校内ショップでホワイトマッシュルームを探した。
なかった。
ブラウンマッシュルームしかなかった。
「この学校、思ったより厳しいな」
「たぶんそこじゃないわ」
堀北にそう言われた。
◇
一学期。
最初の月のポイントがほぼゼロになった時、Dクラスは大騒ぎになった。
原作のような綾小路なら、ある程度察していたかもしれない。
だがこの綾小路は普通だった。
「まさか授業態度が全部反映されているとは思わなかった」
「あなた、本当に気づいていなかったの?」
「ああ」
「あなた、妙に落ち着いているから何か分かっているのかと思ったわ」
「顔に出にくいだけで、普通に困っている」
堀北は深いため息をついた。
Dクラスは、普通に失敗した。
誰かが裏で損失を抑えたわけでもない。
誰かが密かに学校の仕組みを見抜いていたわけでもない。
ただ、失敗した。
だが、その失敗によって、堀北は少しずつ動き始めた。
平田もクラスをまとめようとした。
櫛田も明るく振る舞った。
須藤は怒り、池と山内は騒ぎ、綾小路は静かに困っていた。
その姿は、整ったホワイトマッシュルームの箱詰めとは程遠かった。
だが綾小路には、少しだけ分かることがあった。
「このクラス、湿度が高すぎるな」
「何の話?」
「空気が悪い」
「最初からそう言いなさい」
堀北は呆れたが、その後、教室の換気を始めた。
不思議なことに、それだけでも少しだけ空気は軽くなった。
綾小路清隆、Dクラスにおける初めての貢献。
それは、換気だった。
◇
中間試験。
須藤の退学危機が浮上した。
堀北は焦った。
平田は協力を申し出た。
櫛田はクラスメイトに声をかけた。
綾小路も一応、勉強会に参加した。
だが、彼は人に勉強を教えるのが得意ではなかった。
「須藤。この問題は……」
「分かんねえ」
「俺も少し怪しい」
「お前もかよ!」
「平均くらいなら取れるが、人に説明できるほどではない」
須藤は頭を抱えた。
「頼りにならねえ!」
「すまない」
ただし、理科の菌類の範囲だけは別だった。
「担子菌類と子嚢菌類の違いは──」
「そこだけめちゃくちゃ流暢だな!」
「ホワイトマッシュルームは担子菌類だ」
「知らねえよ!」
結局、須藤を救ったのは、堀北の根気と、平田のフォローと、櫛田の人脈だった。
綾小路はせいぜい、実家から届いてきたマッシュルームで勉強の休憩時間にスープを作ったくらいである。
だが須藤は、そのスープを飲みながら言った。
「なんか、頭に入る気がする」
「それは気のせいだ」
「気のせいでもいいんだよ」
綾小路は少し考えた。
ホワイトマッシュルームには旨味がある。
旨味は人間の緊張を少し和らげる。
ならば、勉強そのものは教えられなくても、勉強する環境なら多少は整えられるのかもしれない。
中間試験は、どうにか乗り切った。
綾小路の点数は、やはり平均だった。
菌類の小問だけ満点だった。
◇
無人島特別試験。
夏。
無人島特別試験が始まった。
この試験で、綾小路清隆は初めて明確に役立った。
「食料は直射日光の当たる場所に置くな」
「水場の近くは便利だが、湿気がこもる」
「野生のきのこは食べるな」
「白いから安全という考えは捨てろ」
「むしろ白い毒きのこもある」
「食うな」
Dクラスの中で、彼の発言は急に重みを持った。
池が森の中で白いきのこを見つけて叫んだ。
「綾小路! これホワイトマッシュルームじゃね!?」
「違う。食うな」
「でも白いぞ!」
「白いきのこが全部ホワイトマッシュルームなら、世界はもっと単純だった」
「かっけえこと言ってるけど、内容きのこだな」
綾小路は、野生きのこの危険性をひたすら説いた。
その結果、Dクラスは食中毒を出さなかった。
これは地味だが大きかった。
他クラスの一部では、食材管理に失敗して腹を壊す生徒が出ていたからだ。
綾小路は戦略面ではあまり役に立たなかった。
他クラスのリーダーを見抜くこともできなかった。
龍園の策も分からなかった。
伊吹が怪しいことも、何となくしか分からなかった。
ただ、伊吹がDクラスの拠点に来た時、彼は言った。
「濡れた服をそのままにしておくと体調を崩す」
「……何よ急に」
「あと、靴も乾かした方がいい。湿気はよくない」
「私を疑ってるの?」
「いや。湿気を疑っている」
伊吹は本気で困惑した。
結果として、原作ほど綺麗な勝ち方はできなかった。
堀北は体調を崩し、情報も一部抜かれた。
龍園にはかなり出し抜かれた。
だがDクラスは、サバイバル環境そのものには強かった。
食料のロスが少ない。
水場管理が安定している。
体調不良者が少ない。
拠点の衛生状態が良い。
この地味な積み重ねで、Dクラスは大崩れを避けた。
試験後、堀北は悔しそうに言った。
「勝ち切れなかったわね」
「ああ」
「でも、あなたがいなければもっと酷かった」
「そうか」
「ええ。少なくとも、きのこで誰も死ななかった」
「それは大事だ」
「大事だけれど、誇り方が難しいわ」
その日から、Dクラス内で綾小路の評価はこうなった。
頼れる。
ただし、きのこと湿気限定で。
◇
船上特別試験。
船上で行われた干支グループの優待者探し。
これは綾小路にとって最悪の試験だった。
相手の嘘を読む。
発言の裏を探る。
グループ内の心理戦を制する。
そんな能力はない。
綾小路清隆は、ホワイトマッシュルームの収穫適期なら分かる。
だが人間の裏の顔は分からない。
「誰が優待者だと思う?」
軽井沢恵に聞かれた時、綾小路は正直に答えた。
「分からない」
「本当に?」
「ああ。人間は傘が開かないからな」
「何それ」
「マッシュルームなら分かる」
「じゃあ今、何も分かってないってことじゃん」
「そうなる」
軽井沢は呆れた。
ただ、この普通さが逆に作用した。
綾小路は誰からも強く警戒されなかった。
龍園ですら、彼を見て笑った。
「お前、本当にきのこしかねえんだな」
「そうだ」
「つまんねえな。いや、逆に面白えか」
綾小路は心理戦で勝てなかった。
だが、誰かを追い詰めることもなかった。
軽井沢の抱えていた問題にも、原作のように鋭く踏み込むことはできなかった。
ただ、彼女が明らかに疲れていることだけは分かった。
「軽井沢」
「何?」
「食べた方がいい」
「は?」
「顔色が悪い。腹が減っていると判断を誤る」
「……あんた、そういうとこだけ変に見てるよね」
「農家では、体調管理も作業の一部だ」
「それ、心配してるってことでいいの?」
「たぶん」
「たぶんって何よ」
軽井沢は文句を言いながらも、差し出された軽食を受け取った。
船上試験の結果は、Dクラスにとって微妙だった。
大勝ちはしない。
大負けもしない。
綾小路は何も見抜けなかった。
ただし、グループ内で誰も倒れないように、水分と食事だけはやたら気にしていた。
そのせいで彼は、一部女子から「地味に面倒見がいいきのこの人」と呼ばれるようになった。
◇
体育祭。
ここで綾小路清隆は、普通に普通だった。
短距離走。
普通。
綱引き。
普通。
騎馬戦。
普通に怖い。
リレー。
普通。
突然とんでもない脚力を見せることは当然なかった。
堀北は言った。
「あなた、本当に隠してないのね」
「隠していない」
「ここまで普通だと、少し安心するわ」
「安心されても困る」
須藤は大活躍した。
だが、龍園クラスの妨害により、Dクラスは荒れた。
綾小路は策を見抜けない。
龍園と正面から戦う度胸もない。
殴られたら普通に痛い。
それでも彼は、ひとつだけ気づいた。
「須藤、休め」
「ああ!? 今休めるわけねえだろ!」
「汗をかきすぎている。水分と塩分を取れ。筋肉の問題以前に、判断が鈍る」
「うるせえ!」
「このままだと、終盤で崩れる」
須藤は怒鳴った。
だが、平田と堀北も説得し、短い休憩を入れた。
結果として、須藤は最後まで持った。
Dクラスは勝てなかった。
けれど、崩壊もしなかった。
体育祭後、須藤はぼそっと言った。
「お前、運動は普通だけど、休ませるタイミングだけは妙にいいな」
「農作業で無理をすると、翌日に響く」
「また農家かよ」
「農家だ」
「……まあ、助かった」
須藤は視線を逸らした。
綾小路は少しだけ頷いた。
◇
ペーパーシャッフル。
クラス同士で問題を作り合う特別試験。
ここでDクラスは、櫛田桔梗の裏切りという問題に直面した。
しかしこの綾小路は、櫛田の本性を完璧には見抜けていなかった。
何となく違和感はあった。
だが、それだけだ。
「櫛田は、少し無理をしている気がする」
綾小路がそう言うと、堀北は眉をひそめた。
「それはどういう意味?」
「分からない。ただ、表面が綺麗すぎるマッシュルームは、たまに裏側を確認した方がいい」
「人間をマッシュルームに例えるのはやめなさい」
「すまない」
櫛田との勝負は、ほぼ堀北が自力で向き合うことになった。
綾小路は裏から完全に支配することはできない。
だが、問題作成の場面で彼は妙な存在感を見せた。
「理科の問題に菌類を入れるべきだ」
「却下よ」
「なぜだ」
「出題範囲として偏りすぎるから」
「だが、相手が油断する」
「あなたが満点を取るだけでしょう」
「それはそうだ」
結局、菌類問題は一問だけ採用された。
その一問は、相手クラスの多くが落とした。
Dクラス内でただひとり、綾小路だけが満点を取った。
試験後、堀北は言った。
「あなたのきのこ問題、地味に効いたわ」
「そうか」
「でも次からは一問までよ」
「二問では駄目か」
「駄目」
櫛田との関係は、原作ほど一気に整理されなかった。
堀北は櫛田の危うさを知った。
綾小路も、少しだけ彼女の裏側を知った。
だが、綾小路にはそれを制御する力がない。
彼はただ、櫛田に言った。
「無理をしすぎると、傷む」
「それ、またマッシュルームの話?」
「半分は」
「もう半分は?」
「たぶん、心配だ」
櫛田は笑った。
いつもの笑顔ではなかった。
「綾小路くんって、変なところで真っ直ぐだよね」
「そうか」
「うん。ちょっと腹立つくらい」
櫛田はそう言って去っていった。
完全な和解ではない。
解決でもない。
だが、何かが少しだけ変わった。
◇
龍園との対立。
体育祭、ペーパーシャッフルを経て、龍園はDクラスへの圧力を強めた。
だがこの世界の龍園は、綾小路を黒幕とは見ていなかった。
なぜなら、綾小路が本当に普通だからである。
ただし、妙に気になる存在ではあった。
「おい、きのこ」
「綾小路だ」
「どっちでもいい。お前、Dクラスで何してんだ?」
「生活している」
「そうじゃねえよ」
「たまに湿度を見ている」
「本当に何なんだお前」
龍園は笑った。
だが、軽井沢の件でDクラス内が揺らいだ時、綾小路は一人で屋上へ向かって龍園を倒すことはできなかった。
格闘能力がない。
殴られたら負ける。
普通に怖い。
だから彼は、一人で行かなかった。
堀北に相談した。
平田にも相談した。
須藤にも相談した。
軽井沢本人にも、できる範囲で確認した。
結果、Dクラスはぎこちないながらも集団で動いた。
スマートではない。
秘密裏でもない。
龍園を完全に出し抜くこともできない。
だが、軽井沢を一人にしなかった。
屋上では、龍園が不満そうに笑った。
「なんだよ。ぞろぞろ来やがって」
須藤が前に出る。
「てめえ、ふざけんなよ」
平田が止める。
「暴力は駄目だ」
堀北が冷たく言う。
「あなたのやり方は、証拠を残しすぎているわ」
軽井沢は震えていたが、逃げなかった。
綾小路は後ろの方にいた。
普通に怖かったからだ。
だが、言うべきことだけは言った。
「龍園」
「あ?」
「湿気は、放置すると広がる」
「またきのこか」
「問題も同じだ。隠しても、いずれ臭いが出る」
龍園は一瞬黙った。
そして笑った。
「お前、喧嘩は弱そうなのに、言うことだけ妙に腹立つな」
「喧嘩は弱い」
「認めんのかよ」
龍園は完全敗北しなかった。
だが、Dクラス全体が初めて「誰か一人を見捨てない」形で動いた。
龍園はそれを見て、つまらなそうに舌打ちした。
「群れてるだけの雑魚かと思ったが……まあ、前よりはマシか」
この件以降、軽井沢は綾小路を見る目を少し変えた。
「ねえ」
「何だ」
「あんた、もっと上手くやれたんじゃないの?」
「無理だ」
「即答?」
「俺は強くない」
「……知ってる」
「だから、誰かに頼るしかなかった」
軽井沢は少し黙った後、小さく笑った。
「それ、案外悪くなかったかもね」
綾小路は答えに困った。
ホワイトマッシュルームは、人に頼らない。
だが人間は違う。
少なくとも、この学校では。
◇
冬の混合合宿。
複数学年、複数クラスが入り混じるこの試験は、体力と協調性、生活管理が問われた。
ここで綾小路はまた地味に役立った。
「寝具を湿らせるな」
「汗をかいた服は放置するな」
「集団生活では換気しろ」
「風邪は一人から広がる」
「食事を抜くな」
彼の言うことは地味だった。
だが合宿では、その地味さが効いた。
坂柳有栖はこの時点で綾小路に対して、原作ほどの強い執着を持っていなかった。
なぜなら、彼はホワイトルーム出身ではないからだ。
坂柳は綾小路を見て、静かに首を傾げた。
「あなたが、噂の綾小路くんですか」
「噂?」
「ホワイト……」
「マッシュルーム農家だ」
「……ええ。存じています」
坂柳は少しだけ沈黙した。
「本当に、そちらなのですね」
「そちら?」
「いえ。こちらの話です」
坂柳は興味を失いかけた。
だが、合宿中に生徒たちの体調管理を淡々と整える綾小路を見て、別の意味で興味を持った。
「あなたは、人を盤面の駒として見るタイプではないのですね」
「将棋はあまり得意ではない」
「そういう意味ではありません」
「そうか」
「どちらかと言えば……農園を見る人、でしょうか」
「農家だからな」
坂柳はくすりと笑った。
「面白いです。才能の方向性が、あまりにも狭い」
「よく言われる」
「ですが、狭い才能は、時に広い凡才より価値があります」
「そうなのか」
「ええ。少なくとも、あなたの周囲は少しずつ育っています」
綾小路には、その言葉の意味がよく分からなかった。
ただ、Dクラスの空気が以前より悪くないことだけは分かった。
◇
三学期。
クラス内投票が告げられた。
賞賛票と批判票。
クラスメイト同士で票を入れ合い、最下位が退学する。
この試験は、Dクラスにとって残酷だった。
そして綾小路にとっても、どうにもならない試験だった。
彼には票を操作する力がない。
裏で全員の心理を誘導することもできない。
山内春樹は、浅はかな行動を重ねた。
周囲の反感を買った。
誰かを貶めようとした。
そして、クラスの中で孤立していった。
綾小路は山内と話した。
「山内」
「なんだよ、きのこ」
「今のままだと危ない」
「は? お前に何が分かんだよ」
「分からないことの方が多い。ただ、今のお前は周囲を見ていない」
「説教かよ」
「違う。忠告だ」
「うるせえな。お前みたいな普通の奴に言われたくねえよ」
その言葉は、綾小路に刺さった。
普通。
実際その通りだった。
だから、山内を救うことはできなかった。
投票の日。
山内は退学となった。
クラスは静まり返った。
須藤は拳を握った。
池は顔を伏せた。
櫛田は笑えなかった。
堀北は厳しい顔をしていた。
綾小路は、何も言えなかった。
人間は、マッシュルームではない。
傷んだ個体を取り除けば箱全体が守られる、などと簡単には言えない。
山内は商品ではない。
規格外だから捨てられたわけではない。
彼は彼自身の行動の結果として、この学校を去った。
だが、それでも。
もっと早く、誰かが何かを言えていたら。
もっと違う環境を作れていたら。
何か変わったのではないか。
綾小路は、その日初めて、農場で学んだ言葉を嫌だと思った。
環境がすべて。
もしそうなら。
山内をああした環境を作っていたのは、自分たち全員ではないのか。
退学後、堀北が言った。
「あなたのせいではないわ」
「そうかもしれない」
「そうよ」
「でも、何もできなかった」
「私もよ」
堀北の声は硬かった。
「だから、次は変えるしかない」
綾小路は頷いた。
万能ではない。
だからこそ、失敗する。
失敗するから、覚える。
それは、ホワイトマッシュルーム栽培と少しだけ似ていた。
ただ、人間の場合は、失敗の重さが違いすぎた。
◇
一年最後の特別試験。
選抜種目試験。
各クラスが種目を選び、ランダムに選ばれた競技で争う。
Dクラスは悩んだ。
堀北は冷静に戦力を分析した。
平田は協力を取り付けた。
須藤は運動系で貢献できる。
幸村は学力で強い。
軽井沢は人間関係の調整に動いた。
櫛田は複雑な立場ながらも協力した。
そして綾小路は言った。
「ホワイトマッシュルームの選別を種目に入れたい」
会議室が静まり返った。
堀北が眉間を押さえた。
「あなた、正気?」
「正気だ」
「そんな種目、相手が受けると思う?」
「ランダム選出なら可能性はある」
「学校側が認めるかどうかの話よ」
「農産物の品質判定は、観察力と知識と集中力を問う競技になる」
平田が困ったように笑った。
「確かに、ルール化はできそうだけど……」
須藤が笑った。
「いいじゃねえか! きのこで勝ったら面白えだろ!」
池も乗った。
「相手絶対できねえよ!」
堀北はしばらく黙った。
「……分かったわ。一枠だけよ」
「ありがとう」
「ただし、他の種目も真面目に考えること」
「ああ」
こうしてDクラスの選抜種目の中に、異様な競技が混ざった。
ホワイトマッシュルーム品質選別。
内容は、複数のマッシュルームの中から、規格、鮮度、傷、変色、傘の開き具合を判定し、出荷可能なものを正確に選ぶというものだった。
学校側はなぜか認めた。
茶柱佐枝は書類を見て、微妙な顔をした。
「綾小路。これは何だ」
「種目です」
「見れば分かる」
「観察力を競います」
「……お前、本当に変な方向でしか目立たないな」
「すみません」
「謝るな。余計に反応に困る」
対戦相手はAクラス。
坂柳有栖は、Dクラスの提出種目一覧を見て、初めて声を出して笑った。
「ホワイトマッシュルーム品質選別……?」
神室が横から覗き込む。
「何だこれ」
「彼らしいですね」
「いや、彼らしいって何だよ」
「綾小路くんは、どうやら本当にそこだけの人です」
◇
試験当日。
Dクラスは苦戦した。
学力ではAクラスが強い。
戦術面でも坂柳は優秀だった。
堀北はよく指揮したが、全体の地力差は大きい。
須藤は運動種目で奮闘した。
幸村も筆記で粘った。
平田は安定していた。
だが、それでも届かない。
そして最終盤、ランダムで選ばれた種目が発表された。
『ホワイトマッシュルーム品質選別』
会場がざわついた。
Dクラスが一斉に綾小路を見た。
綾小路は静かに立ち上がった。
この瞬間だけは、普通ではなかった。
用意された台の上には、数十個のホワイトマッシュルームが並んでいた。
Aクラス代表は困惑していた。
坂柳でさえ、杖を握ったまま興味深そうに見ている。
「始め」
合図と同時に、綾小路は動いた。
速い。
ただし、身体能力が速いのではない。
判断が速い。
傘の縁を見る。
軸の切り口を見る。
表面の微細な傷を見る。
白さの違いを見る。
湿気によるぬめりを確認する。
過成熟を弾く。
輸送時の圧迫痕を見抜く。
鮮度は良いが規格外のものを除外する。
傷は浅いが変色が進む可能性のあるものを落とす。
手つきは迷いなく、淡々としていた。
須藤が呟いた。
「何か……初めて綾小路が強そうに見える」
池が頷いた。
「あいつ、きのこ持つと別人だな」
堀北は腕を組んだまま言った。
「悔しいけれど、あれに関しては本物ね」
結果。
綾小路清隆、圧勝。
満点。
審査員役の教員ですら引くほどの精度だった。
「この個体は一見問題ありませんが、軸の根元に圧迫があります。明日には変色します」
「こちらは傘の開きが進んでいます。加熱用なら可ですが、今回の出荷規格では不可です」
「これは合格です。ただし保存温度が二度高ければ半日で品質が落ちます」
坂柳は小さく拍手した。
「見事です、綾小路くん」
「ありがとう」
「本当に、そこだけは誰にも負けないのですね」
「ああ」
「素晴らしいです。あまりにも限定的で、あまりにも真剣で、少し羨ましいくらいです」
「そうなのか」
だが、試験全体ではDクラスはギリギリの勝負だった。
ホワイトマッシュルーム選別で得た一点が、最後に効いた。
堀北の采配。
須藤の成長。
平田の調整。
幸村の学力。
軽井沢の根回し。
櫛田の協力。
そして綾小路の、あまりにも狭い専門性。
それらが重なって、DクラスはAクラス相手に辛うじて勝利した。
坂柳有栖は敗北後、実に複雑な顔をしていた。
「まさか、私がホワイトマッシュルームで敗れるとは思いませんでした」
「俺も、そういう試験になるとは思わなかった」
「あなた、面白いですね」
「そうか」
「ええ。強者ではない。怪物でもない。ですが、自分だけの畑を持っている」
「畑というか、栽培棟だ」
「細かいですね」
坂柳はくすりと笑った。
一年が終わる頃、Dクラスは少し変わっていた。
最初はまとまりがなかった。
失敗も多かった。
山内を失った。
龍園に怯えた。
櫛田の問題も完全には解決していない。
坂柳にも実力差を見せつけられた。
それでも、クラスは前に進んでいた。
その中心にいたのは、堀北だった。
支えたのは平田であり、軽井沢であり、須藤であり、他のクラスメイトたちだった。
綾小路清隆は、決して裏の支配者ではなかった。
ただ、必要な時に換気をした。
食料を管理した。
体調を気にした。
きのこを食べるなと言った。
ホワイトマッシュルームを選別した。
それだけだ。
ある日、堀北は言った。
「あなた、結局最後までよく分からない人だったわ」
「そうか」
「普通なのに、普通じゃない」
「ホワイトマッシュルーム関連以外は普通だ」
「そこが普通じゃないのよ」
綾小路は返事に困った。
堀北は窓の外を見た。
「でも、あなたが普通でよかったのかもしれない」
「なぜだ」
「何でもできる人間が一人で解決していたら、私は変われなかったと思うから」
「そうか」
「ええ。あなたが頼りにならない部分が多かったから、私たちは自分で動くしかなかった」
「褒めているのか?」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「呆れているわ」
綾小路は少しだけ笑った。
その表情を見て、堀北はわずかに目を細めた。
「あなた、笑うのね」
「普通には」
「そう」
◇
春休み前。
綾小路のもとに、実家から荷物が届いた。
中には、白く整ったホワイトマッシュルームが詰められていた。
添えられた紙には、父の字でこう書かれていた。
『清隆へ。
一年目はどうだった。
環境は人を育てる。
だが、環境を整えるのもまた人だ。
お前は農家の息子だ。
どこへ行っても、よく見て、よく育てろ』
綾小路は紙を畳んだ。
ホワイトルーム出身ではない。
最高傑作ではない。
人間離れした怪物でもない。
ただのホワイトマッシュルーム農家の息子。
能力は偏っていて、戦略も苦手で、喧嘩も弱く、勉強も平均。
それでも、一年を生き残った。
Dクラスも、生き残った。
山内はいなくなった。
その事実は消えない。
だが、残った者たちは進む。
綾小路は共有キッチンに向かった。
フライパンを温め、バターを落とす。
薄く切ったホワイトマッシュルームを並べる。
じゅう、と小さな音がした。
そこへ須藤が来た。
「お、またきのこか」
「ああ」
軽井沢も顔を出す。
「いい匂いするじゃん」
平田が笑う。
「みんなで食べてもいいかな?」
櫛田が少し遅れて現れた。
「私もいい?」
堀北は呆れた顔で立っていた。
「あなたたち、勝手に集まりすぎよ」
「嫌なら食べなくてもいい」
「食べないとは言っていないわ」
綾小路は皿を並べた。
一人分ではない。
最初から、何人かで食べる量を作っていた。
須藤が一口食べて言った。
「うめえ」
軽井沢も頷く。
「普通においしい」
櫛田は微笑んだ。
「綾小路くん、これだけは本当にすごいよね」
「これだけって言うなよ」
須藤が笑った。
堀北は静かに口に運び、少しだけ表情を緩めた。
「悪くないわ」
「それはよかった」
綾小路は思った。
マッシュルームは、環境で育つ。
だが、料理になれば、誰かと分け合うこともできる。
それは農場では学ばなかったことだった。
一年の終わり。
Dクラスは、まだAクラスには遠い。
綾小路清隆も、特別な怪物ではない。
けれど彼には、ひとつだけ誰にも負けないものがある。
ホワイトマッシュルーム。
それだけでどこまで行けるのかは、誰にも分からない。
だが少なくとも、次の一年。
Dクラスの食卓と湿度管理だけは、かなり安心だった。