もし綾小路清隆がホワイトルーム出身じゃなくて、ホワイトマッシュルーム農家出身だったら 作:東頭鎖国
二年生になった。
クラス名は変わった。
学年も変わった。
後輩も入ってきた。
だが、綾小路清隆はあまり変わっていなかった。
成績は普通。
運動も普通。
会話もやや苦手。
喧嘩はできない。
心理戦は得意ではない。
人間の裏を読む力も、特別高くない。
ただし、ホワイトマッシュルームのことになると別だった。
その一点に限れば、彼はこの学校の誰よりも強い。
その異常な偏りは、二年生になっても変わらなかった。
むしろ、クラス内では少しずつ定着していた。
「綾小路、今日の食堂のマッシュルームどうだった?」
「鮮度は悪くない。ただ、火入れが少し強い」
「お前、毎回評価してんのかよ」
「している」
「きのこミシュランかよ」
須藤が呆れる。
軽井沢がスマホをいじりながら言った。
「でもさ、たまに役立つから困るんだよね」
「たまにって言うな」
「じゃあ、きのこの時だけ役立つ」
「悪化している」
綾小路は少しだけ傷ついた。
だが事実なので、反論は難しかった。
そんな彼を、堀北鈴音は以前より冷静に扱うようになっていた。
「綾小路くん」
「何だ」
「新入生に余計なことを言わないで」
「余計なこと?」
「『白いきのこは全部ホワイトマッシュルームではない』とか」
「それは重要だ」
「重要だけれど、自己紹介で言うことではないわ」
二年生になっても、堀北の苦労は続いていた。
◇
新一年生とパートナー試験。
新入生が入学してきた。
高度育成高等学校に入ったばかりの一年生たちは、まだ校内の仕組みに慣れていない。
そしてすぐに、二年生と一年生が組むパートナー試験が始まった。
学力が問われる。
組み合わせ次第で、二年生側にも大きな損害が出る。
この世界では刺客などいない。
父親も政治家ではなく、かなり厳しいホワイトマッシュルーム農家の経営者である。
なので、綾小路は普通に悩んでいた。
「誰と組めばいいのか分からない」
彼がそう言うと、堀北は額に手を当てた。
「あなた、もう少し自分で情報を集める努力をしなさい」
「努力はしている」
「何を調べたの?」
「食堂でマッシュルームを残している一年生は何人か見た」
「試験と関係ないわ」
「食べ物を粗末にする傾向は分かる」
「だから試験と関係ないの」
綾小路は、新一年生の学力や性格を見抜くことができなかった。
ただ、後輩たちの中で一部、妙に彼に興味を持つ者がいた。
「先輩が、噂の綾小路先輩ですか」
「噂?」
「はい。ホワイトなんとか出身の」
「ホワイトマッシュルーム農家だ」
「え?」
「農家だ」
「……えっと、特殊教育施設ではなく?」
「違う」
「格闘訓練とかは?」
「受けていない」
「高度な心理教育は?」
「受けていない」
「じゃあ、何ができるんですか?」
「ホワイトマッシュルームの収穫適期なら分かる」
後輩は黙った。
その後、微妙な顔で去っていった。
数日後、新一年生の間で噂が広まった。
二年に、ホワイト系のやばい先輩がいる。
ただし、やばい方向が思っていたのと違う。
何でもできる天才ではない。
きのこにだけ異常に詳しい。
試験そのものは、堀北とクラスの学力上位勢が必死に動いた。
綾小路は平均点を取った。
パートナーの一年生にも、普通に励ました。
「緊張するなら、朝食は抜かない方がいい」
「それ、勉強のアドバイスですか?」
「体調のアドバイスだ」
「先輩、勉強は?」
「普通だ」
「普通なんですね」
「ああ」
パートナー試験は、大きな勝利ではなかった。
だが、大崩れもしなかった。
綾小路は後輩から尊敬されたわけではない。
しかし「変に怖くない先輩」として、妙な親しみを持たれた。
それはそれで、別の強みだった。
◇
二度目の無人島試験。
ここで綾小路清隆は、ついに本領を発揮した。
というより、この世界の綾小路にとって、無人島は数少ない得意フィールドだった。
もちろん、サバイバルの達人ではない。
格闘もできない。
長距離移動も普通。
危険人物とやり合えば普通に負ける。
だが、湿度、食材管理、腐敗、野生きのこへの警戒、体調管理。
このあたりだけは異様に強かった。
「食料を密閉しすぎるな。湿気がこもる」
「水場付近に荷物を置きっぱなしにするな」
「汗を吸った服は乾かせ」
「足を濡らしたまま歩くな。靴擦れと体調不良の原因になる」
「野生きのこは食うな」
「白くても食うな」
「むしろ白いからこそ油断するな」
Dクラスの生徒たちは、すでに慣れていた。
「はいはい、きのこ禁止ね」
「湿気注意ね」
「綾小路の無人島三原則な」
軽井沢が笑う。
「食うな、濡らすな、蒸らすな」
「語呂がいいな」
「でしょ?」
この試験では、学年を越えた競争が起きた。
南雲雅の影響力も強く、上級生も絡む。
だが綾小路は、南雲と頭脳戦を繰り広げることはできなかった。
南雲を見ても、彼はこう思っただけだった。
人を動かすのが上手そうだな。
それ以上は分からない。
しかし、南雲側も綾小路を見誤った。
「お前が噂の綾小路か」
「はい」
「いろいろ聞いてるぜ。ホワイト……」
「マッシュルーム農家です」
「……そうか」
南雲は一瞬だけ言葉に詰まった。
「お前は、何を隠している?」
「特には」
「本当に?」
「ホワイトマッシュルームの保管温度なら話せます」
「いや、それはいい」
南雲は興味を失った。
というより、扱いに困った。
この綾小路は危険な駒ではない。
だが、無人島という環境では、妙にしぶとい。
実際、綾小路のグループは派手なポイントを稼がなかった。
ただし、体調不良も少なく、食料ロスも少なく、無駄な消耗も少なかった。
順位は上位ではない。
だが、脱落しない。
地味に強い。
毎日同じことを確認する。
派手な成果より、事故を防ぐ。
大勝ちではなく、確実な収穫。
そんな中で、クラスメイトが森で白いきのこを見つけた。
「綾小路! これ食えるか!?」
「食うな」
「まだ見てねえだろ!」
「見ても食うな」
「判断早すぎだろ!」
「無人島で素人が野生きのこを食うな。これは判断以前の原則だ」
この一言は、後に他クラスにも広まった。
なぜか無人島内で、
『白いきのこは食うな』
『綾小路が言っていた』
という標語が広がった。
結果、二年生全体で野生きのこによる食中毒が激減した。
学校側は後で報告書にこう記した。
『生徒間で野生菌類に対する注意喚起が自然発生したことにより、衛生面の問題が抑制された』
その中心にいたのが綾小路だとは、誰も大きく評価しなかった。
ただ茶柱だけが、少し複雑な顔をした。
「綾小路」
「はい」
「お前は本当に、妙なところで学校に貢献するな」
「ありがとうございます」
「褒めているかどうかは微妙だ」
試験結果としては、堀北クラスは大勝利ではない。
だが、安定して生き残った。
綾小路はその中で、またしても地味な功績を残した。
無人島で誰も変なきのこを食べなかった。
これは、かなり大事だった。
◇
満場一致特別試験。
これは、綾小路にとって最も苦手な種類の試験だった。
全員の意見を一致させなければならない。
議論。
説得。
疑心。
葛藤。
誰かを切る判断。
そこには、湿度管理も食材管理も通用しない。
教室の空気は、重く沈んだ。
綾小路はそれを見て、換気したくなった。
だが、窓を開けても解決しない問題がある。
堀北は苦しんでいた。
櫛田の問題が表に出る。
クラスの中にあった歪みが、ついに隠せなくなる。
この綾小路には、誰をどう動かせばいいのか分からない。
ただ、分かることがひとつあった。
傷んだものを、見えないように箱の下へ隠しても、いずれ全体に影響する。
「櫛田」
綾小路は言った。
「何?」
櫛田の声は、いつもの明るさを失っていた。
「たぶん、もう隠すのは無理だ」
「……農家の経験?」
「少し」
「私を傷んだきのこ扱いしてる?」
「違う」
綾小路は首を振った。
「傷んでいるのは、櫛田だけじゃない。たぶん、俺たちもだ」
教室が静かになった。
「見ないふりをしていた。気づいていた人もいた。気づかなかった人もいた。でも、ずっとそのまま箱詰めしていた」
「だから何?」
「一度、全部出して確認するしかない」
綺麗な言葉ではなかった。
鋭い策略でもなかった。
だが、櫛田は笑わなかった。
堀北はその言葉を聞いて、覚悟を決めた。
そこから先は、堀北の戦いだった。
櫛田と向き合う。
クラスを壊さずに進める。
それは綾小路にはできない。
堀北がやるしかない。
その結果、クラスは大きく傷ついた。
誰かが完全に救われたわけではない。
誰かが完全に納得したわけでもない。
だが、櫛田は残った。
堀北は、彼女を使う道を選んだ。
綾小路はそれを見ていた。
試験後、櫛田が彼に言った。
「綾小路くんってさ」
「何だ」
「本当に、変なところだけ見てるよね」
「そうか」
「私のこと、嫌い?」
「分からない」
「そこは嘘でも嫌いじゃないって言いなよ」
「嫌いではないと思う」
「遅い」
櫛田は少しだけ笑った。
その笑顔は、以前のように完璧ではなかった。
だが、以前より少しだけ本物に見えた。
◇
二度目の体育祭。
綾小路の運動能力は相変わらず普通だった。
短距離では勝てない。
リレーで無双もしない。
格上相手に隠していた力を見せることもない。
ただし、彼は前年の反省を活かした。
「水分補給のタイミングを決めておく」
「競技前に食べすぎるな」
「汗で冷える前に着替えろ」
「足裏のマメは早めに処置しろ」
「昼食の保存場所を間違えるな」
堀北は言った。
「あなた、選手というよりマネージャーね」
「その方が向いている」
「否定しないわ」
須藤は大きく成長していた。
以前のようにただ突っ走るだけではない。
周囲を見て、後輩を助け、クラスのために動く。
綾小路はその変化を見て、少しだけ感心した。
「須藤は変わったな」
「あ? 急に何だよ」
「前より無理をしなくなった」
「お前が去年うるさかったからな。水飲めだの、休めだの、湿気がどうだの」
「湿気は関係あったか?」
「ねえよ!」
須藤は怒鳴ったが、少し笑っていた。
体育祭の結果は、クラス全員の準備が効いた。
派手な奇策ではない。
綾小路の超人的活躍でもない。
積み重ね。
去年より、怪我が少ない。
去年より、連携がいい。
去年より、崩れない。
それだけで、結果は変わった。
堀北は静かに言った。
「勝つために必要なのは、天才一人じゃないのね」
「そうだな」
「あなたの場合、天才ですらないけれど」
「そこまで言う必要はあるか」
「事実確認よ」
綾小路はまた少し傷ついた。
◇
文化祭。
ここで、綾小路清隆は二年生時最大級の活躍をする。
堀北クラスは出し物を決める段階で迷っていた。
カフェ。
屋台。
展示。
接客。
利益。
人員配置。
どれも考えることが多い。
そこで綾小路が静かに手を挙げた。
「ホワイトマッシュルーム料理を出すのはどうだ」
教室が静まり返った。
須藤が笑った。
「ついに来たな」
軽井沢が言う。
「絶対言うと思った」
堀北は目を細めた。
「具体案は?」
「マッシュルームのバター醤油焼き。マッシュルームスープ。マッシュルーム入りホワイトシチュー。原価管理もしやすい。調理工程も単純化できる」
「ホワイトシチュー?」
「ホワイトマッシュルームと相性がいい」
「名前がややこしいわね」
「問題か?」
「少し」
だが、案そのものは悪くなかった。
ホワイトマッシュルームは見た目が綺麗で、香りもよく、調理も早い。
さらに綾小路の実家から、品質の良いものを仕入れられる可能性があった。
綾小路は電話した。
『清隆か』
「はい」
『何だ』
「学校の文化祭で、ホワイトマッシュルーム料理を出したい」
『数量は』
「見込みで──」
父は即座に仕事の声になった。
『保存設備は』
「冷蔵庫は確保予定です」
『搬入時間は』
「前日夕方」
『湿度管理は』
「校内なので限定的です」
『ならば発泡箱と保冷剤を使え。開封後は長時間放置するな。傘の表面に水滴をつけるな』
「分かりました」
『清隆』
「はい」
『ようやく学校でまともなことをしているな』
「そうでしょうか」
『ホワイトマッシュルームを広めるのは、まともなことだ』
父は満足そうだった。
文化祭当日。
堀北クラスの屋台には、白い看板が掲げられた。
『ホワイトマッシュルーム亭』
命名者は須藤だった。
堀北は最後まで反対した。
だが、妙に覚えやすいという理由で採用された。
メニューは三つ。
マッシュルームバター焼き。
マッシュルームスープ。
ホワイトマッシュルームシチュー。
最初は地味だと思われた。
しかし、香りが強かった。
バターと醤油の匂い。
温かいスープの湯気。
白く丸いマッシュルームの見た目。
そして何より、綾小路の説明が妙に本格的だった。
「こちらは鮮度の高いホワイトマッシュルームを使用しています。加熱しすぎると食感が失われるため、短時間で仕上げています」
「保存状態は大丈夫なの?」
「搬入後の温度管理は記録しています」
「記録?」
「はい。こちらです」
「屋台でここまで見せるの?」
客は困惑しつつも感心した。
坂柳有栖も訪れた。
「綾小路くん」
「坂柳」
「良い香りですね」
「ありがとう」
「あなたがここまで生き生きしている姿は初めて見ました」
「そうか」
「ええ。チェスをしている時よりも」
「チェスは普通だからな」
「知っています」
坂柳はスープを一口飲み、目を細めた。
「美味しいです」
「それはよかった」
「負けました」
「何にだ」
「分かりません。ですが、今はそう言いたい気分です」
龍園も来た。
「おい、きのこ。儲かってるか?」
「そこそこ」
「原価率は?」
「抑えている」
「へえ。商売はできんのか」
「農家だからな」
龍園はバター焼きを食べた。
「悪くねえ」
「ありがとう」
「だが、もっと高く売れたな」
「そうなのか」
「お前、商売の駆け引きは弱えな」
「それはそうだ」
「そこで認めんな」
文化祭の結果、堀北クラスはかなりの成果を出した。
理由は単純。
料理の品質が安定していた。
回転率も良かった。
食材ロスが少なかった。
衛生管理が徹底されていた。
綾小路の知識が、珍しくほぼ全面的に刺さった。
文化祭後、堀北は言った。
「今回ばかりは認めるわ」
「何をだ」
「あなたは、ホワイトマッシュルームに関しては本当に頼れる」
「ありがとう」
「それ以外は普通だけれど」
「最後に付け加えなくてもいい」
綾小路はまた少し傷ついた。
だが、文化祭の売上表を見て、少しだけ嬉しかった。
ホワイトマッシュルームが、クラスの役に立った。
それは彼にとって、試験で勝つこととは少し違う喜びだった。
◇
協力型筆記試験。
綾小路は普通に苦労した。
暗記はそこそこ。
応用問題は普通。
数学は平均。
英語も平均。
ただし、生物分野の菌類だけは強い。
「またそこだけなの?」
軽井沢に言われた。
「そこだけだ」
「開き直ってるし」
幸村が真面目に言う。
「綾小路、お前は菌類以外ももう少し伸ばせ」
「努力する」
「特に数学だ。平均では困る」
「分かった」
綾小路は普通に勉強した。
万能ではないので、普通に問題集を解いた。
分からないところは聞いた。
教わった。
覚えた。
それは彼にとって、少し新鮮だった。
ホワイトマッシュルームに関しては、幼い頃から教える側だった。
だが、学校では教わる側になることが多い。
それは悪くなかった。
試験本番。
綾小路は平均より少し上の点を取った。
菌類問題は満点だった。
幸村は答案を見て言った。
「まあ、前よりはいい」
「ありがとう」
「だが菌類の余白解説は要らない」
「書いた方が分かりやすいかと思った」
「採点者が困る」
綾小路は反省した。
◇
サバイバル・エリミネーション試験。
この試験は、クラス同士のぶつかり合いが激しく、脱落や損失を意識させるものだった。
ここでも綾小路は、天才的戦略家にはなれなかった。
相手の策を完全には読めない。
龍園の攻めは怖い。
坂柳の布石は分からない。
一之瀬の善性にどう向き合うべきかも、はっきりとは分からない。
だが、一年の頃よりは少しだけ成長していた。
自分が分からないことを、分かるようになっていた。
「堀北」
「何?」
「俺には相手の狙いを全部読むのは無理だ」
「知っているわ」
「だから、早めに共有する」
「ええ。それでいい」
堀北はもう、綾小路に万能性を求めていなかった。
その代わり、彼の限定的な強みを使う。
情報整理。
体調管理。
人の様子の変化。
空気の悪化。
それらを綾小路は報告する。
「平田が少し無理をしている」
「軽井沢は疲れている」
「須藤は焦っているが、去年ほどではない」
「櫛田は、笑顔の戻し方が少し自然になった」
堀北は言った。
「あなた、人間観察も少しはできるようになったのね」
「マッシュルームほどではない」
「比較対象がおかしいのは相変わらずね」
試験の中で、クラスは何度も揺れた。
誰かを切り捨てるのか。
誰かを守るのか。
勝つためにどこまでやるのか。
そのたびに、綾小路は山内のことを思い出した。
一年生のクラス内投票で、自分は何もできなかった。
この世界の綾小路は、万能ではない。
だから過去を消せない。
ただ、同じように誰かを何も言わずに見送ることだけは、したくなかった。
「切る前に、確認した方がいい」
会議で彼は言った。
「何を?」
「本当に腐っているのか。ただ表面が傷ついているだけなのか」
須藤が苦笑した。
「またきのこか」
「でも、言いたいことは分かる」
平田が頷く。
「見た目だけで決めるな、ってことだよね」
「ああ」
櫛田が小さく言った。
「それ、昔の私に聞かせたかったかも」
綾小路は何も言えなかった。
試験は厳しかった。
クラスは完勝しなかった。
失点もした。
だが、誰か一人に全部を押しつける形にはしなかった。
それは堀北の成長であり、クラス全体の成長だった。
綾小路の功績は小さい。
だが、小さくはあっても、確かにあった。
◇
年度末特別試験。
二年生最後の特別試験。
各クラスの一年の積み重ねが問われる。
堀北クラスは、もはや最初のDクラスではなかった。
須藤は成長した。
軽井沢は自分の立ち位置を持った。
平田は一度折れた後、少し違う形で立てるようになった。
櫛田は完璧な仮面だけではなく、不完全な自分を抱えたままクラスにいる。
堀北は、以前よりずっとリーダーになっていた。
そして綾小路は。
相変わらず、ホワイトマッシュルーム以外は普通だった。
だが、一年の頃の普通とは少し違っていた。
彼は、自分ができないことを隠さなくなった。
助けを求めるようになった。
そして、自分ができることなら、ためらわずに出すようになった。
年度末特別試験の準備中、堀北は言った。
「綾小路くん、今回あなたには裏方を頼むわ」
「分かった」
「不満は?」
「ない。表に出ても普通だからな」
「自覚があるのはいいことね」
「最近よく言われる」
彼の役目は、情報をまとめること。
メンバーの疲労を確認すること。
食事や休憩の乱れを防ぐこと。
そして、試験中に使う待機場所の環境を整えることだった。
「地味ね」
軽井沢が言った。
「地味だな」
「でも、あんたらしいかも」
「そうか」
「うん。何か、いると湿気がちょうどよくなる感じ」
「褒めているのか?」
「たぶん」
試験本番。
堀北クラスは、強豪たちとぶつかった。
坂柳のクラス。
龍園のクラス。
一之瀬のクラス。
それぞれに強みがある。
万能な綾小路がいないこの世界では、堀北クラスは何度も追い詰められた。
だが、そのたびに誰かが前に出た。
須藤が身体を張る。
幸村が学力で支える。
平田が調整する。
軽井沢が空気を読む。
櫛田が人脈を使う。
堀北が決断する。
綾小路は、裏方から小さな穴を塞ぐ。
休憩が足りない。
誰かが焦っている。
空気が悪い。
水分が足りない。
集中が切れている。
彼が気づけるのは、その程度だった。
だが、その程度が積み重なると、崩壊を防げる。
試験終盤、坂柳有栖は綾小路に声をかけた。
「綾小路くん」
「何だ」
「あなたは、やはり私が想像していた人とは違います」
「そうだろうな」
「もしあなたが、あちらの白い部屋で育った人なら、もっと退屈で、もっと恐ろしかったのでしょうね」
「俺は白い部屋では育っていない」
「ええ」
「白いマッシュルームの農場だ」
「存じています」
坂柳は微笑んだ。
「でも、今のあなたの方が、少しだけ面白い」
「なぜだ」
「一人で勝てないからです」
綾小路は答えなかった。
坂柳は続けた。
「一人で勝てない人間は、誰かと勝つしかありません。あなたのクラスは、その形になっている」
「堀北たちが頑張ったからだ」
「ええ。あなたは主役ではない」
「知っている」
「ですが、土壌ではあります」
「土壌?」
「ええ。目立たないけれど、そこにあることで周囲が育つ。農家の息子らしいではありませんか」
綾小路は少し考えた。
土壌。
菌床。
人間を育てる環境。
父が言っていたこととは、少し違う。
父は、環境を管理する者が成果を決めると言った。
だがこの学校では、環境そのものも変わっていく。
育てる側も、育てられる側も、互いに変わる。
ホワイトマッシュルームとは違う。
人間は、勝手に伸びる。
曲がる。
ぶつかる。
腐りかける。
それでも、もう一度立て直すことがある。
試験の結果、堀北クラスは大きな成果を得た。
完璧な勝利ではない。
犠牲も疲労もあった。
それでも、二年生の終わりにふさわしい結果だった。
クラスは、上を狙える位置にいた。
◇
二年生最後の日。
綾小路は共有キッチンにいた。
文化祭で使ったレシピを改良し、ホワイトマッシュルームのクリームスープを作っていた。
そこへ堀北が来た。
「また作っているのね」
「ああ」
「好きなの?」
「馴染みがある」
「前にも聞いた気がするわ」
「そうか」
堀北は鍋を覗いた。
「いい匂いね」
「食べるか」
「いただくわ」
二人でしばらく黙ってスープを飲んだ。
堀北が言った。
「二年生も終わるわね」
「ああ」
「あなた、結局最後まで普通だったわ」
「ホワイトマッシュルーム以外はな」
「ええ。でも、その普通さに助けられたこともあった」
「そうか」
「もしあなたが何でもできる人だったら、私はきっと頼っていた。クラスも、あなたを中心にしていた」
「それは困るな」
「ええ。だから、これでよかったのかもしれない」
綾小路はスープの表面を見た。
白い。
少しだけ、とろみがある。
ホワイトマッシュルームの香りがする。
「堀北」
「何?」
「三年生になったら、もっと難しくなるんだろうな」
「当然よ」
「俺にできることは少ない」
「知っているわ」
「でも、できることはやる」
堀北は少しだけ笑った。
「期待しているわ。湿度管理と食材管理と、変なきのこへの注意喚起に」
「そこだけか」
「今のところはね」
綾小路は小さく息を吐いた。
その時、須藤と軽井沢と平田と櫛田もやって来た。
「お、またきのこスープか」
「いい匂いするじゃん」
「僕ももらっていいかな?」
「私も。今日はちゃんと手伝うよ」
堀北は呆れた。
「あなたたち、どうして毎回集まってくるの?」
軽井沢が笑った。
「だって、綾小路のきのこ料理、普通においしいし」
須藤が頷く。
「こいつ、そこだけはガチだからな」
「そこだけと言うな」
綾小路は皿を増やした。
最初から少し多めに作っている。
誰かが来ると、何となく分かっていたからだ。
ホワイトルームではない。
ホワイトマッシュルーム農家。
そこで育った少年は、万能ではなかった。
怪物でもなかった。
ただ、白いきのこの扱いだけは誰にも負けなかった。
そして二年間の学校生活を経て、彼はようやく少しだけ分かっていた。
自分はクラスを支配することはできない。
勝利へ導く天才にもなれない。
だが、腐らせないように見ることはできる。
乾きすぎないように気づくことはできる。
湿りすぎた空気に、窓を開けることはできる。
それだけでも、人間は少し育つ。
ホワイトマッシュルームとは違って、思いもしない方向へ。
そしてまもなく、最後の一年が始まろうとしていた。
綾小路清隆は、スープをよそいながら思った。
たぶん自分は、最後まで普通だ。
ただし、ホワイトマッシュルームだけは別だ。
それでどこまで行けるのか。
まだ、誰にも分からない。