もし綾小路清隆がホワイトルーム出身じゃなくて、ホワイトマッシュルーム農家出身だったら 作:東頭鎖国
三年生になった。
高度育成高等学校での最後の一年。
Aクラスで卒業すれば、将来はほぼ保証される。
それを目指して、各クラスは残された時間を削り合う。
坂柳有栖。
龍園翔。
一之瀬帆波。
堀北鈴音。
それぞれのクラスが、それぞれの形で頂点を狙っていた。
そして堀北クラスには、綾小路清隆がいた。
ただし、万能の怪物ではない。
ホワイトルーム出身ではない。
ホワイトマッシュルーム農家出身である。
成績は、少しだけ平均より上になった。
運動能力は、普通。
喧嘩は、弱い。
策略は、そこそこ考えるようになったが、龍園や坂柳には到底及ばない。
人心掌握などできない。
ただし、ホワイトマッシュルームの品質判定、鮮度管理、湿度管理、食材ロス削減、衛生管理、きのこ関連の危機察知能力だけは、学年最強だった。
その一点だけで、彼は三年生になっていた。
本人もよく分かっていた。
この学校で生き残れたのは、自分がすごかったからではない。
堀北が伸びたからだ。
須藤が変わったからだ。
軽井沢が自分の足で立つようになったからだ。
平田が折れても戻ってきたからだ。
櫛田が仮面だけではなく、傷ごと残ることを選んだからだ。
そしてクラス全体が、少しずつ腐らない箱になったからだ。
綾小路は、ただ湿度を見ていただけかもしれない。
だが、それでも三年目は来た。
◇
春。
始業式の日。
教室には、去年とは違う緊張感があった。
もう、猶予は少ない。
Aクラスとの差を詰めなければならない。
それも、ただ勝つだけでは足りない。
致命的な失点を避けながら、他クラスを上回る必要がある。
堀北は教壇の前に立った。
「今年が最後よ」
声は落ち着いていた。
一年生の頃のような、孤立した鋭さはない。
二年生の頃のような、肩に力が入った感じも薄い。
「私たちはAクラスを目指す。そのために、全員が自分の役割を理解して動く必要があるわ」
須藤が真剣な顔で頷いた。
平田は静かに周囲を見ていた。
軽井沢は机に頬杖をつきながらも、目は逃げていない。
櫛田は笑っていた。
その笑顔は、昔より少し雑だった。
だが、そのぶん本物に近かった。
堀北は最後に綾小路を見た。
「綾小路くん」
「何だ」
「あなたには、今年も裏方をお願いするわ」
「分かった」
「具体的には、体調管理、休憩管理、食事管理、空気が悪くなった時の換気」
「任せてくれ」
「それから、きのこ関連の危機管理」
「そこは一番任せてくれ」
教室のあちこちから笑いが起こった。
昔なら、そこで綾小路は少し浮いていただろう。
だが今は違う。
クラスメイトたちは、綾小路がそういう人間だと知っている。
できないことの方が多い。
でも、できることだけは妙に深い。
その奇妙な安心感が、堀北クラスの一部になっていた。
◇
三年生最初の大きな特別試験は、進路査定試験だった。
内容は単純ではない。
生徒一人ひとりが希望進路を提出し、その進路に必要な能力を学校が複数項目で評価する。
学力。
対人能力。
実務処理能力。
協調性。
リーダーシップ。
専門性。
そして、クラス全体の進路達成率。
つまり、個人戦でありながら、クラス戦でもあった。
堀北はすぐに分析した。
「進路希望を適当に出すと不利になるわ。自分の能力と噛み合ったものを選ぶ必要がある」
幸村が頷く。
「学力組は進学系で固められる。問題は、まだ希望が曖昧な連中だな」
須藤が手を挙げた。
「俺はスポーツ系で行く」
「それは分かりやすいわ」
軽井沢は少し考えた。
「私は……接客とか、販売とか、そういうのもありかも」
平田は人材系や教育系に興味を示した。
櫛田は広報、接客、対人調整。
そして綾小路。
堀北が紙を見る。
「綾小路くん。あなたの希望進路、これは何?」
「ホワイトマッシュルーム農家」
「でしょうね」
「実家を継ぐ可能性がある」
「むしろそれ以外を書かれた方が困惑するわ」
進路査定で、綾小路は初めて公式に強かった。
学力はそこそこ。
対人能力は普通。
リーダーシップは低め。
運動も普通。
だが、専門性だけが異常値だった。
学校側の面接官も困惑した。
「綾小路くん。ホワイトマッシュルーム栽培における重要項目は?」
「温度、湿度、換気、衛生、菌床管理、収穫タイミング、出荷までの温度変化です」
「では、収穫適期の判断基準は?」
「傘の開き、軸の太さ、表面の張り、色、重量感、周辺個体との密度です。市場規格によって若干変わります」
「……なるほど」
「必要なら実演できます」
「いや、今は結構です」
評価表にはこう記された。
『専門性:極めて高い。ただし範囲が極端に限定される』
堀北は結果を見て言った。
「あなた、本当にそこだけで生きていけそうね」
「そうだと助かる」
「褒めているのよ」
「ありがとう」
「ただし、一般教養も落とさないで」
「分かった」
この試験で、堀北クラスは予想以上に得点を伸ばした。
理由は、全員が自分の弱みを隠すのではなく、役割として整理できたからだった。
万能な生徒はいない。
だが、誰かの弱みを別の誰かが埋める。
その考え方が、三年目になってようやくクラス全体に浸透していた。
◇
試験後、坂柳有栖が綾小路の前に現れた。
相変わらず、静かで優雅だった。
「綾小路くん」
「坂柳」
「進路査定、ずいぶん良い評価だったようですね」
「専門性だけは」
「ええ。専門性だけは」
坂柳は楽しげに笑った。
「もしあなたがホワイトルーム出身だったなら、私はあなたとの勝負にもっと執着したでしょう」
「俺は違う」
「知っています。ホワイトマッシュルーム農家出身」
「ああ」
「ですが、不思議ですね。私は今のあなたにも、別の興味があります」
「なぜだ」
「あなたは、自分が天才でないことを受け入れている。そこが面白い」
「受け入れるしかないからな」
「普通の人間は、自分の普通さをなかなか認められません」
「俺の場合、比較対象がホワイトマッシュルームだからかもしれない」
「また変なことを」
坂柳はくすりと笑った。
「あなたのクラスは、去年より強くなりました」
「堀北たちが頑張った」
「ええ。あなたではない」
「そうだな」
「でも、あなたがいなければ、少し違った形になっていたでしょう」
坂柳は杖を軽く鳴らした。
「あなたは王ではない。騎士でもない。盤上の駒ですらないかもしれない」
「じゃあ何だ」
「盤面の湿度管理係」
「それは強いのか?」
「少なくとも、木製の盤には必要かもしれません」
綾小路には、褒められているのか分からなかった。
◇
夏。
夏の特別試験が発表された時、三年生全体がざわついた。
試験名は、総合実務競争。
各クラスが複数の実務課題に挑み、品質、効率、利益、チームワークで評価される。
課題はランダム。
接客。
資料作成。
倉庫整理。
調理。
簡易営業。
イベント運営。
そしてその中に、一つだけ妙な項目があった。
『農産物品質管理』
綾小路クラスが一斉に彼を見た。
須藤が叫んだ。
「来たぞ!」
軽井沢が笑う。
「綾小路接待試験じゃん」
堀北は冷静に言った。
「浮かれないで。農産物全般なら、ホワイトマッシュルームとは限らないわ」
「確かに」
綾小路は頷いた。
「トマトなら普通だ」
「でしょうね」
「レタスも普通だ」
「それもでしょうね」
「ホワイトマッシュルームなら勝てる」
「ピンポイントすぎるのよ」
試験当日。
課題として出されたのは、複数の食材の品質判定と保管計画だった。
野菜、果物、卵、肉、魚。
そして、きのこ類。
しいたけ。
しめじ。
えのき。
エリンギ。
ブラウンマッシュルーム。
ホワイトマッシュルーム。
綾小路の目つきが変わった。
「来たな」
須藤が小声で言う。
「綾小路が戦闘モードに入った」
「きのこ限定のね」
軽井沢が答えた。
綾小路はホワイトマッシュルームを手に取った。
その瞬間だけ、彼は本当に強かった。
「これは鮮度良好。ただし保管時の水滴跡が少しある。早めに使うべきです」
「これは傘が開き始めている。スライスして加熱用なら問題ありません」
「これは不可。変色が進んでいます」
「これは良い。香りも問題ありません」
他の食材については、クラスの別メンバーが対応した。
調理は軽井沢と櫛田を中心に回す。
接客は平田と櫛田。
体力作業は須藤たち。
資料化は幸村。
堀北が全体指揮。
綾小路は、きのこ類と保管環境だけを見続けた。
結果、堀北クラスは農産物品質管理で大きく得点した。
特に食材ロスが極端に少なかった。
龍園は結果を見て笑った。
「またきのこで点取ってんのか、お前ら」
堀北が冷静に返す。
「取れる点を取っただけよ」
「それで最後に勝たれると腹立つな」
龍園は綾小路を見た。
「おい、きのこ。お前、卒業したら本当に農家やんのか」
「可能性は高い」
「似合ってるぜ」
「ありがとう」
「褒めてねえよ」
「そうなのか」
龍園は鼻で笑った。
「でもな、商売やるなら値付けは覚えろ。お前、文化祭の時も安売りしすぎだった」
「参考にする」
「本気で参考にすんな。調子狂う」
この頃には、龍園も綾小路を敵というより、妙な専門職として見ていた。
潰す対象ではない。
ただ、放っておくと変な場面で点を取ってくる。
龍園にとっては、それが少し腹立たしかった。
◇
三年生の夏を過ぎる頃、一之瀬帆波のクラスは大きく揺れていた。
善性。
信頼。
助け合い。
それらは一之瀬クラスの強みだった。
だが、最後の一年では、それが弱点にもなる。
誰も切れない。
誰も疑えない。
誰も厳しいことを言えない。
綾小路は、一之瀬と偶然話す機会を得た。
彼女はいつものように笑っていたが、疲れていた。
「綾小路くんは、すごいよね」
「何がだ」
「自分の得意なことがはっきりしてる」
「狭いだけだ」
「でも、それがあるのは羨ましいよ」
一之瀬は自嘲気味に笑った。
「私、みんなを助けたいって思ってたんだけど、それだけじゃ駄目なのかな」
綾小路は少し考えた。
こういう時、何を言えばいいのか分からない。
人間はマッシュルームではない。
だが、マッシュルームの話しか、自分にはできない。
「甘さと腐敗は違う」
「え?」
「ホワイトマッシュルームは、鮮度が良い時は甘い香りがする。でも、傷むと匂いが変わる」
一之瀬は不思議そうに聞いていた。
「甘いことが悪いわけじゃない。ただ、傷んでいるのに甘いと思い込むと危ない」
「それ、私のクラスのこと?」
「分からない。ただ、見ないふりはよくない」
一之瀬はしばらく黙った。
そして、少しだけ笑った。
「綾小路くんの例えって、相変わらずきのこなんだね」
「それしかない」
「でも、ちょっと分かった気がする」
この一言で一之瀬が完全に変わるわけではない。
彼女の問題は、そんなに簡単ではない。
だが、少しだけ考えるきっかけにはなった。
◇
秋。
三年生の文化祭。
堀北クラスでは、ほとんど満場一致で出し物が決まった。
「去年の続きでいいんじゃね?」
須藤が言った。
「ホワイトマッシュルーム亭、リベンジだろ」
「去年は成功したじゃない」
堀北が言う。
「だからこそ、今年はさらに上を狙う」
軽井沢がスマホを見せた。
「去年のお客さん、けっこう覚えてるんだよね。SNSっぽい校内掲示でも話題になってたし」
平田が頷く。
「改善点を入れれば、もっと利益を出せると思う」
櫛田も言った。
「接客導線、去年より良くできるよ」
綾小路は静かに言った。
「今年は、ホワイトマッシュルームのアヒージョも出したい」
教室が少し沸いた。
「洒落てるじゃん」
「匂い強そう」
「パンとセットにすれば売れるかも」
堀北は表情を引き締めた。
「衛生管理と火の扱いは?」
「手順書を作る」
「原価は?」
「去年の反省を踏まえる。龍園にも言われた」
「なぜ龍園くんの助言を取り入れているの?」
「値付けに関しては正しかった」
「そこは否定できないわね」
今年のホワイトマッシュルーム亭は、本気だった。
メニューは改良された。
値段も適正化された。
仕入れ量も去年より精密になった。
綾小路は実家と交渉し、父から厳しい条件付きで最高品質のホワイトマッシュルームを送ってもらった。
『清隆。去年より多いな』
「はい」
『保管は』
「冷蔵設備を増やしました」
『調理導線は』
「昨年の反省を反映しています」
『価格設定は』
「値上げしました」
『よろしい』
父は満足そうだった。
『清隆。商売とは、安く売ることではない。価値を正しく伝え、正しい価格で届けることだ』
「分かりました」
『ようやく農家らしくなってきたな』
文化祭当日。
ホワイトマッシュルーム亭は、去年以上の人気を集めた。
坂柳が来た。
龍園が来た。
一之瀬も来た。
下級生も来た。
教師も来た。
茶柱はアヒージョを食べて、少しだけ目を見開いた。
「美味いな」
「ありがとうございます」
「綾小路。お前、卒業後は本当に農家でいいのか?」
「はい」
「そうか」
茶柱は皿を置いた。
「お前には、妙な才能がある。だが、それを恥じる必要はない」
「恥じてはいません」
「ならいい」
少し離れたところで、堀北がその会話を聞いていた。
彼女は何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑っていた。
文化祭の結果、堀北クラスは大成功を収めた。
派手な策ではない。
誰かを出し抜いたわけでもない。
正しい品質の商品を、正しい価格で、正しい導線で提供した。
農家の息子の知識が、クラスの総合力と噛み合った結果だった。
◇
冬。
卒業まであと数ヶ月。
その時期に行われた特別試験は、苛烈だった。
クラス同士の勝敗だけではなく、個人の退学リスクが絡む。
三年生の終盤での退学。
それはあまりにも重い。
山内の退学を経験している堀北クラスには、独特の緊張が走った。
誰もが、あの時の空気を覚えていた。
切り捨てるのか。
守るのか。
勝つために、どこまでやるのか。
堀北は言った。
「感情だけでは勝てない。でも、誰かを簡単に捨てるクラスにもしたくない」
平田が頷いた。
「僕も同じだ」
軽井沢は静かに言った。
「でも、守るなら守るで覚悟いるよね」
櫛田が笑わずに言った。
「綺麗事だけじゃ残れないもんね」
須藤は拳を握った。
「俺は、もう誰かがいなくなるのは嫌だ」
綾小路は黙って聞いていた。
彼には最適解が分からなかった。
坂柳なら、もっと冷静に切るかもしれない。
龍園なら、勝つために犠牲を利用するかもしれない。
一之瀬なら、誰も切れずに苦しむかもしれない。
堀北は、そのどれでもない道を探していた。
綾小路は言った。
「一度、全部出した方がいい」
堀北が見る。
「何を?」
「不安も、不満も、誰が危ないかも。箱の下に隠しておくと、後で悪くなる」
櫛田が苦笑した。
「また箱詰めの話?」
「ああ」
「でも、分かるよ」
クラスは、本音を出した。
それは綺麗な話し合いではなかった。
不満も出た。
責任の押し付け合いもあった。
涙もあった。
怒声もあった。
だが、以前とは違った。
誰か一人を黙って標的にするのではなく、全員で状況を見た。
退学候補になりかけた生徒にも、役割を与えた。
苦手なことを外し、できることに集中させた。
堀北が決断し、平田が支え、櫛田が対人面を補い、軽井沢が裏の空気を拾い、須藤が前に出た。
綾小路は、休憩時間に温かいスープを配った。
「こんな時まできのこかよ」
誰かが笑った。
「消化がいい」
「理由そこ?」
「温かいものを飲むと、少し落ち着く」
そのスープは、ホワイトマッシュルームのポタージュだった。
不思議と、教室の空気が少しだけ柔らかくなった。
結果として、堀北クラスは退学者を出さずに試験を乗り切った。
完全勝利ではない。
損失はあった。
ポイントも削られた。
だが、誰も失わなかった。
試験後、須藤は綾小路に言った。
「お前、山内の時のこと、覚えてるか」
「ああ」
「俺も忘れてねえ」
「そうか」
「今回は、違ったな」
「ああ」
綾小路は短く答えた。
違った。
それだけで、十分だった。
◇
卒業直前。
最後の特別試験が告げられた。
名称は、卒業総合選抜試験。
学力、運動、実務、交渉、判断、協調。
三年間で培ったすべてを使う総合戦。
各クラスは代表を選び、複数の種目で争う。
Aクラス卒業を決める、最後の戦いだった。
堀北クラスは、もうかつてのDクラスではない。
だが、相手も強い。
坂柳。
龍園。
一之瀬。
誰も簡単には譲らない。
試験前夜、堀北は綾小路を呼んだ。
「綾小路くん」
「何だ」
「あなたに聞いておきたいことがある」
「俺に分かることなら」
「あなたは、このクラスでよかった?」
綾小路は少し黙った。
質問の意味を考える。
もし別のクラスだったら。
坂柳のクラスなら、もっと洗練された環境だったかもしれない。
龍園のクラスなら、もっと強引に動くことを覚えたかもしれない。
一之瀬のクラスなら、もっと優しさに触れたかもしれない。
だが、堀北クラスには、失敗があった。
湿度が悪かった。
換気も足りなかった。
傷んだ部分を見逃した。
それでも、少しずつ整えた。
全員が、少しずつ変わった。
「よかったと思う」
「理由は?」
「このクラスは、最初はあまり良い状態じゃなかった」
「否定できないわね」
「でも、変わった。人間はマッシュルームより難しいが、面白い」
「最後まで比較対象はマッシュルームなのね」
「それしかない」
堀北は小さく笑った。
「あなたらしいわ」
◇
最終試験当日。
堀北クラスは全力でぶつかった。
学力種目では幸村たちが奮闘する。
運動種目では須藤が躍動する。
対人種目では平田と櫛田が強い。
判断系では堀北が指揮を執る。
軽井沢は細かな人間関係の揺れを拾う。
綾小路は、やはり裏方だった。
だが最終盤。
学校側が用意した最後の種目が発表された。
『総合商品企画・販売実務』
各クラスに同一の食材と資材が配られ、短時間で商品を企画し、価格を設定し、販売シミュレーションを行う。
評価項目は、品質、利益率、説得力、実現性。
配られた食材の中に、ホワイトマッシュルームがあった。
堀北がゆっくりと綾小路を見た。
「最後に来たわね」
「ああ」
須藤が笑った。
「決めろよ、きのこ」
軽井沢が言った。
「ここで外したら一生言うから」
櫛田が微笑む。
「大丈夫。綾小路くんなら、きのこだけは信じられる」
「だけは余計だ」
平田が穏やかに言う。
「頼んだよ、綾小路くん」
綾小路は頷いた。
最後の種目。
彼は初めて、正面に立った。
「ホワイトマッシュルームを主役にする」
堀北が頷く。
「具体案は?」
「三年間でやったことの集大成だ」
商品は、ホワイトマッシュルームのポタージュと、バター焼きのセット。
文化祭で得た販売経験。
進路査定で整理した専門性。
実務試験で培った保管とロス管理。
体育祭や試験準備で学んだ体調管理。
そして、龍園から学んだ値付け。
「安売りしない」
綾小路は言った。
「価値を説明する。品質を見せる。保存と調理の根拠を提示する。納得して買ってもらう」
堀北はわずかに目を見開いた。
「あなた、成長したわね」
「龍園のおかげかもしれない」
「それは少し嫌ね」
企画発表で、綾小路は前に出た。
相変わらず、派手な話術はない。
声も大きくない。
だが、説明は正確だった。
「ホワイトマッシュルームは、香りと食感が重要です。今回の商品では、加熱時間を短くし、主役としての存在感を残します」
彼は品質管理表を出した。
「保管温度、調理時間、ロス率を想定しています。仕入れから提供までの流れも単純化しました」
価格表を出す。
「去年の文化祭では、価格設定が低すぎました。今年は、品質に見合う価格にしています」
審査員が聞いた。
「なぜホワイトマッシュルームを主役に?」
綾小路は少しだけ考えた。
「地味だからです」
会場が少しざわついた。
「派手ではありません。肉や魚ほど目立たない。ですが、扱い方を間違えなければ、香りも食感も出せる。主役にも脇役にもなれる。保存は繊細ですが、そのぶん丁寧に扱えば価値が出る」
彼は続けた。
「この三年間、俺のクラスもそうでした」
堀北が静かに目を伏せた。
「最初から優秀だったわけではありません。傷もありました。失敗もしました。腐りかけた時もありました。でも、捨てずに見て、整えて、役割を変えて、何とかここまで来ました」
綾小路は、審査員ではなく、クラスメイトの方を見た。
「だから、この商品はうちのクラスに合っています」
それは上手い演説ではなかった。
だが、綾小路清隆が三年間で初めて、自分の言葉でクラスを語った瞬間だった。
坂柳は静かに微笑んだ。
龍園はつまらなそうに、しかしどこか満足げに笑った。
一之瀬は目を細めた。
堀北は、何も言わなかった。
結果発表。
僅差だった。
どのクラスも強かった。
最後まで分からなかった。
だが、最終種目で堀北クラスは高得点を取った。
それが、決定打になった。
堀北クラスは、Aクラスに届いた。
◇
そして、卒業式の日。
堀北クラスは、Aクラスとして卒業した。
かつてのDクラスが、最後にそこまで辿り着いた。
須藤は泣きそうになっていた。
平田は穏やかに笑っていた。
軽井沢は「泣いてないし」と言いながら目元を押さえていた。
櫛田は、作り物ではない笑顔を浮かべていた。
堀北は、凛としていた。
だが、その目には少しだけ柔らかさがあった。
卒業式後、綾小路は校舎裏にいた。
そこに坂柳が来た。
「卒業おめでとうございます、綾小路くん」
「坂柳も」
「結局、あなたは最後まで怪物ではありませんでしたね」
「ああ」
「でも、退屈でもありませんでした」
「そうか」
「ええ。ホワイトマッシュルームで敗北したことは、一生忘れないでしょう」
「忘れてもいいと思う」
「嫌です。面白いので」
坂柳は静かに去っていった。
次に龍園が来た。
「おい、きのこ」
「綾小路だ」
「卒業したら本当に農家か?」
「たぶん」
「値付け間違えんなよ」
「気をつける」
「あと、安売りすんな。お前んとこのきのこ、悪くねえ」
「ありがとう」
「褒めてねえ」
「そうか」
龍園も去った。
一之瀬は、少しだけ泣きそうな顔で言った。
「綾小路くん、ありがとう」
「俺は何もしていない」
「そういうところ、最後まで変わらないね」
「そうか」
「でも、きのこの話、少し役に立ったよ」
「それならよかった」
一之瀬は笑った。
最後に、堀北が来た。
「ここにいたのね」
「ああ」
「みんな探しているわ」
「すぐ行く」
堀北は隣に立った。
しばらく、二人は黙って校舎を見ていた。
「綾小路くん」
「何だ」
「あなた、最初は本当に変な人だと思っていたわ」
「今は?」
「今も変よ」
「そうか」
「でも、必要な人だった」
綾小路は少しだけ黙った。
「俺は、ホワイトマッシュルーム以外は普通だ」
「知っているわ」
「最後まで、何でもできる人間にはなれなかった」
「ならなくてよかったのよ」
堀北は静かに言った。
「あなたが何でもできたら、私たちはここまで変わらなかった。あなたが普通で、頼りなくて、でも一つだけ誰にも負けないものを持っていたから、私たちは自分の役割を探せた」
「そうなのか」
「ええ」
堀北は少しだけ笑った。
「あなたは、最高傑作ではなかった。でも、最高の農家の息子だったのかもしれないわね」
「それは褒めているのか?」
「今回は、かなり」
「ありがとう」
卒業式の後、堀北クラスは最後に集まった。
綾小路は、実家から送られてきたホワイトマッシュルームを使って、簡単な料理を作った。
バター焼き。
ポタージュ。
アヒージョ。
文化祭で作ったもの。
試験前に飲んだもの。
三年間で何度も作ったもの。
それら思い出の品を、みんなで食べた。
須藤が言った。
「やっぱうめえな」
軽井沢が言った。
「結局、卒業まできのこだったね」
櫛田が笑った。
「でも、綾小路くんらしいよ」
平田が頷いた。
「うん。すごく」
堀北は一口食べて、静かに言った。
「悪くないわ」
「最後までそれか」
「一番の褒め言葉よ」
綾小路は少しだけ笑った。
ホワイトルームではない。
ホワイトマッシュルーム農家。
そこで育った少年は、天才ではなかった。
怪物でもなかった。
誰よりも強いわけではなく、誰よりも賢いわけでもなかった。
ただ、白いマッシュルームの扱いだけは誰にも負けなかった。
そして、その偏った知識で、少しだけ空気を整えた。
少しだけ誰かを温めた。
少しだけ、腐らないように見ていた。
その結果、クラスは卒業の日にAクラスへ辿り着いた。
綾小路清隆は、皿の上のホワイトマッシュルーム達を見た。
白く、丸く、香りが立っている。
農場で見ていた時とは違う。
これはもう、商品ではない。
誰かと分け合う料理だった。
卒業後、彼がどこへ行くのかは分からない。
実家を継ぐかもしれない。
別の道を探すかもしれない。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
どんな環境に行っても。
湿度と温度と空気の悪さには、きっと気づくだろう。
そして必要なら、窓を開ける。
それが、ホワイトマッシュルーム農家出身の綾小路清隆が、三年間で得た答えだった。