TS転生したら人類の敵だった   作:生しょうゆ

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第1話 血塗れのリビング

 

 私の生に意味は殆どなかったが死はそれ以上に無意味だった。交通事故だ。日本でも自動車事故は年間三十万件発生しているというし、死亡者だって二千から三千はいく。私もまた、その不幸な数千人の中の一人でしかなく、統計上は単なる数字に過ぎない。

 

 しかし、他人にとっては数字でも、当事者である私にとっては紛れもない人生だった。物語と言うべきだろうか。今思えば、ごく普通の人生に対して殊更に無意味を気取るのも実に高校生らしい思考であり、私はきっと、私の人生を確かに生きていたのだろう。

 

 これから色々なことを知っていき、色々なことを体験するはずだった。まさしく私という物語のただ一人の主人公として、陳腐ながらも活躍するはずだった。

 

 その物語は主人公の死によって打ち切られた。だが、どうしてか続きというか番外編というか、或いはこれまでの十数年はプロローグに過ぎなかったのか。

 

 ともかく陳腐な言い方をすると、私は異世界に転生したわけだ。

 

 十歳の頃に目を覚まし、私は素直に喜んだ。人生をやり直す機会なんて空想上の出来事でしかなったが、それが現実となった。まさに物語染みた奇跡だった。平身低頭な神様によるご丁寧な解説はなかったし、チートのような特殊能力もなかったが、ごく普通の高校生でしかなかった私にとって、この奇跡は劇的な物語を否応なく予感させた。

 

 普通はそう思うだろう。異世界転生という奇跡があったのなら、普通はこれからも次々と劇的な奇跡が生まれるはずだ。目に見えるものがなくとも、転生者だからこその特異な才能を自覚する。魅力的なヒロインの登場。力を付け、陰謀を打破し、ハッピーエンドで幕を閉じる。

 

 つまり、私はこれからの人生に物語を期待していた。それがあると信じて疑わないでいた。待っていれば何時かあちらからやって来る。自分は転生者という特別な人間なのだから、何もしなくても物語の方からこちらにやって来るのだと。

 

 だが、私が望んだ物語はやって来なかった。物語は既にこの世界にあった。私というオリジナルではなく、既にある物語だった。私はこの物語の主人公ではなかった。

 

朱色(しゅいろ)シリーズ』というライトノベルの世界に、何故か転生してしまった部外者が、私という人間だった。

 

 朱色シリーズというのは、00年代初頭に発表されたライトノベルのシリーズだ。一番最初に発表された『朱色(しゅいろ)のレゾンデートル』から始まり、『朱色の』という冠詞を付けながらタイトルを変えつつ展開されていた。舞台設定としては小説刊行当時の00年代日本で、平凡な日常を送っていた主人公が、『朱族(しゅぞく)』と呼ばれる人外と人間との争いに巻き込まれるという、その時代によくあるタイプの話だった。私が死んだ二〇二五年の時点で十三巻が発売されており、コミカライズ化もアニメ化もされている。

 

 年月に対しては刊行数が少ないと思うかもしれない。それは半ば刊行が休止されているからだった。

 

 というのも、この作品は明らかに迷走しかけていたのである。アニメ化がされた一期二期の範囲はちゃんと人外と人間の争いを描いてはいるものの、それ以降になると人間側の異能力者や組織に焦点が置かれて、人外が登場しない話の方が多くなってしまっている。そして人間側の悪辣さも強調されるようになり、当初は絶対的な敵だった人外の方がマシなんじゃないかと言われるようにまでなってしまったのだ。

 

 そんな風評を聞いていたからこそ、二〇二五年に高校生だった私は中々手を出すことがなかった。何しろ古い。生まれる前から発表されている作品である。それでも名作として語られているならまだしも、現時点で微妙になっているという話を聞けば興味が湧かないのも当然だろう。

 

 しかし、あれは何が切っ掛けでの無料配信だったのか。今となっては思い出すことも出来ないが、動画サイトでアニメが一挙放送されているのを気紛れで見て面白く思い、そこから原作を読み始めた。それは高校生だった私から見れば古臭い部分があり、価値観や倫理観など、最新の娯楽と比較すれば少々キツい部分があったものの、全体としては面白かった。

 

 評判の悪い人間同士の戦いも、最初からそうなると聞き及んで読み進めれば特に気にはならない。この辺りは漫画の本誌派と単行本派でエピソードの評価が分かれるようなものだろうか。そうなって欲しいという期待がなく、既にあるものを纏めて受け入れるだけならば、『朱色シリーズ』は十分現代に通じる面白さを秘めている。

 

 閑話休題。そう、この閑話休題というのが流行っていた時代の作品だった。そんな事を思い出す。

 

 閑話休題。私の目の前には死体があった。私の今世での家族の死体だ。私が殺した。

 

 そして今、私は家族の血を啜っている。つまりはそういうことだった。

 

 以前から伏線らしきものはあった。朱族に対抗する秘密組織『流血機関(りゅうけつきかん)』の名前は調べても出てこないし、人間同士の戦いに舵が切られた直接的原因である『人臓院一族(じんぞういんいちぞく)』の名前なんかは噂話すら見つからない。それでも裏社会にも影響力を持つ『白楽家(はくらくけ)』という大企業の名前は知っていたし、物語のラスボスとして見られている『快楽外道(トリックスター)』こと人臓院無心(じんぞういんむしん)、もとい表の名前を椿延暦(つばきえんりゃく)は、失踪した天才科学者として有名だった。

 

 その他にも見たことのあるような名前があったのだが、今までは気のせいだと片付けてしまっていた。何せ十歳に目覚め、今や十六歳だ。六年も経てば当初の驚きと興奮も薄れ、この世界を現実として生きていこうと思っていたのだ。

 

 何せ、と窓ガラスに半透明に映る姿を認めつつ思う。

 

 白いセーターと黒いスカートを身につけた、黒の髪が美しい、深窓の令嬢と真正面から呼んで差し支えのない美少女が、口元に血を滴らせて私を見つめている。

 

 即ち私である。男から女になったという事実に折り合いを付けようとすることは、この世界の住人として生きていくのだと覚悟することだった。それは努力でもあった。こんなに美しい姿をしているというのに、生まれも育ちも平凡で、更には肝心要の性根さえ、私が私である以上は陳腐なままでしかないと認めることを、私は努力だと思っていた。

 

 しかし、今となっては無駄な努力だった。というよりも中途半端か、タイミングが悪いと言うべきか。駆けつけてきた妹まで普通に殺してしまった。

 

 私は夕食を作っていた母さんの手から包丁を奪ってそのまま首を切ったのだが、それだけでは満足できなかったようで、ソファに座っていた父さんの心臓を一刺し。その後にテレビを見ていた弟の喉を突いて、たった今、妹は絞め殺した。包丁が骨と肉に引っ掛かって抜けなかったのである。

 

 平凡ながらも幸福だった一軒家のリビングは、こうして血みどろになってしまった。

 

 一方で、テレビのニュースは普通に流れているし、鍋はことことと煮えている。

 

「あちゃー」

 

 惨憺たる結果を見つめ、私は溜息を吐いた。というのも、何も殺したくて殺したわけではなかったからだ。

 

 こう言うと、実に陳腐に聞こえるかもしれないが、身体が勝手に動いた。意思はなかった。だから私は驚いた。普通に人を殺してしまったことに、普通に私は驚いた。

 

 そこで原因は何なのかと頭を捻り、白楽家や椿延暦、そして朱族。つまり朱色シリーズを思い出した。思い出している途中で妹を殺したわけである。

 

「なるほど、それなら実の家族だって殺すだろう」

 

 唇に付いた返り血を、舌で舐めながら私は呟いた。もっと思い出すのが早ければ、と思うのにしたって後の祭りだった。

 

 この朱族というのは人外だが、人間からも発生するという設定になっていたはずだ。人間にも異能力や超人的な力といった要素が存在するのだが、それらと朱族の大元は同じであるため、突然変異的に発生するのだという。

 

 確か人類をその様に作り上げた神のような存在がいたはずだが、それは示唆に留まっており、直接的な登場はなかったと思う。

 

 そして、この物語のヒロインであるレゾンデートルちゃんも人間から突然朱族になったはずだ。いや、彼女は『六王朱(ヴァヴ)』という、それこそ神に予言され待ち望まれた、六人の王の最後の一人だったはずなので、私とは月とすっぽんと言ったところだが。

 

 ともかく人間だって突然人外になるし、そういった物語は原作の中でも扱われていた。しかしそれらは大抵悲劇的である。何せこの様に、覚醒と共に殺人衝動が溢れかえるので、往々にして家族や友人といった親しい人を殺してしまうのだ。

 

「だがそうなると、この妙に冷静な私は何なのだろうな」

 

 ソファに腰掛け、血を吸って重くなったタイツを脱いだ爪先から、リビングに広がる血を吸収しつつ私は呟いた。朱族は口だけでなく全身から血を吸うという描写があったので真似してみたのだが、出来てしまった。血塗れのタイツにしても指先から吸収し、瞬く間に乾いていく。

 

 そして私の中に、確かに満ち足りていく感覚がある。これは人間にはない、人外の感覚だろう。

 

 だが、それでも完全に人外の感覚になってしまったという感じはない。そもそも作中の描写だって突然価値観が切り替わってはいなかったはずだ。生まれるのは猛烈な欲求と衝動で、別の人格が表われるわけでもない。だから友人を殺してしまった少女が苦しむことになるのだし、子殺しの罪悪感に苦しんだ男が世界を恨んで悪辣な敵になったりする。

 

 そういったサブキャラクターの名前はもう思い出せないが、しかし私はどうだろう。特に嫌悪感も罪悪感もない。これはおかしなことである。そんなサイコパスだったら、私は喜んで自分を自慢していたことだろう。そんな特異な部分がなかったから、私はこの世界に骨を埋め、埋没する覚悟でいたのだ。

 

 これはどういうことか。「まあ、とりあえず」私は煮え続ける鍋を見つめて呟いた。

 

 夕食前だったため、腹が減っていた。今日はカレーだった。母さんはニンジンを切っている途中だったのだ。

 

 私は弟の首から包丁を抜いて、綺麗に血を取り込み、それでも水で洗ってからキッチンに臨んだ。どうせ私しか食わないのでざっと切り、煮込み、カレールウを入れる。

 

 その間も考え続けて、一つの結論を出した。

 

 私は転生者である。しかしこの肉体はこの世界の人間のものである。魂があるのかどうかは知らないが、身体の方が朱族で、私自身は普通の人間なのだ。

 

 身体が勝手に動いただけで、私自身は人間をなんとも思っていない。人間は人間である。そして、身体が行った事に対して罪悪感や嫌悪感がないのも、身体の方の影響があるからかもしれない。

 

 つまり、転生した身体が悪いのだ。朱族。つまり吸血鬼染みた人外。人を殺してその血を吸いたくてたまらない、と言えばライトノベル的に格好が付くかもしれないが、現実としてはセックスを我慢できない強姦魔と同じだろう。大抵の人間だって、血を吸いたいとは思わないだろうが、人を殺したいと思うことはある。そこまで欲求が強くなく、良心が押さえ付けてくれるだけで。あと法律とかによる実利的な計算。

 

 しかしこの朱族という身体は、その欲望が強くて我慢できないのだ。過食症やナルコレプシーと似たようなものじゃないのか。お医者さんが言うと違うのかもしれないが、しかし他人に迷惑を掛けない以上、この二つの欲望は世間に広く認められている。セックスがしたくてたまらない強姦魔だって患者なのかもしれないが、他人に迷惑をかけてしまうから医者よりも警察のお世話になるのだろう。この場合、流血機関が警察という事になる。

 

「といった風に、私は私自身を擁護できるわけだ」

 

 或いは現実逃避か。この肉体と精神との乖離にしたって立派な病気なのかもしれない。「それとも」と折角なので豚肉だけでなく牛肉と鶏肉を一緒くたに煮込んだカレーを食しつつ思う。

 

「やっぱり私は、まだまだこの世界を私のものだと思っているのかもしれない。主人公が活躍するための脇役達に、一々感情を動かす必要はないと」

 

 肉親だろうとなんだろうと、他の人間と扱いは変わらない。この皿の上に豚肉も牛肉も鶏肉も、全て食感の違いはありつつも等しくカレー味であるように。

 

「そうだったら嬉しいと思うかな?」

 

 私は特別だった。私は転生者だからこその才能というものを持っていた。そう考えてみたら嬉しいだろうか。

 

「別に」

 

 四人がけのダイニングテーブルに一人だけでスプーンを動かしつつ呟く。何だかとても呆気なく、そして突然すぎたので、別にそうは思わないとしか答えられない。

 

 家族を殺し、家族を殺したことに動揺していないというのに、私は変わらず私のままでいる。

 

 それが少し面白くもあった。

 

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