「思ったよりも情があるんだね、祀場ってのは。一族郎党根切りにするんじゃなくて、ああやって使い潰してくれるわけだ。優しい優しい」
「一、全くだ。二、ああいった甘さ、隙の多さが、今回のような事態を生む」
「人臓院は違うのかな」
「一、全く違う。二、歴史上、人臓院からも朱族が生まれたことはある。三、遺伝子を真正面から信じるわけにはいかないが、近親者もまた解剖され、比較検討されたという」
「その人達は望んで実験体になったのかな」
「一、当然だろう。二、と言いたいが、知らん。三、そして、知る意味もない」
「人臓院無心はどうだったのさ」
「一、あれに近親者はいなかった。二、友人も弟子もいなかった。三、これに関しても知る意味はないがな」
脳裏さんは相変わらずクールに言って、「それよりも」と、ホテルに備え付けられた小さなテーブルの上を示した。
そこにはみぞれちゃんが置いていってくれた輸血パックがある。
「一、飲まないのか。二、お前宛に送られた、新鮮な輸血用の血液だ。三、これがお前達、人外の口には、最も美味く感じるんだろう」
「私はそうでもないけどね。ただ身体の奥深くに満たされたような感覚が広がるだけで、味だけで言えばお菓子の方がずっと美味しい」
チョコレートにケーキにプリンを食し、舌に残った甘味を缶コーヒーで流していく。この快楽を思えば吸血がなんでしょうか。
と言いたいところだが、血は血でまた別の快楽がある。味は劣るが、お菓子にはない楽しさがあるのも事実だった。
しかし、ケーキを食した口で血を吸うのは良くなかった。食い合わせが悪すぎる上に、輸血パックは今までの血と比べてどうにも物足りない気がする。
「つまり、私もまた、血を望まざるを得ない朱族の一人でしかないということ。安全を求めてのことではあるけれど、本当に融和派に属して良かったのかな?」
「一、知るか。二、そもそも、もう勝った気でいるのか、あれに」
「あら、存じ上げませんでした? 私、朱族の血を三体分も取り込んだのよ。最早、覚醒初期と侮られることもありませんわ」
だからこそ、こんな輸血パックを飲んだところで今更何にもならないだろう。みぞれちゃんも『必要ないとは思いますが』と冷たい顔を浮かべていたし。
本来ならば、この程度でも飢えを癒やせるような相手と思い込んでの支援だったのだろうが、実際には数百人を殺し、三つの色目を食らっていた。そりゃ、みぞれちゃんからしてみれば、想定外の厄介者でしかないだろう。
だが、それでもと、私は二人きりの部屋の中、屋上にて待ち受ける相手を思った。
「一、そんなことは知っている。二、知った上で言っているんだ。三、あれは今までの相手とは違うだろう」
脳裏さんは静かに言った。「真削鉄骨」私は呟く。原作では出オチキャラ。主人公達の行く手を阻み、ある
しかし、それは同時に、たとえ弱体化していながらも、六人でかかれば
「順番だね。まるで順番通りに私が戦う相手は強くなっていく。こいつは不幸かな。それとも不幸中の幸いかな。少なくともあいつは、真削の三人を纏めても敵わないだろうね」
「一、真削鉄骨と言えば、名の知れた退魔師だ。二、真削に連なる家の中では歴史が浅いが、その上で本家の名字を名乗れること自体が、奴の天稟を示している」
「得物は両腕を覆った籠手。実質的に徒手空拳で、数多の赤族をぶち殺しまくってきた強者。あんな言動で退魔師としては優等生なのね」
「一、人外に対して敵意を向けるのはまともな態度だろう。二、敵意を向けない方がまともじゃない。三、お前やあいつらのような、人間と朱族の融和を掲げる連中こそが、まともじゃない」
「言うね、脳裏さん。しかし私に関しては仕方なくというやつだ」
この身体に生まれてしまったから、仕方なく人を殺しても生きようとする。それでも殺し続けていては殺されてしまうから、仕方なく融和派という安全地帯に逃げ込もうとしている。
鉄骨と戦うことにしても仕方がないことだった。それでこの場が収まるというのなら、仕方がなく戦わなければならない。
じゃあ、これからもそうするのかな。頼りにしているマザー・リリスにしても、これからきっと殺される。彼女と繋がりのある
まさか、仕方がないから死んであげるつもりはない。新たな寄生先か、或いは手出しできないほどの強さを身に付けなければならない。
しかし、こうなると融和派という立場が足枷になる。実に安全な、無辜の市民から血をいただくという手法は取れず、考えられるものとしては、それでも立ち向かってくる過激派の退魔師と戦うしかないだろう。
それで続けられるのか。何時かは殺されてしまうんじゃないか。今まさに、真削鉄骨が待ち構えているように。
そして何よりも、みぞれちゃんに殺されてしまうんじゃないか。
「狙撃手もそうだけど、あんなのを用意するなんて、絶対生きて返す気ないよね」
窓に目をやり、未だにスコープを覗き、私に銃口を向ける人々へウインクをしながら私は言った。
見たところ、単なる通常兵器だが、それで私が傷付くわけがないことは分かっているだろう。脅しにもならないし、ポーズにもならない。なら、あれらは通常兵器だけじゃない。私を殺せる手段を見繕って配置している。
その代表例が真削鉄骨だ。あれは、どう考えても戦闘の素人が勝てる相手ではないだろう。たとえ私がそこそこ強い朱族だろうとも、確実に殺せると踏んで登用した人間だ。原作の、疑念深くとも友情に真摯な彼女の姿はどこへ行ったのか。いや、友情に真摯だからこそ、よこみちゃんの思う理想の邪魔となる私を排除しにかかるのか。
「つまり私は、みぞれちゃんの友達にはなれないということだ。必殺の罠を食い破って、無理矢理隣人になるしかない」
「一、必殺と理解しているのなら、どうして逃げ出さない。二、殺す気があると知っているのなら、どうしてあくまで隣人になろうとする?」
「そりゃ、そこが考えられる限り、今一番安全な場所だからね。多少の危険は目を瞑るさ。目を瞑らなきゃ、目を潰してくるような輩がうじゃうじゃといる世界だからね」
「一、相変わらずよく知っている」
「そうかな。色々と知らないことはある。たとえばみぞれちゃんが、ここまで祀場との繋がりが強かったとか」
想定外だった。原作には書かれていなかった。そんな言い訳をすることも出来るが、状況だけを見たら馬鹿そのものだろう。突然人外になった後、『貴方を助ける』なんて言ってきた相手をどうして信用できるというのか。端から見ればどう考えても罠だろうに、私は原作知識からそれに縋ってしまった。
しかし、これが単なる罠ではないという希望もある。たとえば今、彼女達はこの部屋にいない。私と『血の契約』を結んだ後、早々に祀場時雨と共に各組織との調整に向かってしまった。正確にはみぞれちゃんが頑張っているだけで、よこみちゃんは彼女に連れられていったようなものだ。
それは、よこみちゃんがまだ理想を信じていて、私が殺されるとは思っていないからだろう。親友が私を殺すとも思っていない。
それが希望じゃないか。本当にそうか? マザー・リリスもまた、私を殺すつもりでいるのか。
「いや、考えれば考えるだけ鬱になっちゃうね」
私はあくまで笑ってみた。
「来年の話をすれば鬼が笑うという諺があるけれど、今となっては私が鬼だ。人が思う来年を笑えるほど私は鬼として立派じゃない。だから私も人に同じく、笑われてしまうような楽観を続けようか」
どうにでもなっちまえ。輸血パックにストローを刺し、ちゅうちゅう吸いながらそう結論付けると、「一、思考の放棄だな」と脳裏さんがせせら笑ってくる。
「仕方ないでしょ。ムードメーカーのよこみちゃんがいないんだし。ひょっとして私、彼女にも嫌われちゃったかな? そんなつもりはなかったんだが」
「一、お前の言動は最悪だが、あれでナイーブになるのも最悪だな。二、人外のくせにまるで人のような悩みを持つ。三、人外なのだから、最早、人ではないのだから、人のような感情を持つなと言いたい」
「脳裏さんってばずっと厳しいね。というよりも、それが理念かな。人は人らしく。人外は人外らしく。それは人臓院の理念でもある?」
「一、どうだかな。二、少なくとも、私が見る世界はそうある。三、ただ、そこから逸れたものが気持ち悪いだけだ」
脳裏さんは缶コーヒーを飲みつつ言った。「それって随分独善的な見方だね」と私は言った。脳裏さんが眉根を寄せる。
「少なくとも、私という想定外が目の前に存在するというのに、その現実を肯定しようとしていない」
そしてよこみちゃんもまた、たとえ身体が人外に成り果てようとも、精神は人でしかないだろう。寧ろ、『なってしまったものは仕方ない』と、人外である自分をすぐに受け入れるなんて非現実的で、『人外は人外らしくあるべき』なんて身勝手な期待に応えてやる義理などない。
「一、何が言いたい?」
脳裏さんが目を向けてくる。「何って」特に何も。思い浮かばない。
私は何がしたいのか。
「ま、いいや。とにかく、脳裏さんは攻略しがいがあるってことだ。何せ、もう少しでしょう? 私を受け入れるまで」
「一、急に気色の悪いことを言うな。二、死ね」
「だって脳裏さん、前まではそんな呑気に缶コーヒーなんて飲んでいなかったでしょ? 食事は素早く、何時も隙がなかった。それが今では!」
微笑みながら指摘すると、彼女はばつが悪そうな顔を浮かべた。「一、これはだな」と誤魔化すように言ってくるのが可愛らしい。
「そうだね。会話することが重要なのに、その口を物で塞いじゃったら駄目だよね? そして、『一、死ね。』だけじゃなくて、こうしてどんどん会話の量が増えている。だからこんな風に、価値観をすり合わせることも出来るわけだ。これ、何だか良くない?」
「一、うるさい黙れ! 二、死ね! 三、とにかく死ね!」
「私が絶体絶命なことを心配してくれもするし! こんな風に会話していけば、私にだって何時か目的が生まれるかも。いや、もうあるか。脳裏さんと仲良くなってお姉様と呼ばせるという目的が!」
「ふざけるな! 誰が言うか死ね!」
「まあまあ、何時かの話だから……っと」
顔に何かかかった。「缶コーヒーを浴びせてくるなんて、まるで痴話喧嘩みたい!」と私は言った。
しかし、コーヒーの匂いはしなかった。顔にかかった液体は肌に吸収され、足首からも、液体が私の肌にのぼってくる。
「……あー」
私は目を開けた。脳裏さんは喉に穴を開けて死んでいた。
「ふふふ。いくらなんでも気を許しすぎだよ脳裏さん。『
どうやら、あの一瞬で私の指先は血の槍を形成し、脳裏さんの喉に向けて投げたらしい。彼女は目を見開いた状態で、口を半開きにしたまま止まっている。
「残念だね」と私は呟いた。その可愛らしいお顔も硬直しながら、しかし刻一刻と血を吸われ、老人のように干からびつつある。
缶コーヒーが床に転がっていた。中身が溢れてカーペットに染みている。血液もまた赤黒く染みているが、私に取り込まれ、綺麗さっぱりなくなって、コーヒーだけがカーペットの染みになっている。
「あー、どうしよっかなー……」
私は時計を見た。約束の時間まであと少しだった。しかし、何だかやる気が一気になくなってしまった。
「脳裏さんは、結局はついででしかないからさ、私が生き続けるためには向かわなきゃいけないんだけど、なんか目的にしようと思っていたものがさー、こんなんになっちゃってさー」
脳裏さんは、少し前の美貌が嘘のように枯れ果てて、今は死ねと言うこともない。散々言っていたが先に死んだのは彼女だったというわけだ。
「これは皮肉かな? 笑えるかな?」
そう言ってみた。私は笑ってみた。私は笑えた。
「ならいいや」
私は脳裏さんの腕を折り、引き千切った。血の滴らない肉を私は食べた。時間がなかったので急いで食べた。それでも咀嚼が間に合わなかったので自分の手首を切った。
私の血が床に広がる。脳裏さんの死体に這い上がる。肉だけを取り込み、そしてまた元通りに綺麗になる。
コーヒーの染みだけが残っていた。
「じゃ、行ってくるね」
扉の前、無人の部屋に言って、「いや、私の中か」と胸の内へと呟いた。