だが、一行は「待てっ」と言って、その剣を止めさせた。
彼は立ち上がり、額に脂汗を流したまま、こちらを見下ろしている。
「……分かった。良いだろう。そこまで言い当てられては、どうやら本当に荒唐無稽の方らしい」
「そうやって誤魔化す。関係ないと言ったはずよ」
「だとしても……調査する必要がある。読心だけだとは考えられない。これが第一に類似した能力を持っているのなら、有効活用すべきだ」
「おっ、いいね。協力者って感じかな。だったら早速活躍しようかな」
「ふふふ」と笑って私は目を動かした。「たとえばー」名前を言い当てて驚かせてあげようという悪戯心だ。
しかし、「もう良いでしょう」と、私の掌は地面に縫い止められた。
「どう考えても会話の流れがおかしいですよね。そんなことは命令にありませんでしたよね」
流血機関の白スーツ。現れたときから一行に冷たい目を向けており、私との会話の最中にもギリギリまで手を出そうとしなかった、恐らくは殺されてしまえとでも思っていた少女。
その意味を含めた視線を周囲の人々に向けていた以上、彼女こそが本来の現場責任者。
ショートボブの黒髪に、怪しげな細目。見覚えはあるっちゃあったのだが、どうにも名前が出てこなかった。
「こんにちは。貴方のお名前は?」
「その、特別な異能力とやらで当ててみれば良いのでは? 私は全く信じられないんですけどね」
「ああ、どうでも良い人間は思い出せないみたいなんだ。私にそんな能力はないけどね」
にこにこと笑って言ってみれば、掌に差し込まれた剣を動かされた。
「そんな風に人を馬鹿にしてばかりいるから、人もどきになってしまったんじゃないですか? これは天罰という奴ですよ」
彼女は薄い笑みを浮かべて言った。傷口を嬲るようにぐちゃぐちゃと剣が動く。くちゃくちゃという水音が身体に響いている。
痛いっちゃ痛いがそろそろ慣れてきたなこれも、と思っていたところで不意に一行が言った。
「やめろ、
「流血機関の予定としてはこの場で解剖することになっているんですけどね。直ちにこの薄汚い人外を処分すべきですよね? 私はそうではありませんが、どうやら貴方にとっては都合が悪い存在のようですし、その方が良いと思いますけどね?」
「空口ぃ?」
少女の名前は空口空察といったか。そんなキャラクターも居たか。空口と言うからには退魔七家の出身なのだろうが、どうにも活躍シーンが思い浮かんでこない。
きっと、どうでも良いキャラなんだろう。そんな風に思ってみる。実際、今の私からしてみればどうでも良かった。
何せ、一行と空察は、私を他所に色々と言い合っている。私の処遇に関することである。
「これの価値は君ごときには分からないだろう。状態を維持したまま輸送し、冷凍監獄に封印する価値は十分にある。朱族だろうが、君よりは価値がある」
「流石に苛立ってくる言い方ですね? 貴方の価値だって私達には分からないままなんですけどね。このままですとね?」
喧々諤々とまでは行かないが、互いに陰険で陰湿で、先程から聞いていれば私の事を物凄く悪く言ってくる。それでも私は地面に縫い付けられたまま動けないし、暇だった。
暇なので考えてみよう。ここから逃げる術だ。
そもそも、私が原作知識を飲用して一行の内心を言い当ててみたのも、全ては逃げるためではなかったか。そうだったか? 全ては戯れの、どうとでもなれという無意味の。
まあ良いだろう。どちらにしても暇なのだから。
私が使えるものは依然として変わらない。六つの朱色の血。そして原作知識。後はこの見目麗しい美貌のみ。
折角蓄えたリソースはよこみちゃんに消し飛ばされてしまって、身体の自由は奪われたまま。強行突破は周囲の数と力量を見るに無理そうだ。
原作知識は今使った。効果的にではなく、混乱を撒き散らしたような形だったが、それでもバラバラに解体されることを避けられたのは有効的だっただろう。それでも、内心を言い当てて面白がる以上の使い道は思い付かない。予言染みたことをするにしても、流血機関に輸送されることには変わらない。
「後使えるのは美貌だけ。なあんだ色仕掛けなら得意さ。これで中学では楽しみましたことよ」
私は「こほん」と咳払いをして口を開いた。しかし直ちに目を向けられ、「そういえば、でしたね」と空察に剣を突き刺された。
「最初からやっておくべきでしたね。有無を言わせず殺す。それが流血機関の理念ではなかったのですかね? ねえ一行さん?」
「その石頭では判別がつかないと思われたから私が向けられたのだろう。蒸し返さないで欲しいね」
鼻先から顎の下までを鉄の剣に貫通され、舌が鉄と血の味を存分に味わうことになってしまった。これまた勿体ないので再生しない。そもそも動けないので再生したところで意味がないというのもある。
気分は針で全身を固定された標本だった。蝶のように美しく羽を開いていればまだ良いが、今の私は四肢を変な方向に折り曲げて背中を見せているという不格好だった。
『せめて格好を変えてくれません?』と言おうとしたが、「へへへはっほうほ」と言葉にならない。情けない事極まりない状態である。
だからせめて、というよりは早急に。
誰かこの場の全員をぶち殺してくれないものか。
「しけた面してるねお前」
「はんはひゅうにひほいいいふは!」
声の出所も分からずに私は言ったが、それはひょっとして私の救い主ではないだろうか。だとしたらちょっと失礼を──。
「おっ」
ぱかんと。弾けたようだ。
音が聞こえた。肉と水の音だった。
私の上に陣取っていた数人は、血を噴き出して転がった。
「『何か急に酷い言い草!』かな? そりゃ言うさ。しけた面してんだから言うよ。当たり前だろう」
背中から血を飲み込む。失ったリソースを回復させていく。「ほへへほはっはのはんひんは」それでもたったの三人だったのさ。
私の呟きに空察が目を向けて、しかし直ちに別の方向へと向けた。その横顔は強ばって、口元を引き締めている。
さて、何が起こっているのか。
連続して響く水音。怒号は少なく、物音だけが聞こえる。鍔迫り合いの音はない。鉄と鉄が重なり合う戦闘の音がしない。
ただ聞こえるのは、肉が潰れる音。血が撒き散らされる音。鉄が地面に落ちる音。
風切りの、凄まじい何かが暴れ回っている音。
つまり、戦闘にすら至らない虐殺の音。
空察は迷うようにしながらも、私の口から剣を引き抜いた。
「緊急事態ですよね? さがっていて下さいね」
彼女は一行に目を向けた。
「どうしたんですか?」
一行は応えなかった。
「その顔が答えかな」と私は言った。
一行は目を見開き、しかし口角を吊り上げて、目の前にある何かに怯えている。
「だから」と私は立ち上がった。
身体の各部位に剣を貫かせつつ、立ち上がった後でそれらを抜く。からんからんと地面に落として。
「だから、どうしてとか聞きたくなってくる」
剣の一本を朱族の膂力でぶん投げた先。
そこにあったのは血の海と肉の山。その赤色に満ちた光景の中に、汚れ一つなく立つ白衣の男。
「いや危ないねお前。危ないやつだねお前。それにしてはつまらない顔しているねお前。僕が相談に乗ってあげようか? 何せ僕は医者だからね。この糞みたいな世界を治してあげようという、それはそれは素晴らしいお医者様だからね」
私の投擲が、何故か、当然のように当たらなかった男。
「だが、間違っても救世主とは呼ばないで欲しい。それは僕じゃない。僕の娘だ。僕達を知っているかな、伊藤桜」
へらへらと笑いながら目が全く笑っていない。底のない狂気を感じる瞳。
「
彼は、私の呟きに奇怪な笑みを見せた。
「逆だよ。人臓院無心なんてけったいな名前じゃなくて、椿延暦だ。そう呼んでくれ」
「仕方ありませんわねえ」
私は微笑んで言ってみた。
推定ラスボスおじさんだ。どうしてこんな所にとは思うが、この人ならどこにでも現れそうだなあとも思った。
「お知り合いですかね」
空察は延暦に向かって剣を振るうが、それもまた何故か当たらない。彼は避けてもいないのに、勝手に空察の剣が外れていく。
「だとしたら、教えて欲しいものですがね? これはどういう原理なんですかね」
「いや、私は全くご存じない」
「異能力はどうしたんです──ぅぐっげ」
みしりと。潰れた音が聞こえて、その後に弾けた。
脳の話だ。空察の頭の一部が落ち窪んだ後、黒々とした髪の毛の間に赤色の線が走り、そこから水っぽい赤色が吹き出した。彼女の身体は剣を手にしたまま倒れ、割れた頭からは薄いピンク色の脳味噌が粉々になって溢れている。
空察を絶命させ、転がった二つの目玉を興味なさげに踏み潰したのは、少女だった。
どす黒い髪色と、どす黒い目の色をした、五月のくせに真っ白なワンピースに麦わら帽子を被った少女。
私は呆れてしまった。馬鹿げたものと思ってしまった。これほどまでかと流石に恐ろしくなってしまった。
「
ワンピースの裾に血の跡はなく、拳にも血の跡はなく。しかし指先は開かれている。
彼女は素手で十数人を瞬く間に殺して見せたというのに、血を流すどころか、返り血さえ浴びていなかった。
「知り合いじゃないし、全くご存じない割にはよく知っているね」
延暦は白衣のポケットに手を突っ込みながら言った。
「破綻ちゃんは僕と違って有名じゃないんだけれど。そしてあんまり表に出したくないんだけれど。何せ、父親の気持ち悪い趣味がバレてしまうからね。オタクが恋い焦がれる女の子そのものだ」
「それだけじゃないだろうに」
「本当に良く知っているね。ひょっとして僕達のストーカーかな。それともお前が教えたのかな? 我が弟子よ」
延暦は笑った。破綻ちゃんは笑わなかった。
そして一行は、首を振ることすら出来ずにいる。
「さて」と私は言ってみた。ぐるりと辺りを見回した。
血の海。肉の山。依然変わらない。そもそも椿破綻がここにいる以上、助けなど来ても同じこと。
私自身はどうだろうか。六体分ではまるで足りない。原作知識でどうこう出来る相手ではない。そこに弱点など見当たらない。
「でも、色仕掛けなら通じるかしらん?」
私は言ってみた。笑ってみた。無表情で返される。
その身が発する圧は、私を殺すには過剰なほど。
だが、それでも。そうあるようにと父親に望まれ、いずれ『
「やっぱりどう考えてもおかしいけどさ、言って良いかしら?」
「どうぞ?」
「彼女、本当に人間なの?」
「言ってみろと言ったのは僕だけど流石に失礼すぎない?」
「ねえ破綻ちゃん失礼だよねあいつ!」と延暦は破綻ちゃんの肩に手を回した。破綻ちゃんは口を開くこともなく直ちに手を払い退けた。「反抗期なんだから!」と、延暦は払われた手にも嬉しそうに笑っていた。
私は流石に笑えなかった。
その身体に同族の感覚はない。そこにあるのは、今まで当然のように食らってきたリソース達と同じもの。
だからこそ、この世界は、人間の方が恐ろしいと言われてしまうのだ。