「で、どうしよう」
カレーを綺麗に食し終わり、水を飲み、息を吐く。
このままでは普通に逮捕されて終わるだろう。四人殺したら普通に死刑だろうか。私は十六歳なので少年法は効くだろう。ひょっとしたら無期懲役で済むかもしれない。
問題は、この身体が朱族だということである。これが露見すれば警察ではなく流血機関に送られてしまうだろう。その先からが問題だった。
確か、流血機関の内部も一枚岩ではなく、過激派と穏健派が日夜鎬を削っていたはずだ。朱族は見つけ次第全員ぶち殺すのが過激派。そして、ぶち殺さない代わりに冷凍監獄という冷たくて暗い場所にぶち込み、実験動物として使い潰すのが穏健派である。こうして比べるとどちらも碌でもない。
しかし、碌でもないのは現状そのものだろう。こうなるとせめて穏健派の中でも飛びっ切りの穏健派に拾われるのを願うしかない。
流血機関の中にも、朱族と人間の融和という、素晴らしい平和主義者がこぢんまりと作っている派閥があったはずだ。よく覚えているな私と自画自賛したくなってくる。
彼女は読者には頭お花畑として批判され、十巻辺りで普通に死んでしまうが、それでも今はまだ生きているだろう。原作開始前なのだし。
そう、原作開始前なのだ。始まったら流石に気付くはずだろう。明示されていないので年は違うかもしれないが、原作が始まるのは七月で、今は四月である。そして何よりも、一巻では街一つが一晩機能停止になったという、後から思えばとんでもない話だったなというストーリーが展開されることになるのだから。そんな不可思議昏睡事件は私の知る限りどこでも起こっていない。というか何市だっけ?
「六年も経っているんだからなあ。流石に覚えていないよ」
自画自賛を撤回しつつ、改めてリビングを見た。死体の山と呼ぶには些か数が足りないが、これが体感で六年を過ごした家族の姿である。南無阿弥陀仏と諳んじてみたが特に解決はしなかった。
異能力があるのなら仏様だっていて良いだろうに、死体は死体のままで天に昇ることはない。
「えー、
原作を思い返しつつ、突然現れて解決してくれそうな、とにかく誰かが聞いたらすっ飛んできそうな名前を呟いてみたが、誰も来ない。
そりゃ秋田県の田舎町でそんな名前を言ってもどうにもならないだろう。殺人事件にしたって、こんな田舎で起きたら熊の方が疑われる。もっとも、四月だろうとも屋内での出来事なので熊のせいには出来ないだろうが。
家族の死体を前にして色々と考えるという状況は異様だが、考えた結果出された結論は実に陳腐だった。
「まあ、普通に自首するか」
確かに
それに、こうして恭順の姿勢を初めから見せれば穏健派も動きやすくなるだろう。家族を殺したことは、コラテラルダメージということにして目を瞑ってくれることを祈るしかない。
問題は、普通に自首しただけでは駆けつけてきた警察まで殺しちゃいそうな所である。
もっとも、強いとは言っても普通の人間と比べての話である。数で取り押さえることは出来るだろう。しかし勝手に動くこの身体のことだ、必ず犠牲を出して罪を重くさせてしまうだろう。そうなったら穏健派どころかその場で死刑執行だ。わはは。
わははじゃないのだ。ともかく110番に連絡して「家族を殺してしまいました」と実に陳腐なことを言い、ガムテープで椅子と両足、そして片腕をぐるぐると巻く。こうなれば殺そうとしても邪魔になって仕方がないだろう。
暫くしたら警察の人がインターホンを押して来たので、「あっ鍵開けてなかった。どうにか入って来て下さい」と私は大声で言った。それで窓ガラス越しにリビングが覗き込まれると、彼は明らかに顔を引き攣らせてこちらを見つめてきた。
「あ、どうぞ。遠慮なく壊しちゃって下さい」
警察の人はすぐに身体を離し、どこかに連絡したようである。少し時間があったが応援が来て、私の言葉通りに窓ガラスが割られた。
神妙な顔を浮かべた警察官達がぞろぞろと部屋に入ってくる。当然だが土足である。リビングの上に広がる血の上に土が混じって汚れていく。
「君が、通報した」警察官は拳銃を確かめつつそう言った。
「ええ、
そして断言できるが、原作には登場しなかった人物の名前だ。だから気が付かなかった。というのは今になっては言い訳だが。
しかし警官は明らかに顔を青ざめさせて後退った。失礼な。アイドルすら霞む黒髪黒目の美少女であり、入学してすぐの一年生ながらお姉様と呼ばれている私を相手にそんな顔を浮かべるとは。
それでも数人が私の身体を囲み、「君がご家族を」と確かめるように言って、落ち着かせるように肩に手を乗せる。
しかし、私は。
「あっ、やべっ」
「ん? なに──」
言った後には遅かった。流石に残った方の腕は自分で巻けなかったので空いていたのだが、それが拳銃を奪い取ってしまった。
片腕はすぐさま発砲した。警官さんが倒れる。拳銃は警官さんの腰と吊り紐で繋がっていたので、倒れた身体に引っ張られるように私もまた椅子ごと倒れてしまう。
「なん」と周囲に動揺が広がって、しかし腕は勝手に二発三発と打ち込んでいく。
こっちは何も見えていないのに、身体の方は見事に三人を続けざまに殺してしまった。
当然「動くな!」と叫ばれて、恐らく銃口が向けられているのだろうが、身体の方はお構いなしに拳銃を手放し、左腕だけでひょいと飛ぶ。
利き手でもないのに。やっぱり膂力が尋常ではない。身体と椅子ごと警察官にぶつかって、再び拳銃を奪って数発を発射。ばたばたと倒れていく。
こちらにも銃弾が放たれた。しかし私が見ちゃったのがまずかったのか、身体は銃口から位置を予測して放たれる前に避けていく。こうなると後は繰り返しである。左腕だけを使って人間を殺していく。
「あちゃー」
粗方終わって、外から銃口を向けられながらも静まり返ったリビングに、私は呆れてしまった。
「こうなるのだったら最初から言って欲しかった。無駄な犠牲者が出てしまったじゃないか」
身体に向けて非難するように言う。こうなるともう、手に持った拳銃で頭を撃ち抜くのが人間としての正解なのかもしれないが、身体の方は許してくれるだろうか。
試しにこめかみに当ててみると普通に外に向けて撃ってしまった。また一人倒れる音がして銃弾が部屋の中に入ってくる。それを避けながらまたしても「あちゃー」と私は呟いた。
自殺も出来ないし、何なら私としても本気で死ぬ気はなかった。しかし、どこからどう見ても危機的状況だろう。たとえこの警察官達を打ち倒すことが出来ようとも、流血機関の戦闘員を相手に切った張ったを出来る自信はない。
だったらどうすれば良いのだ。この人達をこれ以上傷付けず、事件を穏便に済ませる方法はなんだ。
もうないのかもしれない。何せ、床に飛び散った血は、一カ所を撃たれただけではあり得ないほど広がり、そして私の下に集っている。
血が指向性を持って移動している。倒れ伏した肉体から這い出るように赤色が漏れ続け、私の下に集い、私の左手に吸われ、私の身体はますます調子を良くしている。
「ひゅ」と小さな呼吸音が聞こえていた。「化物」という震えた呟きが聞こえていた。
まあその通りだ。流血機関もそんな判断を下すだろう。覚醒したばかりの偶発的殺人ならまだしも、この状況では意図的に血を吸っているとしか思われない。
だから私は、私自身に決断を迫ることにした。
つまり、このまま犠牲者を出しながら立て籠もり、やがて来る流血機関の戦闘員に殺されるか。
それとも、段々とそちらの方にしようかと思い始めてきたのだが──何とかして生き延びようと努力するかだ。
「しかし、人を殺してまで生きる意味などあるのか!」
格好付けて言ってみたが、そりゃあるだろう。世の中には大勢いる。金のため。怨恨を晴らすため。というか戦争。戦争なんて人殺しが最も無意味になる状況だろう。戦場での殺人は物語ではなく統計になる。生き残って家族と再会して、子供が健やかに育っている事に涙することだって出来るのだ。駐車場の係員にすらなれないかもしれないが。
というか、私は被害者だろう。神が人間に朱族の因子を残したことによる被害者。そしてその様に生んでしまった両親の被害者だ。何が悪いと言えば世界が悪い。
「ああ、神様はどうして、そんな風に私を生んだのよ! どうして世界を平和に作らなかったのよ!」
戯れに叫んでみるが笑ってしまう。「馬鹿らしいね。ドラマチックなセリフ」それでも気取ろうと思えば被害者を気取れるのかもしれない。
そんな事を思いながら、左腕をひょこひょこと動かして、リビングに面したキッチンへと転がり込んだ。
生きると決めたのならまず邪魔になるのがこのガムテープと椅子である。さっさと引き剥がして身体を自由にした。こりを解すように身体を動かしながら頭を動かす。
事が始まってから何分経った? リビングの壁に備え付けられた、あれは妹が生まれてこの家に引っ越したときに買ったのだったか、素朴なデザインの壁掛け時計を確認する。人が瞬く間に死んだというのに時計の針は殆ど動いていない。二、三分か。生き延びるなら応援が来る前に脱出しなければならないだろう。つまりチャンスは今しかない。
「よし、じゃあ頼むよ身体」
腕を叩く。返答はない。「それなら良いさ」と無責任に呟いて、私は特に何も考えず飛び出した。
たちまちの内に銃口が向けられる。「動くな!」と警告を繰り返されようとも勝手に動くんだから仕方がない。
銃弾が発射される。最早、彼らに躊躇はない。しかし私は発射される前に避ける。
「凄いね」
呟いて飛び掛かった。拳銃を奪う。発砲。血が溢れ、私はそれを吸収する。それを繰り返す。その繰り返し。
目は追い付かず、硝煙の中には何が起こっているか分かったものではないが、身体の方は本当に優秀で、次々と人を撃ち殺していく。脳漿やら肉片やら何やらが飛び散って、その全てが私を目指し、そして吸収されていく。
遠くから複数のサイレンの音が聞こえた。
「じゃ、そろそろ逃げようか」
既に人波に穴は開けた。後は逃げるだけだろう。都合良くパトカーの座席が空いている。前世で運転免許は取ったことがあるんだ。
しかし身体の方は欲張りで、バンバンぶっ放しては狩りのように警察官達を追い詰めていく。もう拳銃も吊り紐ごと引っこ抜いて十個は集めてしまった。
その内に、警察官達は涙さえ流して逃げ出していった。情けないと言いたいが妥当な判断ではあるだろう。私の足は勝手に追いかけていくが、そこは強い意志で止めてやる。
「止められるのかよ」
だとすれば身体ではなくやはり私にこそ責任があるのかもしれないが、まあいいや。ここは逃げよう。拳銃十個とパトカー奪って逃走劇とは凄まじい大悪人だね。
動かし方は普通の車と同じなので問題なく、しかし六年ぶりの運転だったので多少強引にハンドルを切った。同時にサイレンを鳴らしたパトカーが道路の向こう側から走ってくる。すれ違う。運転席の私に気が付いて慌ててUターンして追ってくる。
「さあ、どこまで逃げられるか。というか生きてられるのかしらん」
どう考えても無理だと思う。しかし勝手に動いた右腕が後方へと銃弾を発し、そして硝子が割れた音と衝撃音が聞こえたのなら、まあ、何とか出来るんじゃないかとも思った。
「こうなっちゃったんだから仲良くしていこうね、肉体。というか君のせいなんだから責任を取りなよ」
パトカーの窓から通行人を次々と撃ち殺していく右腕に呆れながら、私はそう言った。その飛び散った血さえ直ちに宙に浮かび、吸収できるのだから便利なものである。