人間性というものについて破綻ちゃんと話したことがある。
コンスタンツァのホテルの中において、生首の私と何も用事がない破綻ちゃんは暇だったものだから、取り留めのない話を多くした。そこに飲み物はなく食べ物もなかった。私が何も口に含まなかったのは延暦の意図の通りだが、破綻ちゃんは食事を楽しもうとはせず、水分補給もまた単なる補給でしかないようにペットボトルの水を少しずつ口に含むだけだった。
「不健康ですわね」と私は言った。「健康だけど」と破綻ちゃんは首を傾げた。「精神的な意味で」と私は言った。「精神にしても同じこと」と破綻ちゃんは返してきた。
「そうかしら。こんなに良い天気なのだから、日光を浴びてウィンドウショッピングに繰り出すのが、健全な乙女というものではなくって? 私も折角、外国に来たのだから、異国情緒のあるものを食べてみたり、見てみたいの。それが健康的な楽しみ方というものだ」
「そうかな。私は別に、興味もない。そして延暦からあまり外に出ないように言われているし」
「全く! 自分の目的のために娘を支配して使い潰すなんてとんだ卑劣漢!」
「あんまり支配されている感じはないかな。洗濯物も別にしたし」
「めっちゃ悲しそうで笑ったねあれ」
推定ラスボスおじさんという、身構えするようなキャラクター性を持っていたとしても、共に行動していればどうしても生活感が見えてくる。たとえば、少しでも安いコインランドリーを探そうとするみみっちさだとか、ゴミをゴミ袋に纏めて縛っておくときのいかにもおっさん臭い動作だとか。世々継にしてもそれは同じことで、契約したプロとしても面目は保ちながらも、食事はするし排泄もする。煙草を吸おうとして私達を見、そそくさとベランダへ出て行く背中など、普通の人と変わりない。
「だけど、破綻ちゃんは流石と言ったところだ。君は全くキャラクターだね。人間じゃないようだ。人間性が欠けていると言うべきか。どうだろう」
「私よりも、貴方の方が人間的じゃないよ。本当に人間じゃないし」
「この身体に関しては人間のままだし、精神にしても人間のままだ。私が自認する限りでは」
「そうなの?」
「そうだとも」
桜梅花見の意外な持論を聞く以前から、私は私を人間として思っていた。未だ変わらず実に平凡な人間だろう。何せ自分が異常だと勘違いするには目の前のものは完璧が過ぎる。そして今まで出会った人々もまた私よりも狂っていたに違いない。
「何せ、夢がないからね。夢がある人間は立派なものだ。目的意識と言っても良い。何かに向かう、熱中する。その身を投げ捨てて叶えようと専心する。それは一種の狂気じゃないか」
「貴方だって、狂人と言われているって聞いた。延暦がそんな話をしていたよ」
「流血機関とか? 勝手に言ってくれるね。だけど、そんなものは構造の話だろう。一行も言っていたが、血の悲鳴を無視するとか、色々なことを知っているとか、そんなものは私の意思で得た何かじゃない。ただ出来ただけの破壊に過ぎない。私は偶然に朱族になって、偶然に普通の朱族ではなくて、偶然にこうなってしまっただけだ」
「夢がないって言ったね。だったら見つければ良いと思う」
「それが中々難しいんだ」
意趣返しとも言い切れない、進めつつある算段を終えたとして、さて私は何をしよう。それを頭の片隅にずっと考えている。「破綻ちゃんはどうなのさ」と私は気になって言ってみた。
「私の人生に意味はなく、だからこそ死にも意味はないだろう。夢や目的がないから、ドラマチックじゃないんだ。不意に終わったとしても悔しいだろうか。いいや、そうは思わなかったな。終わりは終わりというだけで、何もドラマチックじゃなかった。だから私は、ドラマチックでいたいと密かに思っている。だから私は、破綻ちゃんにも聞いてみたい」
「私に?」
「破綻ちゃんの夢はなに?」
意思はあるだろう。親に反抗するだけの生活感も持っている。だけど彼女はやっぱりお人形のような、キャラクターそのままのような人間だった。振るう拳にも熱はなく、人を殺しても感慨はない。その殺し方は機能美のようなものだった。拳銃が当然のように銃弾を発するように、機構として彼女は人を殺す。
「君はどうして生きているのさ」生きているんだから生きているで良いだろう。それが人間というものだ。それでも私は聞いてみたかった。参考にしてみたかった。「たとえば関係性だとしたら」延暦という親に生み出され、望まれてそう生きているというのなら、彼を殺せば彼女はどうなるのだろう。生きる意味を失うのか。それともその喪失こそを、新たな生きる意味とするのだろうか。「それともやっぱり機能美かな?」
そうあるようにと望まれた立場ならば、それを全うすることが生きる意味になるだろうか。私も同じかな? たとえば私は、まるで週刊誌の風聞のように人殺しで朱族殺しの狂人らしいが、週刊誌とは違って行動そのものは事実である。他人からそう見られ、その様な立場に付けられたとしたら、その期待に応えてやるというのも生きる意味になるだろうか。いやいや、何が楽しくてそんな事をしなければならないのか。望みも期待も身勝手なものであり、その期待の通りに生きなければならないとしたら、私は今すぐ自殺すべきだろう。
破綻ちゃんは唇を閉じ、じっと私を見つめた。「アイスクリームかな」と、唇から小さく発せられたのはそんな言葉だった。
「アイスクリームが食べたいな」
「買いに行けば良いじゃない」
「そうだね。行こう」
「あっ、私は置いて行って……騒ぎになるから……」
その後、勝手に外出した破綻ちゃんと口元をアイスクリームでべちょべちょにした私が発見され、延暦は呆れ混じりの溜息を吐いたのだった。
「思えばあれがはじめてのおつかいだったんだね。いや、これがはじめてのおつかいにしようと思っていたんだけれど。お前に奪われちゃったんだけど。悔しいなあ」
「おつかいと言うには購入現場に立ち会っているじゃないか」
「それは親心というもので、心配なんだ」
「過保護ですわね」
「目に入れられるものなら入れたかったよ」
上から下まで一直線に劈かれた城の、その外。私達は破壊を目の前にして笑っていた。赤黒い霧は立ち所に室内に充満し、そして弾けた。数多の朱族が弾け飛び、自らに吸収されるのも顧みず、ヴラド・ツェペシュは自らの権能を行使した。
「『
城を瓦礫へと変えさせて、その中から竜が生まれた。それは比喩ではなく全く現実の出来事だった。
第四特権というのは、言ってしまえば肉体強化、肉体変化の、他の特権に比べればごく単純な代物である。しかし単純だからこそ効果の程は無比であろう。赤黒の竜はその名の通りに、人外足る朱族にとっても空想上の存在であり、あらゆる攻撃を寄せ付けない。たとえ第二の嵐がぶち当たろうとも、第六の因果固定が突き刺さろうとも、それらが単なる攻撃に過ぎないのであれば、眼球で受けようと心臓で受けようと、何ら問題なく動くだろう。
効果的なのは第五の改竄くらいだろうか。第三の偏在は生存特化でいまいち戦闘には役立たない。そして第一は出来る事と出来ないことの違いが分からないので何とも言えない。「しかしねえ」と私は笑った。延暦もまた、自慢げに頭上を眺めて笑っていた。
「何度も言うけれど、彼女って本当に人間なの?」
「人外だったら立ってもいられないだろう。寧ろ、お前が言うかね」
突風に私の黒髪が舞い上がり、それを延暦は鬱陶しそうに払った。風が強く吹いていた。竜はその翼で風を起こし、城ごと周囲一帯の土地を浮遊させている。まさしく人外の更に外側。この世界に許された六つの特権の一つを振るう姿は、神か悪魔かと言って差し支えがないだろう。
ならば、その特権に、たかが人の身で打ち合う少女は何なのか。その身一つに炎を払い、土塊と瓦礫を蹴りながら自在に空中を飛び交って、今まさに竜の顎へ蹴りを放った少女は何か。
「化物じゃのう」
ふらりと現れて楽土はそう言った。「楽土様ご機嫌麗しゅう」と、そう呼びかけた横顔は流石に引き攣っている。
「やはり儂は、信じ切れてはいなかったようじゃ。所詮は人と、馬鹿にしてもいたようじゃ。全く恥ずべき事であろう。こんなものは想像出来なかった」
「お前にそう言わせた時点で僕の勝ちだね、彷徨えるお婆ちゃん」
「だのう。しかし儂が逃げるでもなくこの場に姿を現わした意味、分かるじゃろ」
「そりゃあ、今更だけど知らされていたからね。この化物に」
延暦は無礼なことに私の頭を叩いて言った。「じゃろうな」と楽土もまた冷ややかな目を投げ掛けてくる。「えへ!」と私は笑ってみたが、その目が温かくなることはなかった。
「儂を殺す算段とは、あれかえ。しかし、あれは第四に専心しておるわ。第四もまた、儂らであるからには、生半可に殺されてはくれぬだろうよ。そうじゃろう?」
楽土は嘲笑を浮かべ、「誇りとは、これかえ」と、周囲の瓦礫と血溜まり、そしてそれらが竜の中に吸収されていく光景を眺めながら言った。対してヴラドは咆吼を放った。それで崩れてくれる破綻ちゃんでもないが、気炎にはなったようで、元気いっぱいに彼女を吹き飛ばす。
「今更何をしに来た第三が!
「何を言うか。儂らは元より人間社会に寄生しなければ生きていけぬ身じゃ。原始人でもあるまいし、道路を歩くにも風呂に入るにも、ましてや住処を作るにも、人間の社会という奴に、歴史という奴に、寄生しなければ満足に暮らせぬわ」
「だからこそだろう! ……ッグゥ……!」
ヴラドが元気いっぱいなら破綻ちゃんだって元気いっぱいだ。向かいの山に突き刺さったというのにすぐに距離を詰めてヴラドの口を閉じさせる。バチバチと口端から漏れた炎が頭上に瞬いて綺麗なものだった。「だから、だ!」とヴラドは尚も気炎を上げて爪を振るった。
「人間から生まれた我らは確かに人間社会に寄生しなければ生きていられない。それは人間を食糧とする以上に価値観としての、文化としての、即ち社会としての寄生だろう! だからこそ、我は人外のための社会を生み出さなければならない! 人を食らうのなら食らうものと、誇りを持って自らをそうであると語れるような社会!」
「それが強さだとしたら、今まさに、お前は僕の娘に否定されているというわけだ」
「黙れ人間! 人間風情が、我を殺せると思い上がりおって!」
「そう、思い上がった。人間ごときがお前達を殺せると思い上がれるところまで来たわけだ。こいつはとても面白いだろう」
「くたばれ!」
怒声と共に放たれた炎は地面を舐めて融解させた。恐らくは延暦を狙ったのだろうが、これまた何故か当たらない。楽土だって特権を使って逃げたし、抱えられている私には火の粉が当たって髪が燃えているのだが、延暦には傷一つ付いていない。
「それで、私の前に現れたときも思ったけれど、なんで当たらないのさ」
「神様のご加護だよ」
「貴方の存在そのものが涜神的だとは思いません?」
「えっ、涜神しようとしているんだから当然でしょ」
相変わらずへらへらと笑ってよく分からない事を言う。何事もなかったかのように現れる楽土もまた、軽薄な怪しげな笑みを浮かべて言った。
「真面目よのう。真面目が過ぎて、余計なものを抱え込んでしまったのう。たとえば戦力にもならぬ朱族共。炎に消えてしまったか、一目散に逃げ出したか」
「何もやっていなかった癖に侮辱するなど!」
「そして極めつけは、逃げ出すことも出来ぬ
ケラケラと笑って、楽土は瓦礫の中、その中途で折れた柱に身を潜める少女を見て言った。
金色と赤色の少女。
「惨めよのう。戦うこともなく、逃げることもせず、見つめているだけとは。これはお主の失敗ではないのかえ? のう、過保護な第四よう」
「黙れ! 聞くなレゾンデートル!」
「っふふ」
私は思わず吹き出した。殺意の目が頭上から向けられる。「いや、失礼失礼」と私は取り成すように言った。
「なんじゃ、お主。何か言いたいことでも?」
「いや、だってねえ。知っていたことではあるけれど、レゾンデートル。そうだ彼女の名前はレゾンデートルなんだ。能力が彼女の名前でしかない。それがやっぱり、この時点では皮肉だと思ってね」
「敬語はどうした」
「もういらんでしょ?」
「まあのう」
楽土は呆れた目を向けてくるが、もう一つの視線の主、レンちゃんは唇を震わせたまま何も言わなかった。私を見つめ、助けを求めるようにヴラドを見た。しかし彼は彼で手間取っていて、だから私を認識するしかない。
その顔つきは私が知るものではなかった。しかしその顔に違和感を覚えるだろうことも私は知っていた。00年代のライトノベルにありがちな、いっそ後の世にテンプレ染みたものとして語られるような、ツンデレなヒロインとしての彼女はまだここにはいない。
「強気で傲慢で、テンプレみたいなツンデレで、
「どう……いう……」
「やっと言った。それが君のセリフというわけだ。だけど、まるで違うね。やっぱり君はこれから生まれて、今は生きてもいないんだろう。だからこその『
生まれた意味を見つけて、存在の理由を見つけ出す。タイトルはこのレンちゃんにかかっていて、主人公である白永くんにはかかっていない。思えばその時代のライトノベルというものは、ヒロインに関する説明としてのタイトルが多かったように思う。私が死んだ時代では主人公に関する説明というか、物語の指針を説明するような者が多かったが。
閑話休題。何だか久しぶりじゃないか、これを使うのも。
「君はドラマチックじゃないんだね。これからはドラマチックかもしれないが、今はただ、引きこもりの、生きているだけの存在でしかない。理由がないんだね。発生にも、たとえば終わりにも」
「わ、私は……知らない……。私がどうやって生まれたのかも、どうして死なないのかも……」
「そうか。私もそれに興味がない。興味があるのは貴方じゃなくって? ねえさっきから黙ってる延暦」
「いや、急にベラベラ喋り始めたから気後れしちゃった。どうしたの急に」
「こんなに可愛い子と会えて嬉しくなっちゃったの」
「可愛いと虐めたくなってしまうのは私の悪い癖かな」と私は楽土を見て言った。「儂も可愛いか」その皮肉たっぷりな笑みに対し、私もまた笑みを浮かべて応える。「ええ、とても」
一方、桜梅は一行の顔を見つめ、『一行さんのことも可愛いって思ってたんですかあ!?』と、あからさまに引いたような顔を浮かべて言った。
『そう思うと違うのかもしれない』
『ですよね!』
一行は物凄く反応に困ったような、それでも確実に嫌そうな顔で溜息を吐いた。
「それでは、どのように可愛がるよ」
楽土はまだ余裕げに薄く笑って言う。
「お主が介入できる余地がどこにある。そちらのお主は動けぬだろうし、動ける方は車に置いてきた。椿延暦にしてもじゃ。第四に手こずっている最中に、儂が第六を手にかけることを邪魔できるか?」
「そうだよ。どうするの延暦」
「なんで僕に振るわけ? まあ僕としてはどうでも良いんだけどね。だってどう足掻こうとも破綻ちゃんに勝てるわけがないんだから」
「娘への信頼、立派なパパさんですわね」
「いやあそれほどでもあるけれど!」
延暦は気恥ずかしそうに私の頭を叩いた。叩くな。
しかし、楽土の言っていることは事実でもある。車の方の私は必死になって走っているが、とてもではないがこの場に追いつけないだろうし、第一、近付いたとしても特権で遠くに移動させられるだろう。他の私も同じことで、だから今、この場で出来る事は何もない。
だから、ここじゃない場所でやろうというのだ。
『はいじゃあ』
『ぶちまけてしまおう』
黒海海上、第二に近く。私は私を引き千切り、その血液を海に流した。