脳裏さんは調子を取り戻すように口を開いた。
「一、何故、お前があの名を知っている。二、人臓院さえ追放され、今は各地に神出鬼没に現れるあの男の名を」
その声色は、今までとは違った熱を帯びていた。面倒なものに対処を余儀なくされた鬱陶しさというよりも、自ら望んで首を突っ込むような。それも研究者然とした探究心ではなく、忌ま忌ましさと怒りだろうか。
「もっと仲良くなったら教えるって言ったじゃない。好感度を稼がなきゃ! たとえばさっきの私の質問、どうして流血機関は動かないのかとか、どうして私が狙われなければならないのかとか」
「一、人外を殺す理由など、人外だというだけで十分だろう」
「厳しいですわね。乙女心を分かっていませんわね。これでは好感度は下落の一途を辿りますわよ」
「ふふふ」と私は笑ってみる。カーブミラー越しにウインクをする。すぐに「一、死ね」と返されたが、それでも彼女は仕方なさそうに口を開いた。
「一、……朱族狩りは、何も流血機関が独占しているというわけではない」
「おお、ようやく話す気になった? そうかもね。他にも色々な組織があるし。それで?」
「一、しかし、実質的には独占しているようなものだ。二、流血機関が討伐対象と認定した時点で、その朱族は流血機関の管轄下に置かれることとなる。三、そこに手を出すということは、流血機関の狩り場を荒らすことと同じだ」
「でも手を出しているじゃない。脳裏さんだってそうでしょう?」
「一、まだ正式に認定されていないのなら問題ない。二、先んじて確保することが出来れば、有用な使い道はいくらでもある」
「ペテンね。筋を通さないってのは怖いんじゃない? だけど、そんなに使い道ってあるかしら? 私って特別でも何でもない単なる朱族ですわよ」
「一、……勘違いを訂正しておくが、人間から自然発生した朱族は、稀だ」
「あれ、そうだっけ?」
そうだったような、どうだったか。原作では稀なことしか起きていないのでその辺りの塩梅が分からない。
何せ物語の始まりが『
さっきの男達が、原作にモブとしてしか描かれなかった平均的な戦闘員だとしたら、それくらいしか殺せない私からしても全く雲の上の話である。
「一、稀なのだ。二、朱族が下僕として、使い魔として生み出す
「あーそうだそうだ。
「一、故に、それを確保し、材料とすることは、人臓院にとって非常に魅力的だった。二、故に、私が派遣された。三、退魔七家の思惑も似たようなものだろう。四、その他の組織の思惑も絡んでいるかもしれんがな」
「あーそっか。私って朱族と赤族をごっちゃにしちゃってたんだ。でもこれからは結構出てくると思うよ、自然発生した朱族っていうのは」
原作でも確かに数少ないが、それでも出てくることは出てきた。そんな数百年に一回ってレベルではないだろう。精々十数年に一人って所か。それとも主人公とヒロインの境遇が特殊だから、そういった稀な事例に度々遭遇したのかもしれない。
しかし、だとすれば、やっぱりあの男達は一端の猛者だったというわけだ。何が三流だ。戦場に軽口を吐くのは格好良いかもしれないが、吐かれた側としては軽口なのか事実なのか判別が付かなくて困る。
でもそんな猛者達を簡単に殺す事が出来る私って凄いのかも。流石、本来は絶対的な人類の敵であった朱族の身体である。
「それに……いや」
「なあに?」
呟きを聞き逃さなかったので血の槍が後部座席を貫いた。
脳裏さんには当たらなかったが、追跡してきた車を木っ端微塵に破壊させる。いい加減、この手合いもしつこく感じてきたな。まあ血を吸える分には問題ないのだけれども。
そういえば、朱族は血を吸えば吸うほど強くなるって設定があったはずだ。それも強いものの血を吸えば更に強くなれると。
しかし、主人公である白永くんは、色々あって半分朱族になったものの中々血を吸おうとはせず、ヒロインであるレンちゃんも血を吸わなかったので、何時も厳しい戦いを強いられていたのだ。
それで窮地に陥ってサブヒロインの血を吸うという、ちょっとばかしスケベを含むシーンが繰り広げられたりするのだが、それは葛藤と、それを乗り越える絆。そして愛の告白によりヒロイン昇格。という流れを描くための見事な装置である。
一方で、ただ血を吸うだけでは限界があるという設定もあったはずだ。朱族の血は特殊なもので、人間の血とは明確に区別されている。人間の血を吸うだけでは装甲が厚くなったり膂力が増したりするだけで、根本的な出力の向上には至らない。
朱族としての進化。つまり存在としての格を上げるためには、大規模な儀式とか長い年月をかけるとかして、自らの血を増やし、濃くしなければならないのだ。
或いは、同族を殺し、その明々とした朱色の血を取り込むか。
まあ、覚醒したばかりの私にとっては、そんな危険を冒さずとも、人間の血を吸うだけで結構強くなれる。何時だって数は力なのである。
閑話休題。こうやって使っていこう。
風穴が空いた後部座席も問題だが、一番に聞くべきは脳裏さんが躊躇した呟きに関してだった。
「それにって、何が? 何か私のために言えることでもあったかな?」
「一、お前のためではない。二、そして、お前に利することでもない。三、これは私も噂話としか聞いていない」
「前振りをありがとう。それで?」
「一、……正式に認定されていないのなら問題ない、と私は言った。二、それは流血機関だけでなく、朱族に対してもそうだ。三、噂では、朱族を守ろうとする朱族が存在するらしいじゃないか」
「ああ」
その言葉で思い出した。そういやそんなのが十巻辺りで出てきたのだった。だから朱族よりも人間の方が悪辣だと言われてしまうのだ。
最初に朱族として覚醒したとき、私は流血機関の穏健派に拾われることを望んでいた。それも単なる穏健派ではなく、飛びっ切りの穏健派を。
その読者からは頭お花畑として批判されていた彼女と協力していたのが、『
彼女は朱族と人間の融和を掲げていたが、その二つ名が示す通り、他の朱族には全く不毛な試みであると。まさしく荒れ果てた廃墟の街にしかならないと嘲笑されていた。
それで、十巻辺りで流血機関の穏健派の人が死んだ結果、マザー・リリスは大暴れして主人公に討伐されるのだ。結局の所、彼女も他の貴族的なプライドを持つ朱族と同じで、本気で融和を目指していたわけではなく、お気に入りの人間を、他の大多数の人間よりも優先していたに過ぎない。
しかし、その根本的なところはともかく、行動自体は立派なものだろう。本性は主人公に悪罵されてしまったが、それまでの行動そのものは肯定されていた。まあヒロインのレンちゃんに『貴方だってお気に入りの人間と、それ以外とに優劣を付けている。何が違うのかしら』とか言ってブチ切れさせていたが。流石にたった一人のために何万人も犠牲にしようとする奴と同一視はされたくないだろう。
それでも事件解決後、レンちゃんは『何が違うのかな』と悩んじゃって。それを白永くんが色々と言って、
『たとえ僕が死んでも、世界を恨まないで欲しい』
『この世界に生まれた事が、君の人生は幸福なんだって思っていて欲しい』
『僕に出会った事が幸福だったと、そう思ってくれるなら、僕は何も恨む事はない』
と言って抱き合う感動シーンがあるのだが、閑話休題。
「なあんだそれを最初に言ってくれよ! これなら私もこれ以上逃げる必要なんてないじゃないか!」
そうだそれがあった。原作が始まった後ならともかく、今はまだ始まっていない。たとえ今年中に始まるとしても、今はまだ五月だ。そっちに頭を下げて落ち着くことは出来るだろう。なんだ簡単に安寧の地が見つかってしまったな。
記念と景気づけに車を駐め、「いやーよかった!」と外に出る。
「一、おい、どうした。二、私は話したぞ。三、次はお前が話せ」
「あら、私は好感度を稼がなきゃと言ったまでよ。別に話されたからって話す義理などありませんわ」
「一、くたばれ」
「まあまあ、そう慌てず。何せ理由があるのさ」
「一、理由だと?」
脳裏さんは車の中に留まりながらも辺りに目を向け、「一、なるほどな」と呟いた。流石は人臓院の暗殺者と言ったところか。彼女にも分かったらしい。
私は息を吸い、大きく声を響かせた。
「出てきなよ!」
秋田県から山形県を横断し、新潟県に入ってそろそろ市街地が見えてきた。確か村上市だったか。それを目前として襲撃者達が待ち構えている気配がある。
対向車がないのは今更だが、それにしても静かすぎる。私はぐるりと辺りを見回し、五月の明るい木々の最中に言った。
「また市街地に被害が出る前に、ここで抑えようというわけだ。だけど私はようやく安住の地を思い出したところでね。ここで殺されるわけにはいかない」
その声に鳥が飛び立っていく。鳴き声はない。静かに、しかし直ちにその場を離れていく。
私は笑みを潜めた。
声に反応したのではない。それ以上に、猛烈に膨らみつつある殺意を感じて、鳥たちは飛び立っていく。
そう思わせるだけの圧が、私を取り囲んでいる。
「足を止めたの、まずったかな」
私は思わず呟いた。静けさは一瞬で重苦しい沈黙に切り替わった。身体に纏わり付くのは山間の湿気ではなく殺意だった。
これはちょっと、今までのとは次元が違う。
「理想郷だと」
「取引でもしたか、
「或いは常通りに口車に乗せ、俎の上へ誘うつもりだったか。だが──」
声が三方から、私を囲む形で響いてくる。
「だが、それは我らのものになる。それは我らの血肉となり、我らの剣と鎧になる」
「我ら退魔七家が一つ、
「
「我ら
なるほど、と私は思った。三方から飛び出した人の姿。それぞれが携える武器には、不思議と親近感を覚えてしまう。
「
そして脳裏さんが言った『有用な使い道』の一つが、これなわけだ。
「
「
「
鉈と、弓と、剣。
いずれも朱に色付いて、悲鳴のような音を発している。