しかし、よこみちゃんはすぐにUターンして帰ってきた。
「あっ、ほんとだった! ごめんね!」と、右手を右耳に当てながら、まるで誰かと話しているようにして、私の前で急停止する。
「ごめんなさい! 私ったら全部言い忘れちゃってた! いやー、みぞれちゃんが心配してくれて助かったよありがとう!」
「みぞれちゃん?」
「あっ、みぞれちゃんっていうのはね、私の大親友だよ! 私っておっちょこちょいのせっかちだから、みぞれちゃんがよく心配してくれるんだ。何時も助かってるよ! ありがとうね!」
よこみちゃんは自分の右手に向けて楽しそうに声を出している。「これってもしかしてイマジナリー」と脳裏さんに囁けば、彼女は私に目を向けず言った。
「一、『血の契約』を、携帯電話扱いするとは、見た目通りに頭が軽いようだな。二、それは本来、上位の朱族が下位の朱族を従えるためのものであるはずだが。三、マザー・リリスとやらは、そこまで耄碌しているのか」
「一、血の契約ってなに? 二、脳裏さんってよこみちゃんのことも嫌いなの? 三、じゃあ脳裏さんの好きなタイプってどんな人?」
「一、真似をするな。二、そして死ね」
「あー! 血の契約って聞いたことがあるよ! なんだっけみぞれちゃん?」
よこみちゃんは掌に耳を当ててうんうんと頷き、「えーっとねー?」と虚空に視線を向けている。理解できていないようだ。「やっぱりイマジナリーだから?」と私が囁けば、脳裏さんが仕方なさそうに溜息を吐いた。
「一、『血の契約』とは、先にも言った通り、上位の朱族が下位の朱族を従えるためのものだ。二、上位の力を下位に分け与えることが出来るが、下位の脳に上位の声を届かせ、強度の如何によっては行動さえ支配する。三、つまり、お前達が人外の化物である証拠の一つだよ」
「あー……何か思い出した気がする。でもそれって『血の契約』じゃなくて『血の盟約』じゃなかったっけ?」
「一、言葉遊びにしても下手だな。二、何がどう違うというのだ」
酷い事を言ってくれる。何が酷いってこの用語は、私が考えたのではなく原作にあったものだからだ。
主人公くんとヒロインちゃんが一番最初に交わし、そして絶対的な重さとなった約束が、そんな名前だったはずだ。何が違うのかは思い出せないが、何か一般的には知られていない、『
そんな話をしている間に、よこみちゃんが何とか頭の中に情報を詰め込んだようで、口を半開きにさせながら言った。
「えーっと、みぞれちゃんの話を纏めると、リリスさんが偉いから、私達はこうして話していられるんだって! 凄いね!」
「一、上位を通して下位同士の言葉を直接届け合わせているということだ。二、率直に言って、能力の無駄遣いだな」
「まあこの程度なら素直に携帯使おうよって話になるよね」
「そ、そんなこと言わないでよ! 便利なんだよ!? それに私って、もう戸籍がないから携帯の契約できないし!」
「世知辛っ」
いや、そうか。これからは私も戸籍なし本拠地なしの社会的死人生活を送ることになるのか。人のことを言っている場合じゃないのである。
「一、それにしても」
ふと、脳裏さんが目を細めた。
「二、その『みぞれ』とは、もしや
よこみちゃんが目を丸くする。そして私も目を丸くする。
「ええっ!? 何で知っているの!? そう! みぞれちゃんは私の大親友なの!」
「一、あの女、まだ生きていたのか」
「い、生きていたのかって、酷くない……? ねえみぞれちゃん、何か白髪のお姉さんがみぞれちゃんのことをさー……ってあれ?」
よこみちゃんは手を耳から離し「切られちゃった」と呟いた。
「ま、まあ、みぞれちゃんって引っ込み思案だからね! しょうがないね! 私が嫌われたわけじゃないよね!」
言い訳するようによこみちゃんは言う。そう、引っ込み思案。彼女は引っ込み思案で、慎重で、疑り深かったはずだ。
どこで登場して、どんな役割を担っていたのだったか。
「ねえ脳裏さん」と私は脳裏さんに笑みを向ける。
「よこみちゃんのお友達とお知り合いで? 私というものがありながら!」
「一、お前がなんだと言うんだ。二、そして死ね」
「まあまあ、どういう人なの? よくご存じで? 有名な方?」
脳裏さんは訝しむような目を向けてきたが、負けずににこにこと微笑んでいると、鼻を鳴らして彼女は言った。
「一、ああ、有名だよ。二、何せ、祀場に生まれた朱族だからな。三、当時は人臓院も当然のように貰えると思っていたようだが、奴は逃げ出し、行方知れずだった。四、それで祀場の立場が悪くなったのは、有名な話だ。有名な恥だ」
「逃げ出したんじゃなくて、リリスさんに助けて貰ったんだよ! 私と一緒! 私とは違って、身内の人に、本当に殺されかけていたみたいだけど……だから引っ込み思案で……」
「あらそうなの? じゃあ本当に恥だったのは、朱族に本拠地を襲撃されて何も出来なかったことなのかもしれんね。恥どころか笑い話だ。笑ってしまうよ」
「一、初めてお前と気が合ったような気がする」
「笑い話じゃないけど!? でも仲良しなのはいいね!」
「二、断じて仲良くなどない」
脳裏さんは唇を尖らせて言うが、その尖らせ方にしても段々と遠慮がなくなっているような気がする。当初はもっと無表情で、返される言葉も『一、死ね』ばかりだったというのに、今はこうして仲良く会話が出来ている。
これなら何時かのヒロイン昇格に思いを馳せても良いだろうが、今、私が思い出そうとしているのは別の女性だった。気が多い女は嫌われちゃうかな。だけど、これからの世界に、つまり原作に関わるのだから仕方がない。
思い出したのだ。そうだそうだ。いたわ祀場みぞれ。彼女は確か、主人公くんと殺し合ったボスだった。
マザー・リリスがボスとして登場する前の巻である九巻で、ボスになったのが彼女だったのだ。よこみちゃんにしても、確かに原作に登場していたはずである。
ただし、こんな元気な状態ではなく、人の形をなくしていたが。
祀場みぞれが主人公である白永くんと戦うことになったのは、彼女が流血機関に乗り込んだからだ。何故乗り込んだか。それは目の前の彼女、縦長よこみちゃんの消息が知れなくなったためである。
縦長よこみは流血機関の実験に協力すると言って姿を消した。マザー・リリスと仲が良い人達の実験だから心配はいらない。寧ろ私が参加することで、人と朱族の融和に繋がると言って。しかし一向に連絡が付かない。そこでみぞれは慎重に、そして自分が目立たぬように事を進めようと、界隈で有名な主人公である白永くんに話を持っていく。それが九巻の始まりとなる。
しかし白永くんも、頭お花畑さんの伝手があるといっても思うように調査できず、疑わしさだけを残して追い払われる。それを聞いたみぞれは──ああそうだ。
彼女は当初、まるでよこみちゃんのような言動をしていた。頭お花畑なふりをして、疑われないよう、白永くんに近付いたのだ。
このみぞれというキャラクターは、確かに朱族の穏健派ではあったが、守りに入った結果の、言うなれば妥協的な穏健派で、人間を疑っていた。そして、マザー・リリス自体にも疑いを向けていたのだ。
何せ彼女は、脳裏さんが言った通り、元を辿れば退魔七家の内一つ、祀場に生まれた人間であって、その根本的なところには朱族への敵意がある。
しかし、生まれながらに殺すべきだと教え込まれたものに己がなってしまった。これが頭の芯まで思想教育に染まった人間なら、喜んで自ら身を捧げることもあるだろうが、彼女はそうしなかった。『そうできなかった』と彼女は作中に独りごちた。『お題目よりも何よりも、結局は自分が大事だった』と。それでも中途半端に思想が残ってしまったものだから、自分が人間社会に馴染めるはずがないし、馴染んではいけないと思っている。
だから彼女は、人間と朱族のどちらも好きなのではなく、どちらも嫌いで、どちらにも希望を抱いていない。疑り深く、慎重深く、自分を偽ることにも躊躇はない。
それでも、友情というものは。『私が初めて、私を優先しないほどに』という台詞が思い出されるように、確かにあったらしい。
みぞれは白永くんの協力を得ても事態を解決出来ないと知り、焦り、苦悩して──この自分の性質と友情との葛藤はとても良かった気がする──彼女らしくない、短慮な行動に出た。『この短慮こそが友情だと思えば、私は誇らしかった』こんなことも言っていた気がする。
しかし実験は、当の頭お花畑さんの名前を騙られて行われたもので、首謀者は、表面上は超穏健派のふりをした落ち目の科学者だった。落ち目だから単なる穏健派ではなく、超穏健派のふりをしてまで成果を上げようという真似をしたのだ。この話もまた、人間の悪意が朱族よりも強調されていたというわけだ。
だからみぞれが、白永くんが事情を聞こうとするのを振り切り、実験室に飛び込んだ先。
そこで『
「そうだそうだ。だからマザー・リリスも自棄になったんだ。自分の部下が友人を殺したんだからな。うーん。世界観が悪辣すぎる」
「な、なに急に!? 誰が誰を殺すの!?」
「おー、その言動懐かしい気がするね。いや、ふりだったけどさ。彼女のそれは」
そうだ。思い出せば彼女こそが『友人が色目にされた朱族が、その色目を取り込んでパワーアップ』という奴だったのだ。その時に、その色目の名称として使われていたのが『
いやー久々にこの世界に原作があるのだと実感した気がする。というか一応ではあるが、これが原作キャラクターとの初遭遇ではないだろうか。
「何だか感慨深いね。あっ、でも! だからって脳裏さんに興味をなくしたわけじゃないからね! 勘違いしないでよね!」
「一、気色悪い。二、何の真似だそれは」
「この世界のヒロインの真似。コッテコテでしょう」
「ね、ねえ……桜さんってもしかして、ちょっと変な人……?」
「一、何故、私に聞く」
変とは何だと言いたいが、私としては誇るべきなのかもしれない。こんな見た目からして変な連中に変だと言われるなら、そりゃ飛びっ切りの変人であり特別な人間であろう。
でも変人って言われて嬉しがるってのもつまらない人間の特徴だよね。だからこの場は「えー普通でしょ普通」と言っておく。そうした方が格好良いと思った。しかしその思考にしても実に陳腐で。
「まあ、いいや。とにかく目的地はどこなのさ」
「あ、そうだった!」
彼女は思い出したように手を叩き、ここからでも望める市街地を指差した。
「えっとね、あっちに行く前に、寄らなきゃいけないところがあるの! あそこ! すぐそこ! 村上市だっけ? そこでなんか……とにかく行こっか!」
「うん、要領を得ない説明だね。だけど指定されているのなら行こうか!」
「一、そうか、良かったなお前の願い通りになりそうで。二、次会ったときはちゃんと死体であれよ。三、じゃあな」
「じゃあ、脳裏さんだっけ? 貴方は桜さんに背負われてね! うふふ! 人と私達がこんなに仲が良いなんて夢みたい!」
「よしきた! じゃあ行きましょうね脳裏さん!」
「一、死ね。二、まず死ね。三、そして死ね」
そんな事を言いながらも脳裏さんは暴れることなく私に背負われた。尻を触っても「一、死ね。二、死ね」と死ねを連呼するくらいしか抗議してこなかったので、やっぱり私に絆されてきているんじゃないかしらん?
まあ私が同じ立場だったとしても、自分の力が通用しない化物相手に暴れる勇気なんてないけどね。