十代の才能が激突するロックフェス『未確認ライオット』。
その出場を目標とした結束バンドの面々は、これまでにない熱気に包まれていた。だが、その熱の裏側で、作曲を担うリョウはかつてない壁にぶち当たっていた。
「……書けない」
自室の机、五線譜が散らばる中でリョウは呟いた。
いつもなら自分の「好き」を詰め込めば形になった。けれど、今回は違う。フェスで勝つため、審査員に評価されるため、観客を置いていかないため――。
「正解」を探そうとすればするほど、彼女のベースラインからは色が消え、ありふれたJ-ROCKのテンプレートに成り下がっていく。
リョウは数時間、真っ白な楽譜を見つめた後、縋るようにスマホを手に取った。
相手は、あの日から自分の精神的支柱となっている九十九蓮。
『新曲の制作で、完全に行き詰まりました。助けてください』
送信ボタンを押してから数分。返信は驚くほど早かった。
『いいよ。とりあえず、スタジオ入ろうか。セッションしよう』
共鳴する低音、暴かれる迷い
下北沢のレンタルスタジオ。
リョウは戸惑っていた。作曲の相談をしたはずなのに、目の前の蓮は愛用のベースをアンプに繋ぎ、シールドを差している。
「……あの、蓮さん。曲の構成とか、理論的なアドバイスをいただければと思ったのですが」
「リョウちゃん。理論で書いた曲は、誰かの心に届く前に頭で処理されちゃうんだ。まずは音を出そう。リョウちゃんが今、何を鳴らしたいのか、俺に教えてよ」
蓮の悪戯っぽい、けれど全てを見透かしたような瞳。リョウは緊張で震える指を無理やり抑え込み、楽器を構えた。
「……わかりました。じゃあ、肩慣らしにEclipseの初期の曲を」
「いいよ、合わせる」
リョウがルートを刻み、蓮がそれに重なる。
二本のベースだけが響くスタジオ内。リョウが選曲の難易度を上げるたび、蓮は涼しい顔で追随し、それどころか即興で複雑なオブリガート(助奏)を加えてくる。
(……やっぱり、この人は化け物だ)
リョウは圧倒されていた。蓮の奏でる音は、単なるリズム楽器の枠を超え、一つの生命体のように蠢いている。その圧倒的なテクニックと表現力を間近で浴びるうち、リョウの胸の中にあった「焦燥感」が、憧れという名の熱によって少しずつ溶かされていく。
ひとしきり弾き倒し、スタジオ内に沈黙が戻った時。
蓮がふっと息をついて言った。
「リョウちゃん。このままちょっとデートしようぜ」
「……っ!? デ、デッ……!?」
リョウの顔が一気に火を吹いた。
普段、感情が死んでいるとまで言われる彼女が、耳まで真っ赤にして狼狽している。
「え、あ、いや、私、まだ曲が……」
「いいから。ほら、行くよ」
蓮は手際よく機材を片付けると、呆然とするリョウの背中を優しく押した。
連れ出された先は、下北沢の喧騒を少し離れたエリア。
前回はリョウが案内したが、今回は蓮がリードする形だ。洗練されたセレクトショップ、落ち着いたカフェ、蓮の馴染みの楽器店……。
エスコートされる側に回って初めて、リョウは気づいてしまった。
(……これ、前回もそうだったけど、完全にデートじゃん。私は、神様とデートをしていた……?)
遅すぎる自覚に、リョウは何度も赤面しては、顔を隠すように俯いた。
散策の最後、辿り着いたのは小さな公園だった。
あの日。リョウが腹を空かせて草を喰み、蓮と運命の出会いを果たした、あの公園だ。
蓮が自販機で冷たいお茶を買い、リョウに手渡す。
二人はベンチに腰を下ろした。夕暮れ時の公園は、どこか寂しく、けれど温かいオレンジ色に染まっている。
「リョウちゃん」
蓮が、遠くの遊具を見つめながら切り出した。
「リョウちゃんはさ、今、誰かの期待に応えようとしてるんだね。……でも、その曲は誰に向けた曲なの? フェスの審査員に向けた曲?」
「…………」
リョウは言葉を失った。冷たいペットボトルの結露が、手に伝わる。
「リョウちゃんのベースは、もっとワガママで、冷たくて、でも誰よりも音楽に飢えてる音がする。なのに、さっきのセッションで聴こえてきたのは、『どこかの誰かが喜びそうな音』だったよ」
蓮の言葉は、鋭いナイフのようにリョウの深部を突き刺した。
そうだ。自分は以前、ぼっち(後藤ひとり)に言ったはずだ。「個性を消したバンドは死んだも同然だ」と。
なのに、いざ『未確認ライオット』という大きな舞台を前にして、自分自身がその呪縛に囚われていた。
「……怖かったんだと思います」
リョウは絞り出すように言った。
「せっかく見つけた、居場所だから。……結束バンドのみんなで、一つの目標を追いかけるのが、初めてだったから。私の変な曲のせいで、みんなの努力が台無しになったらって……。勝ちたいって思えば思うほど、失敗したくなくて、無難な『正解』を探してました」
「……優しいんだね、リョウちゃんは」
蓮がリョウの頭に、ポンと手を置いた。
「でもさ、結束バンドのメンバーは、そんな『正解』を弾くリョウちゃんが見たくて一緒にやってるのかな。……君のあの捻くれた、唯一無二のベースラインに、彼女たちは惚れてるんじゃないの?」
リョウの脳裏に、虹夏の笑顔、郁代の明るい歌声、そしてぼっちの狂気じみたギターソロが浮かんだ。
彼女たちが求めているのは、売れるための曲じゃない。
山田リョウが、山田リョウとして最高にカッコいいと思う音楽だ。
「……蓮さんの言う通りです。私、最低にダサいことをしてました」
リョウは顔を上げ、蓮の目を見つめた。
瞳には、先ほどまでの迷いはない。代わりに、かつてEclipseに魅了されたあの日の少女のような、鋭い光が宿っていた。
「ありがとうございます、蓮さん。……私、世界で一番自分勝手な曲を書きます。審査員が顔をしかめて、でも目が離せなくなるような、最高で最低な曲を」
「はは、いい表現だね。楽しみにしてるよ」
蓮が満足げに微笑む。
その瞬間、リョウは確信した。自分はこの人に、音楽だけじゃなく、心まで救われているのだと。
その夜。
帰宅したリョウは、あの日一緒に撮った蓮との写真を眺めながら、狂ったようにペンを走らせていた。
湧き上がる旋律。歪んだベースライン。
そこにはもう、迷いはない。
「……ふふ、あはははっ」
一軒家の自室で、リョウは小さく笑った。
以前の、憧れの人の一助になれた喜び。そして、今日の自分を取り戻した充足感。
彼女の第二章は、今、本物の熱を帯びて回り始めた。