『未確認ライオット』――。
十代の音楽的初期衝動が爆発するその祭典は、下北沢から現れた無名の四人組、結束バンドの名前を業界に深く刻み込むこととなった。
優勝候補筆頭と言われた『ケモノリア』をおさえてライブ審査を突破し、ファイナルステージへと駒を進めた彼女たち。
最後は実力派バンド『SIDEROS』との壮絶な一騎打ちの末、あと一歩――本当に、呼吸一つ分の差で優勝の栄冠を逃した。
だが、ステージから降りてきた彼女たちの目には、悔し涙と共に、どこか清々しい光が宿っていた。
特にリョウは、蓮との約束通り、世間に媚びない「自分たちが最高だと思う音楽」を、日本で最も熱いステージの真ん中で鳴らしきったのだ。
その反響は凄まじかった。
SNSのトレンドは結束バンドの名で埋まり、複数のレーベルからスカウトの声がかかった。彼女たちの物語は、今まさにプロデビューという新たな軌道へと乗り始めていた。
フェスから数週間後。
少し落ち着きを取り戻した下北沢で、蓮とリョウはいつものように顔を合わせていた。
「……それにしても。蓮さんが審査員席に座っていたのを見た時は、心臓が口から出るかと思いました」
リョウは運ばれてきたメロンソーダをストローでつつきながら、ジト目で蓮を見た。
「あはは、ごめんごめん。サプライズゲストっていう名目だったからさ。言っちゃダメだって運営に口止めされてたんだよ」
蓮はかつて、Eclipseとしてこの『未確認ライオット』の前身となる大会で圧倒的な優勝を飾り、そのままスターダムを駆け上がった縁がある。今回のフェスでは、活動休止中のEclipseに代わり、他年の優勝バンドである『SICK HACK』がオープニングアクトを務め、蓮はレジェンド枠の審査員として彼女たちの勇姿を見届けていた。
「優勝できなかったのは残念ですが……あれが、今の私たちの全力です。後悔はありません。蓮さんのアドバイスがあったから、最後まで迷わずに弾けました」
「最高だったよ、リョウちゃん。特に中盤のあのベースソロ……会場全体の空気を、あの一音で塗り替えた。審査員の俺が、一番痺れてたよ」
蓮の言葉に、リョウは照れ隠しのようにメロンソーダのチェリーを口に放り込んだ。彼女にとって、フェスの順位よりも、この男に認められることの方が、何倍も価値があった。
しばらく他愛もない話をしていたが、蓮がふと表情を正した。
その瞳の奥に、以前とは違う『鋭さ』が戻っていることに、リョウは直感的に気づいた。
「リョウちゃん。……実はさ、つい先日、新曲が完成したんだ」
「!……それって、つまり」
リョウの持つグラスが、カチリと音を立てる。
新曲。それは、沈黙を守ってきた『Eclipse』が再び産声を上げることを意味していた。
「うん。Eclipse、活動再開するよ。……リョウちゃんのおかげだ」
「……私、ですか?」
リョウは信じられないというように、自分を指さした。
「君と出会って、色んな音楽の話をして……君たちの、泥臭くてもがいて、それでも自分だけの音を掴もうとする姿を見てたらさ。自分の中で燻ってたものが、一気に弾けたんだ。『俺たち、まだまだこんなもんじゃねぇぞ』ってね」
蓮は笑った。それは、初めて会った時の優しげな顔ではなく、かつてリョウが憧れた、世界を獲りに行くロックスターの顔だった。
「メンバーとも話した。みんな、俺と同じことを思ってたよ。休止してた時間は無駄じゃなかった。今、俺たちのコンディションは過去最高だ」
蓮はジャケットの内ポケットから、四枚の黒い封筒を取り出し、テーブルの上へ滑らせた。
そこには、金色の箔押しで『Eclipse Revival Live : Resurrection』と刻印されている。
「関係者用のチケット。まだ世間には一切告知してない、12月の復活ライブの招待券だ。これ、結束バンドのみんなで来てほしい」
「…………」
リョウは震える手で、その封筒に触れた。
重い。蓮たちの覚悟が、その紙一枚から伝わってくるようだった。
「九十九蓮が、Eclipseが再びステージに立つ理由は、間違いなく君たちの影響があったからなんだ。だから、俺たちの『本気』を、一番近くで見ていてほしい。……これが、俺なりの『アドバイス』の答えだ」
「……はい。……はいっ! ありがとうございます、蓮さん……!」
リョウの声が震えていた。
自分を音楽の道へ引きずり込んだ神様が、今度は自分の背中を見て、再び立ち上がる。
これほどまでにベーシスト冥利に尽きる出来事が、他にあるだろうか。
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復活のニュースが正式に告知された日、SNSは世界規模でパンクした。
「伝説の帰還」「Eclipse、再始動」の文字がニュースを埋め尽くし、先行予約のチケットには数十万件の応募が殺到した。
そして、12月。
冬の冷たい空気を切り裂くように、武道館の外周には黒いTシャツを着たファンたちが長蛇の列を作っていた。
その裏口、関係者席の最前列に、結束バンドの四人は並んで座っていた。
「緊張する……。私、生で見るの初めてだよ……」
虹夏が手を握りしめ、喜多も「空気が、ビリビリします」と少し震えている。ぼっちはあまりの熱気に溶けかかっていたが、その目はステージから逸らされていない。
リョウは一人、静かに待っていた。
隣で蓮と歩いた下北沢の街。公園のベンチ。スタジオの空気。
その全てが、この夜に繋がっている。
不意に、会場の照明が落ちた。
地響きのような大歓声。
そして、暗闇の中に青いスポットライトが一筋。
ステージの中央、そこには愛用のベースを構えた九十九蓮が立っていた。
彼が弦を一度、強く弾く。
――ドォォォォォン!!
耳を劈(つんざ)くような、圧倒的な重低音。
それは、あの公園で出会った「優しい蓮さん」ではなく、世界を支配する「低音の怪物」としての宣戦布告だった。
リョウの全身を、雷に打たれたような衝撃が駆け抜ける。
その音は、以前よりもずっと力強く、どこまでも自由に、そして――どこか、リョウが教えた「捻くれた遊び」のニュアンスさえも飲み込んで、進化した究極の音楽となっていた。
演奏中、蓮が一瞬だけ、最前列のリョウと目を合わせた気がした。
彼は不敵に口角を上げ、リョウに「どうだ?」と問いかけるように、激しくスラップを叩きつける。
(……ああ。やっぱり、勝てない)
リョウは視界が滲むのを感じた。
悔しさと、歓喜と、そして言いようのない愛しさが混ざり合い、胸の奥を熱く焦がす。
(でも、いつか。……いつか必ず、その隣に並んでみせます。……蓮さん)
ステージ上の光の中で、神様が演奏している。
その背中は、あの日よりもずっと遠く、けれど、あの日よりもずっと近くに感じられた。
リョウは溢れる涙を拭おうともせず、ただひたすらに、自分を救ってくれたその音を、魂に刻み続けていた。
彼女たちの物語も、Eclipseの物語も、まだ始まったばかりなのだ。
青い光の残響が、冬の夜の底に、どこまでも、どこまでも響き渡っていった。