トリコの世界をダイスで生き抜く   作:からさ

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第3話 古い狩場

北の古い狩場

 

荷車は日が傾き始める頃、市場の裏門を出た。正規の輸送ではない。荷台には布が被せられ、木箱は縄で固く縛られている。表向きには保存肉の運搬。だが、布の下から漏れる匂いは隠せていなかった。

 

燻製肉。香辛料。毒。それから、救命美食屋の置いていった香辛料の残り香。

 

毒香は荷車から十分に距離を取って歩いた。近づきすぎれば見つかる。離れすぎれば匂いが薄れる。普通なら難しい間合いだが、今回は風が味方した。荷車が進むたび、北から吹く乾いた風が布の隙間を叩き、香りを後ろへ流してくる。

 

食運の怪物が隣で小さく笑った。

 

「追いやすいね」

 

「風がいい」

 

「たぶん、あっちが呼んでるんだよ」

 

「あっち?」

 

「北」

 

毒香は答えなかった。街道は市場を離れるにつれて人通りが減っていく。左右には低い草地。遠くには黒ずんだ森。そのさらに向こうに、古い狩場があるという。

 

【判定】

≪System≫

荷車を追跡し、北の古い狩場へ向かいます。

 

難度:45

判定項目:感覚

基礎値:88

補正:荷車の肉と香辛料の匂いを記憶済み+10

補正:距離を取って安全に追う−5

補正:食運の怪物の直感+10

最終値:103

 

判定方式:

1D103を振り、出目が難度45以上なら成功。

難度の2倍、90以上なら大成功。

難度の5分の1、9以下なら大失敗。

 

出目:95

結果:大成功

 

狩場に近づくほど、匂いが変わった。土、獣、血、腐敗、毒草、そして焼けた肉の匂い。まだ荷車は狩場に着いていない。なのに、同じ系統の匂いが風に混じっている。つまり、危険肉は市場だけの話ではない。北の狩場そのものが、すでに毒と肉と香辛料に汚染され始めている。

 

毒香は足を止めた。

 

「どうしたの?」

 

食運の怪物が振り返る。

 

「匂いが多い」

 

「荷車以外にも?」

 

「うん。死肉。毒。焼いた跡。あと、獣」

 

「獣?」

 

毒香は街道脇の草むらを見た。そこに足跡があった。大きさは人の頭ほど。爪は三本。草の先が黒く変色している。毒を持つ獣だ。足跡は古くない。つい最近、街道を横切って森へ入っている。

 

荷車の進む先と、同じ方向へ。

 

「肉を食った?」

 

食運の怪物が聞いた。

 

「たぶん」

 

「荷車の肉?」

 

「同じ処理の肉」

 

毒香は立ち上がった。毒持ちの獣が増えているという話は聞いていた。だが、本当に増えているだけなのか。危険肉を流し、死肉を拾い、毒を香辛料で誤魔化す。その循環の中で、獣の方にも何かが起きているのではないか。

 

荷車は街道から外れた。北の狩場へ続く本道ではなく、森の縁に沿った細い道へ入る。表向きの搬入口ではない。狩場の裏手へ回る道だ。

 

【大成功効果】

≪System≫

荷車追跡判定に大成功しました。

 

成功:

荷車を見失わず、北の古い狩場へ向かう裏道を発見しました。

 

追加発見:

北の狩場周辺では、毒持ちの獣が異常化している可能性があります。

危険肉と同じ処理の肉を食べた痕跡が、毒獣の足跡周辺から確認されました。

荷車は正規の搬入口ではなく、森沿いの裏道を使っています。

この裏道は過去にも何度も使われています。

 

【行動選択】

≪System≫

次の行動を決定します。

 

出目:1

結果:荷車を最後まで追い、搬入先を確認する*1

 

毒香は、街道脇の黒く変色した草を見下ろしていた。毒持ちの獣の足跡。危険肉と同じ処理の肉を食べた痕跡。調べるべきものはある。保存カプセルで土や草を採取しておけば、後で何か分かるかもしれない。

 

だが、毒香はしゃがまなかった。

 

今は足跡ではない。

 

荷車だ。

 

「追う」

 

毒香が言った。

 

「足跡は?」

 

「後」

 

「消えちゃわない?」

 

「消える。でも荷車も消える」

 

毒香は森の奥へ視線を向けた。布を被せた荷車は、細い裏道を進んでいる。速度は遅いが、止まってはいない。ここで足跡を調べていれば、距離が開く。距離が開けば匂いが薄れる。匂いが薄れれば、追えなくなる。

 

黒い草も気になる。腹を空かせた毒の匂いも気になる。だが、荷車の先にこそ、この匂いの中心がある。

 

荷車が止まったのは、それからしばらくしてのことだった。森の奥に、木造の建物がいくつか見えてきた。古い狩場の管理小屋だろう。だが、まともに管理されている様子はない。外壁は黒ずみ、屋根は歪み、看板は半分落ちている。

 

その中央に、低い石造りの建物があった。煙突がある。そこから、細い煙が上がっている。肉を焼く匂い。香辛料の匂い。毒の匂い。市場の隠し倉庫と同じ匂いが、そこから濃く漏れていた。

 

荷車はその建物の裏手へ回った。

 

毒香は木の陰に身を寄せる。

 

「着いた?」

 

食運の怪物が小声で聞く。

 

「たぶん」

 

「何の場所?」

 

「処理場」

 

「処理場?」

 

「狩場で出た肉を、ここで焼く。燻す。香辛料で誤魔化す。市場へ流す」

 

毒香は、建物の裏口を見る。運び屋が荷車から木箱を降ろし始めていた。中から出てきた男が二人。片方は肉切り包丁を腰に下げ、もう片方は顔に布を巻いている。どちらも普通の狩人には見えない。

 

裏口の奥から、別の匂いがした。

 

血。毒。腐敗。そして、まだ生きている獣の匂い。

 

「中にいる」

 

「何が?」

 

「獣」

 

「生きてるの?」

 

「うん」

 

「肉の処理場なのに?」

 

毒香は頷いた。処理場なら、死んだ肉の匂いがする。だが、ここには生きた獣の匂いがある。それも一匹ではない。弱っている。腹を空かせている。毒が体内で荒れている。

 

【発見】

≪System≫

荷車の搬入先を確認しました。

 

結果:北の古い狩場・裏処理場

 

判明情報:

危険肉は市場から北の古い狩場へ運ばれていました。

搬入先は、古い狩場の管理区域裏手にある処理場です。

処理場からは、市場の隠し燻製倉庫と同じ香辛料と毒肉の匂いがします。

建物内には、生きた毒獣の気配があります。

 

【行動選択】

≪System≫

次の行動を決定します。

 

出目:3

結果:生きた毒獣の匂いを追う*2

 

毒香は、荷車ではなく建物の奥へ意識を向けた。危険肉の箱も気になる。運び屋たちの会話も気になる。救命美食屋の香辛料も、おそらくこの処理場のどこかにある。

 

だが、それ以上に鼻の奥を刺す匂いがあった。

 

生きた毒獣。しかも、ただの毒獣ではない。腹を空かせ、毒を荒らし、身体の中から焼かれているような匂い。街道脇の黒い足跡と同じ、嫌な熱がある。

 

「中を見る」

 

毒香が言った。

 

「荷車じゃなくて?」

 

「獣がいる」

 

「危なくない?」

 

「危ない」

 

「じゃあ、なんでそっち?」

 

毒香は少し黙った。荷車を見張る方が安全だ。危険肉の流通先を確認し、出入りする人数を数え、香辛料の保管場所を探す。それが合理的な手順だ。

 

だが、毒香の中では別のものが鳴っていた。あの毒獣の匂いは、危険肉と同じ匂いを含んでいる。つまり、処理場の中にいる獣は、ただ捕まっているだけではない。危険肉を食べさせられているか、危険肉の原料にされているか、あるいはその両方だ。

 

「肉の理由が分かるかもしれない」

 

「肉の理由?」

 

「なんで毒獣が増えてるのか。なんで死肉が出るのか。なんで香辛料で誤魔化してるのか」

 

毒香は処理場の壁沿いを見る。裏口には人がいる。正面から入るのは無理だ。だが、建物の側面には小さな換気窓がある。そこから煙と獣の匂いが漏れている。

 

あそこなら、匂いを辿れる。

 

【判定】

≪System≫

生きた毒獣の匂いを追い、処理場内部の位置を探ります。

 

難度:50

判定項目:感覚

基礎値:88

補正:毒獣の匂いが濃い+10

補正:処理場の煙と血臭−10

補正:危険肉との共通臭を把握済み+10

最終値:98

 

判定方式:

1D98を振り、出目が難度50以上なら成功。

難度の2倍、100以上なら大成功。

難度の5分の1、10以下なら大失敗。

 

出目:10

結果:大失敗

 

毒香は換気窓の下で息を吸った。

 

血の匂い。毒の匂い。煙の匂い。焼けた脂の匂い。腐りかけた肉の匂い。鎖の鉄臭。床に染みた獣の体液。そこに、香辛料が乱暴に重ねられている。

 

濃い。

 

濃すぎる。

 

毒香の感覚は優れている。だが、優れているからこそ、処理場の中に詰め込まれた匂いの全てが一斉に流れ込んできた。

 

生きた毒獣の位置を探るつもりだった。だが、鼻が拾ったのは位置ではない。飢え、苦痛、毒、恐怖、肉を焼かれる匂い、死肉を食わされた獣の胃の匂い、腐りかけの餌に香辛料をまぶし、無理やり食わせた後の吐き戻しの匂い。

 

毒香の喉が鳴った。吐き気ではない。空腹でもない。その両方に似た、もっと悪いものだった。

 

「毒香?」

 

食運の怪物が小声で呼ぶ。

 

毒香は答えない。答えられなかった。

 

処理場の奥で、鎖が鳴る。一度。二度。次の瞬間、建物の内側から、低い唸り声が響いた。

 

それは、威嚇ではなかった。発見の声だった。

 

毒香は目を見開く。

 

嗅がれた。

 

こちらが匂いを辿ろうとしたのと同じように、向こうも毒香の匂いを辿ったのだ。処理場の中にいる毒獣は、ただ弱っているだけではない。毒と飢えで感覚が狂い、餌の匂いにも、毒の匂いにも、異常に敏感になっている。

 

そして毒香は、毒食材に近い匂いをしている。

 

「まずい」

 

毒香が言った。

 

「え?」

 

「見つかった」

 

直後、処理場の中で何かが暴れた。鎖が軋む。木箱が倒れる。男たちの怒鳴り声が上がる。

 

「押さえろ!」

 

「また暴れやがった!」

 

「餌を入れろ、餌!」

 

「駄目だ、そっちじゃねえ!」

 

重いものが壁に叩きつけられた。毒香の目の前の壁が、内側から震える。換気窓の隙間から、黒い煙ではないものが漏れた。

 

毒気だ。

 

草を黒く変色させていたものと同じ、荒れた毒の息。

 

毒香は反射的に口元を袖で覆った。だが遅い。ほんのわずかに吸っただけで、喉が焼ける。肩が重くなる。視界の端が滲む。

 

耐久は低い。この量でも危ない。

 

「毒香!」

 

食運の怪物が毒香の腕を掴んだ。引かれる。足が一歩遅れる。毒香は保存カプセルを押さえながら、壁から離れた。

 

その瞬間、換気窓の格子が内側から歪んだ。黒い爪が見えた。三本爪。街道脇の足跡と同じ形。だが、サイズが違う。

 

大きい。

 

処理場の中から、毒獣の片目が覗いた。血走った黄色い目。瞳孔は細く、焦点が合っていない。飢え、毒、苦痛、怒り。それらが混ざって、目そのものが煮えているようだった。

 

毒獣は、毒香を見た。いや、嗅いだ。そして、笑うように牙を剥いた。

 

「逃げるよ!」

 

食運の怪物が叫ぶ。

 

毒香は頷くより先に身体を動かした。だが、吸った毒気が足を鈍らせる。速度はある。普段なら逃げ切れる。だが今は、喉が焼け、胸が重い。

 

処理場の裏口が開いた。

 

男が一人飛び出してくる。

 

「誰だ、そこにいるのは!」

 

毒香たちは完全に見つかった。

 

【大失敗効果】

≪System≫

生きた毒獣の匂いを探る判定に大失敗しました。

 

発生:

毒獣に毒香の存在を察知されました。

処理場内部で毒獣が暴れ始めました。

毒気が換気窓から漏れ、毒香が微量吸引しました。

処理場の人間にも存在を気づかれました。

 

状態変化:

毒香:軽度毒気吸引

次の逃走・回避判定に−10補正。

 

【行動選択】

≪System≫

次の対応を決定します。

 

出目:3

結果:男に嘘をついて誤魔化す*3

 

裏口から出てきた男は、腰の包丁に手をかけていた。肉切り用だ。人を斬るためのものではない。だが、刃渡りも厚みも十分にある。毒香の耐久なら、一度でもまともに受ければ終わる。

 

逃げるべきだった。そう判断するだけの理性はある。

 

だが、足が重い。吸い込んだ毒気が喉と胸に残っている。今走れば逃げ切れるかもしれない。けれど、逃げれば完全に敵になる。処理場の場所も、荷車の出入りも、こちらが嗅ぎ回っていたことも全部知られる。

 

だから毒香は、逃げなかった。

 

代わりに、男の方を見た。

 

「誰だ、そこにいるのは!」

 

男が怒鳴る。

 

毒香は一瞬だけ黙った。嘘を考える。得意ではない。知識も足りない。相手の組織名も、ここで使われている隠語も知らない。

 

だが、匂いは知っている。

 

肉の匂い。香辛料の匂い。毒気の匂い。男の服に染みついた処理場の匂い。そして、今この場で一番強い匂い。暴れている毒獣の匂い。

 

「納品確認」

 

毒香は小さく言った。

 

男の目が細くなる。

 

「は?」

 

「市場から来た。肉が暴れてる匂いがした」

 

「市場だと?」

 

「帳面の男に言われた」

 

嘘ではない。帳面の男は確かにいた。言われたわけではないが、存在はしている。

 

食運の怪物が隣で一瞬だけ毒香を見る。

 

毒香は続けた。

 

「毒が荒れてる。香辛料が足りない。あのままだと肉が駄目になる」

 

男の表情が変わった。敵意が消えたわけではない。だが、怒りの中に迷いが混じる。

 

効いている。

 

この処理場の者たちは、肉を売っている。危険肉でも、毒抜き不完全でも、売れなければ意味がない。肉が駄目になる、という言葉は脅しになる。

 

中で、鎖がまた鳴った。

 

毒獣が吠える。処理場の壁が震える。男は反射的に中を振り返った。

 

「……誰から聞いた」

 

「小袋」

 

毒香は言った。

 

「香辛料の小袋を渡された。残りが少ないって」

 

それも嘘ではない。見ただけだ。だが、男はその事実を知らない。男の警戒がさらに揺れた。

 

食運の怪物が、そこで小さく一歩前に出た。

 

「えっと、私たち、急いだ方がいいと思うよ?」

 

男が彼女を見る。

 

「中の子、すごく苦しそうだし」

 

「子?」

 

「獣のこと。あのままだと、たぶん壁壊すよ」

 

軽い声だった。けれど、なぜか間がよかった。その瞬間、処理場の内側から轟音が響いた。何かが壁に叩きつけられ、換気窓の格子がさらに歪む。毒気がまた漏れた。

 

男の顔色が変わる。

 

偶然か。食運か。

 

毒香には分からない。だが、今の一言で、嘘に形ができた。

 

【判定】

≪System≫

男に嘘をついて、その場を誤魔化します。

 

難度:55

判定項目:精神

基礎値:59

補正:毒気吸引による不調−10

補正:処理場の匂いを把握している+10

補正:食運の怪物の間の良い助言+15

補正:嘘が苦手−5

最終値:69

 

判定方式:

1D69を振り、出目が難度55以上なら成功。

難度の2倍、110以上なら大成功。

難度の5分の1、11以下なら大失敗。

 

出目:22

結果:失敗

 

男の表情は揺れた。

 

毒香の言葉は、完全な的外れではなかった。香辛料の小袋。暴れている毒獣。肉が駄目になるという警告。どれも、処理場の内側を知らなければ出てこない言葉だ。

 

だが、足りなかった。

 

毒香の声は小さく、呼吸は乱れている。毒気を吸った影響で、喉がわずかに焼けている。言葉を重ねるほど、嘘の形が崩れていく。

 

男の目が細くなった。

 

「お前ら、市場の人間じゃねえな」

 

毒香は黙った。

 

「帳面の男に言われた? 誰だよ。名前を言え」

 

毒香は答えられない。名前を知らない。匂いは覚えた。靴音も、汗も、帳面の革の匂いも覚えた。だが、名前は知らない。知識が足りない。情報が足りない。嘘を通すには、決定的に足りない。

 

食運の怪物が一歩前に出ようとする。

 

「えっと、その、名前は――」

 

「黙ってろ」

 

男の手が包丁の柄を握った。

 

空気が変わる。

 

交渉は終わった。

 

まだ男は叫んでいない。まだ処理場の全員を呼んではいない。毒獣が暴れているせいで、中の者たちはそちらに手を取られている。

 

だから、時間は稼げた。ほんの少しだけ。だが、疑いは晴れなかった。

 

【失敗効果】

≪System≫

嘘による誤魔化しに失敗しました。

 

効果:

男の疑いは晴れませんでした。

ただし、処理場内の毒獣が暴れているため、即座に全員を呼ばれることはありません。

短時間の猶予を獲得しました。

 

【行動選択】

≪System≫

次の対応を決定します。

 

出目:1

結果:即座に逃げる*4

 

毒香は、迷うのをやめた。誤魔化しは失敗した。男は疑っている。処理場の中では毒獣が暴れている。毒気を吸ったせいで喉は焼け、胸は重い。

 

ここで粘れば、もっと情報は取れるかもしれない。だが、死ぬかもしれない。

 

毒香は死にたいわけではない。食べたいものがある。追いたい味がある。覚えた匂いがある。なら、今選ぶべきは一つだった。

 

逃げる。

 

「走る」

 

毒香が言った。

 

「うん!」

 

食運の怪物は、返事と同時に動いた。

 

男が包丁を抜く。だが、一瞬遅い。毒香は保存カプセルを抱え込み、地面を蹴った。普段なら、その一歩だけで距離を取れる。速度90。毒香の数少ない、はっきりとした武器だ。

 

だが、今回は肺が重い。毒気が足を鈍らせる。喉が焼ける。息を吸うたびに、胸の奥で熱がざらつく。

 

それでも走るしかない。

 

【判定】

≪System≫

処理場から即座に逃走します。

 

難度:50

判定項目:速度

基礎値:90

補正:毒気吸引による不調−10

補正:森へ逃げ込める地形+10

補正:敵側が処理場内の混乱で遅れている+5

最終値:95

 

判定方式:

1D95を振り、出目が難度50以上なら成功。

難度の2倍、100以上なら大成功。

難度の5分の1、10以下なら大失敗。

 

出目:28

結果:失敗

 

毒香は斜面を駆け上がろうとした。一歩目は速い。二歩目も悪くない。だが、三歩目で胸が詰まった。喉の奥に残った毒気が、呼吸に混ざって肺を焼く。足が鈍る。視界の端が黒く滲む。

 

普段なら抜けられた。毒気さえ吸っていなければ、男の投げた鉤も、裏口から出てきた声も、処理場の騒ぎもまとめて置き去りにできた。

 

だが、今は身体が重い。

 

「毒香!」

 

食運の怪物が振り返る。

 

「前見て」

 

毒香は短く言った。自分のせいで相手を止めるわけにはいかない。森に入れば隠れられる。あと少し。あと数歩。それだけで、視界は木々に遮られる。

 

その直前だった。

 

背後から、地面を這うような音がした。鉄の鎖。男が投げたのは、今度は鉤ではなかった。肉を吊るすための鎖だ。先端には重りがついている。毒香の足を狙って投げられたそれが、斜面の草を削りながら飛んでくる。

 

避ける。そう判断した時には、半歩遅かった。

 

鎖が足首に絡む。

 

「っ」

 

毒香の身体が前へ倒れる。咄嗟に保存カプセルを抱え込み、肩から地面へ転がった。土と枯れ草が口に入る。胸の痛みが跳ね、毒気で焼けた喉が咳を吐き出す。

 

保存カプセルは無事。

 

だが、逃走は止まった。

 

「捕まえた!」

 

男の声が背後から飛ぶ。

 

毒香は鎖を外そうとする。だが、指先が痺れて上手く動かない。毒気の影響だ。傷はない。けれど身体の反応が遅い。

 

食運の怪物が戻ろうとする。

 

「来るな」

 

毒香が言った。

 

「でも!」

 

「前に出るな」

 

男は包丁を抜き、こちらへ近づいてくる。さらに処理場の裏口から、もう一人出てきた。顔に布を巻いた男だ。中ではまだ毒獣が暴れている。だが、外の異物を放っておくほど余裕がないわけでもないらしい。

 

状況は悪い。

 

逃走失敗。足止め。敵二人。毒気吸引。処理場内の毒獣は暴走中。

 

だが、完全に詰んだわけではない。

 

鎖は足首に絡んでいるだけで、固定は甘い。男たちはまだ毒香を捕まえきっていない。食運の怪物は動ける。森は目の前にある。

 

そして、毒香の鼻は別の匂いを拾っていた。

 

処理場の内側から漏れた毒気が、斜面の枯れ草に触れている。草が黒く変色し、微かに煙を上げている。その匂いに、足元の鎖が反応していた。

 

鉄が軋む。毒に触れた金属が、わずかに脆くなっている。

 

毒香はそれを嗅ぎ取った。

 

まだ、切れる。

 

【失敗効果】

≪System≫

逃走判定に失敗しました。

 

発生:

毒香は森へ逃げ込む直前で鎖に足を取られました。

敵二人が接近中です。

食運の怪物はまだ自由に動けます。

処理場内では毒獣が暴走中です。

 

追加発見:

毒気によって鎖の金属がわずかに脆くなっています。

技術、速度、または食運を使えば、脱出できる可能性があります。

 

【行動選択】

≪System≫

次の対応を決定します。

 

出目:4

結果:毒気で脆くなった鎖を利用して切る*5

 

毒香は足首に絡んだ鎖を見た。重い。太い。まともに引き千切れるものではない。捕獲力34の毒香には無理だ。力任せに動けば、足首を痛めるだけで終わる。

 

だが、鎖は完全ではなかった。

 

処理場から漏れた毒気が、斜面の枯れ草を黒く変色させている。その毒を含んだ草汁が鎖に触れ、鉄の表面を鈍く変質させていた。普通なら見落とす。だが、毒香の鼻には分かる。

 

金属の匂いが、少しだけ死んでいる。

 

「何してるの、早く!」

 

食運の怪物が叫ぶ。

 

「切る」

 

「何を!?」

 

「鎖」

 

「切れるの!?」

 

「たぶん」

 

「たぶん多くない!?」

 

毒香は答えない。

 

敵の男たちが近づいてくる。包丁を持った男と、顔に布を巻いた男。距離は短い。時間はない。

 

毒香は保存カプセルを開いた。中には市場で拾った謎の燻製肉片が入っている。食べるためではない。匂いを追うための手がかりだ。

 

それを使うのは惜しい。だが、死ねば手がかりも何もない。

 

毒香は肉片を指先で摘まみ、黒く変色した草の上へ押しつけた。肉片に染み込んだ香辛料と解毒成分が、草に付着した荒れた毒気と混ざる。

 

じゅ、と小さな音がした。

 

【判定】

≪System≫

毒気で脆くなった鎖を利用し、足首の拘束を外します。

 

難度:45

判定項目:技術

基礎値:60

補正:毒気で鎖が脆くなっている+15

補正:感覚で脆い箇所を把握済み+10

補正:毒気吸引による指先の痺れ−10

補正:敵が接近中−10

最終値:65

 

判定方式:

1D65を振り、出目が難度45以上なら成功。

難度の2倍、90以上なら大成功。

難度の5分の1、9以下なら大失敗。

 

出目:5

結果:大失敗

 

鎖は切れなかった。

 

毒香は脆くなった箇所を嗅ぎ取り、そこへ肉片の香辛料と毒気を流そうとした。理屈は悪くなかった。毒は金属を弱らせている。救命美食屋の香辛料に似た成分は、荒れた毒を一瞬だけ丸める。そこへ力をかければ、鎖は歪むはずだった。

 

だが、指先が動かなかった。

 

毒気を吸った影響で痺れている。力加減がずれる。角度がずれる。肉片を押し当てる位置が、鎖の継ぎ目からほんの少し外れた。

 

じゅ、と音がした。

 

反応は起きた。だが、それは鎖ではなく、肉片の方だった。

 

「……あ」

 

毒香の指先で、謎の燻製肉片が黒く変色した。

 

焼ける。焦げる。香辛料の匂いが弾け、解毒成分が毒気とぶつかり、煙のように広がる。あの日の味に近かった匂いが、壊れていく。

 

毒香の目がわずかに見開かれた。

 

手が止まる。

 

止めてはいけない場面だった。敵が近い。鎖は足首に絡んだまま。毒気は肺に残っている。処理場の中では毒獣が暴れている。止まれば終わる。

 

それでも、毒香は一瞬だけ動けなかった。

 

肉片が崩れる。救われた味に繋がる手がかりが、指の間で炭のように砕ける。

 

「何やってんだ、お前」

 

包丁の男が近づいてくる。

 

毒香は反応できない。

 

食運の怪物が走った。

 

「毒香!」

 

彼女が毒香の腕を掴もうとする。その瞬間、処理場の中から獣の咆哮が響いた。先ほどとは違う。もっと近い。もっと激しい。

 

換気窓の奥で、黄色い目がぎらつく。毒獣が匂いを嗅いでいた。毒香の匂いではない。崩れた肉片。香辛料。解毒成分。毒気。それらが混ざった煙を、処理場の中の毒獣が嗅いだ。

 

反応した。

 

鎖が鳴る。壁が震える。男たちが振り返る。

 

「おい、また暴れるぞ!」

 

「何をした!」

 

包丁の男が怒鳴った。

 

毒香は崩れた肉片を見つめたまま、小さく言った。

 

「……餌の匂い」

 

「は?」

 

「それ、食べたがってる」

 

処理場の中で、さらに大きな音がした。何かが倒れる。鎖が切れかける音がする。壁板が内側から歪む。

 

毒獣は、毒香たちではなく、崩れた肉片の煙に反応している。つまり、処理場の中の毒獣はこの香辛料処理された肉を知っている。食べている。あるいは、食べさせられている。

 

謎の燻製肉片は失われた。だが、その代わりに、毒獣と危険肉の繋がりが確定した。

 

そんなもの、今この瞬間には何の慰めにもならないが。

 

包丁の男が毒香へ手を伸ばす。

 

「捕まえ――」

 

そこで、処理場の壁が割れた。

 

内側から、黒い爪が突き出した。三本爪。街道脇の足跡と同じ形。

 

壁板が裂け、毒気が噴き出す。包丁の男が悲鳴を上げて後ろへ跳んだ。顔に布を巻いた男も身を伏せる。

 

毒香の足首には、まだ鎖が絡んでいる。

 

だが、敵の手は一瞬止まった。

 

【大失敗効果】

≪System≫

鎖の解除判定に大失敗しました。

 

発生:

鎖の解除に失敗しました。

謎の燻製肉片が毒気と反応し、手がかりとしては失われました。

毒香は一瞬動揺しました。

敵がさらに接近しました。

 

追加発生:

崩れた肉片の香辛料と毒気に、処理場内の毒獣が強く反応しました。

毒獣が壁を破壊し始め、処理場内外が混乱しています。

 

確定情報:

毒獣は香辛料処理された危険肉に反応します。

毒獣と危険肉の繋がりが確定しました。

 

【行動選択】

≪System≫

次の対応を決定します。

 

出目:5

結果:保存カプセルを囮にして敵の注意を逸らす*6

 

毒香は保存カプセルを見た。

 

手放したくはない。

 

保存カプセルは、毒香にとってただの道具ではなかった。食材を守るためのもの。危険な毒を閉じ込めるためのもの。自分の未熟な調理や解体を補ってくれる、数少ない確かな装備だ。

 

だが、今この場で抱え込んでいても、逃げられなければ意味がない。

 

鎖は足首に絡んだまま。謎の燻製肉片は失われた。敵二人は近い。処理場の壁は、内側から毒獣に破られかけている。

 

必要なのは、時間だ。

 

毒香は保存カプセルの留め具に指をかけた。

 

「毒香?」

 

食運の怪物の声が揺れる。

 

「少し離れて」

 

「何するの?」

 

「囮」

 

「それ、大事なやつじゃないの?」

 

「大事」

 

「じゃあ――」

 

「でも、今は足の方が大事」

 

毒香は保存カプセルを開いた。中には、未登録香辛料の枝と、肉片の焦げた残り、微量の毒気を吸った空気がわずかに残っている。まともな食材とは言い難い。だが、この場にいる者たちにとっては十分すぎる匂いだった。

 

香辛料。毒。肉。解毒成分の残り。処理場の毒獣が反応しているものと、同じ方向の匂い。

 

毒香はカプセルを強く振った。

 

中の匂いが混ざる。濃くなる。

 

壁の向こうで、毒獣が吠えた。

 

包丁の男が顔を歪める。

 

「何を持ってる」

 

毒香は答えない。代わりに、保存カプセルを男たちの横、処理場の壁際へ投げた。

 

割らない。壊さない。ただ、転がす。

 

保存カプセルは地面を跳ね、黒く変色した草の上を転がり、処理場の割れかけた壁の近くで止まった。

 

瞬間、全員の視線がそちらへ向いた。

 

敵も。食運の怪物も。そして、壁の向こうの毒獣も。

 

「拾え!」

 

顔に布を巻いた男が叫んだ。

 

「駄目だ、近づくな!」

 

包丁の男が叫び返す。

 

毒獣が壁を叩く。木材が裂け、隙間から黒い爪が出る。保存カプセルの匂いに反応している。欲しがっている。食べ物だと思っているのか、毒だと思っているのか、それとも自分を狂わせた何かと同じ匂いを感じているのか。

 

毒香には分からない。だが、敵の注意は逸れた。

 

ほんの一瞬。

 

食運の怪物が動く。

 

【判定】

≪System≫

保存カプセルを囮にして注意を逸らし、その隙に鎖から脱出します。

 

難度:50

判定項目:食運

基礎値:60

補正:保存カプセルの匂いが毒獣を引きつけている+15

補正:敵の注意が逸れている+10

補正:食運の怪物が補助している+20

補正:毒香が毒気吸引中−10

補正:保存カプセル喪失リスク−5

最終値:90

 

判定方式:

1D90を振り、出目が難度50以上なら成功。

難度の2倍、100以上なら大成功。

難度の5分の1、10以下なら大失敗。

 

出目:45

結果:失敗

 

保存カプセルは、狙い通り囮になった。敵の視線が逸れる。毒獣の意識も逸れる。処理場の壁の向こうで、重い身体がカプセルの方へ寄る気配がした。木材が軋み、黒い爪が壁をさらに引き裂く。

 

食運の怪物は、その隙に毒香の足元へ手を伸ばした。

 

「ここだよね?」

 

「うん。黒いところ」

 

「分かった。引っ張るよ」

 

「待って。角度――」

 

言い終える前に、彼女は鎖を引いた。

 

悪くはない。むしろ、普通なら上手い偶然だった。食運の怪物の指は、毒香が示した脆い箇所を正確に掴んでいる。敵の視線も、処理場の騒音に紛れてこちらから外れている。逃げるには十分な条件が揃っていた。

 

だが、足りなかった。

 

鎖は完全には外れない。毒気で脆くなっていたのは表面だけだった。芯までは死んでいない。食運の怪物が力をかけると、金属は嫌な音を立てて歪んだが、切れはしなかった。

 

毒香の足首に痛みが走る。

 

「っ」

 

「ごめん!」

 

「続けて」

 

「でも、痛そう」

 

「痛いだけ」

 

それより悪いことがあった。

 

保存カプセルが、壁際で止まっている。毒獣はそれを欲しがっている。敵もそれを見ている。カプセルを取り戻すには、もう一度そちらへ近づく必要がある。

 

つまり、囮には成功した。だが、脱出には失敗した。中途半端な成功が、状況をさらに複雑にした。

 

包丁の男が顔を上げる。

 

「おい、あのカプセルを取れ!」

 

顔に布を巻いた男が壁際へ走ろうとする。

 

その瞬間、処理場の壁がさらに割れた。

 

毒獣の爪が外へ出る。次いで、鼻先が見えた。黒く濡れた鼻。毒で焼けた毛並み。血走った片目。壁の隙間から漏れる息だけで、周囲の草が黒くなる。

 

毒獣は保存カプセルを見ている。いや、嗅いでいる。そこに残った未登録香辛料の枝と、焦げた肉片の残りと、毒気の混ざった匂いを。

 

毒香は理解した。

 

このままでは、保存カプセルを取られる。敵にではない。毒獣に。

 

食運の怪物が鎖を握ったまま、毒香を見る。

 

「どうする?」

 

毒香は答えようとした。だが、その前に、処理場の奥から別の声がした。

 

「下がれ! そいつに餌を見せるな!」

 

その声は、男たちのものではなかった。

 

低く、荒く、どこか聞き覚えのある響き。毒香の背筋がわずかに震えた。

 

完全に同じではない。記憶よりも少し掠れている。少し老いている。だが、声の芯が似ていた。

 

隔壁を壊した時の声。

 

「どけ」と言った声。

 

干し肉を押しつけた声。

 

処理場の奥に、誰かがいる。

 

【失敗効果】

≪System≫

保存カプセルを囮にした脱出判定に失敗しました。

 

発生:

敵と毒獣の注意を逸らすことには成功しました。

しかし、鎖からの完全脱出には失敗しました。

鎖は歪みましたが、まだ足首に絡んでいます。

 

追加発生:

処理場の奥から、救命美食屋に似た声が聞こえました。

 

【行動選択】

≪System≫

次の行動を決定します。

 

出目:3

結果:食運の怪物に保存カプセルを回収させる*7

 

毒香は保存カプセルを見た。

 

壁際。毒獣の爪のすぐ近く。敵の男たちもそれを狙っている。自分の足にはまだ鎖が絡んでいる。毒気を吸ったせいで、立ち上がるだけでも遅れる。

 

毒香が取りに行けば、間に合わない。

 

だから、毒香は隣を見た。

 

「取って」

 

食運の怪物が目を丸くする。

 

「私が?」

 

「うん」

 

「大事なやつだよね?」

 

「大事」

 

「任せていいの?」

 

「今は、君の方が近い」

 

「責任重大だね」

 

「落とすな」

 

「それはちょっと分かんない」

 

「分かって」

 

食運の怪物は笑った。こんな状況で笑える理由が、毒香には分からない。敵がいる。毒獣がいる。処理場の壁は破れかけている。保存カプセルは今にも奪われるかもしれない。

 

けれど、彼女は笑っていた。

 

怖がっていないわけではない。手は少し震えている。けれど、目は逸らしていない。

 

「じゃあ、行くね」

 

「うん」

 

「毒香は動かないで」

 

「動けない」

 

「知ってる」

 

食運の怪物は軽く地面を蹴った。

 

その動きは、美食屋として鍛え抜かれたものではなかった。少なくとも、毒香にはそう見えた。無駄はある。隙もある。速度そのものも、毒香ほどではない。

 

だが、間が良い。

 

包丁の男が保存カプセルへ手を伸ばした瞬間、処理場の壁が内側からもう一度叩かれた。男は反射的に身を引く。顔に布を巻いた男がカプセルへ走ろうとした瞬間、足元の黒く変色した草が崩れて滑る。

 

食運の怪物は、その隙間をすり抜けた。

 

敵が動こうとすると、毒獣が吠える。毒獣が爪を伸ばすと、ちょうど壁の破片が落ちて進路を塞ぐ。

 

偶然。偶然。また偶然。

 

それらが重なって、一本の道ができる。

 

【判定修正】

≪System≫

食運の怪物は、食運判定の基礎値を最低95として扱います。

 

基礎値:95

 

【判定】

≪System≫

食運の怪物が保存カプセルを回収します。

 

難度:45

判定項目:食運

基礎値:95

補正:食運の怪物+20

補正:敵と毒獣の注意が分散している+10

補正:毒獣が保存カプセルに反応中−10

補正:足場が毒気で悪化−5

最終値:110

 

判定方式:

1D110を振り、出目が難度45以上なら成功。

難度の2倍、90以上なら大成功。

難度の5分の1、9以下なら大失敗。

 

出目:1

結果:大失敗

 

食運の怪物は、保存カプセルへ手を伸ばした。

 

届く。

 

毒香には、そう見えた。

 

敵の足は止まっている。毒獣の爪は壁の裂け目に引っかかっている。保存カプセルは、ほんの少し転がれば彼女の指先に収まる位置にある。

 

普通なら取れた。普通なら、そこで終わった。

 

だが、彼女は普通ではなかった。

 

食運の怪物。食材の方から寄ってくる女。偶然が、食欲のために道を曲げるような存在。だからこそ、この場で一番強い食材の縁を引いた。

 

それは保存カプセルではなかった。

 

処理場の奥。壁の向こう。鎖に繋がれ、毒で荒れ、危険肉を食わされ続けた毒獣。そして、その毒獣のさらに奥にあるもの。

 

「え?」

 

食運の怪物が、保存カプセルを掴む直前に足を滑らせた。黒く変色した草が崩れたのだ。彼女の身体が前へ傾く。手が保存カプセルをかすめる。保存カプセルは指先に弾かれ、壁の裂け目の方へ転がった。

 

「っ」

 

毒香の喉が詰まる。

 

カプセルが壁の隙間へ吸い込まれる。毒獣の爪がそれを追う。

 

包丁の男が叫ぶ。

 

「馬鹿、そっちは――!」

 

その言葉は最後まで続かなかった。

 

保存カプセルが、処理場の内側へ落ちた。

 

かん、と硬い音が響く。

 

次の瞬間、処理場の中の空気が変わった。

 

毒獣の咆哮が止まる。男たちの声も止まる。一瞬だけ、すべての音が消えた。

 

毒香は息を止めた。

 

鼻が拾う。

 

保存カプセルの中身。未登録香辛料の枝。焦げた肉片の残り。毒気。そして、処理場の奥にあった別の匂い。

 

隠されていた。

 

肉と煙と腐敗と毒で覆い隠されていた、古い香辛料の匂い。あの日の味。救われた味。その中心にある匂い。

 

食運の怪物は、保存カプセルの回収には失敗した。

 

だが、保存カプセルは処理場の奥へ転がり、隠されていた香辛料の保管場所にぶつかった。袋が破れたのだ。

 

換気窓から、強烈な香りが漏れる。

 

苦い。温かい。毒を丸める。肉を生かす。

 

あの日、毒香が死にかけた時に口に押し込まれた干し肉。その奥にあった香辛料と、同じ匂い。

 

毒香の目が見開かれる。

 

「……それ」

 

処理場の奥で、低い声がした。

 

「誰だ」

 

その声は、さっき聞こえたものと同じだった。

 

掠れている。荒れている。けれど、記憶の奥にある声と重なる。

 

「その匂いを、外から持ってきたのは」

 

壁の向こうで、誰かが動く。毒獣ではない。人間だ。鎖の音ではない。足音。重いが、安定している。獣を押さえる者の足音。肉を扱う者の足音。

 

毒香は声を出そうとした。だが、喉が焼けている。毒気を吸ったせいで、声が上手く出ない。

 

食運の怪物は地面に手をついたまま、呆然としていた。

 

「ご、ごめん。取れなかった」

 

「……違う」

 

毒香はかすれた声で言った。

 

「当てた」

 

「何を?」

 

「中心」

 

保存カプセルは失われた。少なくとも、今すぐ手元にはない。

 

だが、その代わりに、処理場の奥に隠されていた救命美食屋の香辛料が露出した。さらに、声の主がこちらに反応した。

 

食運の怪物は、保存カプセルを回収する判定に大失敗した。

 

だが、食運そのものは怪物だった。

 

失敗の形で、物語の核心を引きずり出した。

 

【大失敗効果】

≪System≫

食運の怪物による保存カプセル回収判定に大失敗しました。

 

発生:

保存カプセルの回収に失敗しました。

保存カプセルは処理場内部へ転がり込みました。

毒香は保存カプセルを一時喪失しました。

 

追加発生:

保存カプセルが処理場奥の香辛料保管袋に接触しました。

袋が破れ、救命美食屋の香辛料と同系統の匂いが外へ漏れました。

処理場奥にいた声の主が、毒香たちに反応しました。

 

【行動選択】

≪System≫

次の行動を決定します。

 

出目:3

結果:保存カプセルを取り戻すため処理場内へ入る*8

 

毒香は、処理場の壁の裂け目を見た。

 

保存カプセルは中に落ちた。未登録香辛料の枝も、焦げた肉片の残りも、毒気を含んだ空気も、その中にある。失えば、ここまで追ってきた手がかりの多くが消える。

 

取り戻す。

 

そう決めるのに、時間はかからなかった。

 

「中に行く」

 

毒香が言った。

 

食運の怪物が、信じられないものを見る顔をした。

 

「えっ、今?」

 

「今」

 

「足に鎖ついてるよ?」

 

「ついてる」

 

「毒吸ってるよ?」

 

「吸った」

 

「毒獣いるよ?」

 

「いる」

 

「じゃあ、なんで行くの!?」

 

毒香は壁の裂け目から漏れる香辛料の匂いを嗅いだ。苦く、温かく、毒を丸める匂い。救われた味の中心にあったもの。それが、中にある。

 

「カプセルがある」

 

「それだけ!?」

 

「あと、匂い」

 

「もっと駄目な理由が増えた!」

 

毒香は返事をしない。鎖を引きずりながら身体を起こす。足首が痛い。金属が地面を擦る音がする。毒気で喉は焼けている。まともに走れる状態ではない。

 

それでも、進むなら今しかない。

 

毒獣は香辛料の匂いで一時的に止まっている。敵二人は混乱している。声の主は処理場の奥からこちらに反応している。全部が危険で、全部が情報だ。

 

処理場の中から、低い声がまた響いた。

 

「外にいる奴。入る気なら、息を止めろ。三呼吸で倒れるぞ」

 

その声に、包丁の男が振り返る。

 

「おい、余計なことを――」

 

「黙れ」

 

声の主が言った。

 

一言で、男が黙った。

 

毒香は壁の裂け目を見る。中は暗い。だが、匂いははっきりしている。保存カプセル。香辛料。毒獣。血。声の主。全部、中にある。

 

「三呼吸」

 

毒香は呟いた。

 

「それ以上は?」

 

「倒れるって」

 

食運の怪物が青ざめる。

 

毒香は頷いた。

 

「なら、二呼吸で戻る」

 

「戻れるかな!?」

 

「たぶん」

 

「そのたぶん、信用できない!」

 

毒香は鎖を持ち上げ、壁の裂け目へ足をかけた。

 

【判定】

≪System≫

鎖を引きずったまま、毒気の濃い処理場内部へ侵入します。

 

難度:60

判定項目:速度

基礎値:90

補正:足首に鎖−15

補正:軽度毒気吸引−10

補正:壁の裂け目が狭い−10

補正:保存カプセルの匂いを把握済み+10

補正:声の主の助言+10

最終値:75

 

判定方式:

1D75を振り、出目が難度60以上なら成功。

難度の2倍、120以上なら大成功。

難度の5分の1、12以下なら大失敗。

 

出目:73

結果:成功

 

毒香は息を止めた。

 

一呼吸目は、もう使っている。壁の裂け目に身体を滑り込ませた瞬間、濃い毒気が肌を撫でた。喉が反射的に空気を求める。だが吸わない。吸えば倒れる。

 

鎖が足首で鳴った。

 

壁の裂け目に引っかかる。毒香は身体を捻り、鎖を片手で持ち上げた。重い。足首が痛む。だが、通れる。

 

処理場の中は、外から見たよりもずっと暗かった。肉を焼く炉。吊るされた肉塊。黒く変色した床。倒れた木箱。破れた香辛料袋。飛び散った血。壁際には、鎖で繋がれた毒獣がいる。

 

大きい。

 

街道で見た足跡の主だ。三本爪。焼けたように黒ずんだ毛並み。皮膚の下で毒が脈打ち、呼吸のたびに草を枯らすような毒気が漏れる。黄色い目は焦点が合っていない。だが、保存カプセルだけは見ていた。

 

毒香は毒獣を見ないようにした。

 

見れば足が止まる。

 

今見るべきは、保存カプセルだ。

 

カプセルは破れた香辛料袋の上に転がっていた。袋の中身は床に散らばっている。粉末ではない。砕いた木の皮、乾いた実、黒い種、赤茶色の繊維。複数の香辛料を混ぜたものだ。

 

その匂いは、毒香の記憶を殴った。

 

あの日の干し肉。喉を焼く毒。それを丸める温かい苦み。命を繋いだ味。

 

毒香は一瞬だけ目を細める。

 

だが、止まらない。

 

二呼吸目。

 

毒香は床を蹴った。

 

鎖が音を立てる。包丁の男が外から何かを叫ぶ。食運の怪物の声も聞こえた。だが、言葉としては入ってこない。

 

保存カプセルへ手を伸ばす。

 

掴む。

 

重みが戻る。

 

毒香の指が、カプセルの表面を確かめた。傷はある。だが割れていない。中身も完全には漏れていない。

 

取り戻した。

 

その瞬間、毒獣が動いた。

 

鎖が鳴る。黄色い目が、毒香を見る。いや、毒香ではない。毒香の手に戻った保存カプセルを見ている。

 

毒獣の口が開いた。牙の隙間から、黒い毒気が漏れる。飢えと苦痛と食欲が混ざった匂いが、床を這うように広がった。

 

毒香は三呼吸目を吸いそうになった。

 

まずい。

 

吸えば倒れる。

 

その時、処理場の奥から手が伸びた。

 

太い腕だった。傷だらけの腕。古い噛み跡。焼け跡。毒に焼かれた痕。どれも、何かを捕り、何かを食い、何かを生き延びてきた証のように見えた。

 

その腕が、毒獣の首元の鎖を掴む。

 

「伏せろ」

 

低い声が言った。

 

毒香は反射で伏せた。

 

次の瞬間、毒獣の頭が床へ叩きつけられた。

 

轟音。

 

床板が割れ、香辛料が舞い、毒気が一瞬だけ天井へ押し上げられる。足元を這っていた黒い煙が裂け、毒香の周囲にわずかな空気の隙間ができた。

 

「今のうちに吸え。浅くな」

 

低い声が言った。

 

毒香は、焼けるような空気をほんの少しだけ吸った。

 

声の主が、毒香を見た。

 

薄暗がりの中、顔はまだよく見えない。だが、腕は覚えている。声も覚えている。匂いも覚えている。

 

肉。火。古い旅。そして、腹が減る匂い。

 

「お前」

 

声の主が言った。

 

「そのカプセル、どこで拾った」

 

毒香は答えようとした。

 

だが、喉が焼けている。毒気で声が出ない。

 

代わりに、保存カプセルを抱え込んだまま、毒香は相手を見た。

 

記憶よりも老いている。記憶よりも傷が増えている。けれど、その声は同じだった。

 

【成功効果】

≪System≫

処理場内部への侵入に成功しました。

 

成功:

毒香は処理場内部へ侵入しました。

保存カプセルを回収しました。

処理場奥の香辛料保管袋を直接確認しました。

救命美食屋と同じ匂いを持つ人物と接触しました。

 

状態:

毒香:軽度毒気吸引継続

毒香:足首に鎖

毒香:保存カプセル回収成功

毒獣:一時的に制圧

食運の怪物:外に残っている

敵二人:外側で混乱中

声の主:毒獣を制圧し、毒香に接触

 

*1

1:荷車を最後まで追い、搬入先を確認する

2:毒獣の足跡を調べる

3:裏道を先回りする

4:食運の怪物に危険な気配を確認させる

5:一度距離を取り、夜まで待つ

6:保存カプセルで土や草のサンプルを採取する

*2

1:処理場を見張る

2:裏口から忍び込む

3:生きた毒獣の匂いを追う

4:荷車の木箱を調べる

5:食運の怪物に直感を聞く

6:一度引いて周辺地形を確認する

*3

1:即座に逃げる

2:食運の怪物を逃がして自分が囮になる

3:男に嘘をついて誤魔化す

4:保存カプセルで漏れた毒気を採取する

5:毒獣をさらに刺激して処理場内を混乱させる

6:その場で倒れ込んだふりをする

*4

1:即座に逃げる

2:男を突き飛ばして裏口へ入る

3:食運の怪物に任せる

4:保存カプセルの肉片を見せて取引を持ちかける

5:毒獣の暴走を利用して男を脅す

6:倒れたふりをして隙を作る

*5

1:鎖を外して逃げる

2:食運の怪物に助けを求める

3:敵に保存カプセルを投げつける

4:毒気で脆くなった鎖を利用して切る

5:毒獣の暴走方向へ敵を誘導する

6:観念したふりをする

*6

1:食運の怪物に鎖を外してもらう

2:鎖をつけたまま這って逃げる

3:毒獣が壁を破るのを待って混乱に乗じる

4:敵に「このままだと毒獣が出る」と叫ぶ

5:保存カプセルを囮にして敵の注意を逸らす

6:足首を痛める覚悟で無理やり引き抜く

*7

1:声の主に向かって叫ぶ

2:保存カプセルを諦めて鎖を外すことに集中する

3:食運の怪物に保存カプセルを回収させる

4:毒獣に保存カプセルを奪わせて混乱を拡大する

5:敵より先に保存カプセルへ這って向かう

6:処理場の壁が破れるまで耐える

*8

1:声の主に「毒香」と名乗る

2:食運の怪物に鎖を外してもらう

3:保存カプセルを取り戻すため処理場内へ入る

4:毒獣が止まった隙に敵から逃げる

5:香辛料の匂いを頼りに声の主を確認する

6:敵に声の主の正体を聞く




【今回の主な出来事】

・荷車追跡に大成功
・北の古い狩場への裏道を発見
・毒獣の異常化の痕跡を確認
・裏処理場を発見
・生きた毒獣の匂いを追って大失敗
・毒獣と処理場の男たちに発見される
・嘘で誤魔化そうとして失敗
・逃走に失敗し、鎖で足止めされる
・鎖解除に大失敗し、謎の燻製肉片を喪失
・保存カプセルを囮にするが脱出失敗
・食運の怪物の大失敗で、逆に処理場奥の香辛料袋が露出
・毒香が処理場内部へ侵入
・保存カプセルを回収
・救命美食屋らしき人物と接触

【現在の毒香】

軽度毒気吸引中。
足首に鎖。
保存カプセルは回収済み。
謎の燻製肉片は喪失。
ただし、救命美食屋の香辛料と同系統の匂いを確認。

【次回】

第4話 毒を旨味に変えるもの
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