「……教えてやるよ」
低い声。
怒りと。
苛立ちと。
そして、理解不能への激情が滲んでいる。
「テメェと俺の差をなァ……!!」
カチッ。
爆豪が、籠手の安全装置を完全に解除した。
次の瞬間。
出久の個性『五感強化』が、絶叫じみた警鐘を鳴らす。
危険。
今までとは桁が違う。
汗腺。
筋肉。
呼吸。
全部が、一気に“爆発”へ集中していく。
「っ……!」
出久の顔色が変わった。
ヤバい。
避けないと。
だが。
狭い。
通路が。
距離が近すぎる。
「死ねやァァァァァッ!!!」
ドォォォォォォンッッッ!!!!!!
閃光。
轟音。
直後、廊下そのものが爆発した。
「——ッ!!?」
出久の視界が、白く塗り潰される。
壁が吹き飛ぶ。
床が砕ける。
コンクリート片が暴風みたいに乱れ飛んだ。
熱。
衝撃。
圧力。
閉所で放たれた超火力の爆風が、通路を丸ごと呑み込む。
まるで、小型の砲撃だった。
ズガァァァァァンッ!!!!
訓練場全体が揺れる。
非常灯が明滅し、天井から粉塵が降り注ぐ。
モニタールーム。
「うわっ!?」
「な、何あれ!?」
「廊下消し飛んだぞ!?」
生徒たちが一斉にどよめいた。
モニターへ映るのは、崩壊した通路。
爆煙。
瓦礫。
そして、爆心地を中心に抉れたコンクリート。
切島が目を剥く。
「おいおいおい!? 訓練だろこれ!?」
「爆豪君やり過ぎじゃない!?」
八百万も顔を青くする。
上鳴などは完全に引いていた。
「いや洒落になってねぇって……!」
一方。
オールマイトの表情からは、完全に笑みが消えていた。
「……爆豪少年」
低い声。
普段の陽気さが消え、教師としての厳しさだけが残っている。
モニター越しに、爆煙の中の爆豪を見据える。
「次、それを使えば失格とするよ」
室内が静まり返った。
オールマイトは続ける。
「拠点である建物を崩壊させかねない攻撃なんて下策も下策、よく考えて行動したまえ」
「……チッ」
爆豪が、露骨に舌打ちした。
苛立っている。
今すぐもう一発叩き込みたい。
その衝動が、顔にそのまま出ていた。
だが。
「……分ァってるよ」
不機嫌極まりない声ではあったが、爆豪は籠手から指を離した。
オールマイトの制止には従う。
少なくとも、“失格”になるほど理性を飛ばしてはいない。
その点だけは、ヒーロー科としての最低限の線を守っていた。
瓦礫の向こう。
出久は、荒い呼吸を繰り返している。
「はぁ……っ、はぁ……!」
肺が痛い。
耳鳴りがする。
右腕も、もう感覚が曖昧だった。
個性『五感強化』が、逆に爆発の衝撃を鮮明に拾ってしまったせいで、脳が悲鳴を上げている。
それでも。
立たなければ。
「……っ」
出久が、ふらつきながら構え直した瞬間。
爆豪の姿が、消えた。
「——え」
ドンッ!!
爆発。
直後、横合いから衝撃が叩き込まれる。
「がっ!?」
出久の身体が、壁へ激突した。
肺から空気が抜ける。
速い。
さっきまでと比べ物にならない。
「砲撃駄目ならよォ」
爆豪の声。
すぐ近く。
「普通に潰しゃいいだけだろ」
ドォンッ!!
再び爆破。
爆風を推進力へ変え、爆豪が一瞬で距離を詰める。
低空機動。
壁蹴り。
方向転換。
狭い通路を、まるで立体機動みたいに飛び回っていた。
出久の個性『五感強化』は、確かに爆豪の動きを捉えている。
だが。
身体が追いつかない。
「っ!」
右。
来る。
分かる。
なのに。
パァンッ!!
「ぐぁっ!」
爆豪の蹴りが脇腹へ突き刺さる。
出久が床を転がった。
痛い。
速い。
そして何より、動きに迷いがない。
爆豪勝己は、“戦闘”へ慣れ過ぎていた。
爆破で加速。
爆風で制動。
瞬間的な方向転換。
着地と同時の次動作。
全部が繋がっている。
考えて動いているというより、“身体に染み付いている”。
モニタールームでも、生徒たちが息を呑んでいた。
相澤は腕を組みながら、静かにモニターを見つめていた。
「……爆豪は元々センスが高い」
一拍。
「自分の個性を、戦闘機動として完全に使い慣れてる」
それは、単純な火力だけではない。
個性を使うタイミング。
姿勢制御。
視線誘導。
全部が洗練されている。
対して。
「緑谷は逆だな」
相澤の目が細まる。
「個性の出力自体は高い。だが、扱いが荒い」
経験不足。
習熟不足。
そして。
“急造”。
出久の戦い方には、どこか不自然な歪さがあった。
まるで。
短期間で無理やり戦闘技術だけ詰め込まれたみたいな。
その頃。
「どうしたァ!!」
爆豪が、爆風で天井近くまで跳ね上がる。
そして。
ドォンッ!!
真上から急降下。
「避けろやァ!!」
「っ!!」
出久は咄嗟に骨槍を展開した。
ズガァンッ!!
爆発が骨へ叩きつけられる。
白い骨片が弾け飛んだ。
衝撃。
熱。
出久の身体が床を滑る。
「ぐっ……!」
駄目だ。
防戦一方。
五感強化で読めても、身体性能と経験差が埋まらない。
かっちゃんは、強い。
昔から知っていた。
知っていたはずなのに。
今、真正面から戦うと、改めて理解させられる。
圧倒的だった。
「どうしたデク!!」
ドンッ!!
爆豪が、爆風で横壁を蹴る。
次の瞬間には、もう視界の外。
速い。
速過ぎる。
「反撃してみろやァ!!」
パァンッ!!
至近距離。
爆発。
「がぁっ!?」
出久の身体が吹き飛ばされる。
肩から壁へ激突。
コンクリートへ亀裂が走った。
肺が潰れる。
呼吸が出来ない。
「っ……ぁ、ぐ……!」
床へ膝をつく。
だが。
爆豪は、そこで終わらせなかった。
本来なら。
拘束バンドを嵌めれば、それで終わりだ。
なのに。
「まだ立てんだろ?」
爆豪が、獰猛に笑う。
赤い目が、完全に獲物を見る目になっていた。
「ほらァ」
ドォンッ!!
爆風。
蹴り。
「がっ……!」
腹へ衝撃。
出久の身体がくの字に折れる。
そのまま髪を掴まれ、無理やり引き起こされた。
「すげぇ個性持ってたんだよなァ?」
低い声。
怒りと。
そして。
どこか愉悦が混ざっている。
「だったら見せてみろよ」
パァンッ!!
顔の横で爆発。
熱風が頬を裂く。
爆豪は、明らかに“遊んで”いた。
いや。
確認している。
自分より下だったはずの存在が、どこまで戦えるのか。
どこまで耐えられるのか。
そして。
どこで折れるのかを。
モニタールーム。
「……あれ、拘束しないのか?」
瀬呂が、困惑した声を漏らす。
相澤は無言。
オールマイトの表情も、硬い。
爆豪は勝てる。
誰の目にも明らかだった。
にも関わらず。
わざと終わらせていない。
その頃。
「っ……!」
出久は、壁へ叩きつけられながら、荒い呼吸を繰り返していた。
痛い。
全身が。
熱い。
視界も揺れている。
だが。
「……」
出久は、爆豪を見ていた。
観察していた。
五感強化。
呼吸。
筋肉。
視線。
そして。
攻撃の“間”。
かっちゃんは、止めを刺さない。
拘束しない。
怒っている。
だから。
“勝つ”より、“叩き潰す”事を優先している。
嗜虐心。
それが、隙になる。
「っ、はぁ……!」
出久は、敢えて立ち上がる。
ふらつきながら。
爆豪が、それを見て笑った。
「まだやんのかよ」
ドンッ!!
爆風。
また来る。
右。
低空。
脇腹狙い。
分かる。
だが。
避けない。
「っ!」
衝撃。
肋骨が軋む。
口の中へ鉄臭さが広がった。
それでも。
耐える。
爆豪の動きは速い。
機動力では絶対に勝てない。
なら。
捕まえるしかない。
一度。
たった一度。
掴めれば。
「どうしたァ!!」
爆豪が吼える。
「その骨は飾りかよ!!」
ドォンッ!!
今度は上。
爆風で跳ね上がり、真上から踏み込んでくる。
爆豪の戦闘センスは異常だった。
空間把握。
重心制御。
攻撃継続。
全部が直感的に完成している。
普通なら。
絶対に捉えられない。
だが。
出久は、動かなかった。
いや。
動けないように見せた。
膝をつき。
肩で息をし。
限界寸前みたいに。
爆豪の目が、細くなる。
来る。
決めに。
今までで、一番深く。
踏み込んでくる。
「終わりだデクゥ!!」
右腕。
爆破。
一直線。
その瞬間。
出久の瞳が、ギラリと見開かれた。
「——捕まえた」
「……ッ!?」
爆豪の右腕を。
出久の左手が、掴み取った。
その瞬間。
出久の身体の奥で、何かが切り替わった。
筋肉ではない。
骨。
腱。
関節。
それらが、ぎしり、と音を立てる。
AFOから与えられた三つ目の個性。
『筋骨発条化』。
筋肉と骨格を、一時的に“発条”のように変質させる個性。
溜めた力を、瞬間的に解放する。
ただし、負荷は大きい。
使い方を誤れば、自分の身体が先に壊れる。
だが。
掴んだ。
もう、逃がさない。
「てめ——」
爆豪が腕を振り払おうとする。
だが遅い。
出久の右腕が、軋む。
皮膚の下で骨が増殖し、拳の外側へ薄い骨の装甲が展開されていく。
『槍骨』。
そして『筋骨発条化』。
二つの個性が、歪に噛み合った。
「っ、ぁああああああッ!!」
拳が、跳ねた。
ドガッ!!
爆豪の腹へ、骨で覆われた拳が叩き込まれる。
「がっ……!?」
さらに。
ドドドドドドドドッ!!
機関銃みたいな連打。
発条化した筋骨が、拳を異常な速度で打ち出し続ける。
一撃ごとに骨の拳が軋み、砕け、再生成される。
白い破片が散る。
血が飛ぶ。
それでも止まらない。
「ぐ、ぉ……ッ!?」
爆豪の身体が揺れる。
反撃しようにも、右腕は掴まれている。
距離が近すぎる。
爆破すれば自分も巻き込む。
出久は、逃げ場を与えなかった。
「はぁッ、はぁッ、はぁッ!!」
殴る。
殴る。
殴る。
出久の顔は、恐怖と必死さで歪んでいた。
勝ちたいからではない。
倒さなければ、進めない。
麗日が向かった先へ。
爆弾のある場所へ。
飯田のいる場所へ。
行かなければならない。
ドガァッ!!
最後の一撃が、爆豪の胸元を打ち抜いた。
「っ……!」
爆豪の膝が崩れる。
そのまま、床へ落ちた。
ドサッ、と。
重い音。
通路に、荒い呼吸だけが残る。
「はぁ……はぁ……っ」
出久は、しばらく動けなかった。
自分の右腕を見る。
骨の装甲は崩れ、拳は震えている。
指先の感覚がない。
けれど、まだ動く。
出久はふらつきながら腰の拘束バンドを取り出し、倒れた爆豪の腕に巻きつけた。
カチリ。
固定音が響く。
爆豪勝己、脱落。
「……ごめん、かっちゃん」
小さく呟く。
返事はない。
出久は壁に手をつき、足を引きずりながら立ち上がった。
麗日さん。
爆弾。
飯田君。
まだ終わっていない。
「行かなきゃ……」
壊れかけた身体を無理やり動かし、出久は通路の奥へ進み始めた。
階段へ辿り着いた時には、もう足がまともに上がらなかった。
「っ……ぁ、ぐ……」
一段。
また一段。
出久は手すりへ体重を預けながら、無理やり身体を引き上げる。
脇腹が痛い。
肺が焼ける。
右腕は熱を持ち、筋肉が細かく痙攣していた。
『筋骨発条化』の反動。
急造の身体へ、複数個性を無理やり重ねた代償だった。
それでも。
止まれない。
その時。
『デク君!?』
耳元で、通信機が弾けるように鳴った。
「っ……麗日、さん……!?」
出久は慌てて通信機へ触れる。
ノイズ混じりの向こう側から、麗日の荒い呼吸が聞こえてきた。
『見つけた! 爆弾の部屋!』
その声に、出久の表情が引き締まる。
「飯田君は……!?」
『いる! 部屋の中!』
一拍。
『待ち構えてる!』
出久は歯を食いしばりながら、階段を上がる速度を少しだけ速めた。
個性『五感強化』が、上階の微かな音を拾う。
足音。
空気の流れ。
そして。
金属が擦れるような音。
『……っ、デク君、飯田君すごく警戒してる』
麗日の声が、小さくなる。
『私の個性、警戒してるんだと思う』
出久は脳裏へ、飯田天哉という人間を思い浮かべた。
真面目。
合理的。
そしてルールに忠実。
だからこそ、相手個性への対策も徹底する。
「部屋……どうなってる?」
『えっと……』
通信の向こうで、麗日が慎重に覗き込む気配がした。
『部屋の中、瓦礫とか、机とか棚とか、全部どかしてる』
「……!」
『私が触って浮かせられないように、かな』
出久の顔が強張る。
やはり。
飯田は、“無重力”をきちんと脅威として見ている。
数秒後。
出久は、ようやく上階へ辿り着いた。
廊下の先。
開け放たれた一室。
その手前の壁へ、麗日が背を預けるようにして身を潜めていた。
「デク君!」
小声。
だが、安堵が混じっている。
出久は息を切らしながら、麗日の隣へ滑り込んだ。
「はぁ……っ、はぁ……!」
「だ、大丈夫!?」
麗日の顔が青ざめる。
出久の状態は酷かった。
スーツは焼け焦げ、腕は血で汚れ、足も引きずっている。
「う、うん……まだ、動ける……」
そう答えながら、出久は部屋の中を覗き込んだ。
そこには。
「……」
飯田天哉がいた。
爆弾役のダミー核兵器の前。
真っ直ぐ立ち、腕を組んでいる。
そして、その周囲。
部屋の中は、異様なほど片付いていた。
机。
椅子。
棚。
投げられそうな物。
触れられそうな物。
全部、壁際へ寄せられている。
中央には、何もない。
ただ、広い空間だけ。
「……徹底してる」
出久が、小さく呟いた。
麗日も困ったように眉を下げる。
「さっきから、ずっとああなんだよね……」
飯田は、こちらへ背を向けていない。
部屋全体を視界へ入れる位置取り。
いつでも迎撃できる姿勢。
完全に、防衛へ徹していた。
「爆豪君とは全然違う……」
麗日が小声で言う。
出久は、静かに頷いた。
かっちゃんは攻める。
飯田君は守る。
だから、厄介だ。
しかも。
「……時間を使われると、まずい」
出久の額から汗が落ちる。
自分の身体は、もう限界に近い。
長引けば動けなくなる。
だが。
飯田も、それを分かっているようだった。
「来ないのかね、ヒーロー諸君!」
部屋の中から、飯田の声が響く。
「ならばこちらは、このまま防衛任務を継続するのみだ!」
律儀なまでに真っ直ぐな宣言。
出久は壁へ背を預けながら、荒い呼吸を整える。
「……麗日さん」
出久が、小さく声を落とす。
「うん?」
「多分、正面から二人で入っても駄目だ」
飯田は冷静だ。
爆豪みたいに感情で突っ込んでは来ない。
こちらの個性も、役割も理解した上で、防御を固めている。
「だから……僕が注意を引く」
「え?」
麗日の目が丸くなる。
出久は壁にもたれたまま、苦しそうに呼吸を整えた。
「飯田君は、今の僕を警戒してる」
一拍。
「だったら、“僕”を見せれば、そっちへ意識が寄る」
麗日が、はっとした顔になる。
確かに。
爆豪を倒した今、一番危険視されるべきは出久だ。
なら。
囮としては、これ以上ない。
「でも、デク君その身体……!」
「大丈夫」
即答だった。
大丈夫ではない。
それは、お互い分かっている。
けれど。
時間がない。
「……お願い、麗日さん」
その言葉に。
麗日はぎゅっと唇を結び、数秒迷ったあと、小さく頷いた。
「……分かった」
出久は、ゆっくり壁から身体を離す。
足が痛む。
脇腹も軋む。
それでも。
前へ出る。
そして。
廊下の陰から、あえて姿を晒した。
「飯田君!」
部屋の中。
飯田の目が、鋭く見開かれる。
「緑谷君!」
直後。
飯田の姿勢が変わった。
重心を落とし、エンジンの付いた脚部をわずかに開く。
臨戦態勢。
だが。
爆弾の前からは離れない。
「……!」
出久は、思わず内心で舌を巻いた。
冷静だ。
自分を迎撃しながらも、防衛位置を維持している。
飯田の視線が、出久の右腕へ向く。
焼け焦げたスーツ。
血。
骨の残骸。
そして。
爆豪を倒したであろう痕跡。
「爆豪君を……突破したのか」
飯田の声に、わずかな緊張が混じる。
「……っ」
出久は、ふらつきながら一歩踏み出した。
飯田の脚部エンジンが、低く唸る。
「来るか!」
飯田が迎撃姿勢を取る。
その瞬間。
彼の意識は、完全に“正面の出久”へ集中していた。
だから。
気付かなかった。
部屋の外。
天井近く。
「……!」
麗日お茶子が、静かに浮いていた事に。
自分自身へ“無重力”を掛け。
呼吸すら殺し。
壁を蹴る反動だけで、ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
天井すれすれを移動していた。
飯田の対策は完璧だった。
物を浮かせて飛ばす。
瓦礫で攪乱する。
それらは全部潰している。
だが。
“本人が浮く”事までは、意識の外だった。
麗日は、息を殺しながら進む。
真下には飯田。
少しでも視線を上げられれば終わる。
だから。
出久が必要だった。
「……飯田君」
出久が、さらに前へ出る。
足を引きずりながら。
今にも倒れそうな身体で。
それでも。
飯田の目を、真正面から見据える。
「まだ……終わってない」
「当然だ!」
飯田が叫ぶ。
「ヴィランは最後まで任務を遂行する!」
轟ッ!!
脚部エンジンが噴射する。
その瞬間。
飯田の視線が、完全に出久へ固定された。
そして。
その頭上を。
麗日お茶子が、静かに通過しようとした──その時だった。
「……っ」
不意に。
麗日の顔色が変わる。
ぐらり、と視界が揺れた。
「うぷ……」
吐き気。
猛烈な。
胃がひっくり返るみたいな不快感。
額へ脂汗が滲む。
『無重力』。
対象を浮かせる個性。
だが、その負担は決して軽くない。
特に。
“自分自身”を浮かせる行為は、想像以上に消耗が激しかった。
自分の身体。
装備。
移動。
姿勢制御。
全部へ意識を割きながら、長時間浮遊し続ける。
しかも今回は、気配を殺すために極限まで慎重に動いている。
酔い。
平衡感覚の崩壊。
内臓が裏返るみたいな感覚。
「っ、ぅ……!」
麗日が、慌てて口を押さえる。
だが。
もう限界だった。
「おぇっ」
次の瞬間。
飯田の頭上へ、盛大に吐しゃ物が降り注いだ。
「なっ!?」
べちゃっ、と。
極めて生々しい音が響く。
飯田の眼鏡。
肩。
髪。
全部へ直撃した。
部屋の空気が、一瞬で凍る。
「……」
「……」
出久と飯田の思考が、同時に停止した。
そして。
「な、ななななな何ィィィィィ!?!?」
飯田が絶叫した。
完全に予想外。
あまりにも予想外。
真面目な委員長気質ゆえか、精神ダメージが凄まじい。
「うわぁぁぁぁごめん!! ごめんなさい!!」
天井付近で麗日が半泣きになる。
しかし『無重力』を解除したせいで、今度はそのままバランスを崩し、
「ひゃあっ!?」
ドサッ!!
床へ落下した。
「麗日君!? いやそれどころではなく!! ぬ、ぬめっ!? こ、これは……!!」
飯田が完全に取り乱す。
眼鏡を外し。
制服を確認し。
後退りし。
防衛陣形が一気に崩れた。
その瞬間。
出久の目が、鋭く細まる。
「——今だ!!」
痛む脚を、無理やり踏み込む。
ドッ!!
出久が、一直線に駆け出した。
「しまっ——!」
飯田が顔を上げる。
だが遅い。
ほんの一瞬。
たった一瞬の混乱。
それだけで十分だった。
出久は、ボロボロの身体を引きずるようにして爆弾へ飛び込む。
脇腹が悲鳴を上げる。
肺が焼ける。
視界も滲む。
それでも。
右手を、前へ。
「っ……!」
そして。
ポン、と。
模擬核兵器へ触れた。
直後。
ブォンッ!!
訓練終了を告げるブザーが、建物全体へ鳴り響いた。
『ヒーローチーム、勝利!!』
機械音声が響く。
部屋の中が、一瞬静まり返った。
飯田は、呆然と立ち尽くしている。
頭から吐しゃ物を垂らしたまま。
麗日は床へへたり込みながら、真っ赤な顔で震えていた。
「ご、ごめんなさいぃぃぃ……!!」