訓練終了を告げるブザーが鳴り終わった後も、モニタールームには妙な静けさが残っていた。
誰も、すぐには喋れなかったのだ。
爆豪の暴走じみた猛攻、出久の異様な戦闘適応、麗日の奇襲、そして最後の、あまりにも酷すぎる勝敗決着。
情報量が多すぎて、処理に困っているようだった。
「……いや、何あれ」
沈黙を破ったのは上鳴だった。
「どこからツッコめばいいんだよ……」
瀬呂も引きつった顔で呟く。切島は未だ興奮が抜け切っていない様子でモニターを見つめていた。
「でも、すげぇ戦いだった……!」
「いや最後なんか違くない!? なんでゲロで決着ついてんの!?」
芦戸が思わず叫ぶ。その言葉に、部屋の隅で蹲っていた麗日がさらに小さくなった。
「うぅぅぅぅ……ごめんなさいぃぃぃ……!」
「流石のオイラでもまだそのレベルには達してねぇぜ……飯田は大丈夫なんか?」
峰田が困惑した顔で頭を掻く。
その飯田は、ちょうどシャワールームから戻ってきたばかりだった。
髪は少し濡れており、コスチュームも脱いで雄英のジャージへ着替えている。
普段のキリッとした雰囲気は消え、どこか遠い目をしていた。
「……大丈夫だ」
数秒の沈黙のあと、飯田はぎこちなく頷いた。
「精神的ダメージは甚大だが」
「甚大なのね」
蛙吹がぽつりと漏らした。
その時、部屋の反対側で、ソファへ寝かされていた爆豪がゆっくりと目を開けた。
「……ぁ?」
ぼやけた視界、重い頭、腹部に残る鈍い痛み。
殴られた感覚だけが、妙に鮮明に残っている。
「っ……なん、だ……」
爆豪が眉を寄せる。記憶が途切れていた。
最後に覚えているのは、デクに腕を掴まれた瞬間。
そこから先は、白い拳の連打だけが断片的に残っている。
数秒、爆豪は天井を見上げたまま動かなかった。
やがて、低い声で言う。
「……おい。どうなった」
誰も、すぐには答えなかった。
空気が微妙に重い。その中で、飯田が静かに前へ出た。
「爆豪君」
「……ぁ?」
爆豪が視線を向ける。
飯田は真っ直ぐ爆豪を見返し、言い訳も誤魔化しもなく、事実だけを告げた。
「僕らの完敗だよ」
「……は?」
「緑谷君と麗日君が、模擬核へ接触した。ヒーローチームの勝利だ」
爆豪は、しばらく瞬きすらしなかった。理
解が追いついていないようだった。
「……デク、が?」
「そうだ」
「……俺が、負けた?」
飯田はゆっくり頷く。
爆豪の喉が小さく鳴った。
「……は」
乾いた笑いは、しかし続かなかった。
爆豪はゆっくり身体を起こす。
その動作すら、どこかぎこちない。
「……俺が?」
拳が、ゆっくりと握られる。
その時、パンッ!! とオールマイトが両手を打ち鳴らした。
重くなりかけていた空気が、少しだけ切り替わる。
「さて! それでは講評へ移ろう!」
教師としての声だった。
だが、その表情は真剣だ。
オールマイトはまずモニターへ戦闘記録を表示した。
「まず、ヒーローチーム! 緑谷少年!」
出久は椅子へ座ったまま肩を震わせた。
「は、はいっ!」
「君は非常に優秀な索敵と分析を見せた! 相手の思考を読み、行動を予測し、戦場をコントロールしようとした点は素晴らしい!」
「は、はい……!」
出久は慌てて頷く。だが、オールマイトの表情が少しだけ厳しくなった。
「しかし! 無茶が過ぎる!」
「うぇっ!?」
「負傷状態での戦闘継続! 個性の酷使! あれは実戦なら後遺症が残ってもおかしくない!」
「す、すみません……!」
出久が縮こまると、相澤が横から淡々と補足した。
「勝ったから良かっただけだ。自分の限界管理もヒーローの技術だぞ」
「……はい」
出久は小さく俯いた。
オールマイトはそんな出久を数秒見たあと、ふっと口元を緩める。
「……だが、最初から最後まで前線に立ち続けた点は、間違いなくヒーロー的だった! ナイスだ、緑谷少年!」
「!」
出久の目が、少し見開かれた。
「麗日少女!」
「は、はい!」
隣で麗日がびしっと背筋を伸ばす。
「君のサポート判断は非常に良かった!」
「えへへ……!」
「ただし! 個性の副作用管理は徹底したまえ!」
「うっ」
麗日の顔が真っ赤になる。クラスのあちこちから笑いが漏れた。
「いやマジで伝説だろあれ」
「空爆ならぬ空吐……」
「やめてぇぇぇぇ!!」
麗日が机へ突っ伏す。一方で、オールマイトの表情は再び真面目になった。
「そしてヴィランチーム。飯田少年」
「はい!」
飯田が立ち上がる。
「君の防衛判断は極めて優秀だった。相手個性への対策、視線管理、ポジション維持。非常に冷静だった」
「ありがとうございます!」
「ただし、不測の事態への対応が少し硬かった!」
飯田の眼鏡が光る。
「……善処します」
そして最後に、オールマイトの視線が爆豪へ向いた。
室内が静まる。爆豪は黙ったまま座っていた。
「爆豪少年。君は、非常に優秀だ」
それは事実だった。
誰も否定できない。
「戦闘センスも、個性運用も、一年生としては突出している。しかし、勝利条件を見失った」
爆豪の眉が、ぴくりと動く。
「君は途中から、“勝つ”ことより、“緑谷少年を叩き潰す”ことを優先した。感情で視野を狭めれば、ヒーローは簡単に足元を掬われる」
静かな声だった。怒鳴りではない。だからこそ、重い。
「……チッ」
爆豪は顔を逸らした。
だが、反論はしなかった。できなかった。
誰より、自分自身が理解していたからだ。
自分は途中から訓練ではなく“喧嘩”をしていた。
そして、負けた。
「では! 講評は以上! 次のチーム、準備!」
重苦しかった空気が、少しずつ動き始める。
待機していた生徒たちが立ち上がり、次々とコスチュームルームへ向かっていった。
「よっしゃ次オレらだ!」
「緊張してきた……」
「いやさっきの後だとハードル高ぇって!」
騒がしくなっていくモニタールームの中で、出久は椅子へ深く座り直し、小さく息を吐いた。
「っ……」
右腕が痛む。脇腹も、蹴られた箇所が熱を持っていた。
回復班の簡易治療は受けたため、戦闘続行は無理でも見学くらいなら問題ない。
そう自分に言い聞かせていると、隣から麗日が心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫?」
「う、うん……! へ、平気! 全然!」
「いや絶対平気じゃない顔してるけど……」
麗日が苦笑する。
その時、モニターの向こうで次の試合開始ブザーが鳴った。
出久の目が、自然とそちらへ向く。
「……!」
戦闘。それも、ヒーロー科A組の実戦訓練。
疲労を押し退けるように、彼のオタク気質が顔を出した。
「瀬呂君、あのテープを移動制御に使ってるんだ……! 耳郎さんは索敵を優先してる……! 切島君、硬化を盾にして前衛固定……!」
ノートこそ持っていないが、頭の中ではすでに分析が始まっていた。
個性の使い方、立ち回り、連携。同じA組でも、戦い方は全員違う。
上鳴は火力と牽制を中心にし、八百万は即席装備による支援を行い、蛙吹は地形を利用する。峰田の狭所での足止め能力も、思った以上に厄介だった。
「みんな、すごいな……」
出久が小さく呟く。
その声には、純粋な感嘆が滲んでいた。
強い。全員、自分と同じ一年生とは思えないくらい強い。
それぞれが自分の個性を理解し、活かそうとしている。
出久は、無意識に右腕を見た。
白い包帯。骨の軋む痛み。AFOから与えられた個性。急造の戦闘技術。自分だけ、どこか歪だ。
そんな感覚が、胸の奥を掠める。
「おっ」
切島がモニターを指差した。
「次、轟じゃねぇか!」
その瞬間、モニタールームの空気が少し変わった。
「……推薦組か」
相澤が静かに呟く。
轟焦凍。A組に二人いる推薦入試枠、その一人。
入学前から名前だけは有名だった。No.2ヒーロー、エンデヴァーの息子。
推薦枠へ選ばれるだけの実力者。
モニターに映るのは、白と赤、半分ずつ色の違う髪、感情の読めない顔、静かな目をした少年だった。
「……」
出久は、僅かに身を乗り出した。
轟の対戦相手も十分に強い。だが、開始ブザーが鳴った次の瞬間、文字通り空気が凍った。
「……え?」
誰かが間の抜けた声を漏らす。
訓練場の床を、壁を、通路を、白い氷が一瞬で埋め尽くしていた。
ゴゴゴゴゴッ、と重低音が響き、建物内部そのものが巨大な冷凍庫に様変わりしていく。
対戦相手は、何が起きたか理解する間もない。
逃げる暇すらなく、気付けば動けなくなっていた。
轟は動かないヴィランチームの横を悠々と通り抜け、爆弾をタッチした。
決着は一瞬で、圧倒的だった。
「……は?」
上鳴が口を開ける。
「え、終わり?」
「うそだろ……」
瀬呂も絶句する。
モニターの向こうで、轟はただ静かに歩いていた。
荒い呼吸も、焦りもない。当然みたいに。
「ちょっと待ってろよ」
轟焦凍の左側から炎が上がる。
ビルを覆っていた冷気が去り、ヴィラン役の尾白と葉隠の足元が自由になった。
『ヒーローチームの勝利!!』
轟は軽く笑う。
その笑みは、出久が想像していたものよりずっと柔らかかった。
「索敵助かった。良いとこ奪っちまったな」
「問題ない。適材適所というやつだ」
「そう言ってくれると助かる」
轟はそう言って片手を上げる。
障子も少しだけ間を置いてから、その大きな手を合わせた。
ぱん、と静かなハイタッチが響く。
モニタールームに、妙な空気が流れた。
「……え、轟ってあんな感じなの?」
上鳴がぽかんと呟く。
「もっとこう、近寄りがたいタイプかと思ってた」
「俺もだ。漢じゃねえか!」
切島も頷く。出久も同じことを思っていた。
轟焦凍。見た目は冷たく、雰囲気も静かで、感情を読みにくい。
だが実際に話している姿は、思ったよりずっと朗らかだった。
圧倒的な個性。圧倒的な制圧力。それでいて、人格面も安定している。
「……すごい」
出久は、また小さく呟いた。
ただ強いだけではない。強さの扱い方が、落ち着いている。
それが、今の自分にはひどく眩しかった。
それからも模擬戦は続いた。
派手な勝負もあれば、地味だが堅実な勝負もあった。
個性の相性で一気に決まる組もあれば、最後の最後まで勝敗が揺れる組もある。
けれど、どの試合にも共通していたのは、誰もが自分の個性を前提にして、そこから戦術を組み立てているということだった。
生まれた時から、あるいは幼い頃から付き合ってきた力。
それをどう使えばいいか、どう伸ばせばいいか、皆が身体で知っている。
出久は、包帯の巻かれた腕を見下ろした。
自分には、それがない。
あるのは、与えられた力と、叩き込まれた技術と、誰にも言えない後ろ暗さだけだった。
最後の組の訓練終了ブザーが鳴る。
『ヴィランチーム、勝利!』
モニターの向こうで、生徒たちがそれぞれ息を吐き、悔しがり、笑い合っている。
その様子を見届けてから、オールマイトが大きく頷いた。
「よし!」
その声で、モニタールームの視線が一斉に集まる。
オールマイトは腕を組み、堂々と胸を張った。
「これにて、本日の屋内戦闘訓練は全組終了だ!」
ざわめきが少し収まる。
皆、疲れていた。だが、その顔には確かな熱が残っている。
勝った者、負けた者、納得している者、納得できていない者。
それぞれ表情は違うが、誰もが今日の訓練で何かを得ていた。
オールマイトは、そこでさりげなく腰のポケットへ手を入れた。
小さな紙片。メモだった。それをちらりと見る。
そして、何事もなかったかのように顔を上げる。
「少年少女らよ! まずは健闘を讃えたい!」
また、ちらりとメモを見る。
「ええと……今日の訓練では、勝敗以上に大切なものが多く見えた!」
「今カンペ見たな」
「見たね」
「普通に見たわ」
上鳴と瀬呂が小声で囁く。
オールマイトは聞こえないふりをした。
「戦闘能力! 判断力! 連携! そして、勝利条件を見失わない冷静さ!」
爆豪の眉が、ぴくりと動く。
「諸君はまだ一年生だ。失敗して当然。未熟で当然。だが、その未熟さを今日知れたなら、それは大きな収穫だ!」
今度はメモを見ない。
その声は、先ほどより自然だった。
「ヒーローとは、ただ強い者ではない。助けるべき人を見失わず、守るべきものを守り、必要な時に前へ出られる者だ」
出久は、静かに顔を上げた。
その言葉が、胸の奥へ落ちる。
「今日、諸君はそれぞれの形で、その一端を見せてくれた。よくやった!」
オールマイトが、にかっと笑う。
その一言で、モニタールームの空気が少し緩んだ。
緊張が解け、誰かが小さく息を吐く。
出久もまた、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
それから、終礼を終えたA組の生徒たちは、ぞろぞろと訓練場を後にしていった。
「腹減ったー!」
「今日マジ疲れた……」
「でも楽しかったな!」
騒がしい声が、夕方の校舎へ響く。
コスチュームケースを抱えた者、今日の反省を語り合う者、早速次の訓練へ意欲を燃やす者。
皆、それぞれに今日の熱を抱えたまま帰路についていく。
麗日は出入口で振り返った。
「デク君、ちゃんと病院行くんだよ?」
「だ、大丈夫だって!」
「全然説得力ない!」
けらけら笑う。その笑顔に、出久も少しだけ笑い返した。
「また明日!」
「う、うん! また明日!」
麗日は手を振りながら、蛙吹たちと一緒に校門の方へ駆けていった。
夕焼けが、校舎を赤く染めている。長い一日だった。
出久は包帯の巻かれた腕を軽く押さえ、小さく息を吐く。
その時、視界の端に一人の背中が映った。
爆豪勝己。
誰とも話していない。
切島が何か声を掛けていたが、爆豪は短く舌打ちして、そのまま一人で歩き去っていった。
夕陽に伸びる影が、やけに長かった。
「……っ」
出久の胸が強く痛む。
勝った。訓練には。
でも、それで終わりではなかった。
『無個性の振りして俺の事嘲笑ってたのか?』
爆豪の言葉が、まだ耳に残っている。
違う。そんなつもりじゃなかった。本当に、違う。
でも、説明できない。
AFOのことも、与えられた個性のことも、全部。
出久は、無意識に一歩踏み出していた。
呼び止めなきゃ。何か言わなきゃ。誤解だけでも解かないと。足が駆け出しそうになる。
だが、そこで止まった。
「……駄目だ」
小さな呟き。
自分には、その資格がない。
隠していた。嘘を吐いていた。
結果として、かっちゃんを騙していたのは事実だ。
事情があるから許される、なんて話ではない。
夕焼けの中、爆豪の背中はどんどん遠ざかっていく。
呼べば、届く距離だった。
けれど、出久は最後まで声を出せなかった。
ただ、人気のなくなった帰路を一人で歩いていく幼馴染の背中を、黙って見送ることしかできなかった。