ベストジーニスト事務所の応接室には、爆豪とジーニスト、それにホークスの三人だけが集まっていた。
普段であれば来客や事務所のスタッフが出入りする部屋だが、今は人払いが済まされ、扉も閉ざされている。
机の上には飲み物が用意されていたものの、三人ともまだ手をつけていなかった。
爆豪はソファへ浅く腰掛け、向かいに座るホークスへ視線を向けた。
「昨日、あっちから新しい仕事の提案がありました。試作品のテスターってのは同じなんスけど、今度は実戦でデータ取ってきてほしいって言われたんスよね」
ホークスの表情から、それまでの軽さが少し消える。
「へえ。思ったより早かったね」
「相手はヴィランでもヒーローでもいいって。実際に個性使ってる相手と戦って、その時の装備の挙動とか出力とか、そういうデータ持って帰ってこいって話でした」
「対象の指定はなかったのか」
ジーニストに尋ねられ、爆豪は首を横へ振った。
「なかったっス。ただ、相手とそこで取れたデータ次第じゃ、俺を上層部に紹介したいって言われたっス」
ホークスは腕を組み、少し考えるようにソファへ身体を預けた。
「なるほど」
「これって、ヒーロー狩ってこいって意味っスよね。ヴィラン相手でもいいってんなら、わざわざヒーローを選択肢に入れる必要ねえし。それに結果次第で上に紹介するって話まで付けてる。ヒーロー相手に実戦やって、やる気とか忠誠見せろってことじゃねえんスか」
ホークスは数秒考えてから、慎重に頷いた。
「可能性は高い。ただ、向こうが本当に見たいのが忠誠心なのか、単純な実戦データなのか、それとも両方なのかはまだ断定しない方がいいね。ただ、“ヒーローでもいい”って条件をわざわざ付けてきた以上、誰を相手に選ぶかまで評価材料になってる可能性はある」
「つまり、爆豪が何を選ぶのかを見る試験でもある、と」
ジーニストの言葉に、ホークスも頷いた。
「ヴィランを選べば、まだヒーロー側の価値観を捨て切ってないように見える。逆にヒーローを選べば、向こうからすれば一線を越える覚悟を見せたことになる」
「……クソみてえな踏み絵だな」
爆豪は不快そうに舌打ちした。
「でも、実際にヒーロー襲えってことなら無理っスよ」
その言葉を受けたホークスはすぐには返さず、腕を組んだまま視線を落とした。
しばらくしてから、条件の隙間を見つけたように顔を上げる。
「いや。実際にヒーローとやりましょう」
爆豪の眉が寄った。
「しかも生半可な相手じゃなくて、向こうに強烈な印象を残せる相手で。ナンバー3とかナンバー2が相手なら、文句はないはずです」
「……俺に、あんたらとやり合えってんスか」
「そういうことになるね」
口調こそ軽かったが、ホークスは冗談を言っているわけではなかった。
通常の模擬戦でも性能試験はできるが、デトネラット側が爆豪の覚悟まで見ているのであれば、現役のトップヒーローを自ら標的に選んだという事実には別の意味が生まれる。
だが、その案に対してジーニストの表情はすぐに険しくなった。
「ホークス。彼を諜報員として送り込んだ私が言うのは矛盾しているだろうが、それでも彼を完全にドロップアウトさせるのは反対だ。世間がヴィランに対してどのような扱いをするか、君が知らないわけではないだろう」
こちらで犯罪にならないよう仕組んだとしても、ナンバー2やナンバー3を襲撃した人間として爆豪の名が外へ出れば、その印象まで元に戻せるとは限らない。
「爆豪は潜入任務のためだけにヒーローを目指しているわけではない。任務が終わった後にも、彼にはその先がある。君はそれを承知でこの案を出しているのか」
ホークスは最後まで聞いてから、先ほどより慎重な口調で答えた。
「それはもちろん分かってます。俺だって、爆豪くんを本当にヴィラン側へ落とすつもりはないですよ。それに、解放軍はすでに何人も現役のヒーローを抱えてる。社会から完全にドロップアウトすること自体は、忠誠を示す絶対条件じゃないと思うんです」
そのうえで、ホークスは机の上で指を組んだ。
「爆豪くんは正体を隠して、こっちと打ち合わせた上で俺かジーニストさんを襲う。デトネラット側には、自分の意思でトップヒーローを標的に選んで実戦データを持ち帰ったように見せる。一方で、世間から見れば正体不明の襲撃者でしかない。これなら覚悟は示せるし、爆豪くん本人の経歴を壊す必要もないでしょう」
「でも、相手に俺だって分かんなきゃ意味なくねえスか」
「そこは装備側の記録と、爆豪くん自身の報告で足りるはず。むしろ本当に顔を晒して指名手配されたら、デトネラットにとっても使いにくくなる」
相手がトップヒーローなら、実戦データそのものの価値も高い。
ジーニストはその説明を聞き終えると、腕を組んだまましばらく考え込み、やがて表情から僅かに険しさを薄めた。
「……そこまで徹底するのであれば、先ほどよりは現実的だ。ただし、爆豪の身元が漏れないこと、一般人を巻き込まないこと、法的な扱いまで事前に整理すること。この三点は譲れない」
「もちろん」
ホークスが頷くと、ジーニストは爆豪へ向き直った。
「爆豪。君はそれで構わないか」
「勿論ス」
ほとんど間を置かずに返した爆豪を見て、ジーニストも納得したように頷いた。
「じゃあ、相手は俺でいきましょうか」
ホークスが当然のように自分を指したところで、爆豪が口を挟む。
「すんません。ベストジーニストとやりたいんスけど、いいですか」
「……俺じゃなくて?」
「はい。ベストジーニストがいいっス」
その返答を聞いたジーニストは、どこか満足そうに目を細めた。
「そうかそうか。お前がそこまで言うならば仕方ない」
そう答えながら席を立ったジーニストは、応接室の棚から自分の整髪料を取り出すと、そのまま爆豪の背後へ回り込んだ。
何の前触れもなく髪へ触れ、好き勝手な方向へ跳ねている毛先を手際よく押さえて七三に分けていく。
爆豪は抵抗しなかった。驚きもしなければ嫌がりもしない。
ジーニストが髪へ触れた時点で当然のように頭を動かさなくなり、慣れた様子でされるがままになっている。
その光景を見たホークスだけが、明らかに異様なものを見るような目を二人へ向けた。
「……え、何これ」
「何がだ」
ジーニストは平然と爆豪の前髪を整える。
ほどなくして綺麗な七三分けが完成し、爆豪も鏡を見ることなくそのまま話へ意識を戻した。
ホークスはしばらく二人を見比べていたが、理解を諦めたように息を吐く。
「まあ……いいか。お二人がそこまで言うならいいっすけど。ナンバー3でも十分派手ですしね」
そこからは話を実務へ移し、ジーニストのパトロール計画を確認しながら、週末の工事区画を候補地として警察や道路管理側との調整を進めることになった。
「じゃ、今週末にでもさくっと襲っちゃいましょっか。あと二人とも、露骨に出力や反応速度を落とすのはなしね。致命傷を狙う必要はないけど、実戦データとして不自然になるような手加減はしないでください」
想定外の負傷、第三者の侵入、装備異常のいずれかが起きれば即中断。
その条件だけを確認すると、爆豪は七三分けのまま口元を吊り上げた。
「最初からそのつもりっスよ」
「ならば私も、それ相応に対応しよう」
──
週末の深夜。
昼間は作業員や車両が出入りしている工事現場も、この時間になると人の気配は消えていた。
鉄骨の骨組みや足場が闇の中へ伸び、周囲には資材の山と重機が並んでいる。
道路側から内部を見通せる場所は少なく、少し奥へ入れば外からの視線をほぼ完全に切れる構造になっていた。
爆豪はその一角に積まれた資材の陰へ身を潜めていた。
全身にはデトネラット製の試作品が取り付けられており、両腕の大型籠手をはじめ、腰部の補助ユニット、背中の制御装置、脚部の加速・着地補助機構まで揃っている。
普段の服装や顔立ちが分からないよう外装とマスクも追加され、頭部には実戦記録を残すための小型録画装置が固定されていた。
マスクには音声変換機能も搭載されている。
喋ったところで爆豪本人の声がそのまま記録されることはないが、それでも余計な情報は残さない方がいい。
しばらくすると、道路の向こうから複数人の足音が近づいてきた。
爆豪が資材の隙間から確認すると、予定通りパトロール中のベストジーニストと数人のサイドキックが工事現場の前へ現れる。
「この辺りは私が確認する。君たちは先に事務所へ戻り、今日の報告書をまとめておいてくれ。巡回記録については、私の分はこちらで追記する」
「分かりました」
サイドキックたちは指示に従い、やがてその足音も遠ざかっていった。
ジーニストが完全に一人になったことを確認すると、爆豪は頭部の録画装置へ手を伸ばして電源を入れた。
小さな作動音とともに表示灯が点灯し、デトネラットへ提出する実戦記録が始まる。
ジーニストが工事現場の奥へ進み、外から姿が見えなくなったところで、爆豪も資材の陰から立ち上がった。
そのまま入口側へ回り込み、退路を塞ぐような位置へ立つ。
足音に気付いたジーニストが振り返り、いかにも今初めて怪しい人物を見つけたかのように片腕を上げた。
「む! 何奴!」
あまりにも芝居がかった反応に、爆豪はマスクの下で苦笑したものの、返事はせずに右手を軽く握る。
その動きに連動して両腕の大型籠手が低い駆動音を立て、腰部、背部、脚部の各ユニットも順番に起動した。
各部の状態が正常範囲にあることを確認すると、爆豪は両掌を後方へ向ける。
爆発の衝撃が空気を叩き、反動を推進力へ変えた身体が一気に前へ弾き出された。
正面から迫る爆豪を見ても、ジーニストは慌てず、その衣服へ個性を及ぼした。
上着とパンツの生地が肩や肘、腰、膝を逆方向へ捻ろうとするが、爆豪の身体はほとんど止まらない。
操作そのものは通っている。
だが力が着用者の身体へ十分に伝わらない。
ジーニストは僅かに眉を寄せながら、目前まで迫った爆豪の拳を上体だけでかわし、そのまま横へ抜けた。
「変わった繊維の服だ」
乱れた前髪を整えながら、爆豪の外装へ視線を向ける。
「伸縮性もさることながら、部位ごとに生地を独立させているのか……? 面白い。デザインがナンセンスなことを除けば、私への対応策としては満点だろう」
その評価を聞き終えるより早く、爆豪は再び爆破で加速した。
だが今度は、工事現場の端に置かれていた鋼鉄製ワイヤーが跳ね上がる。
何本もの鋼線を撚り合わせたワイヤーは、ジーニストの個性によって巨大な鞭のようにしなり、爆豪の進路へ横薙ぎに振るわれた。
爆豪は爆破で身体を跳ね上げ、直前までいた場所を薙ぐ一撃から逃れる。
「それも繊維カウントかよ……!」
愚痴を漏らした瞬間にも二本目、三本目が動き出した。
地面を這って足を狙うもの、頭上から叩きつけられるもの、逃げた先を塞ぐように回り込むものが互いの軌道を邪魔せず追い詰めてくる。
爆豪は両掌の爆発を推進力へ変え、足場や重機の間を縫いながら回避を続けた。
「どうしたのかね、暴漢。逃げてばかりでは勝負にはならないぞ」
「チッ……うるせえな」
爆豪は距離を取るように爆破を放ち、重機の脇へ着地すると右腕を正面へ上げた。
籠手の外装が左右へ展開し、掌の先に重なるように短い銃身が現れる。
続いて左腕も同じ形へ変形し、両方の砲口がジーニストへ向いた。
爆豪は掌へ汗を集め、そのまま両腕を固定する。
「A・P・マシンガン!」
乾いた破裂音が連続し、銃身によって収束された圧縮爆破が鋼鉄製ワイヤーへ次々と突き刺さった。
通常のA・P・ショットなら軌道を逸らすのが精一杯だった鋼線の束が、今度は一点から弾け、撚り合わされた線を散らしながら地面へ落ちていく。
左右の籠手が圧力の向きと反動を安定させているため、爆豪はほとんど構え直すことなく次の標的へ照準を移せた。
一本、二本と撃ち落とし、最後に残った鋼線の束も連続して撃ち抜く。
先ほどまで周囲を埋め尽くしていた鋼鉄の鞭が、一気に沈黙した。
爆豪は煙を吐く両腕の銃身を見て、マスクの下で思わず口角を吊り上げる。
「やり過ぎだろ、これ。なんかの法律に絶対ひっかかるぜ」
想像していた以上だった。
銃身による収束と反動制御のおかげで、一発ごとの威力だけでなく連射時の精度まで普段とは比較にならない。
狙った場所へ狙った強さを、ほとんど間を置かず撃ち込める。
爆豪が再び掌を爆発させると、圧縮された弾幕がジーニストへ向かった。
ジーニストは工事現場に残るケーブルや布資材を引き寄せて防御へ回すが、展開する端から撃ち払われる。
爆豪は着弾点を少しずつずらし、逃げ道を削りながらジーニストの位置を誘導していった。
足を止めれば照準が追いつき、退けばその先へ次弾が飛ぶ。
先ほどまでワイヤーで爆豪を追い立てていたジーニストが、今度は弾幕に動かされる側へ回っていた。
それでもジーニストは焦らない。
次の射撃に移ろうとした瞬間、不意に自分の上着へ手をかけた。
「……あ?」
上着を脱ぎ捨てるように身体から外す。
ただし、地面には落ちなかった。
個性で操作された生地は空中で一気に広がり、そのまま爆豪の視界を覆い尽くす。
爆豪は反射的に右腕の銃身を向けた。
数発撃ち込めば、こんな布一枚はすぐに焼き払える。
掌へ汗を集め、籠手内部で圧力を高め──そこで止まった。
あれは確か、ジーニストが大事にしているお気に入りの一着だった。
「んなもん、今日着てくんなや……」
射撃を止め、代わりに左掌を横へ向ける。
小さな爆発で身体を右へ滑らせ、上着の端から視界を確保した瞬間、すでにジーニストが目前まで踏み込んでいた。
「──ッ」
左拳がマスク越しに頬へ突き刺さる。
頭が横へ振られたところへ、間髪入れず右の拳が顎へ叩き込まれた。
余計な力みのない、鋭いワンツーだった。
「ぐっ……!」
二発目で上体が仰け反り、爆豪は倒れる前に右掌を地面へ向けて爆発させた。
数メートル後方へ身体を弾き、靴底を滑らせながら体勢を立て直す。
視線を上げれば、ジーニストはすでに拳を下ろしていた。
ワイヤーも資材も使わず、今度は自分から懐へ飛び込んできたのだ。
空中に残っていた上着を引き戻しながら、ジーニストが口元を僅かに緩める。
「敵の衣服まで気遣うとは、随分と良識的な暴漢だな」
「うるせえ……」
「だが、戦闘中の一瞬の逡巡は致命的だ」
戻ってきた上着へ何事もなかったように袖を通し、襟元を整える。
爆豪は殴られた頬を舌で内側から確かめた。
血の味はしないが、顔面へ綺麗に二発入れられた事実だけで十分に腹が立つ。
「トップヒーローとは、個性やサポートアイテムのみに在ず」
ジーニストは乱れた髪を手櫛で整えると、腰を僅かに落として拳を構えた。
「ナンバー3ヒーローのカラテを見せてやろう」
言葉を終えると同時に、長い脚が一歩で間合いを潰した。
肩をほとんど動かさないまま伸びてきた左拳に、爆豪は反射的に上体を引く。
しかし想定していたよりも拳の先が遠くまで伸び、マスクの表面を浅く擦っていった。
避けたところへすぐさま右が追い、前腕を上げて受ければ、今度は長い腕を外側から回し込むように角度を変えて次の拳が差し込まれる。
身長と手足の長さからくる間合いだけではない。
一歩の幅が広いうえに、必要以上に身体を振らないため、どこからが打撃圏なのか掴みにくい。
「チッ……!」
二発を腕で受け、三発目を首だけでかわした爆豪は、そのままジーニストの懐へ踏み込んだ。
射撃戦では圧倒的な性能を見せた籠手も、この距離では銃身を展開する余裕がない。
だが爆豪自身、近距離戦を苦手としているわけではなかった。
伸びてきた左腕を内側へ払い、右肩が動くのを見て身体を沈める。
拳が頭上を抜けたところで脇腹へ打ち返し、そのまま膝を入れるため重心を前へ移した。
その瞬間、右袖が僅かに外側へ引かれた。
「っ?」
動きを止められるほどの力ではない。
試作品の生地はジーニストの個性へ対策されており、先ほどのように関節を丸ごと封じることなどできない。
それでも、拳の軌道を数センチ外すには十分だった。
脇腹を捉えるはずだった一撃が浅く身体を掠め、その空いたところへジーニストの長い脚が突き出される。
「ぐっ……!」
前蹴りが腹へ食い込み、爆豪の身体を後ろへ押し戻した。
倒れることなく爆破で横へ逃れようとするが、ジーニストは長い歩幅ですぐに距離を詰め、上から拳を打ち下ろしてくる。
爆豪は一撃目を受け、二撃目を外へ流すと、三撃目が来るより先に相手の胸元へ潜り込んだ。
数合も交わせば、目は慣れてくる。
長い手足による独特の間合いも、拳が伸びてくる角度も、すでに最初ほど意外ではない。
肩や腰、足先から次の攻撃を読み、ジーニストの左をかわしながら身体を回した爆豪は、その勢いを乗せた右肘を脇腹へ叩き込もうとした。
今度は腰の生地が、ほんの僅かに後ろへ引かれる。
重心の移動が半拍だけ遅れた。
それだけで肘は届かず、代わりにジーニストの右拳が頬を捉え、そのまま左が脇腹へ突き刺さった。
「がっ……!」
爆豪は歯を食いしばりながら腕を返したが、反撃に移ろうとするたび、肩や袖、腰、膝と毎回違う場所の布地が僅かに動く。
無理やり止められるわけではない。
しかし、拳を放つ瞬間だけ袖を外側へ引かれれば、肩の入りが浅くなる。
踏み込む時にパンツの生地を引かれれば、足の着く場所が僅かにずれる。
回避の開始と同時に背中を引かれれば、予定していた方向へ身体が動き出すまで一瞬だけ遅れる。
格闘戦では、その一瞬で十分だった。
爆豪が右を振るえば軌道をずらされ、空いた頬へ左を差し込まれる。
蹴りへ繋ごうとすれば軸足を乱され、威力が乗る前に長い腕で額を打ち抜かれる。
「クソッ!」
苛立ちのまま至近距離で掌を向ける。
だが爆発が起こる直前、ジーニストは爆豪の腕を外側へ叩き、そのまま肩を押して射線から身体を外した。
爆発は脇を抜け、背後に積まれていた資材をまとめて吹き飛ばす。
爆豪もただ殴られているだけではない。
攻防を重ねるほど相手の間合いを掴み、拳をかわす動きも小さくなっていく。
前蹴りには外側から回り込み、長い腕が伸び切る瞬間には逆に懐へ潜る。
爆破による瞬間的な加速まで混ぜ始めると、少しずつ反撃へ移れる場面も増えていった。
それなのに、決定的な一撃だけが届かない。
ようやく捕らえたと思った瞬間に限って、衣服のどこかが動く。
爆豪自身の服を完全に操れないことなど、ジーニストはとうに理解している。
だから拘束しようとはしない。
攻撃が成立する直前の一瞬にだけ力を加え、爆豪の身体ではなく集中とリズムを崩してくる。
右のストレートを外へ流した爆豪が、今度こそ深く懐へ入り込んだ。
掌をジーニストの腹へ押し当てようとする。
その瞬間、胸元の生地が後ろへ引かれた。
身体が数センチ離れ、その僅かな空間へジーニストの膝が突き上がる。
「ぐ……ッ!」
腹を打たれて身体を折ったところへ肩口へ掌底を入れられ、爆豪は数歩後ろへ押し戻された。
ジーニストは無理に追わず、崩れた髪を整えながら距離を保っている。
その涼しい顔を見て、爆豪はようやく理解した。
ホークスから手加減はするなと言われていたし、ジーニスト自身も同意していた。
それでもこれは潜入のために仕組んだ戦闘だ。
試作品の性能を十分に見せ、トップヒーローを相手に戦った記録さえ残れば、どこかでそれらしい落とし所を作るものだと、意識のどこかでは考えていた。
だが違う。
(こいつ、勝たせる気ねえな)
デトネラットへ見せる映像だからといって、都合よく爆豪を勝たせるつもりなど最初からない。
そこまで理解すると、腹立たしさより先に笑いが込み上げてきた。
爆豪は身体を起こし、もう一度両拳を構える。
今度は掌を大きく開かなかった。
指の付け根で小さな爆発を刻み、靴底が地面から大きく離れない程度の加速を連続して加えながら前へ出る。
大爆発による直線的な突進とは違い、一歩ごとに速度と方向を変えられるため、ジーニストにも軌道を読ませにくい。
間合いへ入った瞬間、足元へ最後の一発を落とし、その反動を乗せた右拳を顔面へ走らせる。
ジーニストは首を傾けて外す。
爆豪も止まらず、返ってきた左を前腕で流しながら小さな爆発で脇へ滑り、その加速を利用して肘、膝、掌底へと繋げていった。
一動作ごとに小さな爆発を挟むことで、拳を引く速度も、踏み込む距離も、回避から反撃へ切り替わる瞬間も微妙に変化する。
爆豪自身の格闘感覚と個性が噛み合い始めると、ジーニストも先ほどまでのように余裕を持って打ち込めなくなった。
数合を捌いたところで、ジーニストは上着を再び脱いだ。
今度は爆豪の視界を塞ぐでもなく、何でもない物のように自分の足元へ落とす。
爆豪も視界の端では確認していたが、目の前の本体を相手にする方を優先し、それ以上は気に留めなかった。
ジーニストの右拳をかわし、爆豪の左が下から顎へ迫る。
ジーニストは半歩退いた。
その時、右肩が僅かに沈み、胸元に斜めの皺が走った。
次は右。
そう読んで爆豪が頭を左へ振る。
だが、予想していた拳は来なかった。
「──あ?」
代わりに逆側から伸びてきた左が頬を捉える。
爆豪は衝撃を受けながら距離を取り、すぐにジーニストの上半身へ視線を戻した。
見間違えたはずはない。
肩の沈みも、服の動きも、右を打つ直前のそれだった。
もう一度ジーニストが踏み込む。
今度は腰の左側が僅かに捻れ、腹部の生地に皺が寄る。
爆豪は左のフックを警戒して内側へ入った。
真正面から右のストレートが額を打つ。
「ッ……!」
仰け反りながら、爆豪の中でようやく答えが繋がった。
身体の動きだけではない。
服だ。
ジーニストは本物の肩や腰の僅かな動きに、自ら操作した衣服の皺を重ねている。
本来なら右拳を放つ時に生まれる布の引き攣れを実際の動き以上に強調したり、逆に左を出す直前に反対側の生地を動かしたりすることで、身体から得られる情報そのものへ嘘を混ぜていた。
普通なら気にも留めないほど小さな変化だ。
だが爆豪は違う。
拳そのものを見るだけではなく、肩や腰、足の向き、重心の移り方まで拾い上げ、相手が動くより先に次の攻撃を読む。
その癖が染み付いているからこそ、衣服の微細な動きまで無意識に判断材料へ組み込んでいた。
観察力が高いほど、偽の情報にも早く反応してしまう。
「テメェ……!」
「相手をよく見るのは結構なことだ」
涼しい顔でそう答えたジーニストの左肩に、また拳を出す前のような皺が入る。
爆豪の身体が反応した。
今度は何も来ない。
その瞬間には長い脚が伸び、脇腹へ蹴りが突き刺さっていた。
「がっ!」
爆豪は蹴り飛ばされながら掌を後方へ向け、小さな爆発を連続させて強引に姿勢を戻した。
着地と同時に前へ出る。
今度は服を見ない。
肩口に寄る皺も無視し、重心と足の位置だけへ意識を絞る。
ジーニストの左拳を外へ弾き、そのまま懐へ潜り込んだ。
右拳を腹へ叩き込んでやる。
そう思った瞬間、視界の端で何かが立ち上がった。
「っ!」
横から人影のようなものが迫ってくる。
反射的に顔を庇った爆豪の腕へ、布が巻き付いた。
先ほどジーニストが足元へ落としていた上着だった。
袖が腕のように振り上げられ、裾が脚のように翻りながら側面から割り込んでくる。
もちろん人間の形を作って戦っているわけではないし、それ自体にまともな打撃力があるわけでもない。
だが視界の端から突然飛び込んでくれば、反射的に注意を向けるには十分だった。
「ふざけんな!」
爆豪が腕を振って上着を払い除けた時には、本物のジーニストが反対側へ回り込んでいる。
右拳が脇腹へ入り、爆豪が肘を返そうとすると、今度は背後へ回った上着の袖が肩へ絡み、僅かに身体を後ろへ引いた。
そこへ正面から左拳が飛んでくる。
爆豪は顎を引いて受け、そのまま細かな爆破で後方へ抜けた。
ジーニスト本人と、個性で操られる上着。
実際に倒す力を持っているのは前者だけだが、一方を見ればもう一方が死角へ回る。
上着が右から大きく舞い上がる。
爆豪は囮だと判断して無視し、ジーニストへ踏み込んだ。
今度は本当に裾が足首へ絡む。
足を完全に止めるほどではない。ただ踏み込みが半拍遅れ、その一瞬でジーニストの拳が届いた。
逆に上着を先に処理しようとすれば、本体の長い脚が真正面から伸びてくる。
「クソッ……!」
爆豪は掌を爆発させ、上着ごと間合いの外へ押し返した。
だが距離を取れば、ジーニストは上着を自分と爆豪の間へ浮かせ、身体の輪郭を布越しに隠してくる。
そこへ先ほどの皺によるフェイントまで混ざり、どの動きが攻撃の予兆で、どれが意図的に見せられた嘘なのか、一瞬ごとに見極めなければならない。
単純な速さなら、もう追える。
長い手足の間合いにも慣れ始めた。
自分の服を引かれるタイミングも、最初よりは対応できる。
それなのに一つ潰すたび、別の手が出てくる。
ジーニストの肩に皺が寄る。
フェイントだと判断し、爆豪はそのまま踏み込んだ。
予想通り、拳は来ない。
そう思ったところへ、背後から飛んできた上着が頭へ被さろうとする。
「ッだァ!」
視界を奪われる前に腕で払い退ける。
そこへ前蹴りが腹へ突き刺さった。
爆豪は数歩後退しながらも踏み止まり、すぐに姿勢を戻した。
ジーニストが追ってくる。
右肩に皺が入った、またフェイント。
今度は反応しない。
すると普通に右拳が飛んできた。
「チッ!」
前腕を滑り込ませ、辛うじて受ける。
爆豪は受けた勢いを殺さず、左掌の小爆発で相手の外側へ回った。
皺が嘘なのか本物なのか。
上着が単なる囮なのか、それとも実際にこちらを引っ掛けるために動いているのか。
さらに自分の服まで時折僅かに引かれる。
爆豪が戦闘中に拾ってきた情報そのものを、ジーニストは一つずつ信用できないものへ変えていった。
しかも、この戦法が性質の悪いことに、爆豪だからこそよく効いている。
相手の身体を細かく観察し、次に何をするかを考え、それより早く身体を動かす。
普通なら見落とすほど小さな予兆まで拾える戦闘感覚があるからこそ、そこへ紛れ込ませた嘘にも誰より早く食いついてしまう。
ジーニストは、それを理解した上で仕掛けている。
爆豪は地面を蹴り、小爆発を連ねて再び懐へ入った。
爆破の加速を乗せた瞬間、ジーニストの胸元へ露骨な皺が走った。
今度は無視し、拳の軌道だけを見る。
右が届く。
その直前、横から上着の袖が視界を横切った。
爆豪の目が僅かにそちらへ動いてしまう。
ほんの一瞬だった。
隙をつき、ジーニストの拳が腹へ突き刺さる。
「ぐっ……!」
身体を折られ、そのまま肩を押されて体勢を崩す。
爆豪は地面へ手をつく寸前で掌を爆発させ、勢いのまま身体を回転させて蹴りを返した。
今度はジーニストが後ろへ退いた。
一歩。
ほんの一歩だったが、先ほどまでのようにその場ですべてを捌かれたわけではない。
爆豪は荒く息を吐きながら、マスクの下で口元を吊り上げた。
「……トップヒーローが小技ばっか使ってんじゃねえよ」
ジーニストは浮かせていた上着を自分の横へ従えると、爆豪の悪態など意に介した様子もなく、乱れた前髪を指先で整えた。
その立ち姿だけを見れば、つい先ほどまで拳や蹴りを飛ばし、上着まで使って二対一まがいの攻めを仕掛けていた人物には到底見えない。
やがてジーニストは口元を僅かに緩めた。
「見える部分だけで仕立ての良し悪しを決めるものではないよ、暴漢君」
傍らに浮かぶ上着の袖が、再びゆっくりと持ち上がる。
「隠しリベットはいざと言う時に効いてくるものだ」
(隠しリベット……?)