「やべえ、どうしよう……」
転孤は額に当てていた手を離し、もう一度スマートフォンへ視線を落とした。
地図上を移動する点は止まらず、爆豪を乗せていると思われる暗い色のセダンは幹線道路を進みながら、着実に泥花市の中心部へ近づいている。
「やばいやばいやばい……」
口にしたところで状況が改善するわけでもないが、それでも言わずにはいられなかった。
緑谷の居場所は分からず、連合のメンバーは誰もホテルにはいない。
スピナーだけは裏路地で大人しくさせたものの、他の敵連合の人間が街のどこを歩いているのかまでは把握できておらず、そのうえ麗日お茶子と、厳密には敵連合の構成員ですらない壊理まで泥花市にいる。
何も知らない彼女たちがホテルへ戻ってくる可能性も考えておかなければならなかった。
「なんとかしねえと……」
自分へ言い聞かせながら眼下の車を追い、足元の光輪を僅かに傾けると、身体が音もなく前へ滑っていく。
目的地が泥花市であることはもうほとんど確定しているため、これまでのように数キロ離れた場所からGPSだけを頼りに追跡する必要はない。今は車が街のどこへ向かっているのかを見失わない方が重要だった。
高度を保ったまま幹線道路の上へ出ると、位置情報と速度が一致する暗い色のセダンを確認し、その斜め後方、数十メートルほど上空へ位置を取った。
足元に浮かぶ光輪は夜空でも僅かに発光する。
真上まで近づけば車内から発見される可能性があり、街灯や看板の多い市街地なら多少は紛れるとしても、わざわざ危険を冒す理由はない。
そのまま道路を見下ろして並走していると、進行方向に夜の街でもひときわ目立つ高層建築が見えてきた。
先ほどフロントで緑谷の所在を確認した、敵連合の滞在しているホテルだった。
「まあ、そーだよな……」
眼下のセダンとホテルを交互に見れば、爆豪を泥花市まで連れてきた理由もおおよそ察しがつく。
デトネラットの関連施設でもなければ、公安が解放軍の拠点として把握していた場所でもない。
そんな街へ東京から何時間も掛けて爆豪を連れてきて、その行き先が敵連合の滞在しているホテルとなれば、目的は限られていた。
「緑谷の反応を、爆豪の最後の踏み絵に使うつもりか……」
爆豪勝己は雄英を辞め、デトネラットへ入り、実戦用の装備を使ってベストジーニストと戦った。
表向きの経歴だけを並べれば、社会から弾き出された強力な異能の持ち主として解放軍が欲しがる人材像にはかなり近い。
ここ数週間でデトネラット側からの信用も積み上げてきた以上、最後に確かめたいのは能力でも、口先で語る思想でもないはずだった。
本当にヒーロー側との繋がりを捨てたのか。
それを本人が予想していない状況で確かめるなら、幼い頃から爆豪を知る緑谷以上に都合のいい相手はいない。
「……趣味悪ぃな」
公安から共有された情報によれば、爆豪と緑谷は幼馴染でありながら関係はかなり拗れていたらしい。
一見すれば今回の潜入には好都合である。
久しぶりに会った緑谷へ親しげに振る舞う必要はなく、爆豪が敵意を向けたところで不自然ではない。
だが、仲が悪いことと相手を知らないことは別だった。
「誤魔化しきれねえな」
幼い頃から同じ環境で育ち、中学から雄英まで顔を合わせていたのなら、公安が何週間調査しても拾えないような癖まで知っていておかしくない。
爆豪が本気で怒っている時と、ただ口が悪いだけの時の違い。
何を嫌い、何に執着し、何だけは絶対に譲らないのか。何より、爆豪勝己という人間がヒーローになることへどれほど執着していたのかを、緑谷は知っている。
ここ数週間で爆豪自身は随分と潜入に慣れた。
嘘を吐き、余計なことを言わず、分からないことへ無理に首を突っ込まず、腹が立ったからといって全部その場でぶち撒けることも減っている。
事前に緑谷との接触を知らされていれば、最近の爆豪なら相応の準備をしただろう。
だからこそ、解放軍は何も知らせていない。
突然昔からの知人と引き合わせ、その瞬間に何を見て、どう反応するのかまで観察するつもりなのだ。
「問題は、緑谷の方か……」
爆豪が完璧に演技したところで、緑谷から一言でも「かっちゃんがヒーローを諦めるはずがない」と出れば、何週間も掛けて積み上げてきた信用が一気に揺らぐ可能性がある。
「……クソッ」
転孤は舌打ちし、眼下のセダンから視線を外した。
爆豪本人へ不用意に連絡するわけにはいかない以上、今できるのは接触する可能性のある人間を先にホテルから遠ざけることだった。
足元の光輪を前方へ傾けると、それまでセダンの斜め後方を並走していた身体が一気に加速する。
爆豪の位置はGPSで追えるため、多少離れたところで見失う心配はない。
ホテルを中心に大きく円を描きながら高度を落とし、夜の泥花市へ視線を走らせた。
「緑谷……トガ、マグネ、コンプレス……麗日に壊理とかいう八斎會のガキまで。誰でもいいから出てこいよ」
スマートフォンを取り出して電話を一本かけてみたものの、何度か呼び出し音が続いた末に通話は切れた。
目的の人物は電話に出ない。
「クソッ、何してんだよ……なんの為に……」
掛け直している余裕はない。
スマートフォンをポケットへ戻したところで、ホテル正面の道路を挟んだ向かい側にあるコンビニから、一人の大柄な人影が出てきた。
派手なサングラスを掛け、片手に小さな袋を提げながら煙草へ火を点ける姿を見て、転孤の目が見開かれる。
「……いた!」
引石健磁──ヴィラン名、マグネ。
転孤は周囲の人目を確認すると、コンビニの正面を避けて隣の建物との間へ降下した。
光輪による飛行は身体を支えながら進行方向を変えられるため、急降下しても強烈な風圧に振り回されることはない。
それでも東京から何時間も爆豪を追い続け、泥花市へ着いてからも飛び回っている以上、蓄積した疲労までは消してくれなかった。
地上へ降り立つと大きく息を吐き、膝へ手を置く。
「クソ……何で俺がこんな……」
額の汗を袖で拭ってから、転孤は歩道へ出た。
「おい、マグネ」
「ん?」
呼ばれたマグネが何気なく顔を向け、数メートル先に立つ転孤を認めるなり目を大きくした。
「何よアンタ、そんな息切らして。走ってきたの?」
「まあ……似たようなもんだ」
「似たようなって……ていうか! 久しぶりねえ!」
「お、おう……」
想像以上に明るい反応を返され、転孤の方が僅かに面食らう。
「アンタ、急にいなくなったからどうしたのかと思ってたのよ。元気してた?」
「あー……まあ、それなりに」
「それなりって顔じゃないわよ。汗すごいじゃない。ていうか、何で泥花市にいるの? もしかしてアタシたちに会いに来てくれた?」
「いや、それは──」
「だったら連絡くらい寄越しなさいよ。水臭いわねぇ」
そう言って肩を軽く叩いてくる。
完全に歓迎されているのはありがたいが、今は再会を喜んでいる場合ではなかった。
「悪い。それよりちょっと聞きてえんだけど、緑谷が今どこにいるか知ってるか?」
「ボス? 多分ホテルじゃないかしら。ご飯食べた後は特に予定があるって言ってなかったし」
「いや、さっき確認したけど外出してるって」
「あら、そうなの?」
マグネはホテルを見上げて少し考えたものの、心当たりはないらしい。
「じゃあ分からないわねぇ」
「他の面子は?」
「スピナーは飲み歩いてて……他の子もみんなホテルかしら」
「麗日とかトガは?」
「さあ? アタシは見てないわねぇ」
これ以上質問を重ねても得られるものはなさそうだった。
ならば、せっかく見つけた一人だけでもホテルから遠ざけておく。
「なあマグネ、良かったら今夜少し呑まないか?」
「え?」
唐突な誘いに目を丸くしたマグネだったが、すぐに表情を綻ばせた。
「あら! いいじゃない! うちの子達みんな下戸だから嬉しいわ。付き合い悪いったらないのよぉ。スピナーは飲み方荒くて疲れちゃうし」
「俺、この辺あんまり知らなくてさ。駅近でいい店ないか?」
「駅前? あるわよ。アタシの行きつけが一軒あって、ここから歩いて十分も掛からないし、お酒も安いわよ」
「じゃあそこにするか」
「あら、即決?」
「地元知ってる奴に任せるのが一番だろ」
「そういうことなら任せなさい」
駅はホテルとは反対方向にある。マグネが歩き出そうとしたところで、転孤は「あ、悪い」と呼び止めた。
「俺、ちょっと野暮用済ませてから行くから、先に行っててくれよ」
「野暮用? アンタさっきから野暮用多くない?」
「そういう日なんだよ。十分くらいで行くから、店の場所だけ教えてくれ」
「何よそれ……」
疑わしそうな顔をしながらも、マグネはスマートフォンを取り出して地図を開いた。
「ここ。駅の西口出て、商店街をちょっと入ったところ。赤い看板があるからすぐ分かるわよ」
「分かった。先に呑んでてくれ」
「遅かったら置いてくわよ?」
「分かったって」
何度も念を押されながら頷くと、マグネはようやく駅へ向かって歩き始めた。
十分に離れたのを確認してから転孤は建物の陰で光輪を生み出し、屋根を越えるまで静かに上昇する。
ホテルの上層階と同じ程度の高さまで来て駅方向を振り返ると、大柄なマグネは人混みの中でもすぐに見つかった。
「……悪いな。酒はまた今度付き合うから」
これでスピナーとマグネはホテルから遠ざけた。
だが緑谷、渡我、コンプレスに加えて麗日の所在も分からない以上、まだ安心するには早い。
その時、ホテル正面のロータリーへ入っていく暗い色のセダンが目に留まった。
「……あれか?」
慌ててGPSを確認する。
点はホテルの目の前で停止していた。
「おいおい、もう着いてんじゃねえか……!」
転孤はホテルへ向かって加速し、正面から見えないよう隣接する建物の屋上を掠めながらロータリーを見下ろせる位置まで距離を詰めた。
既に停車したセダンへホテルのスタッフが近づき、後部座席のドアを開ける。
最初に降りてきたのは爆豪だった。
普段のヒーローコスチュームではなく、デトネラットへ潜入する時と同じ私服姿で、車を降りた爆豪は周囲を一度だけ見回している。
その反応を見る限り、このホテルについて事前に聞かされている様子はなかった。
続いて反対側のドアから降りてきた男を見て、転孤の眉が寄る。
「……は?」
見間違えるはずがない。
デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也。
「社長本人まで来てんのかよ……」
四ツ橋は車を降りると運転手へ何か短く声を掛け、そのままホテルの正面玄関へ身体を向けた。
爆豪も少し遅れて後ろにつき、二人は並ぶでも離れるでもない微妙な距離を保ちながらエントランスへ歩いていく。
転孤はその場に留まった。
爆豪へ接触するのはもちろん、到着した瞬間を狙ったように四ツ橋の前へ姿を見せるのも余計な疑念を招きかねない。
「頼むから何も起こすなよ……」
二人がロビーの奥へ消える。
入った瞬間の鉢合わせこそ起こらなかったが、四ツ橋がわざわざ爆豪をここまで連れてきた以上、緑谷が戻るまで待つ可能性は高い。
転孤はすぐに高度を上げ、ホテルへ戻ってきそうな人間を優先して探した。
すると二つほど離れた交差点に、街中では嫌でも目立つ男を見つける。
洒落た格好にシルクハット、そして顔には仮面。
「いた! 街中だってのに変質者みたいな格好しやがって。お前も駄目だ!」
迫は紙袋を提げ、ホテルへ続く歩道をゆっくり歩いていた。
このままなら数分もしないうちに、爆豪と四ツ橋のいるホテルへ戻ってしまう。
転孤は迫の進行方向にある路地へ先回りして着地すると、息を整える間もなく歩道へ出た。
「はぁ……おい、コンプレス」
「ん?」
迫が足を止め、仮面越しにこちらを見る。
「おや? 確か山で会った……」
「おう、久しぶりだ。それより、ちょうど良かった。マグネがお前のこと待ってるぜ」
「マグ姐が?」
「ああ。駅前のバーだったかな?」
迫はホテルへ向けていた身体を駅側へ向けかけたものの、そのまま歩き出すことはなく、困ったように肩を竦めた。
「いやあ、今日はもう帰って休もうと思ってたんだけどなあ。昼から結構歩き回っててな。明日も朝から予定があるし」
「いや、でもマグネ待ってるぞ」
「そう言われてもなあ」
このままホテルへ戻られては困る。
「そういや、マグネの奢りらしいぞ」
「ええ? それなら話は違うぜ」
つい先ほどまで疲れた様子を見せていた迫は、迷うことなく踵を返した。
「駅前だったな?」
「ああ。西口から商店街に入ったところにある、赤い看板の店」
「了解した。それにしてもマグ姐が奢ってくれるなんて珍しいな。せっかくだ、普段は頼まないような酒でも飲ませてもらうとしよう」
上機嫌に歩き出す背中を見ながら、転孤は僅かに顔を引き攣らせた。
当然ながらマグネは奢るなど一言も言っていないが、後で二人が揉めようと今は知ったことではない。
「転孤くんは来ないのかい?」
「俺は後で行く。先に始めててくれ」
「そうか。それじゃ、お先に」
「おう」
コンプレスが交差点を渡り、人混みの中へ消えていく。
その姿が完全に見えなくなったところで、転孤は肺に溜まっていた空気を吐き出すように長い溜息をついた。
「はぁぁぁぁ……」
スピナーは眠らせ、マグネとコンプレスは駅前へ送った。
しかしホテルには既に爆豪と四ツ橋がおり、本命の緑谷を筆頭に渡我、麗日の所在は分からない。
そのうえマグネには十分ほどで行くと約束し、コンプレスには存在しない奢りまで約束してしまった。
「俺、爆豪追いかけてきただけだよな……?」
東京から愛知県泥花市まで監視対象を追跡した結果、敵連合の滞在先だけでなく、解放軍が街そのものへ浸透しているという公安も把握していない情報まで掴んだ。
潜入捜査官としては十分すぎる成果のはずなのに、現在やっているのは敵連合の面々を一人ずつホテルから引き離しながら、行方不明者まで探すという本来の予定にはなかった仕事ばかりである。
「……無理だろ、きちい」
両手で顔を覆って深く息を吐いた後、再び光輪を生み出して夜空へ浮かび上がる。
全部を同時に片付けることはできない。
ならば最優先は緑谷だ。
ホテルへ戻る前に彼さえ見つけられれば、最悪の事態だけは避けられる。
その途中で渡我や麗日を発見したなら、その時に考えるしかない。
そこまで整理しても、やるべきことが多いという事実だけは変わらなかった。
「やる事が多い!!」
夜空に絶叫が響き、少し離れたビルの屋上から鳥が一斉に飛び立つ。
「何で俺が一人で全部やってんだよ! 爆豪追って、連合どかして、緑谷探して、麗日とガキまで探して!」
もちろん返事はない。
「……クソッ」
数秒だけ宙で頭を抱えた後、転孤はホテルへ続く大通りへ目を凝らした。
小柄な体格に、癖の強い緑髪。
あの頭なら多少離れていても見分けられるはずだ。
「頼むから今だけは、分かりやすいところ歩いててくれよ……!」
光輪を大きく傾け、再び泥花市の夜空を駆ける。
それからしばらくホテル周辺を探し回った頃には、東京から続く疲労がいよいよ隠しきれなくなっていた。
「どこだよぉ……緑谷ぁ……緑谷緑谷」
切迫感というより、残業中の会社員のような呻きだった。
ホテルから徒歩で戻れる範囲を中心に、大通りや路地、コンビニ、飲食店の周辺を探していく。
表通りを外れるにつれて商業施設は減り、住宅や小規模な店が増えてくるため、転孤は人の顔を確認できる程度まで高度を落とした。
ホテルから二百メートルほど離れたところで、住宅の間に小さな児童公園が見えてくる。
時刻も遅いため子供の姿はなく、街灯に照らされた園内には数人の人影があるだけだった。
何気なく見下ろした転孤は、そのまま通り過ぎかけ──足元の光輪を傾け直した。
「…………ん?」
街灯の近くに三人、その少し離れたベンチにも一人いる。
茶色い髪の麗日お茶子。
金髪の渡我被身子。
ベンチで暇そうにしているトゥワイス。
そして二人の少女の間には、癖の強い緑髪をした少年が立っていた。
「緑谷……?」
少し高度を落として見直す。
間違いない。
「いた……いたいたいた!」
疲れ切っていた身体へ、一気に力が戻った。
緑谷だけを見つけられれば十分だったのに、渡我と麗日、さらにトゥワイスまで同じ公園にいる。
先ほどまで街中を飛び回って一人ずつ探していた転孤にとって、これ以上ない幸運だった。
「マジか! やっとツイてきた!」
勢いのまま降下しかけたところで、寸前になって踏み留まる。
「いや待て、落ち着け俺」
事情を説明できない以上、下手に接触する必要はない。
転孤が公安の潜入捜査官であることも、爆豪がデトネラットへ潜り込んでいることも、彼らは知らないのだ。
ならば、まずは様子を見る。
転孤は公園の上空をゆっくり旋回した。
ベンチのトゥワイスは暇そうにしているものの、緑谷、渡我、麗日の三人は随分と熱心に話し込んでいる。
上空からでは声までは聞き取れないが、渡我が身振りを交えて何かを尋ね、麗日も興奮した様子で加わり、その二人に挟まれた緑谷が困りながら答えているらしい。
「……何の話してんだ、あいつら」
内容までは分からないが、今必要なのはそこではない。
あの様子なら、すぐにホテルへ戻ることはなさそうだった。
「……なら、いいか」
本人たちが勝手に時間を潰してくれているなら、わざわざ接触して新しい嘘を増やすより放っておく方がいい。
転孤はようやく一つ仕事が減ったことに安堵し、公園から高度を上げながらホテルへ目を向けた。
そして、すぐに別の問題を思い出す。
「……爆豪」
緑谷たちが戻らない今なら、多少の猶予がある。
この時間を使って爆豪本人へ状況を知らせ、四ツ橋が敵連合との接触を仕掛けてきても対応できるよう準備させなければならない。
「そうだよ、あいつに知らせねえと意味ねえじゃねえか!」
転孤は慌ててスマートフォンを取り出したものの、爆豪へ電話を掛けようとしたところで指を止めた。
「……電話はだめか」
四ツ橋と一緒にいる可能性が高い。
今このタイミングで転孤から着信があれば、それだけで余計な疑念を持たれかねない。
公安から渡されている連絡手段についても、爆豪が自由に確認できる状況なのか分からなかった。
直接接触するしかない。
もちろん、それも簡単ではない。
四ツ橋の前で二人きりになる理由を作り、そのうえ潜入を疑われない形で情報を渡さなければならないのだから、方法を考え始めればいくらでも問題は出てくる。
それでも、ここで空中に浮かびながら悩んでいても仕方がなかった。
「よし。こいつらはまだ動かねえ」
念のため公園を振り返ると、三人の話はまだ続いており、トゥワイスもベンチから動いていない。
「そのまま喋ってろ。頼むからホテルには戻んなよ」
小さく手を合わせた転孤は身体を反転させ、光輪を大きく傾けた。
ホテルまでの距離は僅かだった。
夜の住宅街を一気に飛び越え、正面玄関から見えないよう隣の建物の陰へ回り込む。
ホテル裏手の屋上へ降りたところで緊張が途切れたのか、着地した途端に膝から力が抜けそうになり、転孤は慌てて両手をついた。
「うぉ……クソ……」
東京からここまで飛び続けたうえ、泥花市に入ってからも休む暇などなかった。疲れていないはずがない。
「もうちょいだから頑張れ、俺……」
何度か深呼吸してから立ち上がり、ホテルを見上げた。
敵連合側は、ひとまず時間を稼げている。
今度は爆豪の番だった。
四ツ橋から一時的に引き離し、敵連合がこのホテルに滞在していることと、緑谷や麗日と鉢合わせる可能性があることを知らせる。
そこまでできれば、後は爆豪自身も状況に合わせて動けるはずだ。
「待ってろよ、爆豪……」
転孤は疲労の滲んだ顔を引き締め、ホテルへ視線を据えた。
──
「──それで! 好きな女の子のタイプは!?」
「えっ」
転孤がホテルへ飛び去った頃。
公園では彼が遠目に見た通り、麗日と渡我が緑谷を挟んで熱心に話し込んでいた。
ただし、その内容は潜入捜査とも解放軍とも一切関係がない。
「す、好きな女の子のタイプ?」
「そう! どういう子が好きなん!?」
「デクくんの好み、私も知りたいです!」
二人に詰め寄られ、緑谷は困ったように一歩後ろへ下がった。
最初はもっと無難な話だった。
好きな食べ物は何か、休みの日には何をしているのか、一人でいる時には何を考えているのか。
普段一緒にいてもわざわざ尋ねる機会のないことを二人が次々と聞いているうちに質問は少しずつ踏み込んだものとなり、とうとう恋愛の話にまで到達していた。
「ほら、デクくん!」
「答えてください!」
「ええ……」
左右から期待に満ちた目を向けられ、緑谷は助けを求めるように少し離れたベンチを見る。
そこにはトゥワイスが座っていたものの、こちらを助けるつもりはないらしく、背もたれへ身体を預けて夜空を眺めていた。
「いやー、青春だぜ」
頼れそうにない。
緑谷は諦めて二人へ向き直ると、腕を組んで真剣に考え始めた。
「好きなタイプって言われても、あんまり考えたことないんだけど……頑張ってる子、とかかなあ」
「頑張ってる子?」
「うん。何かに一生懸命だったり、自分で決めたことを頑張ってる人は凄いなって思うし……あとは、笑顔の素敵な人かなあ」
「ふ────────ーん……じゃあ、デクくん」
「まだあるの?」
「デートするなら!」
「デート!?」
「好きな人と二人で出掛けるなら、どこへ行きたいですか?」
「どこって……」
誰かと恋人として出掛けた経験などないため、緑谷はテレビや漫画で見た程度の知識を頼りに想像してみる。
しばらく悩んだ末、どうにか思いついた場所を口にした。
「……遊園地、とか?」
「遊園地!」
渡我が素早くポケットへ手を入れ、小さなメモ帳とボールペンを取り出す。
「わあ、メモだ」
渡我は「遊園地」と書き込み、そのまま続きを促すようにペンを構えた。
「それで、遊園地では何をするんですか?」
「普通に遊ぶんじゃないの? 乗り物に乗ったり、色々見たり……あ、クレープとか食べたり?」
「クレープ!」
すぐさま新しい文字が書き加えられる。
「そこまで書くの?」
「もちろんです。それで、クレープは?」
「食べるよ?」
「二人で一個だったら?」
「ええ……?」
質問の意図が分からず眉間へ皺を寄せたものの、渡我は真剣そのものだった。
「二人で一個なら……半分こ?」
「なるほどなぁ……」
麗日も横からメモ帳を覗き込み、何やら納得したように頷く。
「デクくん、そういう感じなんや……」
「どういう感じ?」
二人の興味はまるで尽きていなかった。
麗日は次の質問を考えるように指を折り、渡我はこれまでの回答を確認しながらメモ帳を捲っている。
「じゃあ次、デクくんは女の子と手ぇ繋ぐなら自分から繋ぐ?」
「おお、それ聞きたいです!」
「まだ続くの!?」
「だってこういう話、普段せえへんやん!」
「デクくん、自分から恋愛の話なんて全然してくれませんし」
「いや、それはそうだけど……」
「だから今のうちに聞いとかな!」
「なあー、まだー?」
間延びした声が飛んできた。
三人が揃って振り返ると、ベンチではトゥワイスが背もたれへ深く身体を預け、暇を持て余したように足を揺らしている。
最初こそ面白がって眺めていたらしいが、好きな食べ物から休日の過ごし方、理想のデートにまで話が及べば、さすがに付き合いきれなくなったらしい。
「あとちょっと!」
「もう少しです!」
「その『ちょっと』さっきも聞いたぞ! 好きなだけ続けろ! 早く終われ!」
麗日が苦笑する。
「だって、まだ聞きたいこといっぱいあるんです。デクくん、こういうこと自分から全然話してくれませんから」
「そうそう。せっかくなんやから、この機会に聞けるだけ聞いとかんと」
二人が当然のように言うのを聞き、緑谷は頬を掻いた。
「本人に聞けばいいのになあ」
「…………」
「…………」
二人が揃って黙る。
「いやぁ……」
「本人にはちょっと……」
「僕にはこんなに遠慮なく聞いてるのに?」
「デクくん本人やと恥ずかしいやん!」
目の前にいる緑谷出久は本人ではなく、トゥワイスの個性によって作り出された複製だった。
「いや、複製だけどさ……記憶も考え方も同じなんだから、本人に聞いたって答えは大体同じだと思うよ?」
「それとこれとは別なん!」
「なんだかなあ」
緑谷が呆れたように返すと、麗日は少し申し訳なさそうに笑ったものの、渡我は気にした様子もなくメモ帳を構えたままだった。
どうやら質問会を終えるつもりはないらしい。
「じゃあ次──」
「ちょっと待って」
渡我が口を開きかけたところで、緑谷が止めた。
何気なくトゥワイスの方を見たまま、少し考える。
「…………あれ?」
複製である自分をわざわざここへ連れてきて、本人には聞きにくいことを一通り聞く。
ならば、質問が終わった後はどうなるのか。
「分倍河原さん」
「んー?」
「もしかして、この質問会が終わったら……僕って殴られて消されるの?」
トゥワイスは何も答えなかった。
ベンチに座ったまま片手を持ちあげ。
ぐっと、親指を立てる。
「…………」
緑谷はしばらくその親指を見つめた。
「ひどいや……」